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2015年1月22日 (木)

争乱の戦国史178(織豊Ⅳ14): 西軍 大阪に結集

 1600年7月2日(慶長5)江戸に到着した家康は暫く動かなかった。会津へ向かうと見せかけ、石田三成が挙兵するのを待っていたのである。家康が上方を離れば、三成が挙兵するのはだれの目にも明らかだったからである。しかし、家康はその軍勢の規模を、三成の石高から推して、精々2万以下と見積もっていた。又、人望のない三成に加担する大名はわずかと予測していた。
 だが、家康の命に応じ会津遠征に参陣しようとした敦賀城主・大谷義継が美濃垂井城に到着したところ、旧友の石田三成から招きを受け佐和山城へ向かった。そこで、善継は三成の家康打倒の陰謀を知った。知将として名高い義継は、三成のの今回の挙兵が余りにも無謀であると思い、思い止まる様に説得した。が、意志の固い三成は決意を変えず、三日間考えた末に、死を決して会津参陣を中止し、兵を垂井から近江国へ引返し、7月11日佐和山城に入った

 三成に加担することを決めた大谷義継は、西軍の旗頭として毛利輝元を迎える事を提案。三成に対し、かって毛利家の外交僧として活躍した安国寺恵瓊を味方に引きいれる様助言した。三成から連絡を受けた恵瓊は、その領地である伊予国和気郡から佐和山へ急行し西軍に参加した。
178 恵瓊は120万石を誇る毛利輝元西軍大将に迎えることに成功。更に中山道の要衝・信州上田の真田昌幸を味方につけ、上杉家の直江兼続とも連絡を取る等西軍勢力の増強に尽力した。(真田昌幸画像(原昌義蔵))
 恵瓊の活躍もあって、大阪に吉川広家、小早川秀秋、宇喜多秀家、蜂須賀家正、長宗我部盛親、小西行長、島津義弘、鍋島勝茂など多くの西国大名が参陣。家康の予想に反して、総勢十万に近い兵力を結集したのである。
 又、家康に従って東下している諸将の妻子を人質として大阪城に収容した。そして、会津の上杉景勝、常陸の佐竹義宣、岐阜の織田秀信なども西軍に加わり、家康東西から挟み討つ状況を形成したのである。

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