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2015年4月23日 (木)

争乱の戦国史198(江戸Ⅰ04): 大名の貿易外交封鎖

 当初、徳川家康はその利益に着目し、積極的な貿易外交を行った1600年豊後に漂着したオランダ商船・リーフデ号の乗組員、ヤン・ヨーステン(耶揚子)とウイリアム・アダムス(三浦按針)を江戸に招き外交顧問にし、オランダ、イギリスの来航を許可。又長崎オランダ商館も開かせた。日本人の海外渡航も秀吉の政策を継承し、朱印船貿易を奨励し、東南アジヤ各地に日本人町も作られた。糸割符制度による京都・堺商人に輸入生糸の購入・販売、対馬の宗氏が李氏朝鮮と己酉約定による貿易も行われた。
198_2 しかし、欧州から入ってくる來るキリスト教への警戒感が次第に強まり、禁教と貿易制限策を採る様になって来た。又、幕府が西国大名豪商の動きを封じ込め、貿易を独占するもくてきもあった。東南アジヤの日本人町と朱印船航路
 
1609年10月(慶長14)、物々しい装備の供の者を従えた九鬼守隆(志摩)が持船に乗って幕府の舟手奉行・向井将監、舟手頭・小浜民部と共に淡路島・由良港に現れた。その目的は、徳川家康の命令に基づいて、西国大名が淡路島に回航した五百石積以上の大船を引き取ることに合った。大軍輸送に利用されることを懸念した処置と説明されたが、本当の狙いは別にあった
 つまり、大船の保有を禁止して、
朱印船貿易も事実上、禁止することに有った。はたして、1612年(慶長17)になってキリシタン禁止令が出ると寛永の鎖国令の断行を待つまでもなく、外交交渉の道を封鎖した。西国大名を軍事的、政治的に弱体化させるための手段であった。その為、1609年10月当初(慶長14)、蜂須賀至鎮(ヨシシゲ)と稲葉正勝の持船が特別の配慮で戻されたほかは、幕府に召上げられた。
 それによって直接、被害を被った
西国大名の多くは朱印船貿易から自然に手を引かざるを得なくなり。ここでも家康の一人天下となったのである。かくして鎖国の第一歩がそろそろ始まったのである

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