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2015年5月

2015年5月31日 (日)

揺れる列島  夏の花2・キンシバイ

 昨日午後8時半ごろ、小笠原西方沖を震源地とするM8.5の巨大地震があった。震源が590kmという極めて深い場所であり、その結果、関東-東北で震度5強で列島全体が震度5~1(奄美・沖縄含む)の地震となり、列島全体が揺れたことになる。これは震源が深かったため、地震の波がプレート中を減衰しないで伝わったためという。これまでの地震学者によるプレートどうしのせめぎ合いに依っておこる、巨大地震の発生予想地域想定など完全に飛び越えた話だ。やはり、地震は何処に起こるか分からぬ。原発の安全性などあり得ないことを如実に示したと言えまいか。
 昨日のビリュウバイの近縁種でもある金糸梅(キンシバイ)を紹介。
Photo_3 キンシバイ(金糸梅)。中国原産江戸時代宝暦10年(1760)渡来という。花が梅に似た形で黄色、且つ沢山ある雄しべを金糸見立てての名前庭木や地覆い用植込みとして、北海道以外各地で植栽されている。緩やかに枝垂れ、葉は対生で長い楕円形、半日蔭でも丈夫に育つ。株分けで増やせる。耐寒性、耐暑性が強い
Photo_4 その花5-7月枝先に黄色い5弁の花を次から次へと咲かせる。西洋キンシバイ(=ビヨウヤナギ)は近縁種。やや垂れた小枝の先に径約3㎝の黄色花が2、3個が集散花序になってつく。花弁はほぼ円形で5枚あり、雄しべが多数で、5群に分かれ、花糸花弁より短く花柱は5本ある。果実は卵形、長さ1cmの蒴果がつき9-10月に熟して5裂する。

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2015年5月30日 (土)

口永良部爆発的噴火  夏の花1・ビヨウヤナギ

 昨日、口永良部島の新岳の噴火が起こるかもしれず、全島民137人が屋久島に非難したと記した。が、その後状況はさらに悪くなり、現実に爆発的噴火が確認されており、既に火砕流が発生し、北西約2kmの海岸まで到達したと報ぜられた。専門家の話では、水蒸気噴火ではなく、より規模の大きな「マグマ噴火」になる可能性を指摘している。そうなると、今度は溶岩流が流れ出し、容易に終焉することが難しくなり、長期化する恐れが大きいという
 着の身着のままでの避難だったであろうから、長期化すれば住民の生活が問題となる。そのような事態にならぬ様祈るばかりである。
 さて今日の花は、今頃一斉に咲きだしたビヨウヤナギ先ず掲載し明日金糸梅を載せる予定。その美容柳、ずっと美容柳で通し、図鑑にもそう紹介されるのが多い。しかし、最近これは学名ヒぺリカム・カリシナムであって、本当の美容柳はヒペリカム・チャイニーズという中国原産で、雄しべが曲がっているのが特徴だ、とある。しかし、実際には両者混同されて流通しているようなので、ここではこれを従来通り美容柳とする
Photo ビヨウヤナギ(美容柳)。ヨーロッパ原産。日本には江戸時代に渡来。庭園や花壇に植えられる。1.5m位になる小低木。正式名「西洋金糸梅」別名姫金糸梅、学名からヒペリカム・カリシナムともいい、キンシバイの近縁種である。葉は一対ごとに直角に十字対生する。
Photo_2 その花。黄色く大きな花弁(5~6㎝位)と、沢山の長い雄しべが直線的に立ち伸びている点が大きな特徴である。これが曲がっているのが、前述の通りヒペリカム・チャイニーズでありそれが本当のビヨウヤナギ(?)だとする記載もある。

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2015年5月29日 (金)

口永良部全島避難  初夏の草花11・クジャクサボテン

 先日来、噴火予兆が見られた口永良部島(屋久島北西17kmの小さな島)の新岳が、本日午前に噴火し、噴煙9000m以上に達してい居るという。気象庁の観測では今後更に爆発的噴火が起こる可能性が大きいと、島民全員(137世帯137人)に島外への緊急避難を指示し、近くの屋久島”民家の里”への非難を開始した。最近各所の火山活動が活発化し、爆発的噴火や火山性地震の発生が懸念されている中での事だけに、十分な観測継続と、一旦事ある場合に備えての緊急避難体制の検討が必要なようである。
 人が住んでいるこの地球の地殻内部のマグマの活動は、人類が未だ律する事の出来ない”自然”の活動である。抗する事が出来なければ、如何にいち早く難を逃れかを、策定すべきだろう。
 愈々夏が深まり、且つ梅雨は6月下旬の見込みという長期予報のとおり、真夏並みの暑さがやってきた。もう初夏の花ではなく、夏の花とすべきだが、今日はその11回目、孔雀仙人掌を紹介。
Photo クジャクサボテン(孔雀仙人掌)。原種が中南米に十数種分布するとか。普通目にするのは勿論交配した園芸種のクジャクサボテン属を総称しているが、夜しか咲かない月下美人なども、同属の中の1種。割に強い花で鉢植えにして放置されても、写真の如く、花は綺麗に咲く。但し放置すれば植姿は乱れる
Img_ その花。花期は5-6月花色赤、ピンク、黄、白など。この花の花芽冬の間、10℃位で、冠水せずに葉が赤みを帯びるほど放置すれば花芽が良く付く。この時。枯れると思って、水を遣ってしまうと花芽は殆どつかない。従って、クジャクサボテンは放置するほど花付きが良くなる。花後、植え替え、水遣り、肥料やリをする。

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2015年5月28日 (木)

国内最古「多鈕鏡」出土  初夏の草花10 蔦葉海蘭

 福岡・春日市教委は27日同市の須玖タカウタ遺跡で、弥生時代中期前半(紀元前2世紀)の青銅鏡「多鈕鏡」の鋳型が国内では初めて出土した発表した。この辺りは魏志倭人伝の「奴国」に比定されており多くの遺跡・出土品があるが、従来朝鮮半島製のものが多く出ているが、今回の出土品は半島製の模様ではなく、日本の青銅器同様のものが描かれ、国産のものと判定されたもので、従来の国内産定説を200~150年早まる事が解った。
 石器生産、稲作等も過去から全て推定年がはやめられ、日本の原始時代は全て数世紀早まる感じである
 今日の草花は、小さな花ながら、可愛い花・ツタバウンランを紹介。
2 ツタバウンラン(蔦葉海蘭)。別名ツタカラクサ、ウンランカズラなど。ヨーロッパ(地中海沿岸)原産だが、観賞用大正年間に輸入され、逸出、野生化した帰化植物で、北海道から本州に分布。多年草で、は細くて長さ10~40cm掌状に浅く5-9裂匍匐性で道端の草叢や石垣を登る。
Photo その花。開花期初夏~夏花は唇形で、白~淡青色暗紫色の筋があり、長さ7-9㎜と小さい花で、花冠の後ろには距(キョ)(花につく管状の突出部で内部に密腺を蓄える)がある。花は上下2唇に分かれ、上唇は2裂して直立、下唇の背後には2個の小さな膨らみがあり花口をふさぐ。果実(さく果)は径5-6㎜の球形、種子は1㎜弱
 

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2015年5月27日 (水)

争乱の戦国史206(江戸Ⅰ12): 家康の罠

 大坂冬の陣は大坂城の外堀を埋めて、櫓を取り壊すことを条件に停戦した。そしてその工事は豊臣方が行う条件であったに拘わらず、これを無視して、1614年12月(慶長19)に講和が成立すると、徳川方は直ちに総構の濠の埋め立て工事を開始。続いて豊臣方との講和条件を無視しての三の丸、二の丸の濠も突貫工事で次々に埋め立ててしまった。この約束違反に豊臣方は当然強く抗議したが、徳川方はこれを無視して強引に埋立作業を続け、翌1615年1月(慶長20)には工事を完了してしまった。
 家康は初めから大坂城の濠をすべて埋めてしまい、その防御能力奪ったうえで一気に殲滅しようと考えていたのだ。家康の策略にまんまとはまった大坂方の浪人たちは激怒し、淀殿や大野治長の意向を無視して兵糧や武器弾薬を集め、再戦の準備を始めた。

 大阪城の戦争準備を知った康家3月、豊臣方に対し、「大和か伊勢への国替えに応じるか、城内浪人を追放するか、いずれかを選べ」要求した。
 浪人たちを抑えきれない豊臣方は駿府の家康の元へ使者を送り国替えの免除を願い出たが、家康は再戦を決意。駿府を発つと諸大名に出陣を命じ、名護屋城における第9子の義直の婚儀を終えて、4月18日京都・二条城へ入った。
 江戸の秀忠4月21日伏見城に到着し、総勢15万の軍勢で再び大坂城に迫った。
 家康24日になって「秀頼の大和郡山移封に応じるか、浪人を放逐するかせよ」最後通牒を突き付けたが、大坂城内集結した約10万人の浪人たちがこれを受入れる筈もなく、 豊臣方では最後になるかも知れない一戦を交える覚悟を決めた。これが豊臣家の存亡をかけた大坂夏の陣であり、その火蓋が切って落とされるのである。
 その前哨戦とも言うべき小競り合いは、既に4月下旬より行われており、下図の如4月28日、西軍が法隆寺周辺に放火。同日、西軍・後藤又兵衛(基次)らは郡山城を攻撃、更に4月28日、西軍は堺に放火。29日には和歌山城主・浅野長晟が樫井で西軍と称とちゅしている。
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2015年5月26日 (火)

安保法案審議  初夏の草花9 ムラサキカタバミ

 安保法案の「衆院平和安保法制特別委員会」の審議入り日程がようやく27日からと与野党の合意がなった。ものすごく重要な法案で、今後の日本の進む方向を決めかねない法案だが、これまでの国会や、その他の場での首相の話は、非常に抽象的で、この法案の必要性やこの法案は何をどう規定するのかなど、国民が一番知りたい「具体的な説明が無く」、やはり懐疑的ならざるを得ない。この疑問点をはっきりして、その是非を審議してもらいたい。そして審議時間は充分に取って貰いたい。禅問答のような訳の判らぬ押し問答で終始してはいけない。
 今日は観賞用に輸入されながら、逸出して雑草化している紫カタバミの紹介。
Photo_3 ムラサキカタバミ(紫片喰)。南米原産江戸時代末期観賞用として導入されて以降、日本に広く帰化、道端、空き地、畑などに生育。草丈10-30㎝地下に鱗茎を持ち、地上には葉と花柄を伸ばす。雑草として繁殖し、畑の中の鱗茎を取り去るのは困難であるが、草丈が低く柔らかい、又鋤き込むと畑の肥料となり又他の雑草の成育を阻害するので、殆ど無視されている。
Photo_4 その花。花期3-11月だが、夏5-7月に咲く。夏は休眠するが1年中咲いている感じ。葉の間から伸び出した花柄は葉を越えて伸び、先端数輪を散形花序に付ける。花色淡い紅紫色5弁花真中淡い緑色をしている。また雄しべの葯は白色繁殖は鱗茎を増やして増えて行く。花の色合いが美しいが、雑草であり、ありふれているから市販はない。花は朝開いて夜は閉じ、又曇り、雨には閉じたままである。

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2015年5月25日 (月)

原発30㌔圏災害孤立集落2千余 初夏の草花8 アリュウム

 新聞報道によると、国の原子力災害対策指針では災害の進展により段階的な非難を定めている。が、全国の原発30㌔圏内で、孤立する恐れのある集落(即ち救援手段がとざされて、ヘリコプター着陸スペースがない場所など)が2318あり、計20万人が住んでいるという。これらは災害対策基本法に基づき非難計画策定が義務付けられているが、この内避難計画がされたのは約7割で、残りは地方自治体だけではできず、県や国の財政支援が必要と云っている。本来はこれら全ての対策が講じられない限り、原発の再稼働はあり得ない。勿論、原発以外の風水害、地震などによる孤立化の恐れある地域も多いので、これらも含めた対策が取られるべきだ。(最低大型ヘリの離発着場所の建設は必要だろう)。
 今日の花は草花と云えるかどうか不明だが、大きなネギ坊主が咲いていたので撮って来た。これにはいろんな花色があるそうで、園芸種だとは知らなかった
Photo アリュウム(Allium)。難しい名前だが、簡単にいえばネギ坊主。その内花が綺麗な園芸種を学名からアリュウムと呼んでいる。原産地欧州、アジア、北米、北アフリカ。その仲間は世界で300種以上が分布。地際から放射状に葉を広げ、茎は長く伸びない。性質は丈夫で庭植えなら、放任しても毎年咲くが、植え替えは嫌う。
Photo_2 その花。開花期5‐6月花茎長く伸ばし(長いのは1mに達する)、その先端小花が、まり状にまとまって咲く花序(ボール状の花の塊り)の直径は種により大小様々で、大きいのはソフトボール位(写真のは野球ボール位)。花色赤紫、白、ピンク黄色など。

 

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2015年5月24日 (日)

東大94連敗を脱す  初夏の野草8・ホタルブクロ

 東京六大学野球で、4年半で94連敗してきた東大野球部が4年半ぶりに春季リーグ戦で、法政大学に延長10回激闘の末、6-4で勝った。久方ぶりの快挙だと褒めたい。つい先日の新聞で、高校野球での優秀な選手を集める他の大学に比し、東大の場合は野球入学は絶対になく、極端な場合は大学入ってから野球を始めた選手もいるという。故に勝てない野球部の存在意義が無いのだから、いっそのこと東大は脱退したらどうかという記事が載った。しかし、昨日のこの快挙を見る限り、やはり東大は6大学に残ろるべしとの感を強くした。
 今日は草花で、本来野生植物だが、庭植えも良くされているホタルブクロ。子供が蛍を入れて遊んだ故の名とも言うが、やはり火垂る(提灯)からの転化説を信じる。
Photo ホタルブクロ(蛍袋)。名の由来は提灯の古名「火垂る袋」から転じたという。原産地東南アジヤ(日本含む)別名チョウチンバナ、ツリガネソイウなど。草丈30-80㎝。冬は茎葉が枯れる宿根草。草原や道端によく見掛け匍匐枝を出して増殖する野生植物だが、野趣と愛嬌がある姿が好まれ庭植え、鉢植え、茶花としても使われる。
Photo_2 その花。開花期5-7月。花茎を伸ばし、長さ4-5㎝数個の釣鐘型を穂状につける。花は柄があって俯いて咲くので、この写真は下から覗き込んで撮ったもの蕚片は5枚出て、その間に付属片が出るのが特徴。花の中に見えるのは1本の雌しべ。雄しべ5本ある筈だが奥なので見えない。花色関東では赤紫色で、関西では白というが白は見たことが無い。多くの変種や園芸種がある由。

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2015年5月23日 (土)

浅間山も火山性地震  初夏の草花7・庭石菖

 気象庁の発表によると、浅間山(群馬・長野)の火山性地震が4月下旬から増えて、5月21日には53回を観測し、1日の回数が50回を超えたのは2011年4月以来という。5月は22日までに火山性地震が620回観測されていると云う。箱根や九州(阿蘇・霧島・桜島)の火山活動の活発化やマグマ量の増加、又先日の東北地震など合わせ、やはり日本列島は何かしら地殻変動が活発化しているような気がする。所謂、うまくガス抜きが進むのであればよいが、そうでないことになる可能性も秘めているのだから、気象庁の観測の厳密化と情報の提供をより多く、丁寧にお願いしたいものだ。
 今日の草花は小さな花のニワゼキショウを取り上げる。
Photo ニワゼキショウ(庭石菖)。アヤメ科の草。北米原産で、葉が石菖に似ている故の名前。日本には明治時代に鑑賞用として北米から輸入されたが、それが野生化したのではなく、本来雑草的な種が帰化植物となったもので、米国・テキサス州中心に分布する多形的な種と言われる。多くの種があるが、大抵の種では地下茎を持つ多年草である。
Photo_3 その花。開花期5-6月花径5~6㎜。アヤメ科らしく三枚の内花被片三枚の外花被片からなる6弁花である。両花被片とも紫の縦筋の本数が異なり、多いのと少ないのが交互になっている。花色白、赤紫及び青がある雄しべ3本で、その先端の葯は黄色で、花の中央部は何れも黄色である。花は受精すると1日で萎んでしまう。

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2015年5月22日 (金)

争乱の戦国史205(江戸Ⅰ11): 大坂冬の陣

 1614年11月(慶長19)中旬、家康も秀忠も大阪城包囲陣に着陣し、徳川方が布陣完了した中、大坂城周辺の鴫野、今福、博労淵などで局地的な戦闘が起ったが、全面的な衝突には至らなかった。唯一激戦となったのは、真田信繁(幸村)が守る真田丸の攻防戦だった。真田丸は大阪城の総構の中の東南隅に幸村が構築した200m四方程の砦で、名戦略家・真田(信繁)幸村が指揮する約5千人の兵が立て籠もっていた。
 12月4日深夜から明け方にかけて、前田利常の隊が真田丸を襲撃したものの、鉄砲を撃ちかけられ撤退。続いて松平忠直(家康孫)・伊井直孝の隊が真田丸に取り付こうと下が砦から出た真田勢に撃退された。午後まで続いた攻防で徳川方は大損害を被りながら、真田丸に殆ど損害を与えることが出来なかった
205 徳川方は20万の軍勢で幾重にも包囲していたものの、秀吉が築いた天下の名城は、正面から攻めるのは余りにも不利だった。長期戦になることを恐れた家康は、開戦直後から和睦工作を始めていた。和睦仲介は信長の弟・織田有楽であった。淀殿の叔父でもある有楽は豊臣秀頼を補佐するという名目で大阪城に在り、常に徳川方に大坂の情報を流していた。この時も城の内情を徳川方に伝えつつ和睦交渉を進めている。又、家康は淀殿の妹・常高院を通じて淀殿を説得しようと試みた。土俵で築山を築く東軍足軽(冬の陣屏風図)。
 和睦交渉の一方で、家康は大坂城に大砲を打ち込むように命じた。砲声は城兵の戦意を挫き、砲弾が天守閣の柱を破壊して淀殿を驚かせ、大坂城内では講和をも求める声が一気に高まった。

 1614年12月20日(慶長19)和議が成立し冬の陣は終結した。家康は茶臼山から二条城へ引き上げ、翌1615年1月3日(慶長20)に京を発って駿府へ向かった。
 和睦の条件としては ○秀頼の知行は従来通り ○徳川方による大坂城の総構と三の丸の破却 ○豊臣方による二の丸石垣・濠の破却、埋め立て ○大野胃治長、織田有楽らが人質を出す などが取り決められた。当初幕府が問題にした浪人の雇い入れは不問に付すなど豊臣に甘い様であったが、これには家康の深謀遠慮が隠れていた

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2015年5月21日 (木)

鈍い景気回復  初夏の草花6 ヤグルマギク

 2015年1-3月のGDP2.4%増となり、物価変動を除いた実質は0.6%増だった。緩やかな回復というものの、14年度のGDPは前年比1.0減と5年ぶりのマイナスだった。GDPの約6割を占める個人消費の持ち直しは鈍く、景気回復は感じられず、海外経済の減速など先行き懸念材料も浮上している。大手企業中心の賃上げも、一般消費者の景況感には程遠いものである。今後の原油価格の上昇があれば先行き暗い。
 今日の花は、遠目には昨日のニゲラに似ているが、近づと全然違う花矢車菊
Photo_2 ヤグルマギク(矢車菊)。ヨーロッパ原産地中海沿岸に分布。日本には明治中期に入って来た。草丈30㎝~1m。元は麦畑に多い雑草だったが、園芸用に品種改良された。現在は寒咲種が販売され、8月末播種で年内開花するが、普通9月下旬播種でよく年4月頃から咲く。病害虫少なく、丈夫な草花で、花壇植えや切り花とされる。
Photo_3 その花花期4-6月。鯉幟の柱の先につける矢車に似る故の名前。一重と八重種がある。花色青、白、紫、桃、黄色など。キク科特有の頭状花で、舌状花ではなく筒状花に似る。花後にはそう果(熟しても裂開せず、種子は一つ)が付く。

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2015年5月20日 (水)

淡路に古い銅鐸  初夏の花々5 珍しい花・ニゲラ

 淡路島(南あわじ市)で、7個の銅鐸がみつかったという。これは年代的には、弥生前期~中期のもので、内部に一廻り小さい銅鐸が入れ子状になっており、又内部には音を出す「舌」がついている。この銅鐸は初期の古い部類に属するが、殆ど傷まず綺麗なまま残っていて、非常に貴重なものだという。初期の祭祀器としての性格が強く、又出雲の多量の銅鐸埋設は祭祀形式の変化により不要になって埋められたとする説が強かったが、今回の発見で『捨てられたのでなく、祭祀として埋められた』とする見方が出てきた様である。
  久しぶりに運動公園の隅っこの花壇を覗くと変わった花が咲いていた。図鑑で見ると、観賞用でもあるが、種が中東などでカレーなどの香辛料として使われるものだそうな。名前はニゲラ。美しいというより面白い花だ。
Photo_4 ニゲラ(Nigella)。学名から来た名前。ラテン語の黒いという意味のNigerからで、種子が黒いから。因みに日本名クロタネソウ南ヨーロッパ(原産国)、中東、南アジアに自生。写真の如く細かく枝分かれし先端に一輪の花を付ける。糸状耐寒性は強いが霜柱に弱く、代わりに夏の暑さに弱い。草丈40-100㎝。江戸時代に日本に渡来
Photo_5 下その花。開花期5-7月。花の径3~5㎝八重形の花で花弁5~10枚花色白、青、黄、ピンク、薄紫と多い。但し、花弁に見えるのは蕚片本来の花は目立たず、密腺状になっている。雄しべは5本。面白い形の果実ドライフラワーとして利用される。種は南アジヤ~中東で香辛料として利用される。

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2015年5月19日 (火)

初夏の草花4 サクラソウ

 今少し草花を続ける。今日は最もポピュラーサクラソウ。これはから咲いて5月までさくので初夏の花と云うのも可笑しいが、最近グランドカバー的によく植わっているので紹介。
Photo サクラソウ(桜草)。サクラソウ属には世界に約550種と言われ、その内日本にある通称日本桜草江戸時代に数百種に及ぶ品種が育種され、明治以降作出種も含め現在約300種ある由。林間に自生する。地中茎を持ち、根茎は地際にでき、梅雨明け頃葉が枯れて休眠する。
Photo_2 その花。春に15-40㎝の花茎を立て、5-10個の花を付ける。花径2-3㎝花弁は5個深裂し、更に各弁が半分近く裂けるのもある。淡紅色や白。但し園芸種では白、ピンク、紫でその中間色や複色も多い。
Photo 下複色日本における自生種は、中部~東北にかけハクサンコザクラ、ヒナザクラ、ユキワリソウ、オオサクラソウが、北海道にはエゾザクラ、ユキワリコザクラなど高山・小型種が、関東・中部はカッコソウ、イワザクラ、コイワザクラ、本州から四国にあるクリンソウは最も大型種である。

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2015年5月18日 (月)

争乱の戦国史204(江戸Ⅰ10): 東軍 大坂城包囲

 大阪城は本丸の他二の丸・三の丸を持ち、更に外側に総構と呼ばれる曲輪(クルワ)(外郭)が築かれた堅牢な城であった。大野治長らはこの城を活かす籠城戦を主張した。対し、真田信繁(幸村)や後藤基次ら実戦経験豊かな武将たちは、援軍の当てのない籠城戦など無意味と考え城外に打って出る様進言し、治長らと対立した。しかし、淀殿や秀頼が籠城に傾いていたので積極的な攻撃案は採用されず止む無く信繁は総構の東南隅に「真田丸」と呼ばれる出丸を構築し、陣取った
 真田丸は大阪城の中でも最も敵の攻撃を受けやすい場所であった。信繁は豊臣方に勝機はないと確信し、大坂城を死に場所と定めたのである。
204 一方、家康を総帥とする東軍は譜代の家臣を始め、豊臣大名から近世大名(徳川氏に臣従した大名)へと転化した武将まで総勢20万を味方につけ、10月1日諸大名に陣触を発した。10月11日駿府を発ち23日二条城に入った。但し豊臣恩顧の福島政則、黒田長政、加藤嘉明、平野長泰には江戸残留を命じた。大坂方に内通するのを警戒したと云われる。秀忠は東国大名に出陣を命じて、23日江戸を発ち11月10日伏見城に入った。家康は早くからこの時に備えてイギリス・オランダの商人にヨーロッパ製の大砲など購入していた。そして側近の豪商を通じ、弾丸用の鉛、火薬なども買い込んだ。兵糧も充分であった。
 これに対し大坂方は慌てて軍需物資調達にはしり、大坂方の蔵米や商人からの手当てで合わせ20万石備蓄した。又10月12日には大阪方は堺の町を襲撃武器弾薬を奪取して大坂城へ運び込んだ。これが大坂の陣の最初の戦闘だった。図:大坂冬の陣布陣図(蓬左文庫所蔵)。

 11月17日家康摂津住吉に着陣秀忠摂津平野に陣を敷いた。家康の発達した出陣命令に従い大坂には全国の大名の軍勢が続々と集結し、その数20万。かって関ヶ原では敵対した毛利や島津、上杉、佐竹といった外様大名らも徳川方に味方して大坂城の包囲網に加わったのである

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2015年5月17日 (日)

NATOの日本への期待  初夏の花3 ガザニア

 NATO(北大西洋条約機構)の外相会議に提携国である日本にも招待があり、都合で代理が出席した。これは財政支援を求めるための招待だが、去年のNATO本部での安倍首相の演説での積極的平和主義及び今の安保法制論議を注視し、「金だけではなく、次は人(自衛隊派遣)や武器供与を期待している」との声が強まっているという。やはり、世界は「日本の戦争への参加」を既定路線の如く期待している。肝心の日本国民の意思を反映しない中での此の期待には、困惑というような優しいものでなく危惧と恐怖を持つ
 今日の花・ガザニアは割に早くから咲き、未だに咲き続けている。最近よく植えられる様になり、又公園の花壇などにまとめて植えられるケースが多いので、よく目に掛かる花である。
Photo ガザニア(Gazania)。南アフリカ原産で、多くの種類がある中で、園芸種はガザニア属の中のGazania rigens を指す由。別名勲章菊(クンショウギク)。半耐寒性で暖地では宿根草となるが高温多湿に弱く、又寒地では冬枯れる故一年草とされる。地下茎で匍匐して広がる。最近は四季咲きが出回っているそうだ。
Photo_2 その花キク科故花の構造は菊に同じ。開花期4~10月と長い。花色暖色系の樺色(赤みを帯びた黄色)・オレンジ・エンジ・黄土色・桃色・白など種類が多く鮮やかな目の覚めるような色が特徴。花径10㎝にもなるのもある。晴れた日の日中のみ開花し、それ以外は閉じてしまう。

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2015年5月16日 (土)

国民置去りの安保審議  初夏の草花2 ヒルザキツキミソウ

 政治の世界では、愈々重要案件の集団的自衛権の行使容認を決めるための「安全保障関連法案」の審議入りが近づいて来た。根底にあるのは憲法改正をせずに、戦闘が行える基本条件を定めようとするものだが、多くの学者や法曹界、或は市民の反対が多い中での政府決定である。この問題は今後の日本の進む道を、従来より変更しようとするものだから、非常に重要なのであるが、街頭での市民への質問風景がTVで放映されていたが、この法案の事を全く知らない若者が非常に多い事に驚いた。政府はもっともっと、国民へへの周知を図るべきではないか。
   今日は昼咲月見草。余りにもありふれた花だが、花色のやさしい感じと、育てやすさ(手が掛からず、又増えすぎない)のせいか、民家の花壇にはこれを植える家が増えているので取り上げた。
Photo ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)。別j名昼咲桃色月見草北米原産帰化植物鑑賞用とし輸入されたものが野生化しているという。昼に咲く故の名前。野生化するほどだから、強くて毎年芽を出して、咲き続ける。横に広がるので花壇かプランター植が適している。尚、通称の月見草黄色い花を咲かせるオオマツヨイクサのことである。
Photo_2 その花。花期は5月中旬~7月末。花色は淡いピンク。花径4~5㎝花弁4枚で、付根の部分で筒状となる。雄しべは8本雌しべの柱頭十字状に裂けている(この写真では判りづらいが、下方へ伸びている)。

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2015年5月15日 (金)

初夏の草花1 シラン 

 花木が続いたので、草花にも目を転じてみる。先ず今一番元気よく咲いているシラン。庭木のの根元に植込まれるケースが多く、大概の庭には植わっている
Photo シラン(紫蘭)。日本、台湾、中国原産で、日向の草原などでは自生するそうだが、野生のものは「準絶滅危惧種」となっている。但し、栽培種の逸出が多く野生化し、自生種の判別困難とか。地下に偽球茎を持ち毎年咲き、増える。偽球茎は漢方止血、痛み止め、胃炎に効く由。
Photo_2 その花花期4-5月。一般に花色紫紅色(濃淡ある)で花茎30-50㎝伸びて花茎の先に順次数個の花を付ける。花弁は細長く余り開き切らない感じで咲く。尚、この花は前に垂れる弁の先端が濃い紫紅色となっており「口紅シラン」の類かも知れない。
Photo_3 シロバナシラン:花色は観賞用に育種したものは白色、斑入り、淡色花、花弁が唇弁化した「三蝶咲(花弁の先が3枚)」になるの等がある。この花は白色で「シロバナシラン」という品種名で最近増えてきたようだ。

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2015年5月14日 (木)

争乱の戦国史203(江戸Ⅰ09): 決戦前夜

 豊臣家には逆心がない事を説明するために駿府に赴いた片桐勝元であったが、結局何の成果も得られず大坂城へ戻る。豊臣秀頼の傅役であった片桐且元は豊臣家の家政を預かっており、豊臣家の家臣の中心では数少ない穏健派であった。しかし、関ヶ原の合戦以後は徳川家康との関係を深めていたため、大坂に戻ると秀頼や淀殿から「徳川方のスパイではないか?」と疑われ、苦しい立場に立たされる。
 結局且元は1614年10月1日(慶長15)、家禄を没収され大阪城を退去。この同じ日家康は、全国の大名に対して、秀頼追討を命じた。秀頼・淀殿の周辺では強硬派が発言力を強め一気に開戦ムードが高まる。

 片桐且元が大阪城を出た後、豊臣家内部で指導的立場に立ったのは大野治長であった。治長は、淀殿の乳母であった大蔵卿に局の子。関ヶ原の戦いで東軍に属した戦功を立てた後、淀殿の側近として重用され、大坂の陣では軍事指導権を握る。
 近づく戦争の気配に、大坂城には全国から続々と浪人たちが集まって来た。その数は十万とも十五万とも伝えられる。
 関ヶ原の戦い以後、敗れた西軍の多くの大名が家臣を解雇。主君を失った浪人たちが大量に発生し、その多くは新たな主を得られず生活に窮していた。彼らにとって戦争は新しい職場を得る絶好の機会であり、豊臣家が再び政権の座を奪還することを期待して大坂方に身を投じたのである。
203 大坂方では関ヶ原の戦いで西軍についた大名や、かって豊臣秀吉に恩を受けた大名に対して援助を求めた。しかし、豊臣恩顧の加藤清正池田輝政、浅野幸長らは既になく、大坂方に味方する大名は遂に現れなかった図:大阪の陣直前の若やいだ家康(日光東照宮蔵)
 わずかに関ヶ原の戦いの後土佐を追放された長宗我部盛親、真田昌幸の二男・信繁(幸村)、織田信長の弟・織田有楽、黒田長政の家臣であった後藤基次(又兵衛)といった武将たちが大坂城に入った。
 中でも真田信繁には父・昌幸と共に信州上田城で徳川秀忠と戦い、巧みな戦術で秀忠を関ヶ原に遅参させた実績があった。その知力に期待した秀頼が謹慎先の九度山に使いを走らせ大阪城に招いたのである。しかし、大坂方の人材不足は如何ともしがたく、豊臣家の不利は誰の目にも明らかだった

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2015年5月13日 (水)

余震が続く  九州のつつじ・久留米ツツジ

 昨日、ネパールでM7.3の余震があり、死者が75人出たという。当に泣きっ面に蜂の状況だが、福島でもM5弱の地震があった。これも余震の類であろうが、本当に地球の地殻が揺れ続き、その影響でさらにまた別の地震が発生するというような、悪の循環に入っているのだろうか。火山活動も含めどうか早く鎮まってほしいものだ
 今頃咲いている
のは、久留米つつじか、サツキと謂われる遅咲きのつつじであるが、今日はそのクルメツツジ。この近辺では大概の家にクルメツツジを植えているが、その性質をよく知って、即ち根で呼吸する故に浅植えにする事、又湿土を嫌うので乾燥気味にする事を弁えて植えてある、即ち大きな岩で組んだ石垣の隙間に植わっているツツジを撮って来た。
2 クルメツツジ(久留米躑躅)。江戸時代、久留米藩士・坂本元蔵がキリシマツツジ(阿蘇山、九重山、霧島高原などの岩場に6月頃咲く)とサタツツジの交配で、新しい品種を作出した久留米躑躅と称され300品種ほどあった。樹勢が強く、樹姿は半開し、盆栽、庭植えにされることが多い。現在100種程がある。
Photo_3 その花。開花期4-5月花は小形で、鮮明な色調を持ち、朱紅色、紅色、ピンクなど多くの色がある。多花性で花形も変化が多く、八重もある。

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2015年5月12日 (火)

原発賠償マニュアル未完  ナツミカンの花が咲く

 原発事故が起きた場合の損害賠償の手続きの体制・手順を定めるマニュアルの作成は文科省が5年以上前に原子力事業者に作成を促したに拘わらず、12社中6社がいまだに作成してないという。その背景には、東電事故を受けた国の賠償制度の見直し作業で、賠償責任が限定されることを期待する事業者が作業の行方を見守っているからであると云う。
 今更ながらに、電力業者は安全対策基準を可能な限り低くし、危険性の完璧排除は怠ろうとの姿勢を散らせつつ、且ついざ起こった場合の賠償責任も如何に低く或いは逃れるかに腐心しているのであろうか。福島事故をどう考えているのか、不思議でならない。
 今日の花は柑橘類では一番早く咲く夏蜜柑。是から順次他の柑橘も花を付けはじめるが、一番先に咲く夏蜜柑が食べられるのは一番遅く、来年夏である。
Photo ナツミカン(夏蜜柑)。別名ナツカン、ナツダイダイ。江戸時代中期、山口・青海島に漂着した文旦系の柑橘から育種してできたもの。故に山口の萩には多い。昭和初期に、大分では夏蜜柑の枝変わり種の甘夏が発見され、昭和40年代以降、山口以外では夏柑が甘夏に切り替わったという。夏柑は夏に味わえる貴重な柑橘である。
Photo_2 その花。柑橘の花は大きさは違うが殆ど似た白い5弁花である。真中の雌しべは写真の如く既に実の形をしている。この夏蜜柑の花や蕾からナツミカン酒が作られる。勿論実からも出来るが、花や蕾の1/3程度の砂糖を加え、2~3倍の量のホワイトリカーを入れて漬けると出来る由。勿論果実酒と同様良い香りの蜜柑酒が出来る由。

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2015年5月11日 (月)

これはアヤメかカキツバタ?

 これは野菜と花が植わっている小さなの隅に咲いていた。これは、はたしてアヤメ(菖蒲)かカキツバタ(杜若)か、はたまたハナショウブ(花菖蒲)なのか?全く判断が付きかねている。昔からこの区別はつきにくく、太平記にある話、源頼政鵺(ヌエ)退治で、菖蒲前(アヤメノマエ)という美女を賜るに当って、同じような美女の中から菖蒲前を選ぶよう命じられた時詠んだ歌「五月雨に沢べのまこも水たえていづれがあやめと引きぞれづらふ」から、区別がつきかねることを「何れがアヤメかカキツバタ」と言われるようになった。
 この話の如く、今日の花はまさしく区別つけがたい花で、区別基準を調べたら以下の如くであった。が、それでも尚且つ判らぬゆえ、ここに掲載してご存じの方の御教示を得たく、以下記述する。
Photo 不明花。区別基準(1)名前アヤメは花の基部に網目模様(アヤメ)がある。カキツバタは青紫色、紫が主で、それで染めた布に書き付けた故、書付花→カキツバタとなった。ハナショウブはショウブに葉が似る故。 (2)場所アヤメかハナショウブ水辺カキツバタ。 (3)背丈アヤメ30-60㎝。カキツバタ50-70㎝。ハナショウブ70-80㎝。写真は70㎝位何れにも該当
Photo_2 接写。(4)花の大きさハナショウブ大輪。アヤメ小輪。カキツバタ中輪。この花中輪。(5)判定目安ハナショウフ花色多種、花弁基に黄色の目の形模様カキツバタ花色青紫、紫、花弁基に白の目型。アヤメ花色、花弁網目模様。花色ハナショウブか?でも大きさ不適。 (5)花期カキツバタ5月中旬。アヤメ5月中~下旬。ハナショウブ5月中旬-6月下旬。以上よりハナショウブかとも思うが、果たして何であるか。どうかご教示ください。

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2015年5月10日 (日)

争乱の戦国史202(江戸Ⅰ08): 徳川幕府の体制強化

 政権強化のため、秀吉が朝廷に接近したのに対し、家康朝廷への圧迫を強めて行った。家康1609年(慶長14)後陽成天皇が女官たちを死罪にしようとした際、「流罪に留めるべき」として天皇の決定を覆えしてしまった
 幕府からの圧力を不快に思った後陽成天皇は、幕府に譲位の意を伝え、1611年3月27日(慶長16)、第3皇子政仁親王に譲位した。政仁親王は4月12日に即位礼を行い、後水尾天皇として即位した。後年、徳川秀忠の娘・和子(マサコ)がこの後水尾天皇の中宮になる。武家出身が中宮となるのは異例の事だが、朝廷との関係を深めたい幕府の強い要請で実現させた。

 家康は江戸の秀忠を将軍として立てつつ、大御所として秀忠を指導し、設立間もない幕府の権威を確立するために尽力していた。
 家康は「徳川四天王」と呼ばれた酒井忠次・榊原康政・伊井直正・本多忠勝ら古くからの側近を徐々に遠ざけ、優れた官僚タイプの人物を側近に迎え、幕府の体制作りを急いだ。中でも本多正信・正純父子を家康は自分の手元に置いて父・正信を江戸の秀忠につけ、駿府からの指示は彼らを通じて江戸に伝えられ、実行に移されていった。しかし、本多親子の発言力が増すにつれ、戦働きで家康に仕えてきた老臣たちの嫉妬を買い、家臣同士の権力闘争に発展する事もあった。

 本多親子以外にも、徳川幕府草創期には多くの優秀な人材が家康の周辺を固め、幕藩体制の整備に参与したのである。
202 臨済宗の僧・金地院崇伝は「伴天連追放令」や寺院法度など宗教政策に深く関与。天台宗の僧・南光院天海は家康・秀忠・家光三代に仕え、幕政にも大きな影響力を発揮した。又、儒者・林羅山は法度の整備や外交文書の起草に携わり、以降幕府の儒官は林家が独占した。左から天海・崇伝・羅山の画像
 1600年(慶長5)日本に漂着したイギリス人のウイリアムス・アダムスは家康に三浦按針という名を与えられ、外交や貿易の顧問的存在として活躍。又世界情勢や学問に関する基礎知識を家康に伝授する重要な役割を担っていました。同じ船で漂着したオランダ人ヤン・ヨーステンは日本を拠点に貿易を行い、貿易による財源確保を狙っていた家康のブレーンとして重用した。

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2015年5月 9日 (土)

日本のはしか撲滅  ノイバラが満開

 ことし3月27日、世界保健機構(WHO)西太平洋地域事務局から、日本のはしかは『排除状態』との認定を受けた。即ち国内に定着した麻疹ウイルス(土着ウイルス)による感染が3年間なかった状態を指し、一般に「撲滅された」と理解される。と、いう。あくまでも日本で発生するウイルスがいなくなったという事で、海外からの持ち込みによる患者は今でも絶っていないので患者はゼロではないとのこと。それでも漸く認定を受けたのは慶賀の至りと言いたいところだが、先進国に中では遅く、オーストラリア、マカオ、モンゴル、韓国は昨年認定され、今年ブルネイとカンボジアが一緒に認定されたものである。これまで欧米先進国から「はしか輸出国」と揶揄されていたのだから、やっと受けた認定を採り消え去れぬ様“衛生国”足るべく努力が必要。因みに08年度からは未就学児2回に加え、中1、高3でも接種している。
 今日は最近民家の庭先に多く見掛けるノイバラ。結構綺麗な花で、かすかに香るので、庭木としても使われだしたようだ。
Photo 上ノイバラ(野茨)。ノバラ(野薔薇)ともいう。沖縄以外、日本の各地に自生する。高さ2m位になる。写真は民家の壁に這わせててあったものだが、最近はこれを庭木として植えている家も多い。野原や草原、道端に生え、河川敷など、攪乱の多い所によく生えるという。刈込んでもよく萌芽する。
Photo_2 その花。花期5-6月。枝の端に白色又は淡紅色花を散房状につける。個々の花は白く丸い花びらが5弁あり、径2㎝程度の花。雄しべは黄色。香りがある。秋には果実(正確には偽果)が赤く熟す。

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2015年5月 8日 (金)

なんとなく気味悪い火山活動  エゴノキの花満開

  箱根山の噴煙の出方が強くなって、且つ範囲が広がっており、爆発が懸念され、毎日の如く報道されている。特に昨日地下5kmを震源とする地震があった。尤もこの地震と噴煙とは無関係とも言われる。一方、九州の阿蘇山及び桜島マグマ量が増大し、その水蒸気の噴煙の出方が強くなって警戒されている。先の霧島の噴火の前の状況にも似通っている。勿論箱根と九州の火山活動の関連性は殆どないとはいうものの、列島は繋がっており、その下の地盤はお互いに押しあっており、全く無関係ではありえない。問題はガスや熔岩の噴出を塞ぐような状況になれば大爆発が起こる。こればっかりはいくら用心せよと言ってもしようがない。精々、地震、火山の予知を怠りなく続けてほしい
 さて、花は初夏の花が色々咲き始めている中で、今日はエゴノキに花。
2 エゴノキ。果実を口にするとえぐい故の名前別名チシャノキ、チサノキ原産地日本、朝鮮半島、中国。日本で北海道~九州・沖縄の雑木林に多く見られる。樹高は5~7m。春の新芽が綺麗で、最近の洋風の家にはよく似合うせいか、庭木として玄関先に植えられているケースが多い。緻密で粘り気のある材将棋の駒など素材となる。
Photo 
その花。花期は5-6月。横枝から出た小枝の先端に房状に白い花下向きに多数つけ、芳香がある。コップ状で、花冠深く5裂するが大きく開かず、つぼみ加減で咲くので、写真の如く花の仲がうまく撮れない。英名Japanese snowbell は言い得て妙である。雄しべは10本花柱は雄しべより長いが写真では見えない。品種によっては淡紅色の花を付ける由。

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2015年5月 7日 (木)

  タチアオイが満開

 しばらく、天候不順が続き、余り歩かず、従って路傍の花々の写真も撮れずにいたが、昨日は好天気で、久しぶりにゆっくりを歩いてみると、”初夏の花々“が色々咲いていた。このブログは、この頃1日1花を原則としているので、さて今日は何をアップするか迷ったが、一番華やかに咲いていたタチアオイとした。ところでこの花、ネットで見る限り、開花期6-8月となっているが、当地では約2週間前ぐらいから咲いており、今満開の体である(尤もこの花、花径が伸びて、次から次へと咲き続けるが・・・)。
Photo_2 上タチアオイ(立葵)。トルコ原産種と東欧原産種の雑種説が有力。日本には古くから薬用として渡来したというが、花が綺麗なので品種改良されて園芸花になった由。茎が立って伸びるので、タチアオイの名となった。多年草であるが1-2年で枯れる。鉢植えもあるが、花壇にまとめて植えたり、一列に植えると見栄えする。
Photo_3 その花花期6-8月と言うが、福岡では4月下旬から咲く。花は垂直に伸びた花茎の下から順次上に咲き昇って行き2ヶ月は咲続ける頭頂部に咲く頃梅雨になるので、梅雨葵別名がある。花は一重、八重があり、赤、ピンク、白、紫、黄色など多彩というが、赤が圧倒的に多い。花径10㎝位まである。

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2015年5月 6日 (水)

争乱の戦国史201(江戸Ⅰ07): 支倉常長の欧州派遣

 関ヶ原で東軍につき戦功をあげた伊達政宗は家康の許しを得て、岩出山城から仙台に拠点を移し、城の建築に着手し、この仙台城(青葉城)は1610年にはほぼ完成した。
 1613年、徳川幕府体制も整い始めた頃、政宗は海外に目を向けた。天正遣欧使節以来の大掛かりな、支倉常長を中心とした欧州派遣団「慶長遣欧使節」の派遣である。乗組員は常長の他、伊達家臣11名、幕府舟手頭・向井将監の家臣10名の他、商人、乗組員などの日本人140名、宣教師ルイス・ソテロ、イスパニア使節セバスチャン・ビスカイノら南蛮人が40名他百余名である。
201 船には幕府から託された交易品をはじめ、多くの日本製品が満載されていた。一体、何を目的にして使節団が結成され、派遣されたのか。その目的と性格を浮かび上らせてくれるキリシタン信仰は一つの方便に過ぎなかった。伊達政宗は海外貿易に着目していたのである。スペインやローマとの通商条約の締結が最大の目的であった。

 洋上、およそ90日。凄まじい暴風雨に遭遇しながらも太平洋は乗り切り、メキシコのアカプルコに入港。メキシコからはスペイン艦隊の軍艦で大西洋を横断。スペインに到着後、セビリア、マドリードを経てローマに向かった。
 教皇との謁見を許され、政宗の書状を奉呈して帰国の途に就いたのであるが、仙台に到着するのは月の浦出港以来、7年後の事だった。政宗は幕府に常長帰着の報告した筈だが、詳細は定かでないという。
 常長は1622年7月(元和8)に病没し、ソテロは再来日したが捕縛され、火刑に処されている。彼が政宗の演出に踊らされて、イスパニアからローマを旅している間、日本国内では、幕府がキリスト教の勢いに、貿易上のメリットより、怖れを感じるようになり、キリスト教の禁止令を出していた故、政宗も幕府には逆らえなかった。そして国内ではキリシタン弾圧の嵐に見舞われていたのである。

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2015年5月 5日 (火)

みどりの日の薀蓄  ミリオンベルが咲いた

 昨日4日は、元は昭和天皇の天皇誕生だった4月29日を昭和天皇が亡くなられて、休日として残すため「みどりの日」となった。が、2005年祝日法改正により、4月29日を「昭和の日」とするため、5月4日に移された。で、5月4日にした根拠「新緑の季節であり、制定当初の趣旨を損なわない」との理由(政府答弁)だったが、3~5日の3連休にするのが眼目だったという。
 本来の「みどりの日」の趣旨なら「八十八夜」をその日にするべきでなかったかという論説が昨日の毎日新聞に載っている。が、そうすれば今年は5月2日だが若干ずれる年もある。尚、「緑の日」と表記するのは間違い祝日法は「みどりの日」と定めている由。祝祭日の意義を承知している国民はどれ程居るか不明だが、「休日」であることの方が第一義に重要なのが本音では?
 今日の花は、通りがかりに、民家の庭先に見かけたミリオンベル
Photo ミリオンベル(Million Bell)。南米原産のカリブラコア属の花が、1825年に発見され、その後千葉大の安藤教授らが新種を発見。これらが交配され、サントリーより園芸品種に改良され、多数の品種を作出した。よって、花色、花形も種々あり、基本的には多年草で瘦せ地でも開花するものが残されている。
Photo_2 その花。開花期は4-10月花径2-3cmの小花で、種々の色がある。多湿に弱いものや、開花数の少ないものは淘汰されており、多花性で耐病性に優れた個体が残されているという。見た目ペチュニアに酷似している為、よく混同されるが、ミリオンは無理だが、一株でうまく行けば1000個は咲くという。

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2015年5月 4日 (月)

今日は草花3点

 これまで、花木ばかり追っていたので、今日は草花の内、スズラン、ワスレナグサ、シラーの三点をご紹介。草花は手軽に植えられるので、花壇の花もよく入れ替る。
Photo スズラン(鈴蘭)。別名君影草(キミカゲソウ)、谷間の姫百合日本のスズランは北日本に自生するがこの近辺では殆ど見掛けない。多分ヨーロッパ原産の園芸種と思うが、民家の花壇に在ったもので、花壇に見かけるのは初めて
Photo_2 ワスレナグサ(勿忘草)。狭義にはワスレナグサ属のシンワスレナグサヨーロッパ原産で日本に渡来したのは明治時代。但し、同属のエゾムラサキ日本に自生分布している。花期は3-5月。6-9㎜の花径5弁花、花冠の喉に黄又は白の目(小斑点)があるのが判る。
Photo_3 シラー(Scilla)。別名スキラ(読み方の違い)。ヨーロッパ、アジア、アフリカ原産。開花期は種により2‐6月の間で異なる。これはシラー・ヘルビアナという種で開花期は4月下旬-5月下旬。日本のツルボも同属。寒さに強く育てやすい。これは通りがかりの民家のもの。

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2015年5月 3日 (日)

食物では変わらぬコレステロール  モミジ(舞孔雀)の花

 これまで、摂りすぎると動脈硬化などを起すと悪者扱いされてきたコレステロールにつき、日本動脈硬化学会が1日「食事では体内のコレステロール値は変わらない」と発表した。厚生労働省も「改訂食事摂取量基準」で、コレステロールの基準を撤廃し、これを容認した形という。そして、動脈硬化学会は血中の「悪玉」コレステロールが高いと心筋梗塞を起こしやすいと警告する一方、日本資質栄養学会は「数値の高い人はむしろ長生き」と反論。論争は続いている。で、何れにせよ食物での摂取で血中値が上がることはないと厚労省も認め、又米農務省「過剰摂取を懸念すべき栄養素でない」として今年食事指針を見直すという。それで、悪玉コレステロールは運動と生活習慣で改善すべきということになったという。私も卵を制限されていたがなんとなくほっとしている。
 今日の花は今年も見つけたモミジ(舞孔雀)の花を紹介。
Photo マイクジャク(舞孔雀)。カエデ属楓と紅葉は植物学上は同じもので、特に紅葉が美しものを紅葉と呼んだ。盆栽や園芸業者は葉の切れ込みで分けて表現するという。此のモミジ葉の形が孔雀が羽を広げたように見える故の名前で、ハウチワカエデの園芸種の深裂品種である。枝が横に広がる樹形である。
Photo_2 その花春の芽吹きと同時花が咲き始めると云う。よって花期は4-5月。写真のトンボの形は雌花から出来たである。モミジ(楓)は雄花と雌花が同じ株に咲く。写真の中でトンボになってないのが雄花である。

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2015年5月 2日 (土)

争乱の戦国史200(江戸Ⅰ06): 幕府の挑発

 豊臣家1607年(慶長12)頃からしきりに寺社の修復事業を行ってきた。秀吉が1586年(天正14)に創建した京都・方広寺大仏殿の修復もその一つであった。そして秀頼と家康の会見も終わり、平和的な雰囲気が漂う中、1614年4月(慶長19)に梵鐘が完成8月3日大仏開眼供養が予定された。
 だが、豊臣家にとって大切なこの行事に、突如幕府側から横やりが入る。直前の7月南光坊天海が大仏供養の際、天台と真言のどちらが上席か、天台が上席でないと出仕しないと言い張った。又、真言宗派内でも東寺、高野山、醍醐寺のどこが上席かとの争いが起った。やっと収まると、家康開眼と堂供養を同日にするはよくない。堂供養は18日に変更せよと迫った。18日が秀吉の17回忌だから、3日実施すると伝えると更に難題を吹っかけたのである。
200 家康は、新たに鋳造した梵鐘に刻まれている鐘名の「国家安康」は家康の名を裂き家康を呪うものと主張し、又「君臣豊楽、子孫殷昌」は豊臣を君として子孫の殷昌を楽しめると読めると、常識では考えられない読み方で難題を吹っかけたのである。家康が問題にした方広寺の鐘

 慌てた豊臣側では、賤ヶ岳七本槍の一人で秀頼の後見役となっていた片桐且元を駿府の家康の元へ弁明に向かわせたが、家康は会おうともしなかった
 その上、家康は豊臣家が多くの浪人を雇い入れていることを強く非難、①大坂城を出て他国へ国替え、②淀殿の江戸在住、③秀頼の江戸在住のいずれかを選べと要求した。大坂方の強硬派は家康の態度に反発し、両者の対立は一触即発の事態となった
 家康は初めから喧嘩を売るつもりであったと言われる。この年2月頃から合戦準備を始めていたのは周知の事実で、知らないのは豊臣関係者だけであったとも言われる。家康はアダムスに鉛を調達させ、コックスからも新型大砲や火薬を買っている。この意味する所は明白であった。大砲の標的は一つ、大坂城天守閣にほかならない。大坂城決戦である。
 この時、大坂城の豊臣秀頼の元に駆けつけた者は、大野治長ら三兄弟、織田有楽・頼長父子、木村重成、薄田兼相、真田幸村、長宗我部盛親、大谷吉継の子盛次、増田盛次、後藤又兵衛、塙団右衛門などの主なき浪人衆だけであった

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2015年5月 1日 (金)

今年も天候不順・博多ドンタク  カラタネオガタマが咲く

 このゴールデンウイーク中は晴れるというのが長期予報であった。天候の変わりやすいこの時期の博多の祭り・ドンタクは2日の前夜祭から4日までの間必ずどこかで雨になる。ところが今年は晴と喜んだのもつかの間今日の予報では3,4両日とも、傘マークがついた。遠方及び海外からのパレード隊も多く来るが、雨の中でのパレードは余りにも可哀相だ。どうか小降りで終わって欲しいものだ
 毎年
、この頃になると載せる花カラタネオガタマを、今年もいい香りを放って咲き始めたので載せる。この樹は近くの貴船神社境内にある2m位のもの。他では見たことが無い。
Photo_2 カラタネオガタマ(唐種招霊)。モクレン科。中国南部原故、別名トウオガタマ。同じ仲間日本原産のオガタマや園芸種の紅色の花を着けるベニバナオガタマがある。オガタマは霊を招くおきたま(招霊)の訛ったもの。昔から神事に用いられた故の名前とか。常緑大木で4-5mになる由。枝葉がよく茂り良い香りなので、庭木、生垣に使う。日本には江戸中期に渡来
 Photo_3その花。花期4月中~5月。タイサンボクの咲く少し前に咲く。この樹は今咲始めでまだ蕾も多いが、香りは強く完熟バナナの香り似た芳香を放っている。これから英名Banana treeの名前がある。花径は3cm位。花弁厚く、クリーム色で、がほんのり紅紫色。花の真中緑の部分が雌しべの集団で、その周りに髭のような雄しべの集団がある。

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