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2015年4月14日 (火)

争乱の戦国史196(江戸Ⅰ02): 江戸城の天下普請

 1603年、征夷大将軍となった家康は江戸城及び江戸の町本格的な整備を開始し、1606年3月(慶長11)、江戸城を幕府の政庁舎として相応しい形式の城郭に改める為、天下普請による工事を始めた。
 3月1日起工式以来、5層の大天守閣、本丸、二の丸、三の丸の建物と外堀の石垣が築造され、西の丸の修築もなども行われ、寛永年間(1629-36)に完成する。この築城工事は、江戸市街地造成工事と表裏一体で進められたのが最大のと特徴である。旧江戸城には平坦地が無く、辺り一面が低い湿地帯で、すぐ前まで入江が食い込んでいた。
196 これに対し家康は思い切った方策を示した。駿河台から御茶の水の盛り上がる丘陵地帯(神田山)を切り崩し、その土で低湿地帯を埋め立てたのだ。結果日本橋から京橋、銀座、新橋、虎の門など江戸の中心地の市街が出来上がった。
 これらの工事を天下普請、即ち軍役として諸大名に夫役が命ぜられたのである。当時の江戸城配置図

 1607年(慶長12)には江戸城の象徴的建物である天守が完成。以後、天守は慶長期、元和期、寛永期と3度築かれた。3代目の天守1657年(明暦3)の大火で焼失し、以降天守が築かれることはなかった。天守より城下の復興を優先させたためと云われている。
 これら江戸城や江戸の町の工事を担ったのは、関ヶ原の戦い以降に徳川の支配下に入った外様大名だった。家康は江戸城のみならず各地の城の建設、江戸の町の整備など土木工事、河川や堤防の改修といった治水工事、更には寺や霊廟の建設などを外様大名に命じており、これらの「天下普請」は諸大名の財政に大きなダメージを与えたのである。(江戸築城に使った石材運搬船約3000隻:有力大名28家が負担。うち島津忠経300、浅野幸長385、黒田長政104、その他2211隻という)。

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