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2015年4月18日 (土)

争乱の戦国史197(江戸Ⅰ03): 薩摩、琉球を制圧

 14世紀沖縄北山、中山、南山の3ヶ国が分立し、この状態が約100年続いていた。が、中山王の尚巴志がこれを統一し、琉球王国を建国した。この王朝では王統が途中で交代し。第2尚氏王朝の尚真が、1477年に即位して、最盛期を迎える。
 繁栄の基盤は、日本、中国、朝鮮半島、東南アジアを結ぶ貿易の中継地となった琉球の中継貿易である。これによって、生産物は乏しい琉球に各国の様々な特産物がもたらされたのである。しかし、16世紀中頃になると、ポルトガルがこの貿易圏のアジアに進出してきた。その結果、この地域での琉球の交易基地としての機能が低下してきて、これまでの収益力が低下せざるをなくなった。

 この頃、琉球王国は元の後の中国・明王国と交流し、その冊封を受けて、その庇護のもとで、諸外国との自由貿易が認められていた。所謂朝貢貿易である。しかし、16世紀後半、この地域での倭寇の出現と、明帝国の統治能力低下もあり、結果私的貿易が盛んになる。この様な状況下、薩摩藩が与論島以北の島々と交易を行い経済的支配下に置きつつあった
 そして、秀吉は文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に当って、琉球に服属を求めたが、拒否されたため、兵糧の拠出を命じている。琉球はそれに応じる一方で、朝鮮出兵の情報を明に流していた。下図薩摩藩の琉球への出兵ルート(成美堂出版「図解戦国史」より)
197 その後、江戸幕府が成立し、徳川家康は琉球を介して、朝鮮出兵により断絶していた明との関係修復に乗り出した。しかしこれは琉球の拒絶で頓挫する。そこで。かねてより琉球との関係深い薩摩藩は藩主・島津家久が琉球への出兵を幕府に願い出て家康の許可を得た
 1609年(慶長4)、薩摩郡3000人が琉球に向け鹿児島を出航。かって九州の大半を制圧した精強な薩摩軍に対し、琉球王国は戦意に乏しく、上陸から1ヶ月足らずで、王城首里城を占領。琉球王・尚寧は降伏した。
 以降、薩摩藩は奉行を送り、国王を監督し、琉球を支配下に置き、表向き独立国として中国と貿易を行わせ、その利益を吸い上げたのである。1611年には薩摩は琉球を完全支配下に置き、国王・尚氏所領を8万9千石と定めた。

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