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2015年2月

2015年2月28日 (土)

争乱の戦国史186(織豊Ⅳ22): 関ヶ原 両軍の布陣

 西軍の大谷吉継は、1600年9月2日(慶長5)、いち早く関ヶ原の戦場に陣を敷いていた。続き9月7日、関ヶ原東南の南宮山麓に毛利秀元(輝元養子)、吉川広家(元春三男)、長宗我部盛親、長束正家ら約3万が着陣した。
 石田三成は関ヶ原南西の松尾山(現関ヶ原町)の城址を整備。新城に総大将・毛利輝元を迎えて西軍の拠点とし、長期戦に持込み勝機を掴むつもりであった。
 一方徳川家康9月11日清州城に到着した。本来ならばここで、中山道から西を目指す息子・秀忠の軍勢と合流するはずであった。が、秀忠軍が真田昌幸守る上田城攻略にこだわり、進軍が遅れてしまった。止む無く家康9月14、岐阜城を経て美濃赤坂(現大垣市)に進んだ。
186_3 家康陣を敷いた場所は石田三成らが集結している大垣城から数キロの地点。家康軍の動きの早さに三成はは少なからず動揺したという。
 三成は予定通り毛利輝元を松尾山に入って貰おうと使者を走らせたが、輝元大阪城から動こうとしなかった。これ以前に、毛利一族の軍慈を預かる吉川広家が家康の側近・本多忠勝に接近し、戦闘不参加の密約を結んでいたのである。徳川の有利を確信し、輝元の大阪入城にも反対していた広家は、東軍に内通し、協力することで戦後の毛利家の立場を確保するつもりであった。それ故、三成からの出馬要請は黙殺されてしまった。

 三成は大垣城に籠り東軍を迎え撃ち、家康をくぎ付けにしている間に松尾山の毛利輝元、南宮山に配置した3万の軍勢によって東軍の背後を襲うという計画を思い描いていた可能性がある。しかし、輝元が大阪城から動かなかったため、止む無く9月14日に小早川秀秋を松尾新城に入れた
 
小早川秀秋はもともと豊臣秀吉の正室・北政所の兄である木下家定の子だった。身内に人材の少ない秀吉の優遇を受け出世を続けたが、軽率な性格から疎まれ小早川家の養子となった。秀吉の恩を考えれば当然西軍に付くべきだが、戦前から黒田長政を通じて東軍と接触。戦況を見て決めようとしていた。この様な人物に松尾山を預けていた三成の失敗であった

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2015年2月27日 (金)

枝垂れ梅が満開

 しばらく悪天候が続き、降ったり止んだり、その上寒かったのでウオーキングもお休みした。で、昨日は雨もやみ、今日はすっきりと晴れ上がった。久しぶり歩いてみると、民家の庭の普通の梅はもう散り始め、雨に叩かれみじめな姿になっていた。が、代わりに今は枝垂れ梅が丁度満開であったので、撮って来た。
Photo シダレウメ(枝垂れ梅)。これ民家の庭先の梅。個人の庭にしては、こんなに大きな立派なシダレウメは初めて見た。多分ご自慢の植木で、手入れも行き届いているものと見た。この辺りの住宅には、小さいながらこのピンク系の枝垂れ梅を植えている家が結構多いのに、花が咲いて気が付いた。逆に今は普通の梅は少ないようだ。
2 その花。梅にもいろいろ品種があるようだが、梅の花はそんなに違いがあるようではない。また花色白、ピンク、赤位で多種ある訳でもない。考えてみれば、梅は花を見るもではなく、木(ボク)(形、枝ぶり、古木の木肌など)を楽しむこと。又梅の薫りを尊ぶこともあり、花の種類を増やそうなんて、考えられてないのかも・・・。

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2015年2月26日 (木)

水仙の終わりにさくフユザキスイセン

 ニホンスイセンに続いて咲き、これでお終い(園芸種は別)という冬咲水仙
Photo フユザキスイセン(冬咲水仙)。ニホンスイセンが終りに近づいた頃、咲き、これで野に咲く水仙も終わりと言う冬咲水仙もそろそろ終わりに近づいたので、記録の意味で掲載して置く。結構繁殖力も旺盛なのか、前年さいた場所で、花数が増えて今年は沢山咲いた。
Photo_3 その花。ニホンスイセンより花びら細長く先端が尖がっており花径やや大きいのが特徴。生け花にも使えそうだが、日本水仙の後から咲く故観賞価値が少ないかもしれない。見た感じ清楚な感じで、私は好きだ。

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2015年2月25日 (水)

天候不順そして黄砂  ノボロギク漸く咲く

 今年の福岡は新春から天候は不順で、曇り時々雨(場所によっては雪)と言う日が多く、からっと晴れ上がった日は数えるほどしかない。その上、愈々黄砂の時季になって来た。そんな気候のせいか、例年だと早春から咲き始める草花の開花が遅く、この頃やっと咲き始めた
 そんな事で、今日のノボロギクは例年だと福岡では1月下旬には咲始め、今頃は沢山咲いているが、今年2月中旬頃から咲始め、最近やっと目につきだしたところである。その野襤褸菊(ノボロキク)を紹介。
Photo ノボロギク(野襤褸菊)。野に生えるボロギク(サワギクの事)から来た名。オキュウトクサ、タイショウクサなどの別名もある。原産地ヨーロッパで、世界中の寒冷地~亜熱帯に分布。日本には明治初期に入り、北海道から沖縄まで全国に分布する。茎は中空で20-40㎝の草丈、葉先はやや尖り、不規則な切れ込みがある。畑、道端、空き地に自生
Photo_2 その花花期普通5-8月温暖地では年中咲く。1cm程度の頭状花序で、黄色の筒状花だけの花を付ける。花後には白い冠毛を持つ種子が出て、風に乗って飛散する。写真左下が冠毛を持つ種子。

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2015年2月23日 (月)

3大都市圏の私大学生数  御柳梅が咲いてる

 私大の学生数は定員より10-30%多めに入学させている。国公立と二股かけての入学数がつかめない事などもあり、文科省も黙認であったらしい。が、ここに来て3大都市圏の私大学生数を現行120%以上なら私学助成金を交付しないが、これを110~107%まで減らす方針を打ち出した。その理由、「大都市への学生集中を抑制して、地方からの学生流出に歯止めかける」ことで「地方創生」の一環とするというものだ。
 驚いたねー。いや呆れたねー。「地方創生」なる高邁な精神は、こんなバカげた措置を取ることだったのか。今の一極集中という現象を基本的に、根本から対処する、「将来の国づくり」を目指す「地方創生」だと大きな期待を持ったが、上記のような処策が地方創生だとはびっくりした。所管大臣まで置いての現内閣の目玉的政策の内容は本当はどんなことをやろうとしたものなのか。地方戦挙の前に今一度はっきりしてほしい。
 春浅しの季語がぴったりのこの頃、園芸花が目に付く。これは「魚柳梅」と聞いた花だが、正式には「御柳梅」らしい。その鉢植えが有ったので紹介。
Photo ギョリュウバイ(御柳梅)。原産地豪州、ニュージランドに約40種が分布。常緑の低木で、日本では、その中のスコパリウムと言う種をさしてギョリューバイと呼んでいる。葉の形が御柳と言う樹木に似て、梅に似た花を付ける故の名前。日本には1945年以降に導入。樹高30cm~5mと大きくなるので、鉢植えや生垣にもなる。剪定は5月
Photo_2 その花。花期2-5月、11-12月の二回咲く。ニュージランドの国花。花径1-2㎝5弁花 、雄蕊は5本で、一重咲や八重咲がある。これは八重。色は白、ピンク、紅がある。花後の褐色の小さな果実が熟すと裂けて細長い種をたくさん出すそうだ。

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2015年2月22日 (日)

争乱の戦国史185(織豊Ⅳ21): 大津城の攻防

 1600年9月14日、大垣城に集結する西軍のもとに、徳川家康が最前線である美濃赤坂に着陣したという知らせが届いた。石田三成の軍師を務める島左近は、家康の出現に浮足立つ西軍を鼓舞する為一帯を組織し、蒲生氏郷、宇喜多氏の武将・明石全登らを率いて大垣城と美濃赤坂の中間を流れる杭瀬川へと出陣した。左近は明石勢を伏兵として周辺に潜ませ、杭瀬川を挟んで対峙した東軍の中村一栄、有馬豊氏らをしきりに挑発。この挑発に乗っておびき出された中村・有馬勢を明石勢に急襲させ、混乱状態に陥れた。小規模な戦闘ではあったが、この「杭瀬川の戦い」に勝利した事で西軍の士気一気に回復したと言われる。
185_2 9月3日大津城(大津市)の京極高次籠城の準備を進めていた。高次は当初西軍に味方して北陸方面に向けて出陣したが、三成挙兵前に家康と密約を結んでおり、当然兵を大津へ戻すと西軍に敵対する姿勢を見せたのだ。
 これに対し、西軍は、九州柳川の大名・立花宗茂、出雲富田城主・毛利元康ら約一万五千人の大軍を送り大津城を包囲。大津城に対する攻撃は、9月12日から開始された。寄せ手の一万五千に対し、城兵わずか三千五百余り。琵琶湖に突き出すように造られた大津城は籠城戦に適しているとはいえず、落城は時間の問題であった。

 近江の京極氏は元々浅井氏の支配下であったが、1573年(天正元)浅井長政が織田に滅ぼされるとm高次は信長に属し、豊臣秀吉に引き立てられて大津6万石の大名となった。
 高次の妹は秀吉の側室になって寵愛を受けており、これが高次出世のきっかけであった。これを考えれば高次が西軍に加担するのが自然であるが、高次の妻の初と淀殿、徳川秀忠の妻の江はいずれも浅井長政の娘であり、徳川・豊臣双方とも縁戚関に在ったため、高次は複雑な立場にあった。
 大津城攻撃9月12日から始まり、関ヶ原の合戦の当日である15日の朝に開城。高次は高野山に追放された。しかし、高次の抵抗により、立花宗茂ら一万五千の大軍は関ヶ原に参加できなかった。家康は高次が西軍を足止めしたと功績を認め、戦後若狭小浜八万五千石を与えた

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2015年2月21日 (土)

宇宙太陽光発電の送電(JAXA)  白梅(青軸性)

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)が、宇宙に巨大な太陽光パネルを広げて発電し、それを地上に送電するという「宇宙太陽光発電」の実現に向けて、電気を電波に変えて、高い精度で無線で送り、それを地上で電気として取り出す実証実験を来週から始めるという。
 太陽光パネルで作った電気をマイクロ波やレーザー光と呼ばれる電波に変換して送り、地上のアンテナでキャッチして元の電気に戻すという理屈らしい。天候に左右されず、昼夜に関係なく、地上よりも強い太陽光が使える利点があるのだそうだ。実験では発電の中核となる無線送電技術の確立を目指すという。物理学には弱いので、これがどの程度難しい事への挑戦なのか判らぬが、初めての技術開発だから簡単では無かろうと思う。是非夢の実現をやって欲しい。
 さて今日は各種ある梅の花で、白梅の内の青軸性なる白梅を紹介。
Photo 白梅・青軸性。普通、白梅でも、中心部などは薄い紅色であったり、全体にピンクがかっている。しかし、この青軸性なる白梅には、紅性の遺伝子が全く入っていないそうで、蕾は緑白色で、花も緑っぽく、は日に当たっても変色せず年中緑色をしている。写真の蕾や花が付いている枝をご覧いただきたい。
Photo_2 その花蕚の部分が緑で、花全体が薄緑の感じがする。紅の遺伝子が入っていないと言われれば、確かに全体に青っぽい感じがする。珍しいが、やはり少しピンクっぽい方が春らしくはあるが・・・

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2015年2月20日 (金)

下萌える ハコベの可憐な花

 春の季語に『下萌える』と言うのがある。つい先日まで枯葎(カレムグラ)が、冬から早春にかけての枯草を云う季語として使われていたが、ここんところの暖かさで、冬の草原から新芽が出始める頃の地面下萌えるといい、春の季語としてが使われる。昔の人はうまく表現したものだと思うが、その萌える草叢今頃は花径5㎜前後と言う小さな花が咲いている。春の七草にも入っているハコベである。七草ではこれをハコベラと称す。今日はそのハコベ。
Photo ハコベ(繁縷)。正式にはハコベ属の中のコハコベのことで、春の七草の一つハコベラのこと。世界に約20種有る内、日本には18の種がある。よく枝分かれするので、密集して群落をつくると謂われるが、実際には道端の雑草に混じり、小さな花なので、見落としがち。名前はハビコリメムラ(蔓延芽叢)が転じハコベラとなったとの説がある。
Photo_2 その花集散花序或いは茎先や葉腋に単出する。蕚片5個花弁白色稀に緑色があり、5弁あるが、根元近くまで深く2裂するため、一見10枚に見える雄しべは普通10個、 花柱は普通3個。果実は蒴果6裂する。朝日が当ると花が開くことから、朝明け、転じて朝しらげ或いは日出草ともいう。

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2015年2月19日 (木)

チョコレートで健康促進  黄梅も満開

 愛知県蒲郡市、愛知学院大学、明治による産官学共同の実証研究で、チョコレートが血圧低下や善玉コレステロールの増加など生活習慣病の予防・改善につながることが明らかになったという。チョコレートはカカオポリフェノール多く含まれ、カロリーは150Kcal程度なので、おやつとしても最適と言う。効果の概要血圧低下、②高血圧者の低下量が大きい、③善玉コレステロールの増加、精神的、肉体的に活性化、体重・肥満度の増加は無い、安全面で問題はない。と言うもので、この内、血圧の正常化効果が特に大きく、又動脈硬化抑制効果(善玉コレステロール増加)と合わせ、高齢者には嬉し話だバレンタインも近いが、高齢者も遠慮なくチョコレート頂いておくべし。(但しお返しもそれなりに・・・)と言う朗報。
 今日は春を告げる花の一つ黄梅」を紹介。
Photo_3 上オウバイ(黄梅)。落葉性半つる性低木。和名にが付くが、花の形が似る故で、梅とは全く関係がなくジャスミンの仲間。但し匂いは無い。花期には葉が出ておらず、レンギョウに似る。中国、中・南部原産で中国の正式名は「迎春花」で、春先1番に咲く。日本には江戸時代に渡来。庭木やフェンスに絡ませて生垣、盆栽、鉢物など。
Photo_2 下その花。花期2-4月。黄色の高杯型の花径2.5cm位の花。一重と八重がある。花冠筒状で6深裂し、蕚片6裂し、緑色。雄しべは2本。果実は出来ず、挿し木(7月頃)で増やす。

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2015年2月18日 (水)

争乱の戦国史184(織豊Ⅳ20): 上田城の戦い

 1600年8月24日、徳川家康の三男・秀忠中山道経由で上方へ向かうため宇都宮を発った。家康は譜代の譜代の家臣、大久保忠隣・榊原康政ら歴戦の将を秀忠につけ、万全の備えで送り出した。秀忠軍9月2日、信州の小諸城(小諸市)に到着し、上田城(上田市)の真田昌幸に降伏を呼びかける。
 真田昌幸は嫡男・信之、二男・信繁(幸村)とともに家康に従って、上杉攻めに参加していたが、下野の犬伏(佐野市)にいる時、石田三成からの密書を受けとり、西軍への参加を決めて上田城に引返したのである。しかし、嫡男の信之には東軍に属し家康に味方する様に命じ、父子が東西両陣営に分かれる結果となった。
184 1585年(天正13)徳川と真田は上田城を舞台に激闘した。この時、昌幸は徳川軍を撃退し、戦後嫡男信之を家康に出仕させた。以後信之は家康の家臣・本多忠勝の娘を妻に迎えるなど、徳川との関係を深めていた。昌幸自身は一時豊臣秀吉に仕え、二男信繁秀吉の近侍なって大谷善継の娘を妻に迎えた。真田家系図
 石田三成に挙兵を聞いた昌幸は、家康との関係が深い信之を東軍に残し、豊臣家に恩のある自分と信繁は西軍に味方するという苦渋の決断を下した。東西いずれの勝利に終わっても、真田の家名だけは残したいという計算あったと言われる。

 9月6日徳川秀忠は降伏勧告を断った昌幸に対し、総攻撃を開始した。上田城に籠る真田勢は約三千。これに対し秀忠軍は三万八千と圧倒的な戦力差があり、落城は時間の問題と思われた。しかし、戦上手で知られる昌幸は、秀忠軍を徴発しおびき寄せれば攻撃を加えるという巧みな戦いぶりで相手を翻弄。秀忠軍は苦戦を強いられた。
 もともと上田城の戦力など問題となるほどのものでなく、秀忠は是に構わず一刻も早く西上すべきであった。しかし、若い秀忠は功を焦り、家臣たちも天正13年の敗北から上田城攻略にこだわった。真田の狙いは秀忠軍を足止めして西軍を有利に導く事であった。秀忠軍は9月11日になってようやく上田城を諦め、再び西へ向かったのである。
 結局秀忠軍は9月15日の関ヶ原における決戦に間に合わず、真田父子の足止め作戦は大成功を収めた訳だが、それも関ヶ原の勝敗を左右するものではなかった。

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2015年2月17日 (火)

GDPプラスに  クリスマスローズも咲き始めた

 10-12月のGDP(国内総生産)が3期ぶりにプラスに転じた。といっても、水面からやっと顔を出している状態と評されている。但し、全体の約6割を占める個人消費の持ち直しは今一つさえない。ガソリン値下げは大きい要因だろうが、一方一般庶民の台所は各種食品の値上がりなどで苦しいのが実態。但し高級品の売れ行きが良いという『二極化』が進んでいる
 日銀の政策決定会合では景気の基調判断を「緩やかに回復」としているが、日銀の見通し通りの物価上昇率にはならず、原油安と共に、消費低迷の回復は遅く、デフレ意識も強まりかねない、ともみられている。まだまだ薄氷を踏む経済状況であることに変わりはない。
 先日3寒4温で早春型の気候と書いたが、3寒の方の冷え込みが少なく、やはり、日に日に春めいているようで、クリスマスローズも開花したので、今日はそれを紹介。
Photo クリスマスローズ(Christmas rose)。本来ヘレボラス属のニゲルHelleborus niger)と言う種の名前だが、日本ではヘレボラス属全部をクリスマスロ-ズと言う場合が多いとか。名前の通り12月頃から咲始め5月まで咲く。暑さに弱く夏は休眠し、根も活動を休止し、呼吸だけしている由。別名「雪起こし」は冬、雪を持ち上げて咲く故の名。
Photo_2 その花。このニゲルの開花期1-3月。この写真は民家の花壇のもので、若干今年に開花が遅い。花弁に見えるのは「蕚片」である。結果鑑賞期が長い。本来の花弁密腺として残っていると言うが、どれだかわからない。花色白が基本だが、最近はピンクや青紫色のもある。が、やはり白が清楚でいい。

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2015年2月16日 (月)

年寄りの温度感覚  白梅開花一休み?

 「年寄り」というより、正確には私の温度感覚。どうも私の体感温度と実際の温度計には差がある。部屋の暖房はいつも同じ温度設定をし、結果いつも同じ温度にはなる。ところが、その日によって寒く感じたり、暑く感じたりするのである。どうしてそうなるのか気付いたのが、温度を感じる体感力が落ちているに加え、目で見た感じが視神経を通して脳に伝わる情報ルートの方が勝ってきたのでないか? と言うのは、いい天気で明るい日は、温度表示よりあったかく思うし、逆にどんより曇り、今にも雨が降りそうな日は寒く感じること気づいたからである。これって、食べ物の見た目での美味や不味と同じだ。こんな事で、歳とると云う事は彼方此方がバラバラに老化して行くことなんだなと、思っている次第である。
 さて今日は、梅が一気に咲き始めたと思ったが、天候不順でか、足踏み状態白梅。この辺りでは3~5分咲きと言う状態。今日は梅に関する諺を紹介
Photo 白梅梅の諺:『桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿』。栽培上の要点を示した有名な諺。はむやみに伐ると切口から腐敗しがちだから、剪定に注意する事、一方梅の木は剪定に強く、切詰めないと徒枝が伸びて樹形が乱れ台無しになり、又実付きも悪くなるからである。花芽が年々枝先へ移動するし、実の成る枝は枯れこむので、実の収穫には刈込む必要がある。
Photo_2 梅の諺:『梅の木学問』。梅の木の成長は早いが大木にはならないように、進み方が早い学問は大成しないままで終わることをいう。反対に『楠木学問』は楠は成長が遅いが大木になる事を言う。
 他に種を植えてから実を収穫するまでの期間をさす俚謡に『桃栗三年柿八年』に続けて柚子の馬鹿野郎十八年、梅はすいすい十六年』と言い、一人前になるには地道な努力を要する事を説いている。

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2015年2月15日 (日)

愈々三寒四温 キブサスイセンが満開

 昨日今日と好天気になり、気温もグッと上がって13-14℃。風もそよ風程度で寒くもない。全くの春気分。気のせいか白梅も一気に満開になりそうな気配だ。が、明後日ぐらいから又10℃位に下がりそうな予報。しかし、正しく三寒四温。もうこうなれば全くの春だいいですね!うれしいですね!春がこんなに嬉しくなったのはやはり歳のせいかなー
 ところで、花はニホンスイセンももう満開を過ぎ、やや遅れて咲く黄水仙が咲いている。と、思って図鑑等調べると、黄色いのは全て、黄水仙かと思ったら違った。今日のはどうやらキブサスイセン言うらしい。それを紹介。
Photo キブサスイセン(黄房水仙)。グランドソレドールとも言う。ニホンスイセンよりやや遅れて咲く水仙。一般に言う黄水仙とは違う別種の由。フランス、スペイン原産の水仙で約100年前(大正時代)に渡来。分類的には原種タゼツタの仲間と言う。草丈30㎝位で庭先には手頃な花である。
Photo_2 その花。花期は3-4月6弁花で、内3つの花弁の先には白い突起がある。この花弁6枚の内外側3枚は萼でありうちの3枚が花弁。依って突起の有るのは蕚であろう。うちの筒状のも花弁である。

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2015年2月13日 (金)

争乱の戦国史183(織豊Ⅳ19): 西軍伊勢へ侵攻

 1600年8月1日(慶長5)に伏見城を落した西軍は勢いに乗じて細川幽斎(藤孝)が守る丹後の田辺城(舞鶴市)を攻撃、畿内制圧を目指した
 次いで伊勢攻略に乗り出し、三万の軍勢を安濃津城(津市)へ派遣。安濃津は薩摩の坊津、筑前の博多津と共に日本三津に数えられた要港で、軍需物資の海上輸送に是非とも抑えておきたい場所だった。東軍についた安濃津城主・富田信高は押し寄せる西軍に対抗する為、伊勢上野城主の分部光嘉、松坂城主の古田重勝の応援を求めた。しかし、分部・古田からの援軍に加えても安濃津城の兵力は1700程度に過ぎず、信高は圧倒的に不利な状況の中で籠城戦を選んだ。
183 8月24日、西軍の毛利秀元、安国寺恵瓊、長束正家らが安濃津城に総攻撃を開始すると、城主信高は自ら前線へ出て奮戦。その妻・北の方も武者姿で槍を手に戦闘に参加し、苦戦する夫を救出したと伝えられている。
 しかし、数の差は如何とし難く、信高翌25日降伏し城を西軍に明け渡した。安濃津城に続き、古田重勝の松坂城が西軍の軍門に下ったが、福島政則が守る長島城(桑名市)は抵抗を続ける。結局西軍は伊勢を平定するには至らず、攻略半ばで東軍の襲来に備え美濃へ向かわざるを得なかった。この伊勢における安濃津城・長島城の抵抗が西軍主力の動きを止め、東軍が西上する時間を稼いで、三成の計画を大きく狂わせるのである。

 伊勢攻めに先立ち、石田三成は8月11日大垣城に入った。三成はここを拠点に美濃・尾張方面を掌握し、東軍を迎え撃とうと考えた。
 しかし、東海道筋の大名たちの協力もあって東軍の動きが予想以上に速く、8月23日には彼らによって織田秀信の岐阜城が落とされてしまった。
 このため、三成は計画を変更し、美濃の関ヶ原付近(岐阜県不破郡)に防衛ラインを設定。伊勢など各地に散っていた武将たちに関ヶ原への集結を呼びかけた。
 三成は関ヶ原の西南に位置し関ヶ原台地全体を見渡すことが出来る松尾山に着目し、急遽築城工事を行って要塞化この城に総大将である毛利輝元を迎えた上で長期戦に持ち込もうと考えた

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2015年2月12日 (木)

若人の田園回帰  狂い咲き?カタバミ

 先日地方の振興の事を記したが、その続編。政府が地方創生を言い出したのは、「自治体消滅論」の論拠になった、「地方の若年層、特に女性の減少動向」だと云う。ところが、明大教授・小田切徳美氏は都市から地方への移住者09年に比し13年度は2.9倍の8,169人になり、かつ持続的な増加傾向にあるという。これを「田園回帰」と呼ぶべき社会的潮流だと述べている。これが団塊世代より若い世代の青年層であり、女性比率が高い事が特徴であるという。で問題は是を如何に定着させるかである。その為には地方での安定的な雇用の拡大や農業経営の変革だが、実態は新しい生活スタイルを模索するなど多様化している。故に地域は移住者どんな暮らしを求めるかを展望する必要があるという。容易に取り組める課題ではないが避けて通れるものではない。自治体が自身の問題として真摯に取り組むべきことだ。そしてそれを如何に国が補完・支援できるかであろう。
 さて今日は、公園の片隅に、何故夏に咲く花が今頃咲いているのか判らぬ、全くの季節はづれの花イモカタバミが咲いていたので紹介。
Photo イモカタバミ(芋片喰)。別名フシネハナカタバミ。原産地南アメリカ。日本には戦後に渡来。同種に近いハナカタバミ、ムラサキカタバミとも非常によく似ているが、前者とは花の形が若干異なり、後者とは雄しべの葯が白であるに対し、これは黄色であることから、芋片喰と断定した。且これには稀に花弁に白色のがある事も合致。
Photo_2 その花。葉の間から花茎を伸ばし、散形花序(茎先から沢山の枝が出てその先に1個ずつ5弁花を付ける)を出す。花径3-5㎝位。花の真中は黄色い。雄しべも黄色。日当たりを好み、曇った日や日陰になると花を閉じる。

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2015年2月11日 (水)

農産物輸出増  早春の花ナズナ

 農水省が10日発表した農林水産・食品輸出額(速報値)は前年比11.1%増の6117億円と、過去最高を更新した。世界的な和食ブームが追い風と花っている故だが、テレビでのインタビューを見ると口を揃て、米も、牛肉も味がおいしいからと答えている。勿論その他のリンゴなども豊作で味が良かったからといわれる。健康食である和食が引き金ながら、やはり食品である限り、安全性と味が選択基準であることは論を待たない。その陰には機械化農業で大量生産した安価であること以外の、味を重視した農家の努力が報われたのである。
 今農協問題で揺れているが、政府の言う1兆円輸出目標を実現するには、本当に農業の有り方を真剣に考えた末の対策であらねばならぬだろう。
 寒さの中で一番に咲く野草は何と言っても薺(なずな)であろうから、今日はそのナズナ。
Photo ナズナ(薺)。別名ペンペン草、シャミセン草ムギ栽培の伝来と共に日本に渡来した史前帰化植物。田畑や荒地、道端等至る所に生える。夏は枯れて夏無(ナツナ)くなるからとか、撫でたいほど可愛いは花の意味で撫菜(なづな)などが名の由来とも。ご存じ春の七草。昔は貴重な野菜だった。民間薬として各種薬効のある優れた薬草
Photo_2 その花。花期2-6月4枚の白い花弁を持つ直径3㎜程の小さな花を多数花穂に付ける。次々に花を咲かせる無限花序で、下部で花後の種子を形成しながら、先端は次々と蕾を形成し、開花するぺんぺん草も生えない」という慣用句は、何処にでも育つぺんぺん草でさ生えないから転じて、何も残らない状態で一切合財残らないこという。

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2015年2月10日 (火)

梅も縮み上がった寒さ

Photo 折角開いて、一気に満開かと思った梅が、ここんところの寒さで縮み上がったか、開花が足踏み状態の様である。
Photo_2 昨日、今日と当地では最低気温が0-2℃。最高が4-5℃と、滅多にない寒さで、必要ない外出は一切やめて、冬ごもり状態。少し小高い場所では降雪もあったようだ。

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2015年2月 9日 (月)

争乱の戦国史182(織豊Ⅳ18): 景勝 兼続進言容れず

 小山から撤退を始めた家康を見て、上杉家家宰・直江兼続は今こそ好機と見て、主君・上杉景勝に追撃を進言した。が、景勝は追撃を許さなかった
 景勝はあくまで先代・謙信が培った上杉家の名誉を重んじ「人の危うきに乗ずるは、上杉の兵法に非ず」として兼続を抑えた。一方、兼続はこの機会を逃せばいずれ家康は上杉家の滅亡を狙うだろうと考えた。もし家康が三成に勝利すれば、その勢力は絶大となり完全に手遅れとなる。ここで戦わず滅亡を待つよりは、戦いに打って出るべきだと主張したが、景勝は兼続の意見を断固として退けた。もしこの時、上杉勢が家康の背後から襲いかかっていれば、或は関ヶ原の戦いの勝敗は逆転していたかもしれない。
182a しかし、上杉側が取っていた布陣はあくまで会津一国に籠って防戦するというもの。領外へ出て戦う準備はされておらず、背後には強敵・伊達政宗が控えており、突然の方針転換は危険だった。直江兼続軍師としての立場から家康追撃有利と見たが、景勝は一国の主としての責任から危険を犯す事は避けた直江兼続画像(米沢上杉博物館蔵)
 景勝を説得できなかった兼続は家康が天下を取った場合に備え、最上義光が治める庄内地方を奪い防衛体制を強化する計画を立案。実行に向けて動き始めた。

 8月5日小山から江戸へ戻った徳川家康は、暫く西軍石田三成の動きを慎重に分析するという目的があったが、同時に先鋒として送り出した福島政則や池田輝政ら豊臣恩顧の大名たちが、真に自分の見方であるかどうかを見極める為でもあった。
 一方、清州城で待機する福島政則らは一向に動こうとしない家康の態度を見て、自分たちの家康に対する忠誠心を示すために行動を開始する。
 8月22日、東軍先鋒は織田秀信(信長嫡孫)が守る岐阜城に襲い掛かり、翌23日にこれを攻略。続いて犬山城も落とした。この知らせを受けた家康は、9月1日に漸く重い腰を上げ、三万二千の兵を率いて江戸を出発し東海道を西に向かった。又家康出陣に先立ち、三男のへ秀忠三万八千の兵を率いて中山道経由で上方に向っている。 

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2015年2月 8日 (日)

成るか農協改革 早春の花・チロリアン

 安倍首相はTPPを視野において、農協改革を実現すべく、組合法による今の農協を一般社団法人へ転換全国農業協同組合中央会の監査・指導権を廃止することを進めようとしている。一口に言えば、米保護即ち零細米農家を保護してきたこれまでの農業を競争力のある企業組織にし、農業の国際競争力を向上させることを目標としている。農政の大きな転換点ではあるが、若者が殆ど農業から離れ、老人だけの今の農業は、今の農協による受託栽培、米代を担保にした育苗、施肥、田植え、刈取りと言った農作業を請け負い仲介してくれる農協が存在しなければやって行けなくなっているのも事実だ。故に農政の転換が必要で、その手始めに先ず農協の機能を変えようとしているのだが・・・・。現時点で6道県連が反対表明しており、統一地方選への心配(佐賀県知事選が実例)もあり、自民党自体も苦慮している。
 寒気が戻って大雪の予報があるが、寒くなる中植えられた春の花・チロリアンデージーが少しづつ花芽を増やしつつある
Photo チロリアンデージー。キク科ヒナギク属。和名ヒナギク(雛菊)。冬から春まで咲き続け、非常に丈夫な生命力があるとところから「長命菊」「延命菊」「時不知」などと呼ばれる。原産地ヨーロッパの宿根草で、明治時代に渡来。日本の環境では夏越しが難しい。草丈10-15㎝、やや湿り気のある粘土質を好む。
Photo_2 その花。はっきりした色合い、円形の可愛い花は草姿の乱れなく、鉢植え、花壇等用途は多彩。開花期12-5月花色白、ピンク、赤。移植に強く開花後の植え替えも可。乾燥に弱い。花芯の黄色を太陽に見立てた「day’s eye」が語源。日を受けると開き、曇りや夜は閉じる

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2015年2月 7日 (土)

春寒し 蕾の膨らむ時期

 立春が過ぎた今頃の季語春寒し、余寒、春浅し、冴え返る、寒明けなど、春とはいっても実際は冬並みの寒さ、時には真冬に逆戻りという時期で、実際気圧配置はシベリヤから寒気団が南に下ってくることが多い時期なのである。これが少し先になると春に近づき、春に成ったり、冬に戻ったりが続く「3寒四温」となり、2月下旬には其処此処に春が居座る
 この季節の移り変わりを昔から多くの俳人たちが詠ってきたが、自然の変化を生活の中で感じとれる環境に生活したからこそ感受しえた句が多い。それに対しコンクリートやアスファルト、に囲まれ、暖房設備の多い中での現代の生活では、当然ながら、自然との縁の薄い句が多くなり、無機質な感じもする。昨日の地方都市の振興の話と共に、如何に日本風土の自然が感受できるか大切なテーマと思う。
 こんな時期、植物は花芽や新芽が出来始め、花芽はもう蕾になっているの多い。その中で今日はハナカンザシが咲き始めているのを撮って来た。
Photo ハナカンザシ(花簪)。花茎の先につく赤い蕾の様から付いた名前草丈20㎝位のが多いが50cm位の種もあるそうだ。原産地はオーストラリアの西南部乾燥を好むので、砂地でよく育つ。逆に雨に当てると茎が倒れやすい。鉢植えでなく寄せ植えが多いようだ。高温多湿は苦手で、寒さに強いが夏越えはほぼ不可能
Photo_2 その花花径15-20㎜位の八重咲であるが、花弁に見えるのは総苞片で、中央にある黄色い部分筒状花である。尚水やりで花にかかると黒く変色してしまうので、花にかけぬ様に水遣りする事。尚、花色はピンクもある由
 

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2015年2月 6日 (金)

人口の一極集中止まず   アカメヤナギ花芽膨らむ

 総務省が発表した、2014年度の県別の人口転出入数によると、転出を上まわる転入超過県東京圏(埼玉、千葉、東京、神奈川)、宮城、愛知、福岡で、大阪も転出超過県となった。これら転入超過県以外は全部転出超過県である。この様に拠点となる地域以外は全て転出が増えている。即ち拠点地域へ集中しており、地方は愈々過疎化が進む田畑は耕作放棄され、治山治水が行き届かず山や川が荒れ放題。当に国滅ぶの観を呈しつつある。何が原因だろうか。先進化、効率化ばかり追求し、生きるための自然環境を含めた人間生活全体の充足をはからなかった結果であろう。地方振興のために何が必要なのかよーく考えた上、百年とまで行かなくともせめて、20年先の有りうべき姿を描いて欲しいものだ。
 立春をすぎて、季語は春となったが、まだまだ寒さ続いている。その中でネコヤナギに似たアカメヤナギが花芽を付けて綺麗だ。尤も写真は我が家の生け花で少し早目の芽吹きかも知れないが紹介する。
Photo アカメヤナギ(赤芽柳)。別名フリソデヤナギ(振袖柳)。ネコヤナギとヤマネコヤナギの雑種と言われる。1657年江戸の振袖火事の火元・本妙寺の境内で発見された種故の名前。原産地は日本。北海道~九州に分布。枝が赤みがかっている。雌雄異株で、これは雄株だが、雌株が未だ確認されてないという不思議な木ではある。
 Photo_2
 下その花穂。花の冬芽は赤い苞でそこから出た花穂が、写真の通り赤みがかって、綺麗なのである。これから小さな花が沢山出て(エノコログサのように)やや白っぽくなってゆく。その花期は2‐3月

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2015年2月 4日 (水)

争乱の戦国史181(織豊Ⅳ17): 家康 上杉を封ず

 7月25日の小山評定於いて、福島政則の発言をきっかけに家康従軍の黒田長政以下豊臣系諸大名全員家康に従い、三成征討に従うことが決まった。この時、政則に続き山内一豊が、自分の居城・掛川城を家康に進呈すると発言し、周囲を驚かせた。元々東海筋に領地を与えられた大名たちは、秀吉が関東の家康に対する防衛策として配置したものだった。正則はこの立場を放棄しての宣言だった。結果、浜松城の堀尾忠氏、清州城の福島政則、吉田城の池田輝政らも一豊に続いた。
 これら各将の自領明渡は、関ヶ原の戦いの結果を左右したとも言われる。彼らの協力が無ければ家康の西上には多くの時間を要し、西軍に戦力増強の機会を与えていたかも知れない。一豊はこの功により戦後土佐20万石を与えられた。小山軍議で一致団結した東軍は福島政則と池田輝政を先鋒として尾張・清州城へ向かい、家康は会津処理後、上方へ攻め上る事を決し、行動を開始した。
181 7月24日伊達政宗が上杉方の白石城に攻撃を開始。翌25日にはこれを攻略した。これを見て、家康は自分の軍勢を反転し、江戸から上方を目しても上杉から追撃を受ける事はないと読んだ。元々会津地方を要塞化し、寺領内に征伐軍を引き込んで迎え撃とうとした上杉側が、領外へ出てまで戦うとは思わなかったのである。
とは言え、会津の隣国・常陸国には三成と親しい佐竹義宣が控えており上杉家の名参謀・直江兼続の動きも油断がならず、絶対安心とは言えなかった。
 そこで、家康は政宗に「上杉との戦は中止して兵を引き、上方で三成との決着が付く付くまで上杉を牽制してほしい」と要請。続いて政宗の伯父の最上義光にも北方の抑えを命じた。更には二男の結城秀康には一万八千の兵を与え宇都宮城に駐屯させると、8月4日に漸く小山を出立し、翌5日江戸城に帰着した。
 この徹底した会津封鎖は、用心深い家康が如何に上杉と西軍に挟み撃ちされることを恐れていたかを示している

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2015年2月 3日 (火)

梅開花

 梅が一斉に咲き始めた。寒くても、天候不順であっても、季節が来れば花が咲き、新芽が膨らみ間違いなく確実に春になって行く。当たり前のことだがこのブログを始めたおかげで、花を追っていると、当然木も草もそして空や雲、昆虫や鳥など自然を見るようになる。これまで見ていなかったことの如何に多いかをつくづく感じているこの頃である。
 で、今日は紅梅の内でも最もポピュラーな薄いピンクの花。
Photo コウバイ(紅梅)2。紅梅とは花が紅い梅をいうのではない枝の断面が紅色の梅を云う事を初めて知った。故に、紅梅には赤、ピンクが主ではあるが、白い花の紅梅もあるそうだ。
今日は梅の薬効と毒性:先ず薬効。クエンサンはじめ有機酸を多く含むので、健康食とされる。中国では酸味料として用いられ、塩と共に最古の調味料であった。『いい塩梅』はここから。尚、漢方薬の烏梅(ウバイ)は健胃、整腸、駆虫、止血、強心に効く。
Photo_2 その花。次いで、毒性青梅には青酸があるので、胃酸によって有毒性を発揮する恐れがある。但し通常の胃の消化酵素では有毒シアンの生成は無く、大量の未熟な種子を砕いてその酵素も併せて摂取した場合には、ケイレン、呼吸困難、さらに麻痺状態になり死に至るという。幼児が青梅をかじった程度では問題はない由。ご安心を。

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2015年2月 2日 (月)

周年咲いてる金魚草

 まだ寒さが残るこの頃だが、その寒さの中で花を咲かせ続ける初夏の花もある。寒さに強い金魚草である。散歩中、道端の花壇に見つけたものである。
Photo キンギョソウ(金魚草)。金魚草概要原産は地中海沿岸地方。日本への渡来は江戸時代、現在春の南房総に多い。名前の由来は花が金魚に似る故とか、花弁が金魚のヒレに似る故とか。英国ではに見立てスナップドラゴン性質は耐寒性及び耐暑性が強い。
Photo_2 花接写花について花色は白、赤、ピンク、オレンジ、黄、褐色。品種は丈の高い高性種、こんもり茂る小型種、その中間種があり多種。一重と八重の他大きく開くのもある。開花期は学名majus(5月)の通り5月頃だが、多くの品種開発で周年咲となった。切花、花壇、鉢植え等用途多種。
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 下白の花栽培種蒔きは3-4月と8-9月。開花期は本来は3-6月と8-10月。場所日当たりの良い所。夏には風通しの良い所。は土が乾いた時だけたっぷり。肥料は濃い肥料には弱いので、薄いのでよい

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2015年2月 1日 (日)

後藤さん殺害さる  ノースポールが咲いている

 今朝のTVニュースで、ISに拘束されていた後藤さんが、人質交換のヨルダンと交渉が進まず、殺害されたという報道が出た。今後、これら非人道的なISのやり方は許す訳に行かない。断固として対処してゆきたいとの安倍首相は談話をだした。当然の話ではあるが、関係ある他諸国とも緊密な連携の元に進めなければより危険な状況を作り出しかねない。後藤さんには哀悼の意を表すと共に、今後は政府の慎重な対応を望みたい
 はや2月となった「2月は逃げる」と言われる如く、多分あっという間に過ぎるだろう。しかし、寒い冬から暖かい春には早くなってほしい。今日は年末ごろから咲き始め、これからたくさんの花を付けるノースポール
Photo ノースポール(North Pole)。これはまだ咲始めだが、最盛期には真っ白に咲く故、連想される北極からついた名以前の分類属名クリサンセマムで今でも呼ばれる。アルジェリアや地中海地方原産地。日本には1960年代に入った。冬季の花としてガーデニングには必須の花。高温多湿には弱い。播種は9-10月。
Photo_2 その花12-6月に咲く。矮性でよく分枝し径3cm程の白い花を付け、芯は管状花黄色の小菊である。花が一通り咲き終わった頃、花茎の半分位刈込むと再び花を咲かせる

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