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2015年6月 1日 (月)

争乱の戦国史207(江戸Ⅰ13): 大坂夏の陣

 濠を埋め立てられてしまった大坂城は著しく防御能力を欠き、籠城戦は不可能であった。止む無く豊臣方は白を出て野戦を挑んだ
 1615年5月6日(慶長20)未明、後藤又兵衛は大和方面から奈良街道を通って襲来する敵を迎え撃つため、道明寺(現藤井寺市)付近に布陣同日早朝、援軍を待たずに伊達政宗・本多忠政・水野勝成らの軍勢と戦闘状態に入った。又兵衛の軍勢は2800余。対する徳川軍は2万を超え、数の上で一時、良く敵を圧倒したが、しょせん多勢に無勢。又兵衛は腰に銃弾を受けて討ち死にした。
 同日長宗我部盛親と木村重成は八尾・若江方面へ出撃し、藤堂高虎・伊井直孝の軍勢と衝突。藤堂軍に大打撃を与えるが、反撃を受けて敗走した。豊臣方の敗北はもはや時間の問題であった
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5月7日、大坂の陣は最終局面を迎える。豊臣方は大坂城の南部、天王寺及び岡山方面に戦力集中。徳川軍と決戦に臨んだ。茶臼山周辺に軍勢を配した豊臣方と、徳川の先頭にに位置する本多忠明が衝突したのが正午ごろ、豊臣方の軍勢は奮戦したものの組織的な兵の運用がままならず、次第に敗色が濃くなって行った
 豊臣方の大敗の中でただ一人
真田信繁(幸村)だけは気を吐き、味方が総崩れとなる中で茶臼山の家康本営に突入。家康の旗本部隊を大混乱に陥れた。一時は護衛も手薄となり。家康は自害を決意したほどだった。しかし、寸前で護衛が家康の元へ引返し真田勢を撃退。幸村は以後も奮戦したが、遂に力尽きて討ち死にした。

 この日の夕刻、豊臣秀頼夫人・千姫が脱出し、徳川軍に保護された。豊臣方の参謀・大野治長は家康の孫娘である千姫の命と引き換えに、秀頼の助命を実現しようとしたのである。
 しかし、、大坂城に対する攻撃の手は緩まず、城は焼失。翌5月8日秀頼と淀殿は遂に自害し大坂の陣は終りを告げた。8歳になる秀頼の子・国松は城を脱出するが、捕えられ5月23日斬首。栄華を極めた豊臣家の血脈は、わずか二代で途絶えたのである。かくして大坂の陣が終り、それは戦国の終わりとなったのである

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