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2015年4月

2015年4月30日 (木)

怖い新幹線故障  タニウツギが咲く

 昨日、東北新幹線が、電源を供給する架線が破断し、運休した。その前に原因不明の停電があったと言うが、それとの関連も判らない。形あるものは、いつかは壊れる。故に、新幹線は路線チェックの車両を走らせ電源、線路、側線の状況チェックなどを行っているが、今回は河川の破断が原因という。素人では判らぬが高速で走行中の車両の電源が突然切れた場合、列車の走行制御は可能なのだろうか。即ち絶対に安心して居れる減速・徐行・停止が出来るようになっているのだろうか。又、例えば長いトンネル内で停電になればどうであろう。動力電源と、照明電源は別だろうから真っ暗にはならないだろうが・・・。尤も、如何なる交通手段も最悪を考えると乗れなくなるが・・・
 時々降る雨のたびに、花が傷み撮るチャンスが無く今になったタニウツギ花色のやさしい所が喜ばれる所以だと思うが、あまり強い木ではなく、花が傷みやすい。
Photo タニウツギ(谷空木)。北海道~本州山野に自生する。沢や谷間の水の流れる傍に良く自生する所から、タニウツギの名がついているが、スイカズラ科で空木ではないが、枝の髄の部分が中空故の名である。
Photo_2 その花花期5-6月。今年枝先端腋に散房花序をつけ、多数の花を付ける。5裂する蕚裂片は長さ4-7㎜。花冠は淡紅色の漏斗状で長さ2.5-3.5㎝径2㎝先端は放射相称に5裂する。雄しべは5本あり、花柱はそれより長い。

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2015年4月29日 (水)

只今見頃のツツジ

 この季節、やはりツツジ(躑躅)を外す訳にはゆかない。福岡では只今満開。何処に行ってもツツジは多く、又ツツジ園、久留米のツツジ祭りなどで、行楽シーズンに”花を添えている”
Photo_2 
ツツジ1概要ネパールの国花。アジアに広く分布。日本では古くから園芸品種が交配され、沢山の品種がある。漏斗型で先端が五裂して、枝先に数個の花を付ける。
Photo_3 
ツツジ2つつじとはツツジ科のツツジ属の総称であり、日本ではツツジ、サツキ、シャクナゲを分けて呼ぶが、サツキ概ね5月に咲くツツジを指し、比較的小さい花。シャクナゲは日本ではニホンシャクナゲだけを指している。
Photo_4 ツツジ3園芸種:園芸品種の代表は、
クルメツツ。これはサタツツジとヤマツツジやミヤマキリシマ(霧島連山や阿蘇山に自生する小さな花のツツジ)を掛け合わせて作った品種。他に大輪のヒラドツツジも有名。

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2015年4月28日 (火)

争乱の戦国史199(江戸Ⅰ05): 二条城の会見

 1605年4月(慶長10)、家康は将軍職を秀忠に譲り、自らは大御所と称した事は先述した。秀忠の将軍宣下式典は、家康の時とは様相を異にした。家康同様伏見城で行われたが、家康の時は外様大名は細川忠興、京極高次、池田輝政、福島政則の4人で、他は譜代と旗本衆だけであった。だが秀忠の時は、上洛の行列の先陣は伊達政宗、上杉景勝、蒲生秀行、後陣に最上義光、佐竹義則、南部利直らの外様大名が加わり京都では島津家久、前田利常などが行列に加わった。
199 こうして徐々に豊臣家恩顧の大名が、徳川家に対する臣従関係に進んで来つつあった。そうして、後水尾天皇の即位礼の為、京都・二条城に滞在していた徳川家康は、1611年3月28日(慶長16)、豊臣秀頼と会見する。家康は秀頼を庭に出て迎え、客殿で対応した。秀頼は加藤清正、浅野幸長らかって秀吉側近に守られるように二条城に入り、家康の接待を受けた。秀吉の妻・高台院(北政所)もこの席に現れ、会見は和やかに終了。秀頼は何事もなく大阪城へと戻る。二条城。
 1605年(慶長10)に家康から上洛を求められたとき「無理強いするなら自害する」とまで言って反対した秀頼の母・淀殿も、加藤清正らの説得を受け、強いて上洛を止めることはなかった。何かにつけ幕府に逆らう態度を見せる豊臣家、中でも淀殿の言動は揺らぐ気配もなく、再び豊臣家が政権の座に返り咲く可能性は全くなかった。清正らは秀頼が幕府に楯つくことなく、穏便な形で豊臣家を守り続けて欲しいと考えていたのである。

 二条城での会見を無事終えたことで、豊臣家の立場は安泰かと思われた。しかし、この時、立派に成長した秀頼を前にして、老いた家康は胸騒ぎを感じ、将来に禍根を残してはいけないと決断したらしい。そして、わずか三年後、両者の決定的な対立へと突き進むのである。

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2015年4月27日 (月)

惜春より初夏だ! キソケイが咲き始めた

 惜春という季題が俳句にある。字の通り行く春を惜しむことである。が、私は今頃から初夏にかけての季節が大好きだ。私の田舎では今頃から5月連休明け位の間、一斉に田植が始まる。それまで眠っていたような山々、野原が一斉に若緑となり、人気のなかった田畑に農作業の人達が出て活気づく年老いて今福岡では5月連休では博多3大祭りの一つ「博多ドンタク」3日間、街中が祭り一色になる。又陶器で有名な有田では「有田陶器市」が1週間ぐらいあり、ここも多くの人出がある。又久留米では「つつじ祭り」等々、世の中が一番活気づく季節。気温も上がり身も心も元気の出る時期なのだ。
  昨日のカロライナジャスミンやオウバイに非常によく似た筒状花キソケイが咲いたので、続けてこれを紹介。
Photo キソケイ(黄素馨)。原産地ヒマラヤ明治時代に導入された常緑低木。素馨とはジャスミンの事で、黄花故の名前。別名ヒマラヤソケイ、イエロージャスミン。白花のジャスミンに花の形が似るが香りは殆どない。属名のJasminum(ジャスミン)はアラビア語のysmyn(マツリカ)をラテン語化したものとか。庭木として用いられ、樹高2m位。
Photo_3 その花枝先にまばらな散形花序(枝先に1個ずつ花が付く)をだし、花径2㎝位の黄色い漏斗状の花を沢山付ける。花冠は筒状で、先が5つに深く裂けて平らに開く。花期は4-7月

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2015年4月26日 (日)

地球は生きている  カロライナジャスミンも満開

 今更云うまでもない事ながら”地球は生きている”地球の構造極く表面地殻という土壌・岩石による殻に覆われており、その中岩石の熔融したントルである。更にその内にはコアと称するがある。これは金属で一部熔融しており磁場を発している。で問題はこの表面の土壌も動く。一昨日の知床・羅臼町の陥没と隆起である。又その下の地殻も動いており、昨日のネパール大地震の様に、地震や火山噴火が起こる。故に地球上には”絶対安定した場所”はあり得ない。今の技術では絶対壊れない構築物を造ることは殆ど不可能なのである。この現実を直視すれば、原発ほど危ないものは無い。若し如何してもというなら、採算度外視の堅固な構築物造成と、核燃料廃棄処理法を確立してからの話だ。
  今日は、ここんところ、連日の好天下で、モッコウバラと同じくつる性で、沢山の黄色い花を付けるカロライナジャスミンを紹介。
Photo カロライナジャスミン別名ゲルセミウム(学名より)、トランペットフラワーなど。原産地北米南部。北米南部から中央部にかけて分布。つる性常緑樹。カロライナに自生するジャスミンから来た名前。但し、ジャスミン茶とは無関係だが、花の香りから連想の由。生育旺盛で、よく茂るので、壁面やフェンスの緑化に利用。秋には紅葉。尚全草有毒である。
Photo_2 その花。開花期春~初夏ラッパ型の径1~1.5㎝の黄色い花を付ける。花付きが非常によく、満開時は全面黄色になるほど。一重咲きと八重咲があり、これは八重。八重咲の方が芳香は弱いとのこと。

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2015年4月25日 (土)

 新安保法制  今年も咲いたテッセン

  安全保障法制整備が与党協議会に於いて、事実上決着した。戦後、日本は憲法9条と日米安保条約を車の両輪として安全保障政策を組み立ててきた。それが今回の新たな法制では、集団的自衛権の行使を認める法整備と他国軍に対し自衛隊による後方支援を世界規模で可能にするものである。即ち戦後培ってきた、「戦争をしない国」を大きく変える第一歩踏み出したものだ。それも基本的な憲法論議も国民の意思も全く関係なく、且つ短期間で推し進められている。非常に危険な事を、国民の目を誤魔化すが如きやり方で推し進めている感じがしてならない。マスコミも政府に阿っているようで、厳しく、批判的な記事も.意見も出さないでいる。それとも見識が無いのか政府もマスコミももっと国民にやさしく親切に、判る様に知らしむべきだ
 今年も我が家のテッセン沢山花を付けたので、ご紹介。尚、下記の通り、テッセンとクレマチスは別物だが、混同されて解説されていることが多いので、ご注意ください。
Photo_2 テッセン(鉄線、鉄仙)。キンポウゲ科センニンソウ属のつる性多年草のうち花が大きい品種。鉄線葛、鉄線蓮とも呼ばれる。よくクレマチス属をさして「テッセン」と呼ぶが、これは属が異なる別物である。が、図鑑などでもよく混同して書かれている。センニンソウ属北半球に広く分布日本では、センニン草の他、ボタンヅル、ハンショウヅル、カザグルマなどが入る。
Photo_3 その花花弁に見えるのは変化した蕚野草のセンニンソウの花は小さく花色も限定される(日本は白)。園芸種大輪となり、青紫色が多いが、最近、赤紫色、白のものが増えた。日本や中国は大輪種を観賞するが、ヨーロッパでは原産種の花が小さく、主に修景(脇役)として用いられる。

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2015年4月24日 (金)

ドローン騒動  ナニワイバラも満開

 首相官邸屋上で見つかったドローン中国製で、相当改造されていることまでは分かっているが、誰が、名の目的で飛ばしたかは今からの捜査。販売店は購入者の連絡先を販売記録に残しているようなので、しらみつぶしに調べれは、犯人は判るかもしれない。それにしても、屋上からヘリが飛んで以来、1ヶ月間誰も屋上をチェックした事が無いという。最高の機密保持と警護がなされるべきところが、何と言う様であろうか。大事に至らなかったからいいようななものの、呆れる
 昨日に続いて今日もバラの種類でナニワイバラ。
Photo ナニワイバ(浪花茨)。原産地中国南部、台湾。日本には江戸時代、難波商人が大阪に持込み販売し、全国にひろがったのが名前の由来とか。近畿地方から九州にかけて野生化しているという。蔓は長く伸びれば10mにも達するので、写真の様に横に這わせている家が多い。但し、棘が多いので、触れにくい高さに這わせる。
Photo_2 その花花期4月下旬~6月。香りのよい大きな白い花を咲かせる。花径は7~8cm一重の5弁花。真中に黄色の雄蕊が沢山あり目立つ。偽果(子房以外の部分が加わって出来る果実)で秋に赤橙色に熟する実は生薬櫻子といい、止瀉、縮尿などに薬効がある。

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2015年4月23日 (木)

争乱の戦国史198(江戸Ⅰ04): 大名の貿易外交封鎖

 当初、徳川家康はその利益に着目し、積極的な貿易外交を行った1600年豊後に漂着したオランダ商船・リーフデ号の乗組員、ヤン・ヨーステン(耶揚子)とウイリアム・アダムス(三浦按針)を江戸に招き外交顧問にし、オランダ、イギリスの来航を許可。又長崎オランダ商館も開かせた。日本人の海外渡航も秀吉の政策を継承し、朱印船貿易を奨励し、東南アジヤ各地に日本人町も作られた。糸割符制度による京都・堺商人に輸入生糸の購入・販売、対馬の宗氏が李氏朝鮮と己酉約定による貿易も行われた。
198_2 しかし、欧州から入ってくる來るキリスト教への警戒感が次第に強まり、禁教と貿易制限策を採る様になって来た。又、幕府が西国大名豪商の動きを封じ込め、貿易を独占するもくてきもあった。東南アジヤの日本人町と朱印船航路
 
1609年10月(慶長14)、物々しい装備の供の者を従えた九鬼守隆(志摩)が持船に乗って幕府の舟手奉行・向井将監、舟手頭・小浜民部と共に淡路島・由良港に現れた。その目的は、徳川家康の命令に基づいて、西国大名が淡路島に回航した五百石積以上の大船を引き取ることに合った。大軍輸送に利用されることを懸念した処置と説明されたが、本当の狙いは別にあった
 つまり、大船の保有を禁止して、
朱印船貿易も事実上、禁止することに有った。はたして、1612年(慶長17)になってキリシタン禁止令が出ると寛永の鎖国令の断行を待つまでもなく、外交交渉の道を封鎖した。西国大名を軍事的、政治的に弱体化させるための手段であった。その為、1609年10月当初(慶長14)、蜂須賀至鎮(ヨシシゲ)と稲葉正勝の持船が特別の配慮で戻されたほかは、幕府に召上げられた。
 それによって直接、被害を被った
西国大名の多くは朱印船貿易から自然に手を引かざるを得なくなり。ここでも家康の一人天下となったのである。かくして鎖国の第一歩がそろそろ始まったのである

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2015年4月22日 (水)

春爛漫の季節 モッコウバラが満開

 昨日から好天気。久しぶりの青空のした、色んな花を眺めながらゆっくりとしたペースで歩いても汗ばんだが、気持ちが良かった。
 今日はここんところ、急に咲いて目立っているモッコウバラを紹介。今日のは八重で黄色だから香りは無いが、気持ちの良い花である。
Photo_5 モッコウバラ(木香薔薇)。中国原産のバラ。枝に棘が無いから扱いやすい。強い木で病気も少ないので育てやすい。生長が早いので大きくなる。最近は門付近のフェンスなどに這わせている家が多い。挿し芽簡単に増やせる。黄色のモッコウバラが、秋篠宮家の真子内親王のお印である。
Photo_6 その花。開花期は4-5月花色白か淡い黄色一重と八重がある。花径2-3㎝の小さな花を沢山咲かせる。開花は一期性。黄色の一重と白花にのみ芳香がある。一般には黄色八重の事モッコウバラという。花芽形成が8月末なので、剪定はそれまでに済まさないと、翌年の花付が悪い。

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2015年4月21日 (火)

漸く青空に アヤメが一斉に咲いた

 うすら寒い曇天が続いたが、漸く柔らかい日差しの春日和となった。その中で菖蒲やカキツバタに先駆けて咲くアヤメが一斉に咲いたので、取敢えず我が家の庭のアヤメを3点ご紹介。因みにアヤメは湿地ではなく乾燥地に咲く。
Photo イチハツ(一初)。アヤメ属。中国原産。室町時代に渡来。花期は4/20-5/20一番先に咲く故の名前。帰化植物で地下茎を持ち、花茎は50-80㎝、分枝して2-3に花を付ける。花径10cm位で草丈、葉、花ともアヤメより一回り大きい。藤紫の花で、外花被片(前面の垂れ下がった花弁)濃紫色の斑点がある。
Photo_3 アヤメⅠ(文目、綾目)。
葉が直立し茎の高さは30-60cm位花径は8cm位で一初より小さい。外花被片に網目模様があるのが特徴で、これが綾目の語源。北海道~九州に分布。この紺紫色が最も一般的。花期4月下旬~5月下旬
Photo_4 アヤメⅡ。これは
赤茶色系珍しい色で、昨年貰って鉢植えしたのが2年目に漸く咲いたもの。アヤメの名は古くは元々菖蒲(アヤメグサ)を指した語だった様で、現代では「ハナアヤメ」とも呼ばれる。上のアヤメの色違いと思っているが、アヤメでこの色は見かけないのでヒョッとすると、ジャーマンアイリス系もしくは交配種かな?とも思っている。

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2015年4月20日 (月)

テレビ離れに東西差?  花水木が満開へ

 新聞に載ってた面白い記事。関東と近畿での、各年代ごとの2005年と2014年の平均視聴率の変化がグラフで示されていた。見ると、何れも概ね視聴率は低下しているが低下の度合いが関東の方が大きく、近畿は低い。特に60歳以上では近畿では僅かながら増えている。その理由として、午後11時台のバラエティ番組に、地元芸人だけでなく関西出身の全国的に知名度の高い岡村隆史や明石家さんまが里帰り出演していること。また、近畿番組の作りて金は無いが、知恵を働かせている。視聴者の求めているものが判りやすいとも、分析されている。私はこのほかにも、西に行くほど、夜更かしが多い事も大きな要因でないかとおもう。
 さて、天候は相変わらず不順で、本当に雨の多い春ではあるが、花は順調に咲いている。今回は花水木で前回白の花を紹介したので今日は薄紫。段々綺麗になって来た。
B ハナミズキⅡ(花水木)。ハナミズキは英語でdogwood という。その語源は1説に、17世紀頃、樹皮の煮汁イヌの皮膚病に使用されたためと言われるが、実際使われたのはセイヨウサンシュユとの事。又、木製の(英語で dag,dog )を作る堅い木であったことからの名前とも言われる。
B_2 その花。写真の真中の部分(緑)がであることは前回述べたが、これもであって、丸い部分が開くと4弁化の径4㎜位小さな花の集まりとなる。雄しべは4本で、花弁早くに落ちるという。

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2015年4月19日 (日)

5月連休近く 藤の咲く頃となる

 4月下旬から5月上旬にかけ咲く、ツツジ、フジ、アヤメなどが咲きだした。愈々野山が花盛りの季節になる。青空と花々、新緑で1年中で一番美しく、又気温も上がり気持ちの良い季節となる。そこで、今日はとりあえずあちこちの藤棚の花が満開になって来たので、その藤を掲載。但しこの写真は個人の庭先のもの。(藤棚は被写体として大きすぎる)。
Photo フジ(藤)。日本原産ノダフジ(野田藤)ともいう。この名は藤の名所大阪・福島区の野田に因んで牧野博士が命名した事による。つる性落葉樹で蔓が右巻きに登り、樹冠に広がる。山藤は逆の左巻き。マメ科植物だから、夜間葉をすぼめる。つるが強いので古代から藤縄として使われた。福岡の名所八所宮、浄光寺(知恩院末寺)、武蔵寺、黒木など。
Photo_2 その花花期4月15~5月5日。花の咲き方は幹の方から先端に向って咲き進む。花序は長く、枝垂れて20-80㎝に達する。薄紫で所謂藤色になる。花を沢山つける為には茎葉を伸ばさぬ様に、花芽形成の7-8月頃までに、勢いの強い蔓の先端を摘み取る。但し樹形を整える剪定落葉期(冬)の花芽と葉芽の区別のつく頃葉芽の枝を落す。

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2015年4月18日 (土)

争乱の戦国史197(江戸Ⅰ03): 薩摩、琉球を制圧

 14世紀沖縄北山、中山、南山の3ヶ国が分立し、この状態が約100年続いていた。が、中山王の尚巴志がこれを統一し、琉球王国を建国した。この王朝では王統が途中で交代し。第2尚氏王朝の尚真が、1477年に即位して、最盛期を迎える。
 繁栄の基盤は、日本、中国、朝鮮半島、東南アジアを結ぶ貿易の中継地となった琉球の中継貿易である。これによって、生産物は乏しい琉球に各国の様々な特産物がもたらされたのである。しかし、16世紀中頃になると、ポルトガルがこの貿易圏のアジアに進出してきた。その結果、この地域での琉球の交易基地としての機能が低下してきて、これまでの収益力が低下せざるをなくなった。

 この頃、琉球王国は元の後の中国・明王国と交流し、その冊封を受けて、その庇護のもとで、諸外国との自由貿易が認められていた。所謂朝貢貿易である。しかし、16世紀後半、この地域での倭寇の出現と、明帝国の統治能力低下もあり、結果私的貿易が盛んになる。この様な状況下、薩摩藩が与論島以北の島々と交易を行い経済的支配下に置きつつあった
 そして、秀吉は文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に当って、琉球に服属を求めたが、拒否されたため、兵糧の拠出を命じている。琉球はそれに応じる一方で、朝鮮出兵の情報を明に流していた。下図薩摩藩の琉球への出兵ルート(成美堂出版「図解戦国史」より)
197 その後、江戸幕府が成立し、徳川家康は琉球を介して、朝鮮出兵により断絶していた明との関係修復に乗り出した。しかしこれは琉球の拒絶で頓挫する。そこで。かねてより琉球との関係深い薩摩藩は藩主・島津家久が琉球への出兵を幕府に願い出て家康の許可を得た
 1609年(慶長4)、薩摩郡3000人が琉球に向け鹿児島を出航。かって九州の大半を制圧した精強な薩摩軍に対し、琉球王国は戦意に乏しく、上陸から1ヶ月足らずで、王城首里城を占領。琉球王・尚寧は降伏した。
 以降、薩摩藩は奉行を送り、国王を監督し、琉球を支配下に置き、表向き独立国として中国と貿易を行わせ、その利益を吸い上げたのである。1611年には薩摩は琉球を完全支配下に置き、国王・尚氏所領を8万9千石と定めた。

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2015年4月17日 (金)

山吹が満開

 天候不順ながら、山吹は今満開そよ風にも枝を揺らすヤマブキは人目を奪いやすいが、併せて余り見かけないシロヤマブキも咲いていたので一緒に紹介しておこう。
Photo ヤマブキ(山吹)。学名Kerria japonicaの通り、原産地は日本、中国。日本では北海道から九州の低山の明るい木蔭などに群生。背丈は1~2m地下に茎を横に伸ばして群生する。古くから親しまれた花で、庭に栽培される。枝が細くて風に揺れやすいので、「山振り」転じて「ヤマブキ」となったとの説あり。枝の芯(髄)はかって灯心に利用。
Photo_2 その花。花期4-5月花径3~5㎝の黄色い花を沢山付ける。一重と八重咲があり、一重花弁が5枚で、多数の雄しべと5-8個の離生心皮がある。心皮は塾して分果となる。最近は八重が好まれるが、八重山吹雌しべが退化して、雄しべは花弁に変わってしまったので、実はつけない。
Photo_3 シロヤマブキ(白山吹)。シロヤマブキ属であり、山吹に似るが別種で、学名はRhodotypos  scandens という別属である。白い4弁花を咲かせる。萼も4枚は山吹が互生に対し対生である。本州、朝鮮南部、中国に分布する。これも今満開状態である。

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2015年4月16日 (木)

天候不順  でもドウダンが綺麗

 どうも天候が安定しない。というより天気予報とは違った空模様になる事が多い。要するに変わりやすい季節なので、ピンポイントで予報できると言われた天気予報も場所により、或は時により難しい事もあるのかもしれない。今朝は晴の予報だが、ドーンと曇っている。これから晴れるのかな?
 今日の花は。若葉が出て、白い花が際立って美しく見え出したドウダンツツジ
Photo_3 ドウダンツツジ(灯台躑躅)。略称ドウダン。ドウダンは枝分かれの様子が昔の明かりに用いた灯台の脚部に似るところから、トウダイが転じたものの由。満天星とも書くがこれは中国名から来たもの。本州、四国九州の温暖地に生えるが自生は少ないという。庭木や植込みに用いれれる。秋の紅葉が美しい
Photo_4 その花。花期は3-6月葉が出てから1週間後に花が咲く。花序は散形花序である。花は白色釣鐘状の、5㎜位の小さな花。花の中を見たくて覗き込んでみたが、見えなかった。

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2015年4月15日 (水)

高浜原発再稼働差し止め  花水木が見頃へ

 福井地裁が、関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止め仮処分申し立てに、再稼働を認めない決定を出した。原発運転差し止めを認めたのは今回が初めてである。が、非常に危険地帯であったり、地震の恐れある地層など、危ぶまれる原発も順次承認し始めた矢先のことで、これで、関係者を初め、関心を持つ多くの国民も、ハッとして、目覚めた感じがするのではないだろうか。原子力規制委員会はこれまでの規制基準の引き上げなどやっては来たが、「これまで起ったことが無い」ことを理由に地震も火山も活断層のずれも「ないものとして」認可しようとしている。今回の各要件に対する規制委員会の判断と福井地裁の判断には大きな差がある。電力事情や電力会社経営の状況は一切考えず「大丈夫か否か」を先ず考えるべきであり、今回の措置はよくやったと思う。その上で電力事情への対策は今後考えて行くべきだ。暗い世間に一縷の灯りを見た感じである。
 
今日は開花し始めた花水木が目立っているので、開花し始めのハナミズキ。
Photo 
ハナミズキ(花水木)。別名アメリカヤマボウシ。ミズキの仲間ながら花が目立つ故の名前。アネリカ原産。日本には1915年、当時東京市長がアメリアカにソメオイヨシノを贈った返礼に贈られたものである。庭木の他、街路樹として利用される。英名でドッグウッドというのは、樹皮を煎じて犬のノミ退治に使ったところからの名。
Photo_2 その花。開花期
4月下旬~5月下旬。花色は白色、薄いピンクこの花は白色だが、幼い時このように薄緑色をしており、段々白くなる花弁のように見えるのは総苞で、中心にある緑の塊りが花序である。実際の4弁の直径5㎜程度の小さな花が集合して順次開花して行く。

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2015年4月14日 (火)

争乱の戦国史196(江戸Ⅰ02): 江戸城の天下普請

 1603年、征夷大将軍となった家康は江戸城及び江戸の町本格的な整備を開始し、1606年3月(慶長11)、江戸城を幕府の政庁舎として相応しい形式の城郭に改める為、天下普請による工事を始めた。
 3月1日起工式以来、5層の大天守閣、本丸、二の丸、三の丸の建物と外堀の石垣が築造され、西の丸の修築もなども行われ、寛永年間(1629-36)に完成する。この築城工事は、江戸市街地造成工事と表裏一体で進められたのが最大のと特徴である。旧江戸城には平坦地が無く、辺り一面が低い湿地帯で、すぐ前まで入江が食い込んでいた。
196 これに対し家康は思い切った方策を示した。駿河台から御茶の水の盛り上がる丘陵地帯(神田山)を切り崩し、その土で低湿地帯を埋め立てたのだ。結果日本橋から京橋、銀座、新橋、虎の門など江戸の中心地の市街が出来上がった。
 これらの工事を天下普請、即ち軍役として諸大名に夫役が命ぜられたのである。当時の江戸城配置図

 1607年(慶長12)には江戸城の象徴的建物である天守が完成。以後、天守は慶長期、元和期、寛永期と3度築かれた。3代目の天守1657年(明暦3)の大火で焼失し、以降天守が築かれることはなかった。天守より城下の復興を優先させたためと云われている。
 これら江戸城や江戸の町の工事を担ったのは、関ヶ原の戦い以降に徳川の支配下に入った外様大名だった。家康は江戸城のみならず各地の城の建設、江戸の町の整備など土木工事、河川や堤防の改修といった治水工事、更には寺や霊廟の建設などを外様大名に命じており、これらの「天下普請」は諸大名の財政に大きなダメージを与えたのである。(江戸築城に使った石材運搬船約3000隻:有力大名28家が負担。うち島津忠経300、浅野幸長385、黒田長政104、その他2211隻という)。

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2015年4月13日 (月)

地方選終わる    ムベが咲く

 統一地方選の結果は与党が若干伸びたが、大勢は変化なし。目立ったのは首長の再選と女性議員の増加位。尤も地方議会は政党色での選択より人脈などの影響の方が大きい場合が多い。何れにしろ、国民は現状を是認している”安定状態”だと分析した評論家も居る。確かに現状を否定し、何とかせねばと言う雰囲気は少なかった。と言うよりそうゆう雰囲気を盛り上げた与党の戦略が功を奏したというべきか。なんとなく面白くない世の中になったものだとも思うのは私だけだろうか。
 今日の花、高台の家の5mほどある石垣這わせてあるムベ。つる性植物なので石垣のカバーにはいいのかもしれない。園芸種ではなく、野草の一種だろうが、珍しく植栽されていたのは、秋に生る実(アケビのような)が目的かも知れない
Photo ムベ(郁子、野木瓜)。アケビ科の植物で、別名トキワアケビ(常葉通草)。方言ではグベ(長崎)、フユビ(島根)、イノチナカ、コッコなど。本州関東以西、台湾、中国に分布。゙園芸では盆栽の他日陰棚に仕立てる。天智天皇がこの実を食し「むべなるかな」といった所からの名とも言う。茎や根は野木瓜(ヤモッカ)という生薬で利尿剤となる。
Photo_2 その花。開花期4月下旬~5月蕚が花弁状になった小花を葉の付根に5輪前後固まって咲かせる。花色白~淡いクリーム色、中心に紅紫色の筋が入る。花は雌雄があり、芳香を発し、花冠は薄い黄色で細長い。剥いたバナナの皮の様で、アケビの花とは趣が異なる。10月に5-7㎝の果実が赤紫に熟しアケビに似るが、裂けることはない。

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2015年4月12日 (日)

株価(東証)2万円に  クサイチゴが綺麗だ

 一昨日一時的ながらも日経平均が2万円を超えた経済の先行指標であり、市場が景気回復を実感し始めたと、政府経済閣僚は喜んでいるようだが、現政府の経済政策によるものではない。今世界的にデフレ傾向にあり、各国が金融緩和を行った結果が、金余り現象を起こし、日本株が買われているからである。株価をけん引するのは海外の政府系ファンドや年金運用会社などの機関投資家であり、東証Ⅰ部の売買代金の7割を外国人投資家が占めているという。しかし、この株価の恩恵を受けているのは株式を保有する一部の富裕層が中心であり、個人投資家は買うより売る側に回っていると言われる。株高の実感は地方では実感できないといわれ、既に加熱気味と指摘する声も少ないないそうだ。回復が遅い実体経済とマネー相場の隔たりが徐々に広がっている。一つのマイナス材料が引き金になって千円単位での下落のリスクは常にあるとも。個人投資家の方々ご用心あれ
  今日は野草ながら、花は美しく、実は美味しく食べれ、植栽もされる草苺。もうそろそろ実のイチゴが生り始める頃である。(6-7月に熟す)。
Photo クサイチゴ(草苺)。別名ワセイチゴ(早生苺)。落葉小低木ながら、背丈が20-60㎝と低く草本の様に見える為の名前で、実際は木本生命力が強く刈っても根から生えてくる。全体に短い軟毛が密生し、茎には小さい刺がある。中国、朝鮮半島、日本に分布。日本では本州、四国、九州の林地に生える。平安時代の本草書「以知古」で出ている。
Photo_3 その花。花期は3-4月白色、5弁花花弁は卵円形で10-20㎜。花の中央に雌しべが多数あり、その周辺にやはり多数の雄しべを持つ。花は園芸花としても良い位清楚で綺麗である。現に庭植えしている家もある。果実は大型で赤熟し、食用となる。酸味は少なく甘い味がする。

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2015年4月11日 (土)

眠くなれない春寒  アジュガも咲いた

  本来今頃蛙の目借時(蛙に目を借りられて眠い)と季語にある様に、ポカポカ陽気でけだるく、眠気に襲われる時期である筈なのに、掲題の如く春寒(立春後の寒さ)といってもおかしくないうすら寒い日々が続く。桜は雨で消えてしまい、その後の異常気象(各地に降雪)で、冷え込んだ寒さが続きそうだ。この様な気象異常は海水温にも異常をきたしたようで、昨日は茨城・鉾田市海岸に、イルカが160頭も打ち上げられた。この異常気象は地球の温暖化に原因が持っていかれることが多いが、本当にそうなんだろうか。私にはどうも人間のなせる技では、ないんではないかと思える。人間の力ってそんなに大きくはないだろう。地球自体が太陽の変化に影響され氷河期を何度も経過してきている。そんな影響の一環ではないのかと思う。
 気象異常でも、花は順調に咲いている。今日は前回のキランソウと全く同じ花を咲かせるアジュガを掲載。
Photo アジュガ(Ajyga)。ヨーロッパ原産アジュガ・レプタンス(A.reptans)と言う園芸種の花。和名はセイヨウキランソウ、セイヨウジュウニヒトエなどと呼ばれる。単にジュニヒトエとも言うがそれは別種。茎を伸ばさず葉は地面に近い位置で放射状に生え、地面を這うようにランナーを伸ばして広がるので、グランカバーに利用される。秋には葉が赤紫色になる。
Photo_2 その花花の形や色は全開のキランソウと全く同じと言っていいくらいよく似ている。よって詳細は略す。花期4-5月。真直ぐに直立した花茎の周りに小花を沢山咲かせる。花色青紫が基本だが、ピンク、白もある。

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2015年4月10日 (金)

争乱の戦国史195(江戸Ⅰ01): 江戸幕府の成立

 今回より時代区分を「江戸時代」とする1603年2月12日(慶長8)、朝廷は徳川家康を征夷大将軍に任命した。これにより、家康は武家の棟梁として全国大名に号令する立場となり江戸幕府を開いた。
195 家康が関白でなく、征夷大将軍となったのは、武家の棟梁としての正当性を獲得する事と、同じ官職で秀頼との争いを避けるためでもあった。翌年から、家康は本格的に江戸城の修築工事や市街の整備に着手した。工事には諸大名を動員し、江戸湾の埋め立てや治水、江戸と上方を結ぶ中山道・東海道の整備など、大規模な土木工事が行われた。(征夷大将軍宣旨(日光東照宮蔵))
 動員された大名は豊臣家に近い加藤清正や同僚だった前田利長、東北の伊達政宗など有力外様大名が名を連ねており、家保こそが全国諸大名に号令する立場であることを知らしめる絶好の機会であった。

 1603年7月(慶長8)、徳川秀忠の娘・千姫と豊臣秀頼の婚儀が大阪で行われた。家康は豊臣家を一大名の地位に追いやったが、豊臣家の威信未だ衰えずと考え、幕府基盤も未完成のこの時点での敵対は得策でないとの判断があり、徳川と豊臣の融和を図る為の政略結婚だった。
 家康はこの2年後4月(1605年、慶長10)に将軍の座を三男・秀忠に譲り、自身は大御所と称し、駿府に移った。在籍僅か2年で将軍の座を降りたのは、征夷た将軍が徳川家の世襲であることを、天下に示すためであり、また死後の御家騒動を避けるためでもあった。この後も家康は駿府からへ秀忠に対し様々な指示を与え、幕府の実権を掌握し続けた。

 秀忠が伏見城で将軍宣下の儀式を終えた直後、家康は豊臣秀頼に対し、秀忠の将軍就任を祝うため、上洛するよう求めた。これを聞いた淀殿は激怒したという。秀頼が将軍に祝辞を述べることは徳川家に臣下の礼を執る事であり、淀殿には、「一時的に徳川家が政権を担当しているが天下は豊臣のもの」との意識があった。淀殿は「どうしても上洛せよというのなら秀頼と共に自害する」との強硬姿勢を崩さず、すわ両家の戦争が始まるとの騒ぎとなり、止む無く家康も折れた為に事なきを得た。しかし、これにより家康は豊臣家を強く警戒する様になったと言われる。

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2015年4月 9日 (木)

両陛下パラオに慰霊御訪問  キランソウ(地獄の釜の蓋)

 本日両陛下はパラオのペリリュー島に戦没者慰霊の御訪問をされる。戦後70年に際し、これまでの各所の慰霊の旅の中で長年訪問できなかったこの場所の慰霊塔への参拝がご希望だったという。パラオは第一次大戦後の講和会議で、それまでのドイツに代り、1914年日本の委任統治領となった。故に親日家が多いという。それが第二次大戦終末期、国際連盟脱退に伴い、日本が軍事施設を作ったため、連合軍から猛攻を受けての激戦地となり、約1万6千人の日本人が亡くなっている。その為の慰霊塔も建設れていたが、空港や宿泊施設の関係で、陛下の慰霊訪問の御希望もかなわなかったが、戦後70年を契機に、移動にも便利な世界最大と言われる最新鋭の巡視船「アキツシマ」での御宿泊によるご訪問となった。
 この陛下の平和への熱い思いを、日本人は向後も忘れることなく、2度と戦争の災禍を受けぬ様、又他国を侵さぬ様せねばならぬ。
 さて、今日は名前が余り良くない「地獄の釜の蓋」(キランソウ)が真盛りで、先日の雨で散った桜の花弁を被って咲いていたのを紹介。
Photo キランソウ(金瘡小草)。別名ジゴクノカマノフタ(地獄の釜の蓋)。根生葉地面に張り付くように広がる。全体に毛が多く、茎は高く伸びず草全体地面に張付いて円盤状になる。シソ科では珍しく丸い断面の茎。日本、朝鮮半島、中国に分布。明るい草地、草丈の低いところに生え、道路端などで見る。
Photo_2 その花。開花期3-5月腋生で茎の先端近くの葉の茎部から生じる濃紫色の唇形花で、上下に分かれ上唇は小さく、下唇は大きく3裂し、特に中央の裂片が長く突出し、先端は浅く2裂する。雄しべ4本あり、先端は2室からなる葯をつける。開花期の草全体生薬・筋骨草となり、高血圧、去痰、健胃、下痢止に効果。よって「地獄の釜の蓋」「病気を治して地獄の釜には蓋をする」ところからの名前の由。

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2015年4月 8日 (水)

菜種梅雨の中、紅花常盤万作が満開

 

3月下旬~4月上旬に降り続く雨のことを菜種梅雨というが、この雨で桜は散らされてしまった。が、この雨の別名催花雨(サイカウ)と言う。即ち花を咲かせる雨と言う意味である。確かにモクレンなども雨に弱く雨に叩かれると汚くなるが、この頃から咲き始める花も多い。適量な雨がいいのだが・・・。お天道様は我々に都合のいいようには降らせてくれない。いや、自然の営みに逆らってはいけないのだ。従順に自然の営みを受入れるのが日本文化の神髄であろうから。
 そんな事で、今日は雨の中に豪華に咲いている紅花常盤万作を紹介。
Photo ベニバナトキワマンサク(紅花常盤万作)。長い名前だが、トキワマンサクの変種紅花品種。中国原産で、中国、インド、日本に分布。マンサクに似ていて常緑である故にトキワマンサクと名付けられた。写真の通り木立姿は分枝が多い若葉赤紫色で、成長と共に緑色に変わる青葉種と、紅色性を保つ紅花種がある(これは青葉種)。
Photo_2 その花。開花期3-5月。鮮紅の光沢のある細紐状の花を集合させて咲いている変わった花。一輪の花は長さ2-5㎝花弁が4枚の4弁花で、雄しべも4本ある。その花が3-5個集合して小花房を形成している。花に微香がある。花後蒴果を付けて晩夏から初秋に熟し長卵型の種子が入る。

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2015年4月 7日 (火)

雨に散った桜  ミツマタが咲いていた

 この処の雨で、折角咲いた桜も散っている。桜並木も公園の桜も、花弁の絨毯が敷き詰められた誠に残念の一語に尽きる。本当に満開で花見客が見上げたのはたった二日間だった。こんなに早く散ってしまうのも珍しいのではないだろうか。唯、この間雨がやみ、並木の桜を見に行ったところ、風が吹いて正に「花吹雪」状態を眺められ、且つその下を流れる川の水面に花びら浮いて流れて行く様もよかった。こんな事で今年は我慢しよう。
 さて、そんな不満を抱きながら歩いていて本日のミツマタの花に出会った。全く知らぬ花だったが、ネット図鑑で調べてやっとわかったので、掲載。
Photo ミツマタ(三椏)。中国中南部、ヒマラヤ地方原産。皮が和紙の原料であることはよく知られている。枝が必ず三又即ち3つに分枝する故の名前で、三枝、三又とも書く。和紙の原料として初めて用いられたのは1598年、将軍に成った家康により、製紙工の文左衛門が特に許された公文書用に作ったという。明治9年には政府が紙幣に使用して用途が増えた。
Photo_2 その花春の訪れと共に早春に花を付ける(3-4月)。淡い黄色の花が一斉に開ので、サキサク又はサキクサなどと呼ばれた。 三枝(サエグサ)の姓の語源とか。写真の様にオレンジとか、朱色の花を付けるのは園芸種だそうだ。花芽は写真のように蜂の巣がぶら下がったような変わった形をしており。沈丁花と同じくこの花には花弁が無く、花弁に見えるのは蕚片であり、4枚の萼片をもつ花である。

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2015年4月 6日 (月)

争乱の戦国史194(織豊Ⅳ28): 関ヶ原の論功行賞

 

徳川家康は豊臣政権の大老として、即ち公儀として戦い、豊臣大名を動員して謀反人誅伐の戦いとした。が、内実徳川政権樹立をめざして、邪魔者を徴発し公儀の名で一挙に潰す戦争であり、家康が仕組んだもので、その目的を達した
 関ヶ原戦後、上杉・毛利・宇喜多の三大老が「謀反側」廻り、前田は独自の働きもなく、論功行賞は当然家康の独断で行われた。
 関ヶ原から1年後の慶長6年(1601)から7年(1602)にかけ大方の論功行賞が実施された。当然ながら、西軍の大名改易か減封に処された。主な改易では石田三成(19万石)、増田長盛(20万石)、宇喜多秀家(57万石)、小西行長(20万石)、長宗我部盛親(22万石)、織田秀信(13万石)などで、この他の80余家があり、没収総額480万石を上回った。尚改易は免れたものの減封されたの約束を反故にされた毛利輝元(120万石→37万石)、上杉景勝(120万石→30万石)、佐竹義宣(54万石→20万石)などであり、両方合わせ600万石を上回り全国石高の1/3に達した。
 又秀吉が亡くなった時40ヶ国に亘って222万石あった豊臣氏直轄地の65万石にに減らされ、実質的に一大名の地位に転落したのである。
194 これに対し、加増を受けたのは、百名余りに上り、その半数が、徳川氏からは外様大名で、主な者は図表の通りである。その加増高は400万石余りで改易大名からの没収高にほぼ相当した。この加増の特徴は、浅野・池田・福島・山内・黒田・田中・加藤らが石高をほぼ二倍増ないしそれ以上に大幅に増やして、一国を領有する国持大名になった事、かれらは勿論加増は少なくとも大身の大名は西国へ或いはより西方へと転封された事である。そして残りの半数徳川一門と譜代で、その加増高は合せ200万石となった。加増を受けた主な外様大名(単位千石)。
 以上により、徳川幕府の直轄領は大きく増えて400万石に達した。そしてその配置は関東一円と東海道が中心でその他各地に点在する形で置かれている。佐渡金山・石見銀山・生野銀山や京都・奈良などの都市も支配下に入れた。そして関東では江戸に一夜で出向く事が可能な場所に譜代大名が配置され、緊急時に備えた。対して外様は辺地に配置され簡単に江戸や京都へは行けないようになっている。かくして、家康の勢力は国内最大となり、豊臣氏をはるかにしのいだ

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2015年4月 5日 (日)

春満開8 春の野草

 昨日に続き、これまで掲載洩れの花々の内、道端に咲く野草ながら、花としても結構可愛いもの達をピックアップして掲載して置く。何れも未だに咲き続けている。
Photo_4 オランダミミナグサ(和蘭耳菜草)。ヨーロッパ原産で、外来種(帰化植物)として世界中に分布。全体に毛が生え、茎は直立し、さじ型の葉を対生する茎は上向きに二又分枝して、先端に集散花序をを付け、花弁の先2裂している。径1㎝位の小さな花だが可愛い花
Photo_5 キツネノボタン(狐の牡丹)。日本は北海道~九州、朝鮮半島南部に分布。川や水田の湿り気の多い地に生える。3~7月頃分枝した茎の先に黄色い5弁の花が咲く。花径は1-1.5㎝で花弁に光沢があるのが特徴。花後にコンペイトウの様な果実が付く。
Photo_6 トウダイグサ(燈台草)。日本では本州以南に分布草丈20~30cm。茎の中程の葉はヘラ型で互生するが、茎の頂部の葉は丸味の強いヘラ型の葉を5枚ずつ輪生する。茎頂部からは放射線状に花茎を伸ばす。花期は4~6月。苞葉の中に黄色い花を複数付ける。苞葉椀状で、その中に黄色い花がある様を燈火の皿にみての和名。 

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2015年4月 4日 (土)

春満開7 春の草花

 昨日に続き、写真は撮ったがアップしてない花の内、園芸種の草花を紹介。何れも初春から咲いているが、初夏まで咲き続けるものが多い。
Photo ハナニラ(花韮)。原産地アルゼンチン。日本には明治時代園芸植物として導入され、逸出し帰化して野草化。葉にニラやネギの匂いがあったこと事からハナニラの名となった。球根植物で鱗茎から葉と花茎をだし、花茎の頂上に一つの花を付ける。地上部には開花期だけ出ている。
Photo_2 ムスカリ(Muscari)。ギリシャ語の麝香(moschos:ムスク)が名の由来。花がブドウの実のようなところからブドウヒアシンスの別名がある。原産地南西アジア、地中海沿岸日本には30数年前より市場に出回って、公園などに多い。球根は植えっぱなしで大丈夫。花色青紫色以外、白色、コバルト色もある。
Photo_3 ツルニチニチソウ(蔓日々草)。別名ツルギキョウともいう。正式のツルギキョウとは別種。ヨーロッパ原産で鑑賞用に栽培されており、南・北米、オーストラリア、日本に帰化している。色は青紫色、柱頭は円盤状で、その上に毛のある突起物ある珍しいものだそうだ。繁殖力旺盛で観賞用に栽培された。

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2015年4月 3日 (金)

春満開6 低木花木

 桜を主として掲載したが、低木で灌木の部類の花々も夫々満開である。これまで掲載洩となっている主なものを纏めて紹介する。
Photo ユキヤナギ(雪柳)。別名コゴメバナ、コゴメヤナギなど。日本と中国原産国と言われる。雪が降ったように白い花を咲かせる故の名前。開花期3月上旬~4月中旬。切花としても利用され、切り花用品種が改良されている。花後には袋果が出来、裂けて種子を放出する。
Photo_2 ボケ(木瓜)。木瓜は花期が長いが、やはり4月中旬が満開となり、沢山の花を付ける。果実が瓜に似て、木に生る故の名前。日本に自生するのはクサボケと言う品種。3-4月頃葉より先花が咲く。基本的な花色は淡紅、緋紅、白色の花
Photo_3 レンギョウ(連翹)。別名レンギョウウツギ古名イタチハゼ。繁殖力は旺盛で、半つる性の枝は湾曲に伸び、下に垂れ、地面に接触するとそこから根を出して新しい株となる。枝の髄が早期に消失するので、中空となりレンギョウウツギと言う別名がある。花は写真の通り黄色い花を一杯付ける。

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2015年4月 2日 (木)

春満開5 イワツツジが満開

 この花、日ごろ歩くコースには2軒しか植えてない。が、花がツツジの様だが、3月中旬よりは咲き、今満開である。ネットで調べて名前が判った。が、同じイワツツジの名前で、北海道、東北地域でイワツツジと言うと、草丈15cm位の小さな草花状のものが出てくる。西日本一帯ではこの写真ごとく低木と言え、背丈を越える高さのもので、ツツジと同じ形の花を付けたものが出てくる。で、この辺り一帯で通称イワツツジだからそれを使うが、上記の如く紛らわしいので、隼人三つ葉躑躅正式名称だと御記憶頂きたい。
Photo イワツツジ(岩躑躅)。ミツバツツジ(三つ葉躑躅)の類の総称で、この花はハヤトミツバツツジ(隼人三つ葉躑躅)。名の通り原産地は九州南部で、鹿児島を中心に南九州に多い由。古くから庭木として植えられるが、野生は少ないという。
Photo_2その花。花期は3-4月。葉の出る前に、紅紫色のを付ける。花柄に短腺毛があり、雄しべは9-10本、ミツバツツジの中では最も早く開花する。

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2015年4月 1日 (水)

春満開4 さくら満開!

 福岡、一昨日満開宣言があったが、8、9分咲きが多かった。が、昨日今日の天候雨と言うので、香椎宮の桜を見に行ってきた。ほぼ満開状況で、我が家の隣の小学校も一気に咲いた。間違いなく福岡満開! で、撮って来た写真。
Photo 香椎宮の桜。楼門近くにあるグラウンド(流鏑馬など行う)を取囲むように桜が植わっていて、桜の見どころ。写真の場所は昼ごろからは花見客の宴会場所となる所。勿論、間違いなく今満開、今日の天候次第では散り始めるかも・・・。
Photo_2 対面の桜道路沿いに植えられている桜も勿論満開。ところで、染井吉野は当初、江戸の園芸師が育てた桜が人気あり、奈良・吉野山(山桜が多い)に因み、吉野桜の名で売られたが、吉野の山桜と紛らわしいので、染井吉野名称変更したもの。
Photo_3 香椎宮の楼門。楼門の桜。新しく植えられたもので木が若い。ソメイヨシノは蕾では蕚も含めて濃い赤に見えるが、咲始め淡紅色満開になると、白色に近くなる。交配種のエドヒガン系の葉より先に咲く性質とオオシマザクラ系の大きくて整った花形を併せ持っている。

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