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2015年3月

2015年3月31日 (火)

争乱の戦国史193(織豊Ⅳ27): 石垣原の戦い

 一方九州では、関ヶ原決戦を前にして、豊前中津城の黒田如水が活発な動きを見せていた。如水の子・黒田長政は上杉討伐軍に加わり、そのまま東軍として関ヶ原に臨んだ。同じく肥前唐津城主・寺沢広高家康に与していた。肥後の加藤清正は東軍に属したが殆ど動きを見せず沈黙。肥前・竜造寺家執政の鍋島直茂は上杉討伐の為上京した主家の竜造寺高房と息子・鍋島勝茂が西軍に参加したため、推移を慎重に見守っていた。この状況下で自由に動けるのは如水だけであった。
193_3 如水は蓄えた資金を使い兵を雇い、忽三千五百ほどの兵を集め部隊を編成し、豊後へ向かわせた。豊後では朝鮮出兵の際の失態で秀吉に改易された大友義統(ヨシムネ)が、毛利の助力を得て、旧領回復のため活動をしていた。如水これを討つという名目で出兵したのである。1600年9月9日(慶長5)、義統は幽居先の安芸から豊後に上陸し、立石城を拠点とし、約三千の兵を集めた。
 9月13日、立石城を目指す如水軍は、石垣原(イシガキバル)(現別府市)で大友軍と衝突石垣原の戦い。大友軍を打ち破って義統に降伏勧告を行った。これを受入れ如水の軍門に降ったのは、関ヶ原の当日(9月15日)の事だった。

 如水の軍勢はその後、毛利勝信の小倉城、毛利秀包(ヒデカネ)(輝元の叔父)の久留米城を落として進撃を続け、関ヶ原に参加せず帰国した柳川の立花宗茂攻撃に参加。小西行長の居城・宇土城を落した加藤清正と鍋島勢もこれの合流するが、宗茂は清正や如水の説得を受け入れて開城したため、大規模な戦闘は行われなかった。その後の九州の東軍は、国境を固める島津勢と対峙するが、島津の粘り強い和睦交渉が功を奏し、11月12日家康から攻撃中止命令が出され、九州での戦闘は終結した
 如水は戦後、家康に協力した息子・長政に苦言を呈していることから、九州を平定してか関ヶ原の勝者と雌雄を決する積りだったので花いかとも云われている。関ヶ原に勝利した家康は、関ヶ原の功績により息子の長政には禄高大幅増加をしたのに対し、如水の行動には疑念を抱いていたと言われ、褒賞を与えることはなかった。

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2015年3月30日 (月)

春満開3 源平(ハナモモ)が艶やか

 昨日は天候も良く、気温も上がり、一年中で一番うれしい時高校選抜野球は準々決勝プロ野球開幕、そして何よりも桜が平均3分咲き。だから同じ公園内でも、場所によっては、或はによってはもう満開近く、十分に花見が出来るところがある。今日やらなければ、休みは一週間先と言った次第で、当地では福岡城跡、大濠公園、西公園といった、普段でも人出の多い桜の名所は、シートを敷いて、「花見の宴」があちこちに「花見」という宴会、即ち花はそっちのけで「春に成ったことを喜ぶうたげ」なのだ。
 さて、天候も良い中、満開の花々が多く、どうゆう順に載せるか迷うが、今日は花桃。
Photo ゲンペイ(源平)。普通のハナモモは既に載せたが、今回は紅白咲分け源平と言う品種。花桃は江戸時代にすでに8品種がつくられたそうだが、その中で、一本の木から紅、桃色、白の花が枝分かれして出来る八重咲の品種がこの源平である。接木でない不思議な木ではある。
Photo_2 その花。葉が出る前に枝を覆う程にびっしりと花を付けた。5枚の花びらを持つが、園芸種は写真のように殆どが八重咲種である。枝ごとに白、桃、紅と咲き分けるが、一輪の花で白と桃或いは紅が混じって絞模様になる場合もあるそうだ。

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2015年3月29日 (日)

春満開2 遠望のヤマザクラ

 近づけず、遠くからの山桜の写真と、ソメイヨシノ開花状況など
2 ヤマザクラ(山桜)。この写真ホントに山桜なのか遠くて不明だが、道路より30mばかり上の山裾に咲いているので山桜とした野生種の代表種が山桜。昔の和歌に詠まれたり、秀吉の吉野の花見の花はこれ。花と同時に葉芽が出るのが特徴。ヤマザクラを原種とした園芸種は多い。
Photo ソメイヨシノ(染井吉野)。平均的には3-4分咲きで、これは山裾の日当たりよく北風のない公園の桜で、一部の良く咲いている枝の部分。染井吉野は染井村(現豊島区駒込)の植木屋が江戸末期に品種改良した園芸種。明治以降に全国に広まったもので、桜の名所に因んでの名前。
Photo_2 ハナズオウ(花蘇芳)。離れたところからとったもので、はっきりしないが、大方の花の形でハナズオウと推定したもの。中国原産の豆果の花。早春に葉に先立って沢山のピンクの花を付ける。花に花柄が無いので、枝から直接花が付くのが特徴。最近は紅色、赤紫色、白もある。

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2015年3月28日 (土)

春満開1  オオシマザクラ満開!

 もう冬の名残の寒さも消えて、愈々本物の春だソメイヨシノも3~4分咲きのところもある。その前に桃を初め桜の品種によってはもう満開だ。今日はその中ですっかり満開となったオオシマザクラを紹介。オオシマザクラは日本に古くからある野生種の桜で、この桜を元に他の緋寒桜系との交配による園芸種が沢山作り出された。尚写真のこの桜は勿論野生ではなく園芸種であり、街路樹都市植えられているものである。
2 オオシマザクラ(大島桜)。ソメイヨシノより一足早く開花する白色の花を付ける桜で、野生種の一種である。樹高は15mに達する事もある由。葉の成長と共に茎の先端から数個の花を付ける。丈夫な木で潮風にも強いので庭木や公園によく用いられる。桜餅に葉はこの桜の葉が使われる。独特の香りはクマリンと言う成分。
Photo その花。花期3-4月。新葉が出来始めると茎の先端房状(散房状花序)に数個の花をつける。花は白色で、5弁淡い芳香をもつ。初夏にかけて結実し、秋に10㎜位になり、黒紫色に熟せば食用となる。所謂サクランボで甘みがある。江戸時代ソメイヨシノが出来るまで花と言えは山桜だったようで、オオシマザクラでもなさそうだという。

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2015年3月27日 (金)

争乱の戦国史192(織豊Ⅳ26): 長谷堂の戦い

 1600年7月(慶長5)西軍挙兵以来、2ヶ月に亘り、大小様々な戦いが起った。その一つ東国では、長谷堂の戦いが激烈なものであった。
 出羽国・山形城主、最上義光(ヨシアキ)は上杉征伐の際、米沢から会津に攻め入るよう家康から命じられていた。だが、家康が石田三成挙兵を聞くと、会津攻めを中止、江戸へ引返した。焦った義光は上杉に和睦を持ちかけたが、上杉景勝は最上攻めを決意、家宰・直江兼継攻撃軍編成を命じた。
 兼続は約二万の軍勢を一軍に軍に分け自らその総大将として1600年9月9日(慶長5)に山形領内へ侵攻開始。第一軍は山形城西方の畑谷城を落とし、山形城からの援軍も撃破。兼続の電撃的な進軍で、海戦数日で山形城周辺の城は長谷堂城・神山城を残して全て攻略された。
192_2 長谷堂城は山形城の西南約6㌔に位置し、これが落ちると山形城の守りは皆無となる。そこで、最上義光は9月15日伊達政宗に救援を求めた。政宗の母が義光の妹。その母がこの時山形城に滞在しており、上杉に対し講和を申し込んでいた政宗としても、救援軍を送らざるを得なかった。政宗は17日、叔父の留守政景を援軍として長谷堂城へ派遣
 直江兼続15日から長谷堂城の攻撃にかかるが、城将・志村光安以下城兵の士気高く、戦闘は膠着状態に陥る。22日には留守政景の軍が山形城東方の小白川に布陣。政景軍はそのまま動かず、見守るが援軍到着で城内の士気は一層高まった

 直江兼続は十数日にわたり長谷堂城を包囲したが、城兵の抵抗は激しく一進一退の攻防が続いた。9月29日、長谷堂城を攻めあぐねていた兼続の元へ、関ヶ原の西軍敗北の知らせが届いた。追って、上杉景勝からの撤退命令も届き、兼続は10月1日に全軍の撤退を開始した。
この機に乗じて最上勢は激しく上杉軍を追撃。上杉側は水原親憲と前田慶次郎が殿を務め、殺到する最上軍を撹乱する。兼続の冷静な退去戦により、上杉軍は10月4日に米沢城に引き上げ完了。損害もなく逆の追撃する最上勢を二千人以上を討ち取ったと伝えられる。関ヶ原に合わせ、全国各地で多くの戦があったが、奥州ではこの長谷堂城からの撤退作戦が最大の激戦だった。

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2015年3月26日 (木)

春寒に咲く3 ハナモモ(花桃)

 いつまでも「春寒」でもないか、と思うものの今朝の最低気温が最近では最低の3℃。冷え込みはきつかった。しかし昼間は最高16℃まで上がるそうだから、一応春だソメイヨシノ3分咲き位のところもあるが、暫く足踏みするかもしれない。
 ところで、福岡高裁では、昨年衆院選を「違憲」とした判決を出した。理由は「国会の取組が格差を2倍以内にすることに終始しており、裁量の行使として相当ではない」と批判した上で「是正のための合理的期間も過ぎている」としている。漸ごく普通の常識的な判断が出た思う。但し、選挙結果を無効にすれば混乱が起こること、選挙調査会の議論が続いている事を踏まえ、無効の訴えは退けた。とにかく違憲としたのは英断だ。一刻も早い是正が行われるべきだろう。
 今日も花は桜系の花で、花桃。写真は未だ苗木の大きさだが花は一人前。
Photo ハナモモ(花桃)。原産地中国。桃は古い時代に日本に渡来。花桃は花観賞用に改良された品種で多数の品種がある由。桜の前に咲くものが多い。結実もするが食用にはならない。樹高は1~7m。樹形は立性で、枝垂れ、箒立性、矮性などあるそうだ。剪定は花芽が出る前、即ち花直後に済ますべきとの事。
Photo_2 その花。花期3~4月。花色は赤、桃色、白、紅白の咲分けなど。花径は2~5cmが普通だが、写真幼い木故か1.5㎝程度。一重咲と八重咲があり、最近は八重咲の大が多く出回っているようだ。

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2015年3月25日 (水)

春寒に咲く2 ベニスモモ(紅李)も満開

 どうやら三寒四温の三寒の二日目か。よい天気ながら、空気が冷たい。さて今日は数を数える場合の単位の名前。そろそろ蝶が飛ぶ頃になったが、蝶は匹で数えるかといい加減に思っていたら、蝶は「頭」で数えるそうだ。ところでクジラも哺乳動物だからか「頭」で数える。で、同様に意外なのはウニは「壺」で数え、うどんは「玉」川は「筋」、マグロは「尾」である。最近の子供達の知っているのは個、匹位をすべてに当てているのではなかろうか。日本の文化は色んな物を数えるのに、夫々の個性を、また種類を考え数えたのだ。それを教える大人たちでさえ知らない部分が多いのでないか。大いに反省している次第。
 今日は、梅が終り、桜までに咲く花木の第2弾、ベニスモモを紹介。これは多分実を採る為に植えられと思われるベニスモモ畑(10本位植わっている)の花。
A ベニスモモ(紅李)。英名アプリコット・プラム(Apricot plum)やサイモン・プラム(Simon plum)で呼ばれることもある由。漢名杏李と書く。原産は中国。日本への渡来は不詳。小梅程の小さな実が生り、香りもよく食用として植えられているが、花も見応えがある。枝が紫色葉は赤茶色で花が終わってもずっと赤茶色で秋に色濃くなる。
Photo その花。山桜の花に似るが、花期3月上旬~5月と開花は早い。経1.5~2㎝白い5弁花。花の中心部は写真の如く濃いピンクとなっている。

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2015年3月24日 (火)

春寒に咲く 辛夷(コブシ)

 昨日までは昼の気温が20℃近く、桜も一気に開花した。が、今日からは急に冷え込み、最高気温は3日間位13-14℃との事で、外に出るとひんやりとして寒い感じである。俳句の季語にある、春寒(ハルサム)、余寒、冴え返るなどは、春分の頃暖かくなりかけて、又寒さがぶり返す状態を指した言葉だ。日本人は昔から、この暖かになり始める頃の気温変化と、つれて咲き始める花の遅速や虫や魚や小動物の出現に、春に成る喜びを大きく感受したようである。
 そうゆう春が足踏みしている状況で、福岡では木蓮が終り、コブシが8分咲きと言ったところである。コブシも日本原産の花で、昔から生活に密着してきた花で、農作業はこの花の咲き始めを見て田ごしらえをしたといい、「田打ち桜」の別名を持つ。
Photo コブシ(辛夷)。コブシは果実がデコボコしており、握りこぶしのようなところからきた名前。枝を折ると芳香が湧出するという。日本、朝鮮半島が原産地で、九州、本州、北海道及び済州島に分布。コブシがそのまま英名、学名になり、Magnolia kobus である。庭木、街路樹、また建材(樹皮を付けた茶室の柱)となる。
Photo_2 その花。開花3-4月。枝先に6-10cm径の花を付ける。花色基部は桃色を帯びる。花弁は6枚、幅の狭い花びらで、全開する。葉に先立って花が咲く。雌しべは花の真中に沢山あり、緑色雄しべ橙色で雌しべの周りを囲むように沢山ある。花蕾鼻炎や鼻づまりに効果あり辛夷(シンイ)と言う生薬がある。又花は香水の原料となる由。

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2015年3月23日 (月)

サクラ開花宣言 満開は終末

 福岡地方、昨日サクラ開花宣言が出て、週末にも満開との予報。今日は今咲いている花木。
Photo カワヅサクラ(河津桜)。丁度今河津桜が満開である。オオシマザクラとカンヒザクラ自然交配雑種。この種の桜が意外に多く植わっていて、この他、今は桃や花桃などもあり、梅や桜との区別もつきかねている。
Photo_2 ヤエツバキ(八重椿)。花弁の大変多い珍しい椿が目についた。が、品種名が判らない。八重椿の”鹿児島”の花の白い班が抜けたような”マツカサ”と言う品種かなあー? 他では見掛けない珍しい椿。
Photo_3 不明花。民家の庭先外れに咲いている、樹高2m位の木。ついている花は白いマンサクのような細い短冊形の花びらが沢山付いている名前の判るか方教えてください

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2015年3月22日 (日)

争乱の戦国史191(織豊Ⅳ25): 関ヶ原敗者の戦後

 関ヶ原合戦での小早川秀秋の他、前回記述の吉川広家は毛利を守る為、毛利輝元の西軍盟主は本意でなく祭り上げられたものだと、家康に弁解し輝元無事を願い出た。これに対し家康からは1600年9月14日(慶長5)付で、輝元や広家らに対し、如在無い分国も現状通り約束した。合戦後の22日、輝元は福島・黒田宛並びに本多・伊井宛に執政しを感謝。分国安堵を喜び、大阪城を明け渡した
 東軍は三成の佐和山城を落とし24日に大阪城西の丸を請取った27日家康は本丸で秀頼に戦勝報告後、西の丸に入った。この戦争は豊臣と徳川の戦いでなく、秀頼は何の拘わりもないというのが、家康・東軍諸将、淀殿等の公的見解であった
191_2 土佐・浦戸城22万2千石の領主・長宗我部盛親は三成が挙兵すると西軍に加担。六千六百の兵を率いて宇喜多秀家に従い伏見城攻撃に参加、更に伊勢侵攻、安濃津城攻略に加わった。関ヶ原では南宮山麗に陣を敷き毛利勢を見守る。ところが吉川広家と家康の密約により不戦。盛親もこれに倣い土佐へ逃げ帰った。戦後、家康に謝罪したものの結局領土は没収され、山内一豊に与えられた。馬上の家康画像(大阪歴史博物館蔵)
 小早川秀秋は佐和山城攻めに加わり9月18日に攻略。この功により、宇喜多秀家の旧領から備前美作の五十万石を与えられ、岡山城に入ったがその僅か2年後21歳の若さで病没した。
 毛利輝元は先ほど大阪城を明渡し毛利家安泰と考えていたが、家康は西軍総大将を務めた毛利に厳しく、120万石の領土は没収。吉川秀家の奔走に拘わらず、広家の功績に免じ、毛利は周防・長門の二国36万9千石に大減封されて存続した。

 西軍の実質的主将であった石田三成は再起を図る為戦場を離脱したが、9月21日伊吹山中で捕えられた。同じく逃走した小西行長も伊吹山中で、安国寺恵瓊は京都潜伏中を捕えられ、10月1日、この三人は京都六条河原で処刑された。
 筑後国・柳川の立花宗茂は西軍に加担し大津城攻略に活躍したが、関ヶ原決戦には間に合わず帰国。その宗茂に清正や如水らはその軍略家としての才能を惜しんで降伏を勧告。宗茂はこれに従い城を明渡し、柳川を去った。しかし、その声望は失われず徳川秀忠に取り立てられ、大阪の陣に参戦。旧柳川領主に復帰する。
 適中突破で薩摩へ逃げ帰った島津義弘は、防備を固めて、家康と交渉。関ヶ原で快勝した家康は、豊臣恩顧の大名も健在であり、島津暴発を恐れて1602年12月(慶長7)には家督を継いだ島津家久を上方で引見し領国を安堵した。

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2015年3月21日 (土)

春の花々12  馬酔木

 今日から選抜高校野球が始まった。今その開会式が終わったところである。式の司会進行は女子高生が行い、正々堂々とした態度も清々しく、又選手宣誓も臆する事無く落着き立派のものだった。入場から優勝旗返還など一連式進行ののやり方も従来のやり方よりも工夫され気持ちの良いものだった。今年は87回だが、始まって丁度100年目だそうだ。記念すべき大会、事無く終了する事を祈る
 今日は花木の中で、薄いピンク系の花を付けた馬酔木の園芸種があったので、撮って来たものである。
Photo アセビ(馬酔木)。学名Pieris japonicaの通り、日本原産で、日本自生するアシビとも呼ぶ。和名は枝葉にアセボトキシンという有毒成分を含み、馬が食べると酔ったようにふらつくところから、足廃(アシジヒ)と呼ばれ、それがアシビ→アセビとなった由。葉を煎じたものは殺虫剤となる。新芽は光沢のある赤色で、花と同じぐらい美しい
Photo_2 その花。花期3月上旬~4月下旬。早春から枝先に複総状花序を垂らし、多くの白く壺状の花を付ける。小花の先端は浅く5裂している、下向きなので花の中が判らないが、ドウダンツツジやスズランに似た花。この写真の花は園芸種でピンクの花を付けている(アケボノアセビか?)。花後は扇球状の果実を付ける。

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2015年3月20日 (金)

春の花々11 白木蓮が咲いた

 チュニジアでのイスラム過激派によるテロにより、日本人が3人死亡し、3人が負傷したという。チュニジアは古代カルタゴと呼ばれ、紀元前8世紀に建国され、地中海貿易で繁栄した国である。名将ハンニバル(紀元前200年頃)は象でアルプスを越えてイタリア半島に侵攻し、ローマ帝国の首都ローマを陥落寸前まで追い込んだが紀元前146年に滅亡した。現在は今年2月に連立政権が発足し、民主化のモデルとされている。歴史遺産が豊富で、国民の2割が観光業に従事しているという国だ。唯、ISの戦闘員の一大供給国にもなっており、過激派の流入が問題になっている。この様な時期での観光等での中東への旅行を控えるべく外務省も指導はしていたようだが、最終的には個人の意思での問題故、個人個人が今の状況をよく把握すべきだろう。
 さて、愈々桜開花を控えその前に咲く、桃や今日のモクレンなどが、ここ数日の暖かさで一気に開花したようだ。そのハクモクレンが、空一杯に咲いたので撮ってきた。
Photo ハクモクレン(白木蓮)。木蓮の原産地中国南西部(雲南省、四川省)。日本には古い時代に渡来。英語国に伝わった時、Japanese magnoliaとされたので、日本が原産国と誤解される由。単位にモクレンといえば紫木蓮を指す。白木蓮との雑種で薄いピンクのサクラモクレンもある。コブシが真直ぐ枝を伸ばすに対し、木蓮は斜めに伸びる
Photo_2 下その花。花期3月中~5月花弁9枚に見える6枚が花弁で3枚は萼。花径は8-10㎝、花弁の幅が広く、厚みがある。上向きに閉じる様に咲く。(辛夷は全開)。青空に清楚で白い花を一杯に咲かせ、そそり立つ感じが、よく俳句に詠われる。尚、花弁は太陽の光で南側が膨らむので、花は北向きに咲くので「磁石の木」の呼び方がある。

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2015年3月19日 (木)

春の花々10 沈丁花

 先に人口の増加が都市部に集中して”一極集中”が進み、国が掲げる地方創生とは逆方向の進行が止まらないことを書いたが、土地の公示価格の上昇も、人口増加のある地域が上昇し、人口減少が進む地域は、地価は下落している。これに拍車をかけるのが、交通通信網の発達である。北陸新幹線が金沢まで延伸してゆくが、これら地方の中核都市の持つ機能がより充実した大都市に近くなる事で、不要となる結果地方都市は衰微して行くことが、これまでの新幹線延伸地域で見られた現象なのである。要するに、政府が言っている事と、やっていることが全く正反対のことばかりやっていることの証明をしている訳だ。
 尚、日本国内の地価上昇は、世界的にカネ余り現象があり、余剰のおカネが日本に向けられ、国外からの需要による価額上昇もあることを念頭に置く必要がある。
 これまで草花だったので、今回から花い木の花を紹介して行こう。今日はそろそろ終わりに近づいている沈丁花。
Photo ジンチョウゲ(沈丁花)。チンチョウゲともいう。沈香(チンコウ)のような良い香りと、丁子(チョウジ)のようなを付ける木ということから来た名前。原産地中国南部日本には室町時代の頃、すでに渡来、栽培されていた由。挿し木で増える。葉は花を囲むように放射状につく。葉の形月桂樹に似ている。
Photo_2 その花。花期2月末~5月初め。写真の如く蕾は濃紅色だが、開いた花は淡紅色雄しべは黄色強い芳香を放つ。枝先に20ほど固まって花が付く。花芽は前縁の秋までに出来ており、寒い時期は3か月間以上は蕾のままで過ごす。花間は花後の6~7月頃にはできているという説もある。故に花後にすぐ剪定しないと、花数が減る。

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2015年3月18日 (水)

争乱の戦国史190(織豊Ⅳ26): 関ヶ原 東軍が制す

 1600年9月15日の関ヶ原の合戦、宇喜多秀家の軍勢は開戦直後から東軍の福島政則による猛攻を受けたが、これを押し返し善戦を続けたものの、兵の疲労がたまりつつあるところへ小早川の裏切りが起ったのである。
 小早川の裏切りを聞いた宇喜多秀家は怒り狂い秀秋の本陣へ突撃、斬り死しようとしたが、家臣に諫められ戦場を離脱。既に大谷吉継隊は全滅、小西行長隊も秀秋の軍勢に襲われ敗走、宇喜多勢だけで戦場の流れを変えるのは不可能だった
 東軍は家康の本体や山内一豊らも攻撃に加わり、一気に形成を逆転。残る石田三成の軍勢に対して総攻撃が行われた。もはやこれまでとみた三成は午後二時頃、伊吹山方面へ敗走した。
190 西軍の配色が濃くなると、それまで戦闘参加を避けていた島津義弘と其の甥・豊久は、的中突破による戦線離脱を決意した。義弘は少数の旗本に守られ福島政則勢の前をかすめるようにして、伊勢方面へ突進した。幸い、東軍の主力、黒田長政、細川忠興らの軍勢は三成の追撃に集中しており正則も敗走する島津勢に襲い掛かるそぶりはなかった炎上する西軍陣所を後に島津軍敗走の図(大阪歴史博物館蔵)。
 島津勢を追撃したのは、松平忠吉、伊井直政、本多忠勝ら一部の武将のみ、島津側は豊久を初め多くの犠牲者を出しながらも追撃をかわし、義弘は伊勢路から堺・大阪を経由して瀬戸内海へ逃れ無事薩摩に帰還した。

 南宮山に陣を敷いた毛利秀は、関ヶ原の勝敗を握っていたと言える。秀元や安国寺恵瓊ら毛利勢が東軍を挟み撃ちしていたら家康に勝ち目はなかった
 恵瓊は当初から三成に加担していた。これに対し、毛利と徳川の対立を避ける画策をしていたのが、吉川広家だった。広家は恵瓊を毛利家に仇なすものと嫌い、家康家臣・本多忠勝密約を結んで戦闘不参加を決めていた。
 毛利全軍の采配を任されていた広家は、三成からの戦闘参加要請をすべて無視。恵瓊の軍勢も広家牽制の為動けず、結局毛利勢は戦わずして戦場を離れた。
 午後4時頃すべての戦闘が終り、関ヶ原の合戦は東軍の勝利に終わったのである。 

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2015年3月17日 (火)

春の花々9 キルタンサス

 民間の有識者会議「日本創生会議」の分科会が昨年推計した「消滅可能都市」(人口減少による消滅)の上位100市町村のうち、過半数の52市町村では直近の首長選挙が無投票になっていると報じている。地方の衰退によるもので、「20~39歳の若年女性人口の減少率」を指標として消滅可能性を見ているが、無投票は自治能力の低下示すもので、無投票が続くと危機が人ごとになり無力化、沈滞化を招くので消滅に近づくという。地方創生の掛け声と裏腹なのが現実である。政府の本気度をはっきりさせる施策を実施する事が肝要だ。
 さて、今日まで、春の草花を載せよう。今日はキルタンサス。最近、道端の花壇や民家の庭に良く植わっている。長期花が咲く事と、花の少ない冬型種がある故か。
Photo キルタンサス(Cyrtanthus)。この写真の花はキルタンサス属の中の冬成育型のマッケーニ種の系統である。南アフリカ原産で、約50種が同地に分布。小球根の植物で、草原、岩場に自生。名前はギリシャ語キルトス(曲がった)とアンザス(花)から成っている。日当たりを好み、半耐寒性で、霜、凍結が無ければ大丈夫。屋根下に入れれば安心。夏は枯れずに休眠
Photo_3 下その花。やや下向き加減に咲くので、蕊を入れればこんな写真。開花期1-3月。地際から細長い葉を出し、その間から花茎長く伸ばして先端に数輪から十数輪の花を咲かせる。花は細長い筒状で、緩やかに湾曲し、斜め上~下向き咲く。花色オレンジ、黄、白、朱、ピンク

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2015年3月16日 (月)

春の花々8 芝桜

 今日の天気予報は気温も最低7℃、最高17℃で、午後は傘マークがついていたが、実際は午後になっても薄曇り(明るい薄曇り)で生暖かい感じ。もうよもや”春寒”と言ったことにはならぬだろう。梅の後の桃が咲き、引続き桜と花は移ってゆく年中で一番いい季節である。
 今日のブログは昨日に続き草花のシバザクラ。
 Photoシバザクラ(芝桜)。別名ハナツメクサ(花詰草)。北米東部原産。春桜に似た形の淡赤薄紫或いは白色の花を咲かせる。草丈10cm、匍匐性があるので芝桜と名付けられた。世樹枝分かれして地面を覆い尽くすように密生する。又寒暑や乾燥に強く常緑のため、芝生代わりに植えられることもある。
Photo_2 その花。花期3月下旬~4月末。花色はピンク、白もある。梅雨や夏の湿気に弱く、花後の5、6月頃に、一旦半分切戻しておくと夏越ししやすい。そうすれば根際から、細かく枝分かれした茎に沢山花を付ける。5弁の花は花弁の先が欠けて桜のよう見える

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2015年3月15日 (日)

春の花々7 カルセオラリア

 花木の紹介が続いているので、今回から草花を見てみよう。先ずは園芸花からご覧頂こう。今日はカルセオラリア気難しい名前だが和名ではキンチャクソウ(巾着草)と結構古めかしい名前の花。
Photo カルセオラリア(Calceolaria)。原産地中・南米で凡そ400種が分布。日本には大正時代に渡来。ゴマノハグサ科の花で、和名は袋状に膨らんだ花が特徴的なところからの巾着草。これは園芸種のフルティコヒブリダ種のミダス。イギリスで育種され、ドイツで盛んになった種の由。主に鉢植えで露地植にも使われる。日当たりが悪いと花数が少ない。
Photo_3 その花。花期2-5月花色黄色、オレンジ、赤などがある。黄に赤の斑点が入ったのや、赤と黄のツートンカラーもある。これは小輪多花性種で、花茎を長く伸ばしその先端に沢山の花が群れる様についている。他に花径5cmもの大輪種もある由。

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2015年3月14日 (土)

春の花々6 トサミズキ咲く

 今日は朝から晴れ上がり、雲も殆どない快晴だ。天気予報では最高15℃。もう完全に春である。そんな時、毎年見ているトサミズキがもう咲いて居る頃だろうと思って回り道してみると、予想に違わず咲いていた。この木(ボク)は庭木であり、可なり太い(幹の啓は10cmほど)ので、若木の様には花が密集してない。その花を撮って来た。
2 トサミズキ(土佐水木)。原産地日本(四国)故の名前。高知の蛇紋岩地に野生のものが多い由。海外へは19世紀シーベルトにより紹介され、海外ではヒマラヤに数10種が知られる。日本には他に日向水木や霧島もある。ミズキの名だがマンサク科の花。葉は花後に出てくる。
Photo その花。花期は3-4月。穂状花序で、黄色い花ぶら下る様に下向きに咲く花穂が伸びて、7輪前後の(写真のようにくっついて)花を付ける。雄しべの先端の葯が暗い紅紫色をしている。花芽形成は夏なので、剪定開花後の5~6月頃に済ませる(花芽を切ると花数が減る)。

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2015年3月13日 (金)

争乱の戦国史189(織豊Ⅳ25): 関ヶ原 西軍奮戦

 1600年9月15日(慶長5)、関ヶ原開戦後約2時間、三成盟友・大谷吉継は、東軍の寺沢広高、藤堂高虎、京極高知らを相手に善戦していた。病の為輿に乗って指揮し、広沢隊を簡単に退け。続く藤堂・京極勢を翻弄した。
 小西行長も井伊直正、松平忠吉(家康4男)、本多忠勝、織田有楽(信長弟)を相手に善戦を続けており、西軍が優勢な戦況であった。苛立つ家康は味方鼓舞の為、桃配山を下り、本営を前線に移動させて直接指揮に当たった。が、松尾山の小早川秀秋と南宮山の毛利秀元が敵の側面と背後から攻撃すれば東軍を一気に殲滅出来たであろう。しかし、小早川勢と毛利勢は動く気配を見せなかった
189 午前十時になると、両軍に疲れが見え始めた。三成は膠着状態となった戦局打開のため、狼煙を上げて松尾山・小早川、南宮山・毛利に戦闘参加を促した。だが、両者はこれを無視して動こうとしない。一方の家康も、黒田長政を通じて東軍への寝返りを約束しておきながら一向に動かない小早川秀秋にいら立っていた
 この時、秀秋は三成と家康を天秤に掛けていたのである。一旦は家康に味方する決意であったが、三成から関白への叙任を持ちかけられ、決心が揺らいだ。為に、秀秋はぎりぎりまで戦況を見極めようとしていたのである。図は小早川秀秋画像(高台院蔵)。
 当然ながら、秀秋の元には両軍からの催促の使者が何度も訪れが動じず、正午ごろ堪り兼ねた家康は秀秋の陣へ鉄砲を撃ちこむよう命じた。もし動かぬなら敵とみなすという警告であった。いきなり鉄砲を撃ちかけられた秀秋は家康の怒りに震えあがり漸く腰を上げた。家康は賭けに勝ったのである。尚鉄砲は大砲だったという。

 小早川秀秋の軍勢約一万5千は一斉に松尾山を駆けおり大谷吉継隊の側面と背後から襲いかかった。だが、吉継は裏切りを予測しており、わずか六百程の兵でよく戦った。ところが、吉継指揮下の4隊が秀秋に呼応して突然友軍に襲い掛かった。かくして吉継軍は次第に追い詰められ、家臣に離脱を命じ、自身は自刃し大谷隊は全滅。 これで勢いづいた東軍は、西軍への総攻撃を再開したのである

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2015年3月12日 (木)

春の花々5 ミモザが咲く

 昨日東北大震災の日、今日の新聞震災と原発に関する記事が多かった。そして昨日はテレビでも被災地の生々しい現状が映し出され、復興の遅れで、避難生活を余儀なく続ける人々、もう帰郷を諦めた日々の現実を画像で見ると、胸が痛む。せめて、この人達に明日への希望と確実に到来する未来の姿を描かしめることが、今行政の一番の責務と思う。どうか被災者に夢を持たせて下さい!
 今日は春をキメル花ミモザ。但し当地では昨年の今ご満開であったのに、今年は未だこの状態。大方の花が昨年より遅いようだ。
Photo ミモザ(Mimosa)。本来マメ科のオジヂソウを指す名前。葉に触れると動く事から古代ギリシャのパントマイムminosからこの名がついた由。日本語のミモザフランス語の発音に由来。別名フサアカシア、ギンヨウアカシア。豪州原産、日本には江戸時代初めに渡来南アフリカでは、樹皮からタンニン、ゴム採取のため栽培
Photo_2 その花。開花期3月上旬~4月中旬黄色い球形の花が枝一杯にびっしりと付く。房状の花は明るく、華やかなので、植物の少ない花材として重宝される。特に洋風の生け花として人気がある。写真は蕾の多い中で、比較的開いた部分の花を撮ったもの。

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2015年3月11日 (水)

春の花々4  ゴールデンクラッカー

 今日は東日本大震災からまる4年いやこの表現は間違っている震災はまだ続いている。故に「東日本大震災の5年目」である。先日来、例年の如く3月11日前になると、当時の映像再映と合わせ、今現在の様子が紹介される。「復興の兆し」が見え始めたと表現される如く、未だに被災後のままの風景や仮設住宅での生活、国と地方自治体のずれの問題等々、観るに偲びない映像がテレビを占める。結論は行政の復興への取組に「現場の人々の心が読めてない」ことに尽きる。体制、お金など形を整える事は勿論大切だが、一番必要な心が入っていない。そんな気が強くしたこの2、3日だった。
 今日は春の花とはいっても、これ1ー5月に咲く、木の花である「ゴールデンクラッカー」
Photo ゴールデンクラッカー。別名ユリオプス・ゴールデンクラッカー。南アフリカ原産。ユリオプス属の中のバージネウスと言う品種。最近多く植わっているユリオプスデージーとは同じ仲間常緑低木で、木の仲間。枝は松葉を細かくしたような細い感じでその先に1cm程の黄色い花を枝一杯につける。耐寒性は強い方で暖地では地植えで越冬可能。
Photo_2 その花。枝先の花がまるで弾ける感じに咲くところから、クラッカーの名がつく。枝先に鮮黄色の小さな花がまとまって咲く。寒い時期から春にかけて咲く。日当たり良く、通風の良い場所を好む。夏は半日蔭が良い。尚繁殖は挿し木で行えて、5-6月が適期。病気は特になく強い。

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2015年3月10日 (火)

春の花々3  寒緋桜(カンヒザクラ)

 愈々最後の寒さの峠・奈良お水取りのフィナーレ近づき、今日の福岡の最高気温は6℃との予報。幸い照ったり曇ったりで、午後は晴の予報。今日は寒いので家に閉じこもってパソコンとテレビで過ごそうかと思っている。
 今日は春の花3弾・カンヒザクラ。但しこの樹も風通しのいいところで寒いせいか、残念ながらやっと咲き始めたばかりの状態。おまけに曇天下の写真で上の写真は逆光のような感じとなってしまった。この花、ヒカンザクラ(緋寒桜)ともいうが、ヒガンザクラと混同しやすいとしてこの表記にするそうだ。
Photo カンヒザクラ(寒緋桜)。別名タイワンザクラ、ヒザクラなど。中国南部から台湾にかけて分布。沖縄や奄美地方では、開花予想と言えばこの桜のことだそうだ。沖縄では1-2月開花。樹高が10mにも達する、亜熱帯性の桜だが、比較的耐寒性があり、関東でも育つという。
Photo_2 その花釣鐘状下向きに咲くのが特徴。中国語でも鐘花桜花と言う由。この桜とオオシマザクラの自然交配雑種がサトザクラ(河津桜)である。緋紅色の花を半開して下向きに咲く一重咲きなので、この花は下から見上げて見ると良い様だ。一つの芽から2-3個の花が咲き、花柄、萼筒とも無毛である。花後の核果卵円形で、赤く熟す

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2015年3月 9日 (月)

春の花々2  桜桃(サクランボ)

 今朝の新聞によると、福島原発の事故での放射性物質による汚染が著しいとされる「除染特別地域」で活躍したボランティアが、これまで少なくとも3万人余に上るという。草刈りなど国の除染同様の作業も2500回以上実施。「労働者」でないため、法令上の被曝管理の対象外のボランティア国の施策を補完しているが、このボランティアを守る仕組みが一切なされたないという。特に、国直轄地域での活動が殆ど把握されてないという。
 労災法に基づく労災補償一切受けられない。(ボランティア保険も放射線被ばくは対象外)。これは由々しき問題だと仰天している。何とか被曝防止の措置を早急に採るを願い、又ボランティアも充分な知識と準備の上で取り組んでほしいと願う。
 さて、春の花、今満開桜桃(サクラ亜属で桜の一種)が満開である。
Photo オウトウ(桜桃)。通称サクランボ実桜(ミサクラ)、又は桜桃サクランボという言い方もある。サクランボは桜の坊(桜の実の意)から来たという。品種は1000を超えるほど多いとか。サクランボは有史以前よりたべられていたそうで、甘果桜桃イラン北部からヨーロッパ西部に野生していた。又酸果桜桃の原産地はアジア西部のトルコ
Photo_2 その花普通の桜と同じ日本には江戸時代清から伝わり西日本でわずかに栽培されている、中国・華北、華中原産の支那桜桃又は唐実桜と呼ばれる暖地桜桃である。材が家具や彫刻に使われている。尚、実が大きくて箱詰めにされ販売されているサクランボはセイヨウミザクラと呼ばれ、日本に伝わったのは明治初期、北海道に入り、順次全国へ広まった。尚桜桃ユスラウメとも読むが、別物

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2015年3月 8日 (日)

争乱の戦国史188(織豊Ⅳ24): 関ヶ原 両軍激突

 石田三成が大垣城を出て関ヶ原に向かったという報は、1600年9月15日深夜2時ごろ家康の元に届いた。思惑通りの展開に喜んだ家康は、全軍に関ヶ原めざし前進の命令を出した。関ヶ原は西に笹尾山と天満山が並び、北に伊吹山系、東南に南宮山、西南に松尾山に囲まれた東西4㌔、南北2㌔盆地中山道が東西を貫き、中央付近から北西に北国街道、東南に伊勢街道が伸びる交通の要衝でもある。
 三成笹尾山に本陣を置き、天満山に宇喜多秀家、松尾山小早川秀秋を配し「鶴翼の陣」を敷いて東軍を待ち構えた。家康は関ヶ原の東南の桃配山に本陣を置き、東西の各隊も午前6時頃までには関ヶ原に着陣した

 前からの雨はやみ霧が立ち込める中、東軍約7万4千、西軍約8万が対峙。二時間ほど睨み合いが続く中、午前8時頃家康の家臣・伊井直正と家康4男・松平忠吉が少数の兵を引連れ、福島政則勢の横をすり抜け、正面に出ようとし、先陣と決まっていた正則の先鋒隊長に咎められたが、物見と言ってすり抜けいきなり西軍の宇喜多勢に鉄砲を撃ちかけた。これを合図に天下分け目の関ヶ原の戦いが始まった
188 伊井に出し抜かれた福島政則もすぐに宇喜多勢と戦闘状態になった。両者間での激しい銃撃戦が続いた後、白兵戦に移ると正則の軍勢は押し戻された。やや西軍優勢ながら、一進一退の戦闘は2時間ほど続いた開戦1~1.5時間後の対戦状況
 開戦の発砲の直後、石田三成、小西行長らの陣から戦闘開始の狼煙が上がり、両軍入り乱れての激戦となった。中でも三成が陣を置いた笹尾山には黒田長政、細川忠興、加藤嘉明ら東軍の諸隊が猛然と襲い掛かった。笹尾山の陣地は竹矢来も二重に設置され実質主将の三成を6千の兵が守り、中でも参謀の島左近がついていた。
 開戦1時間ほど経過した午前九時頃、島左近が打って出ると、黒田長政と正面から衝突。その背後に細川忠興、加藤嘉明らが控え、数では圧倒的に不利だったが、左近は百人の精鋭を自在に操り、黒田勢を次第に押し戻した

 一時は窮地に陥った黒田勢も別働隊を率いる菅六之助が左近の側面から鉄砲を撃ちかけ形勢が逆転した。劣勢になり一旦左近も戦線を離脱した。勢いを得た東軍は黒田、細川、加藤に加え田中吉正、生駒一正が一斉に石田勢に襲い掛かり、笹尾山周辺が大混戦となった

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2015年3月 7日 (土)

春の花々1  満開近いサンシュユ

 昨日は曇天だったが、雨も降らずやや春めいた天候だったので、車で10分ほどの近郊に出て見た。田圃に囲まれて林から突き出たところに窯元がある。そこは勿論年中焼き物をやいてるが、其処の庭と言うか、菜園と言うような広い場所には、梅、桜、をはじめ種々の花木が植わっていて、6月位まではいつ訪問しても花がある
 で、咲く昨日は其処で、今の花を撮らせて頂いたので、順次紹介しよう。
Photo サンシュユ(山茱萸)。別名ハルコガネバナ原産地中国・朝鮮に分布。江戸時代享保年間に半島経由で、漢種の種子が日本に持ち込まれ、薬用植物として栽培されたという。日当たりの良い肥沃地に生育する。花後の果肉は生薬に利用され、「サンシュユ」の名称で日本薬局方に収録され、強精薬、止血、解熱作用があるという。
Photo_4 下その花花期2月上旬~4月上旬。花芽は褐色の総苞片4枚が蕾を包む。2月になるとそこから花芽が、葉に先立って枝先散形花序をつけ、1つの花序には10~30個をつける。花弁4枚ある鮮黄色の小花を集めて付ける(写真の通り)。花弁は反り返り、雄しべは4個。秋には紅色の楕円形の実を付けるが、渋くて食べられない。これから、別名アキサンゴ、ヤマグミの名がある。茱萸はグミの事。

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2015年3月 6日 (金)

ネットスーパーが過熱  春は足踏み・柊南天

 インターネットを通じて販売するスーパー商戦が過熱、との記事が目についた。なんでもネットと言うのは私はあまり好きでない。言葉を介さない意思の伝達は、心が伝わらない気がするからである。人間は人と人が目と耳で互いに接触して生きる動物なのである。が、今の時代、高齢化が進み、店舗にに足を運べない人や、重いものが持ち運びできない向きにはこれほど便利なものはないであろう。今のところ西友、イトーヨーカ堂、イオンなど大手スーパーが次いで参入とあり、年商1000億円の市場という。その内自分も世話になるかも・・・。
 今日は啓蟄。愈々春だが、未だ気温が下がる天気予報である。やはり奈良のお水取済むまで本格的な春は来ないようだ。今日の花の柊南天も御覧のように葉が冬の寒さで「紅葉」したまま、まだ緑が戻らぬ状態で花を付けている。
Photo ヒイラギナンテン(柊南天)。原産地中国・台湾で北米・中米に分布し、約100種がある。別名トウナンテン学名Mahonia japonicaであるが、日本には江戸時代前期に渡。葉は奇数羽状複葉で、互生し、小葉は硬く柊に似て鋸歯が棘となる。常緑で落葉しないが、冬には写真の如く赤銅色に紅葉する。
Photo_5 下その花。春先に総状花序に黄色い花を付ける。その中の雄しべは昆虫などが触れる刺激で内側に動いて花粉を雌しべになすりつけて受粉する。花後の果実は液果で、ブドウような房状なり、青又は黒紫色に熟し、これも綺麗である

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2015年3月 5日 (木)

琵琶湖の起源説が変わる?  オオカタバミが咲いている

 現在の琵琶湖の起源、「三重県伊賀地方に約400万年前に出来た小さな湖が、地殻変動で北上して琵琶湖になった」と言うのが定説であった。が、琵琶湖固有の生物種の遺伝子解析などから50万年程度遡る可能性が出てきた。それは「琵琶湖は約450万年前、東海地方に有った巨大湖の一部だった」とする仮説が出てきた
 即ち、津市(三重県)の400万年前の地層から琵琶湖固有のスズキケイソウに似た珪藻の化石が発見されたが、この発掘地点は東海湖の範囲であり、広い湖に適応して進化したと見られる。これら遺伝子研究から、琵琶湖のもとになった大山田湖が、東海湖の一部だったとする説が浮上したもの。これを検証するため琵琶湖博物館が15年度までの5年計画で研究を進めている。遺伝子解析技術の進歩によるものであり、やがてこの成果が出るだろう。
 ところで、今日はこれから花が広がるであろう大黄花酢槳草を紹介。
Photo オオキバナカタバミ(大黄花酢槳草)。オキザリスの一種でカタバミの花が花径1cm弱に対し、これは花径1~2㎝位の花を付ける。南アフリカ・ケープ地方が原産地で、日本には園芸種として渡来、関東地方で逸出し野生化。葉は3出複葉(1枚の葉が3つに分かれた)で、暗紫色の班が入っている。
Photo_2 その花散形花序(枝先にをだし1個ずつ花が付く)をだし、花径2cm前後の花を付ける。花弁は5枚。花も葉も曇りでや雨で閉じ陽がさすと開く。花後には蒴果が出て、熟すとはじけて種子を散布する。花期春から秋

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2015年3月 4日 (水)

争乱の戦国史187(織豊Ⅳ23): 西軍 大垣城を出発

 1600年9月14日(慶長5)、美濃赤坂に着陣した徳川家康は、石田三成ら大垣城に集結する西軍主力への対応を検討していた。西軍がこのまま大垣城に拠って戦った場合、戦闘の長期化は避けられない。攻城戦は消耗が激しい上、大阪城からの援軍が到着すれば東軍不利な状況に追い込まれる。かといって、これを無視して兵を西へ進めると、大垣城の敵に背後を衝かれる心配があった。
 そこで、家康秘策をねって「本軍は先ず佐和山城を落とし、更に伏見、大阪へと兵を進撃する」という軍令を発した。この情報はすぐに西軍の知るところとなり、三成を始め大垣城に集まった武将たちを激しく動揺させた。かって、家康は三方ヶ原に於いて武田信玄の老獪な挑発に乗せられ、浜松に出て壊滅的な打撃を受けた。家康はこの失敗を生かし、大阪へ向かうという偽情報で西軍を大垣城からおびき出そうとしたものと思われる。

 案の定、三成らは罠に罹った。大垣城の島津義弘や小西行長はこの偽情報に敏感に反応し、家康本隊に夜襲をかけるよう三成に進言。しかし、折から降り出した雨に三成が躊躇している間に、関ヶ原の大谷善継から大垣に重大な伝令が届いた。
187 同じ9月14日、関ヶ原を一望する松尾山には西軍の小早川秀秋が着陣していた。秀秋には疑念を持っていた大谷善継が「秀秋には家康への内通の疑いがある。裏切り者を出さないためにも西軍の戦力を一ヶ所に集中すべきだ」と三成に告げてきた。朝8時の着陣図
 盟友・大谷吉継の進言で、三成夜襲策を捨て、又当初に持久戦も諦め、家康よりも早く関ヶ原に大軍を配置し有利な立場で決戦に臨む決意をした。
 14日夜大垣城の西軍は雨の中を秘かに関ヶ原を目指し進軍を開始。三成が関ヶ原の到着し、中山道と分岐する北国街道に跨る陣を敷いたのは、明けて15日の深夜一時頃だった。
 家康はほくそ笑みながら、関ヶ原を見下ろす桃配山に上って本陣をしいたのであった。丁度、、毛利一族や大谷吉継の陣形配置は終わっており戦闘開始氏を待つばかりであった。

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2015年3月 3日 (火)

椿が見頃

 山茶花も終わり今頃は椿が沢山咲き始めた。中でも園芸種の華やかで豪華な椿が目立つ。本来、藪椿が好きで、探してみると山林、或は道路際の山裾など、昔からの椿が残っており、それが今満開。というか、樹下には落ちた椿の花が沢山ありこれ風情がある。
 今日の椿は、日ごろ散歩で立ち寄る鎮守の神様の境内の椿。今年は花数が多い
 Photo
 上ツバキ(椿)。ツバキ科のツバキ属。東南アジヤ~ヒマラヤにかけて260種が分布する。葉の特徴は光沢があり、艶葉木(ツヤバキ)と呼ばれたのが語源とか。古くより庭木とされ、江戸時代多くの品種が作出された。16世紀に欧米に渡り、「西洋ツバキ」が作出された。種(タネ)からは椿油が撮れ、化粧品や食用となる。
Photo_2 その花。花は単生で、蕚片5枚~7枚花弁5または7枚が基本であるが、重ねの多い八重咲も園芸種で増えている雄しべ多数あり、放射状に黄色の雄蕊が広がり、梅蕊咲きと言われる独特の花形もある由。花色白、ピンク、赤、赤紫が基本で、複色花も増えている。

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2015年3月 2日 (月)

早咲き桜が開花

 昨年の今ごろには満開となっていた桜が、今年は今頃漸く6分咲きと言った状態になったので、撮って来た。昨年、花の形や、樹皮から見て桜であることに間違いないとして、各種図鑑を検索の上、伊豆多賀赤桜としてアップしたものである。が、今年この種の各種写真を見るとそっくりのも多いが、やや異なることもあり、上記種に断定してはいけないかと「早咲きざくら」と銘した次第。
Photo 早咲き桜伊豆多賀赤桜と思しき桜。写真は曇天下での撮影で白っぽくなっているが全体に薄いピンク系ではある。カンヒザクラとオオシマザクラの交配種で、熱海の角田春彦氏の開発した交配種である。昨日アップした河津桜と同様の交配種の様である。昨年の今ごろは満開であった。
Photo_2 その花。淡紅色の5弁花で、一重咲き。一般には3月中旬と言われるが、前述の如く例年3月初めに満開となる。
 

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2015年3月 1日 (日)

初めてみた河津桜

 勿論、近辺にこの桜がある訳ではない。早咲き桜として有名な名前は知っていたが、お目にい掛ったのは初めて。通りがかりに花屋さんを覗いてみたら、この桜の苗木が鉢植えされ陳列してあった。初め何の花か判らず通り過ぎかけてよく見るとカワヅサクラのネーミングがあった。それでカメラに納めてきたので、ブログにも紹介。
 唯、ちょっと心配なのは、これって本当に河津桜なの?ということ。先ず花が桜らしくない事、ついで花径は3cm近く桜にしては大きすぎない?とやや不審に思っている。これをご覧の方、ご存じならば、本当に河津桜かどうかコメントに入れて下さい
Photo カワヅザクラ(河津桜)。オオシマザクラとカンヒザクラの自然交配種と推定されている。1955年静岡の河津町で原木が発見され、1974年河津桜と命名された。河津町の木に指定されている。毎年2月10日頃から3月10に頃まで河津桜祭りが開催される。約3kmの桜並木が夜はライトアップされる由。
 Photo_2
 下その花1月下旬から2月上旬にかけて開花早咲き種。花期が長いという。花色は桃色又は淡紅色で、ソメイヨシノより桃色が濃いという。この写真の花は花径が3cm近くありそう大きいので、本当に桜なの?と思っている次第。

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