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2014年11月

2014年11月28日 (金)

小春日が続き  金柑も熟す

 昨日は好天気、当に小春日と言える暖かい晴天であった。久しぶりに日田方面にドライブした。鳥栖インターから大分道にはいると、高速道の両側には、ハゼモミジなどが適当な間隔で植わっており(これは自然に生えたものではなさそうだ)真赤な紅葉で、又この築後地方には小さな神社(鎮守)には必ず銀杏が植えてあるが、彼方此方のイチョウが今盛りの綺麗な黄葉であった。又、日田近くの巴木は富有柿の産地で、小高い山(丘陵)には柿畑が多く、この柿の葉も一斉に紅葉しており、当に絶景であった
 今年は、先日急に冷え込んで、朝晩の温度差が10℃以上となったので、一気に紅葉したものと思われる。九州に来て長年になるが、このような見事な紅葉が楽しめたのは初めてであった。たまにはドライブいいもんだと改めて感じた次第。
 さて、今日は実(み)物ついでに、色づいた金柑を紹介。
Photo キンカン(金柑)。別名キンキツ(金橘)。中国の長江中流域が原産地江戸時代に伝わり、日本には馴染み深い。家庭果樹として使われるのはニンポウキンカン又はネイハキンカンと言われるもの。耐寒性が強く関東以西で栽培が可能。日本での収穫量、最大は宮崎次いで鹿児島。鑑賞用に庭木とされるが、生垣や盆栽にもされる。
Photo_2 その実果皮ごと或いは果皮だけを生食する。果肉は酸味が強い。果皮のついたままで甘く煮て砂糖漬け、蜂蜜漬け、甘露煮にするのが一般的。甘く煮てから砂糖漬けにしてドライフルーツともされる。おやつや茶うけにも良いが、これらは民間薬として咳や喉の痛みに効果あるとされ、常備する家も多かった。金橘と言う生薬名がある。ビタミンC,Pが多く風邪予防、血管の強化、コレステロール改善、血流改善の効能がある。
 明日から3日間当ブログお休み頂きます。

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2014年11月27日 (木)

立法府の怠慢・定数是正  クロガネモチの実

 又もや、最高裁大法廷は、参院の定数格差が違憲状態であり、速やかな見直しを求める判決を26日に出した。このまま放置して、”合理的期間内”に是正されてなければ、「違憲」となる。立法府自らが、わが身の是正を出来なければ、とてもじゃないが”法治国家”とはいえず、民主主義を破壊するものだ。いっそのこと早く違憲判決としたら・・・、とも思わぬでもない。国民から見放される前に真摯な取り組みを願うものである。
 寒くなって、花がみんな実になっている。今日も赤い実クロガネモチを紹介。
Photo クロガネモチ(黒鉄黐)。別名フクラモチ。樹皮からトリモチがとれ、葉柄や枝が紫っぽい所から黒鉄がついての名前となった。本州~琉球諸島までに自生。台湾、中国、インドネシアに分布。春四月、新芽が出て葉が交替する「カネモチ」の名前から縁起よく庭木とされ、又公害に強く街路樹、公園に多用される。
Photo_2 その実雌雄異株で、両者が近い所の雌株の花に結実する。花は5-6月頃に咲き。沢山の実を付ける。になると真赤に色づき、径6㎜位の球形の果実となる。実の鑑賞時期10月から翌年2月位まで。西日本では野鳥に種が運ばれ野生することもある。

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2014年11月26日 (水)

新鮮味ない後出し公約  万両が色づいた

 自民党が選挙公約を発表した。が、問題山積はよく判るが、政治課題を列挙したものの、「これを為すために衆院を解散した!」というものが無い「取り敢えず解散して置いて、後から慌てて公約をまとめた」という感じだ。又政治課題判っているが、取組の具体策は今後検討というのも多い。対する野党も似たり寄ったりで、これでは投票率が悪くなっても当たり前という気がする。意地悪く考えれば、投票率が低いほど、与党の獲得票比率は相対的に高まる。まさかそれを狙ったわけではあるまいが、有権者の皆さん、真剣に日本の将来を考え、自分が納得できる党を選ぶために、投票には必ず行きましょう!
 
今日はそろそろ熟して色付いた万両を紹介。両の付く名前の木は、一両(アリオドシ)、十両(ヤブコウジ)、百両(カラタチバナ)、千両(クササンゴ)、万両(ヤブタチバナ)と1~万までラインナップされ、夫々別名(本名?)がある。何れも赤い実をつけるが、万両、百両、十両ヤブコウジ科千両センリョウ科一両アカネ科である。
Photo マンリョウ(万両)。別名
タチバナコウジとも。東アジヤ~インドに分布。日本も原産地であり、関東以西、四国、九州、沖縄に自生。勿論庭木や盆栽で愛用されている。丈は1m以上になるが、園芸用では30㎝位にしたのが多い。ヤブコウジに似るがヤブコウジは10㎝位で区別できる。古典園芸植物で、江戸時代変異体が選抜され多様な品種が栽培された。
Photo_2 その実
7月頃花が咲き、小枝の先に散形花序を形成し、緑の果実を付ける。11月初めごろより色づき始め、現在写真のように熟して色づいた。果実の観賞12月~3月。特に名前もよいので、正月の縁起木として、又お飾りには欠かせない物となった。半日蔭で湿地を好むので、普段余り見かけないが、これは山裾の通りに面して、誰かが植えたものらしい。

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2014年11月25日 (火)

争乱の戦国史168(織豊Ⅳ04): 文禄の役 講和不調

 順調に朝鮮半島に侵攻した倭軍は朝鮮八道を支配下に入れたが、1592年9月半(文禄元)、咸鏡道において抗日の義兵の決起が始まった。これら義兵は両班(ヤンパン)と呼ばれる地主中心の高級官僚輩出の特権的身分階級層だった。彼らは日本軍に協力的な朝鮮官吏を討ち、日本軍が守る城を攻撃した。明軍の救援の報が決起の輪を広げた。結果、翌1593年正月(文禄2)、北道の城を放棄、2月末にはすべての軍勢を撤収して漢城に引き上げるまで追い込まれた。
 又、全羅佐道水軍節度使・李瞬臣(リスンシン)は船と武器を充実させた水軍を率いて5月7日に巨済島の藤堂高虎の水軍を撃破同月末亀甲船を用い泗川の海戦で日本水軍に大きな打撃を与えた。以降日本水軍を悉く打ち破り、日本軍水上補給路に壊滅的な打撃を与えた。

 明の救援軍1592年6月朝鮮に入り、当初小西行長に平壌で敗れたが、救援強化して、1593年正月(文禄2)、明軍4万、朝鮮軍1万で平壌の小西・宗軍を攻囲、激しい戦闘の末撤退し、黄海道にいた黒田長政軍と共に、小早川・吉川軍のいる開城へ撤退、更に1ヶ月後漢城へ引き上げた
 漢城に撤収した日本軍は、南下する明軍を1月末漢城北方で破る等したが、戦局は一進一退、兵糧は細り士気は低下していった。既に和議を提案されていた小西行長は講和交渉に持ち込んだ。結果、和議を進めることになり、4月18日日本軍は漢城から撤退、石田三成ら3奉行と行長は明の使節を伴い、5月15日肥前名護屋に帰着した。
168 6月28日、秀吉は7ヶ条の講和条件を示したが、朝鮮での戦争の実態を理解しておらず、明・朝鮮からの和平願出との認識であって、明・朝鮮には受け入れられるものではなかった。翌29日には彼らは帰国の途に就いた。
 一方小西行長が家臣を偽りの講和使節として明皇帝の元に派遣。明皇帝から秀吉を「日本国王となす」との文書と印章・冠服を持った冊封使の派遣を決めた。1595年1月末(文禄4)、北京を発った使節は翌1596年9月1日(文禄6)大阪城で秀吉に謁見。が、秀吉は自分の講和条件でない事に激怒し講和は破綻した。

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2014年11月24日 (月)

波乱の九州場所 白鵬優勝  山茶花2

 

波乱の九州場所と言われるように、番狂わせの優勝となる事が多い場所で、中盤では思いもよらず白鵬が平幕に敗れ、平幕勝利も63連勝と新記録を作ったが、これでストップした。又終盤は流石横綱、3横綱に勝敗如何でどうなるか判らぬ展開とはなったが、やはり場数を踏んで白鵬が圧倒的強さを見せて横綱最多優勝の大鵬に並び32回目の優勝を飾った。
 ところで今日の花は昨日に続いて、珍しい斑入りの山茶花があったので、それを掲載。そしてサザンカとツバキに違いについて、更に薀蓄を追加して置く。
 Photo
 上斑入り山茶花。 山茶花の種類:昨日椿との違いを略記し、簡単に見分けられそうに書いたが、実際は迷うことが多い。というのは、藪椿と自然に交雑したハルサザンカは冬から春にかけて咲く。又、真冬に咲くカンツバキ園芸上はサザンカに含める。よって、サザンカ系、カンツバキ系、ハルサザンカ系の3グループある。
Photo_2 斑入りの花花の種類花色桃、紅、白などがあり、咲き方一重咲、半八重咲、八重咲、ラッパ咲など多岐に亘る。色も単色でなくこの花の様に斑入りのものぼかし入りのものなど多種あるそうだ。益々判別がつかなくなったが、ちなみに野生種の山茶花6~7枚の花びらを持つ白色の一重咲きだそうだ。

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2014年11月23日 (日)

長野北部地震余震続く  山茶花が盛り

 昨日の長野県北部・白馬村を震源地とする地震震度6弱と伝えられているが、その後も震度3~5の余震が続いている。その後のテレビ情報では家屋の倒壊が8軒とか、幸いに下敷きの人達全員が救出されたという。勿論活断層が走っているが、地盤の緩い地帯で、被害が大きくなっているようだ。心よりお見舞い申し上げる
 日本全国活断層が走っている日本列島だから、何時、何処で地震が起きても不思議が無いと言われる。そして、現時点では、地震の予知は発生直前でないとできないという。だから、怖いのが原発なのだ。故に、今後再稼働を認可した自治体や国は、その被害に対する保証は、100%責任を持ってやるべきであろう。それが不可能なら、今後の再稼働は許可されるべきでない。と、思う。
 寒さが強まり、山茶花が満開状態になりつつある。今日はとりあえず目に付いた山茶花を紹介。
Photo サザンカ(山茶花)。山茶花の名は中国で椿類を指す「山花」に由来。本来の読みサンサカが訛ったもの。元はサンザカだった。原産地は日本で、江戸時代長崎より西欧に伝わり世界に広まった。日本では山口以南で自生し、北限。庭木、生垣として広く使われ歌にも多く歌れた。但し毒針毛を持つ茶毒蛾の幼虫が付きやすい。
Photo_2 その花
10頃より咲はじめ、次々散りながら新しい蕾が咲き、3月頃まで咲続くけ、椿にバトンタッチされる。野生種の花淡い桃色を交えた白色だが、園芸種白、ピンク、赤色があり、最近は八重咲が好まれているようだ。椿との違い開花期の他、花弁がパラパラと散るのに対し、椿は筒状花なので花のままポタリと落ちる。また山茶花の葉はギザギザであることが大きな相違点だ

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2014年11月22日 (土)

解散・総選挙   ヒメツルソバが咲いている  

 今回の総選挙の争点は当然経済立て直しである。アベノミクスと銘打って安倍政権が踏み出した経済政策が、予定通りの効果を見せない故の、解散総選挙だから、当然この政策の軌道修正なり、追加政策を打ち出して世に問うと言うのであれば判るが、既定路線に対する国民の評価を仰ぐとの事。普通にはそれだと×に決まっている。せめて今回強調している地方創生により地方の活性化→経済活性化と言えるならまだしも、具体的には何も着手されておらず、単なる方針だけでは判断のしようが無い。
 対して、野党もこれから選挙戦での争点を整理し始めた段階。本当にどうしようもない不満感が国民の大多数の気持ちではなかろうか。結果が投票率の低下につながらないよう祈る。
 今日はそのうすら寒い中で花を咲かせているヒメツルソバ。通常丸い花の塊りを花と思っている方が多いと思うが、あれは小さな花の蕾の塊りで、その一つ一つが小さな花を開く。今その花が開いてい居たので掲載。
Photo ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)。別名カンイタドリ、或はポリゴナム(学名)。ヒマラヤ原産。日本にはロックガーデン用として、明治中期に導入。冬季の降霜では地上部が枯死するが、地面が凍結しない限り翌年新芽を出す。葉にはV字形の斑紋があり、秋には紅葉する事もある。丈夫なためグランドカバーや石垣に植える。一部野生化している。
3 その花。写真のピントが甘く、判りづらいが、中央やや下に小さな花が2個開いているのお分かり頂けるか。ピンクの小さい花沢山球状に集まっている。球状の集まりは冬以外殆ど年中ついているが、それが咲くのは5-11月で、真夏には一時途絶える。この小花にも内部に種子が成熟する。

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2014年11月21日 (金)

争乱の戦国史167(織豊Ⅳ03): 文禄の役 開戦

 第一軍1592年4月13日(文禄元)に釜山城、14日東萊城(トンネジョウ)を攻略して北上し、27日には忠州で申砬(シンリブ)の軍を破り、第二軍加藤清正軍と合流した。この間、清正軍の中にいた武将が秀吉に大儀なしとして朝鮮側に投降するという事件があったが、続々と上陸した日本軍は、防備体制が十分でなかった朝鮮側に比し戦争技術も武器も勝っており、快進撃を続けた。5月3日朝には第一軍宗・小西軍、第二軍加藤・鍋島軍が都の漢城を占領し、続いて宇喜多秀家・黒田長政が入城した。忠州の敗戦を聞いた国王は都落ちを決意し、4月30日に都を脱出、平壌へと逃れた。
167jpg この漢城占領では小西行長と加藤清正の間で先陣争いがあって、清正が漢城落した報告を2日付で秀吉に送っている。名護屋でこの報告を受けた秀吉の喜びは大きかった。早速清正に16日付で9ヶ条の命令を発している。
 日本軍に乱暴狼藉の禁止を徹底させよ、都に町人を、村に農民を還住させよ、都には秀吉の馬回りと番衆だけを置く事とし、他の大名の軍勢は都の外回りにおけ、兵糧を蓄えよ、秀吉の宿泊所と道路の普請を行えというものであった。
 漢城占領後、諸軍は分かれて朝鮮八道に展開し、全国支配下に入れて明への侵攻の道筋を確保し、兵糧を備蓄することを任務とした。秀吉側では一国を直轄領とし、八道に割り付けた大名を代官とする構想であったが、大名たちはそれを自分の知行だと思って支配の実績を上げようとした。

 5月28日には臨津江(イムジンガン)の戦いで朝鮮軍を破り、翌日には開城をおとした。小西・黒田軍6月15日、国王脱出後の平壌に入城。一方清正は7月の終わり頃には会寧(フェリヨン)まで進み二人の王子を捕えた。清正と鍋島直茂は、咸鏡道南部か中部にかけての要地に配下の武将在番として配置し、直茂自身も中間の咸興(ハムフン)に本陣を置いた。
 日本軍は苛政を除き、善政をしいて民を救おうとしている、帰服するものには保護を加え、抵抗する者は処罰する。だから村・家に還住して、農耕や家業に励め、能力に応じて職を授けようなどと書いて知らせ、支配体制を敷こうとした

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2014年11月20日 (木)

明日衆院解散 かすむ選挙争点  ネメシアが咲いてる

 

 衆院は明日解散となったが、昨日安倍首相は、与党で過半数(238議席)を勝敗ラインと言って、党内から批判され慌てて270議席以上と訂正した。これは各種委員会委員長も全部とれる「安定多数」の議席数だ。現有で与党勢力が326議席(自民だけで295議席)であるから数十議席減少を見越しているのか、というより、この辺りの細かい打ち合わせもまだ出来てないという事かもしれない。
 尚、選挙の争点は、地方創生を主張し始めたが、これはアベノミクスで掲げた経済指標達成が困難であり、アベノミクスでは戦えないためでもある。一方野党も分裂再編さわぎで、とても一体化など出来ず与党と対抗できる政策や論点がある訳でもない。何よりも政治は、現今の無党派層と言われる人たちの望む方向性を捕まえきれないでいる。この人達もう政治に何も期待できないでいるのだ。今、可愛い園芸花が出回っている。今日はその花・ネメシアを紹介。
Photo ネメシアメロウ(Nemesia)。ゴマノハグサ科ネメシア属の宿根ネメシアの園芸名である。今のところやや高価なためか、家庭園芸にはあまり売れてないようだ。写真は花壇に植えられているもの。根の張り方や花の付き方が優れている由。寒さに強く、枯れても春には芽が出るという。
Photo_2 その花。花色や花の形は品種により種々ある。ネメシアには花色ピンク、白、ブルー(薄紫)の3色があり、写真はピンクスワンという品種である。ご覧の通り、スミレに似た花で、花壇や鉢植えに向いているようだ。

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2014年11月19日 (水)

遂に解散表明  初冬の花が咲いている

 昨日安倍首相は記者会見で、衆院解散を表明した。この処の景況感の悪さ、取分け7-9のGDPの悪さにより、消費増税が難しい状況に至り、アベノミクスの失敗論がある中で、基本的には間違っていない、今後必ず成功させるという、アベノミクスの信否を問うと同時に消費増税の先送り承認を問うという大義名分での解散との説明である。
 しかし、多くの評論家や野党は、今この時点で、消費増税の是非の付問は不必要であり、単に安倍内閣の経済政策の失敗を包み隠し延命を図る為の解散に他ならないと反対意見が多い。しかし、すでに21日衆院解散・12月14日投票で動き出した。
 まさに奢る自民党政権の暴挙との印象が強い。本当に今の政権は国民の生活を考えての施政か、安倍内閣の延命を考えての施策か改めて聞きたい感じである。
 一方、今日も好天気でまさに小春日和。気持ちのいい青空の下、雑草に紛れて綺麗に咲いているクジャヤクソウを紹介。
Photo クジャクソウ(孔雀草)。別名ハルシャギク、孔雀アスターなどあり、マリーゴールドの1種である。北米原産で、日本には昭和30年代に導入された。よく分枝し、40~120㎝の草丈になる。庭植えに於いては6月頃切戻すと草丈短く見栄えが良い。寒さ、暑さ共に強く育てやすい。但し写真は野草化した草叢の花
Photo_2 その花。ご覧の通り、花弁を沢山付ける種で、清楚な感じが好もしい。これは花径1.5~2cmの小さな可愛い花である。品種が沢山あり、花期も種々であるが、これは8月中~11月中旬。花色は白色~ピンク・青紫色

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2014年11月18日 (火)

GDP -1.6%と沖縄知事戦の衝撃 

 政府にとってどちらも大きなショックだったろう。いや、国民にとってもこの‐GDP現実をより一層明確に見せてくれたもので、政府の「景気は良くなる即ち賃金も上がる」という幻想がものの見事に打ち砕かれた訳である。生活が苦しいという一般庶民にとっての「淡い夢」が消え去った
 勿論政府にとっても沖縄知事選の敗北の上に、アベノミクスの3本の矢と称される、金融緩和や公共事業(労働者不足、資材の高騰で順調でない)の次の「第3の矢」である成長戦略が上手くいっていない。結果物価上昇だけが進んだ。明らかに失敗である。これの軌道修正もあり、解散・総選挙をやろうとしているが、何のために今選挙なのか。政府の仕切り直しのための選挙でしかなく、国や国民にとって何のメリットもない選挙。思い切って踏みとどまっては如何
 いろんなことが起こっているが、冬は着実に近づいて来た。その中、何故か今年は民家の庭に皇帝ダリアがあちこちで咲いている。
Photo コウテイダリア(皇帝ダリア)。別名木立ダリヤメキシコ~中南米に分布。大きく育が故の皇帝の名。丈が3-4mにもなるが、8月までに剪定すれば短く咲かせる。そうでないときは風に弱いので添木が必要。尚、外灯のあるところでは花芽がつかない。尚茎を短く切って挿し木で増やせる。
Photo_2 その花。茎の頂上に径20cm位のピンクの花を付ける。前記の如く日が短く、日照時間が少なくならない花芽がつかない。それ故外灯などの近くでは花を付けない。花期は11月上旬から12月中旬。但し、霜の降りるような冷え込みには弱く枯れてしまう

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2014年11月17日 (月)

争乱の戦国史166(織豊Ⅳ02): 唐入り準備

 

  1587年(天正15)島津を服属させ九州平定をした秀吉は、出仕してきた対馬の宗義調(ヨシシゲ)、義智(ヨシトモ)父子に対し、朝鮮国王が日本に服属・出仕すべく取計らえと命じた。耕地少なく必要物資を朝鮮との交易で成り立っていた宗氏が、秀吉の服属要求を朝鮮に伝えることが出来ず、秀吉の全国統一の祝賀使節の派遣を要請し、交渉難航の末、漸く1590年3月(天正18)使節派遣にこぎつけた
 正使・黄允吉(ファンユンギル)一行が3月漢城を発ち、7月京都着。11月聚楽第で秀吉に謁見。朝鮮国書は秀吉の日本統一を賀すものであったが、秀吉はこれを服属の使節と思い込んでいた。結果、宗氏は朝鮮に対し明征服の先導役を受容れさせる役目を負った。しかし、使節に同行した宗義智の使僧・景徹玄蘇(博多崇福寺住持)は無理な要求をすり替え、明を攻める為の道を借りたいと要求した。が、朝鮮はこれを拒否した。
166 本来、朝鮮との国交は明国への通商仲介、対朝鮮貿易の拡大、貿易港開港を求めるものであったが、東アジヤにはそういう国交は存在してない。中国を宗主国とする入貢の他の外交体験のなかった朝鮮側は対応の術を知らなかった。名護屋城復元模型(名護屋城博物館)
 このような事情を顧慮することなく、秀吉は大陸出兵計画を進めた。1951年8月(天正19)愛児・鶴松を失った悲しみを振り払う如く、入明の供奉僧を選定し、聚楽第と京周りの直轄領を甥の秀次に譲った。そして来年3月1日出兵の準備を大名に、そして名護屋城の普請を黒田長政・小西行長・加藤清正に命じた。秀次同年12月関白となり、秀吉太閤となって、大陸侵攻の態勢を整えた。
 秀吉は約30万の軍勢を、大陸出兵の衆と名護屋在陣衆に分け、前者は九州・四国・中国地方の大名と九鬼氏の水軍を当て、後者は東国の大名で構成。そして京都の関白秀次の元には近畿・東海地方の大名を配備し、全国臨戦態勢をしいた。
 1592年3月13日(文禄元)、大陸渡海の軍勢15万9千人9軍に分けた陣立書を発表。第1軍の宗義智・小西行長が朝鮮を説得すると一足先に出発したが、朝鮮は応じる訳がなく、結局4月13日対馬の大浦を発した7百余隻の彼らの兵船は同日夕方釜山浦(プサンポ)に到着した。此処に秀吉軍は文禄の役に突入する

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2014年11月16日 (日)

冬めいて 柚子も色づく

 昨日、獅子柚子という、柚子でない柑橘を紹介したので、今日は本物の柚子を載せて置く。大きさは温州ミカン大で、果皮の表皮がデコボコしており、見た目には好もしいものではない。
Photo_2 ユズ(柚子)。本ゆずは、中国、揚子江上流域原産地日本には飛鳥、奈良時代にすでに栽培したという文書がある由。東北以南で広く栽培されており、当地(福岡)では庭木に一本ある家が多い。耐寒性が強く、極東で自生できる数少ない種。但し成長が遅いのでカラタチに接木することが多い。
Photo_3 果実。果実は酸味が強く、又強い香りがあるので、直接食用とはせずに、薬味として、日本料理に於いて調味料として使われる。香味や酸味を加えるために、果肉の液汁を添加したり、果皮をすりおろし、七味唐辛子の代りとして或いは山葵(ワサビ)代わりに使われる。九州では「柚子胡椒」として大分県の特産物となっている。

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2014年11月15日 (土)

初めてみる珍奇な巨大果実 獅子柚子

 団地の側を通りがかりに、この果実が植わっているのに気づいた。南瓜がぶら下がっているようで、なんとも珍妙な感じの果実だが何なのか、名前も判らずにいたが、昨日インターネットで柚子を調べていたら、偶然これを発見。これが何者やっと判明したので本日紹介しておこう。調べると、古から日本にあったというから、知らなかったのは小生だけかも
Photo シシユズ(獅子柚子)。柚子の名前がついているが、ブンタン(文旦)(又はザボン(朱欒))の仲間(大きさもほぼ同じ)である。原産中国で、奈良時代に日本に渡来。外観が柚子とよく似たデコボコがある故の名前。関東以西で栽培され、橙の様に正月に玄関に飾ったりするが、食用よりは観賞用にされているという。
Photo_2 その果実。姿、形はまさに「獅子」の感じだが、柚子の仲間ではないので香りは無く仄かに柑橘類の香りがする。とても大きく、直径約20cm前後。皮が非常に厚く、中身はグレープフルーツ並みの大きさとか。収穫は10月中旬から12月中旬。

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2014年11月14日 (金)

解散風の目が発生 小蜜柑も豊作

 南方・豪州方面に”解散風”という台風の目が発生17日には日本に上陸する見通しとなった。これ自然発生したものではなく、人為的に引き起こしたものだが、収穫直前の”消費増税”を吹き飛ばしても17年にはその実りが収穫できるという。現状の経済状況下では、その被害が大きすぎる、即ち現政権が持たないとの状況を乗り越えるための手段だが、与党にさえ反対論者も居る。解散権は総理大臣しか持たないが、その権利の行使は、首相のためにだけ出来る物ではない事は論を待たない。それ故、今時期の解散は誰のため?なんのため?という疑問が消えない。
 柑橘類が夫々色づき熟し始めた。当地では庭植えされていることが多く、その内の小蜜柑が今秋の庭を彩っている。
Photo コミカン(小蜜柑)。中国原産。約700年前に渡来して、日本で一番古くから栽培されている蜜柑の一種。紀州ミカン或いは葉が多いので葉ミカンとも称す。温州ミカンより一回り小さい。熊本では古くから栽培され、その後和歌山へ伝わり有田郡を中心に栽培された。その後紀伊国屋文左衛門が江戸へ運んだのがこのミカン
Photo_2 コミカンの。温州より小さく、この写真のは径が約3cm。今年は豊作で写真の様に実がぎっしりついている。小さいので、お飾りに載せたり、注連縄橙の代りにつけたりする。勿論食べてもおいしく少し酸っぱ味のある甘い蜜柑で、皮も薄く剥きやすく、何より一口で食べれるのがいい。勿論庭植えは観賞用でもある

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2014年11月13日 (木)

争乱の戦国史165(織豊Ⅳ01): 千利休自刃

 今回より織豊時代第四期とします。1591年の秀吉の絶頂期を境目に秀吉の威勢は衰微し始める。織豊期終焉の章である。
 1951年2月28日(天正19)の早暁、上杉景勝麾下の軍兵3000取囲む京都・葭屋町の屋敷で、千利休茶の湯の支度を整えていた。傍らには脇差が一振り。上杉家中の茶の弟子・岩井備中守から、切腹の沙汰あるを聞いて検使到着を待っていた。秀吉からの検使は尼子三郎左衛門ら3人。利休は3人を茶室・不審菴に招き入れ茶を振舞い、自らも一服した後従容として切腹の座に就いた

 千利休は、1522年(大永2)、堺に納屋衆の長男として誕生、幼名与四郎。当時の堺は富商が自治を行う国際商業都市で流行の茶の湯も盛んであった。与四郎も年少より茶の湯に親しみ、19歳で武野紹鴎に入門。侘び茶を学び、宗易と名乗る。
 次第に名声を高め、今井、津田と共に織田信長の茶頭を務めた。信長没後、宗易はその後継者・秀吉の茶頭となり急速に頭角を現す。1585年(天正13)、秀吉の禁裏茶会で後見役を勤め、正親町天皇より「利休」居士号勅賜され、以降1587年10月(天正15)の北野大茶会はじめ、秀吉の行う茶会を取り仕切った。
 一方で利休の政治力「茶の湯の密室性、寄合性」という極めて政治的な舞台で、武将や京・堺の商人などを招いての威令の浸透によると言われる。
165 しかし、何故にこの秀吉と利休の間に亀裂が入ったか。利休が茶器の目利高値の売買ををする事や、大徳寺山門に自分の木像を置いた事を不遜僭上の行為と怒りを買ったなど謂われるが、利休自身の書き物は一切残っておらず、想定されるのは、1591年2月13日利休が秀吉に堺への退去を命じられる直前、秀長が病没しており、利休の政治的立場が急速に悪化し、石田三成・前田玄以ら若手の派閥の台頭があって、彼らによる弾劾が激しくなって行ったという説が有力である。
 
1591年2月25日、大徳寺の利休の木像が秀吉に召上げられ、聚楽の大門の戻り橋で磔にされた聞き、掲図「我が人生70年、この宝剣で祖仏もともに断ち切る」との遺偈と、「提げる我が得具足の一太刀今この時ぞ天に抛つ」という辞世の和歌をしたためた。かくして28日自刃して果てたのである。享年70

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2014年11月12日 (水)

総選挙なの?迷いの安倍政権  今も咲いてるマツバ菊

 日中首脳会談日本からの要請という形ではあるが、一応執り行われた。向後共、日中間の貿易を継続せねなば、両国の経済が持たない環境であることは、両首脳とも十分に承知している故の成行きである。
 此処に、急に総選挙の話が浮上。日本はアベノミクスが予定通り進まず、安倍政権の行き詰まりとなる危うさもある中で、費税10%にするか否か、難しい判断を迫られている政権としては、増税を回避するか否か難しい判断を、国民の民意による選択へと切り替えようとしているのではないか。それ以外に、今ここで何故総選挙なのか、その必要性が全くない状況なのだ。
 今日本の将来を決める非常に重要な時期に来ている。政権の思惑国民にとっての要不要とは関係なく総選挙をも辞さないという時期である事を肝に銘ずべきべきであろう。今日は今時期でも咲いているマツバ菊を紹介。
Photo マツバギク(松葉菊)。南アフリカに自生。日本には明治初期に渡来し、暖地に広がった。松葉の様に棒状の葉で、菊の花に似る故の名前マツバボタンと名が似るが、葉が似る故で、花は全く別。乾燥や潮にも強く、痩せた土地でもよく育つ。横に這うので、グランドカバーにも適している。
Photo_2 その花。一見にもにているが、花弁は細く、多数が並ぶ。紫色でやや光沢がある。朝に咲き、夕方に花は閉じる。初夏から秋まで、夏は少し休んで長期間開花を繰り返す花色ピンク、赤などもある由。

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2014年11月11日 (火)

小春日が続く  ユリオプスデージーが咲いた

 

小春日と称する11月の冬日和が続く。そんなに寒く無くて、昼間は暖かくまだまだ冬は先という感じの日々だが、今週半ば以降は寒さが到来するという。しかし、草花も花木もこの寒さの中で、来春に向けての変化を遂げている訳で、これからの厳寒を越して、そして来年の成長を遂げる準備をしているのである。昔の人は1年の中で一番寒い旧正月の頃を、よくぞ立春といったものだ。
 この時期、正しく厳寒の冬だった日中間もようやく昨日、2年余の”冬”を抜けて、首脳会談が持たれた。折角訪れた”春の兆し”を後戻りさせずに前進させてほしいものだ
 今日はその冬の中で咲いているユリオプスデージー。最近はやりなのか、この花が植わっている家が多い。
Photo ユりオプスデージー南アフリカ原産。冬~春にかけて、花の少ない時期に一重の黄色い花を付ける。日本には昭和40年代に渡来の新しい花。鉢花として普及した強い性質で、寒さにも強く冬季の貴重な花。生垣にもなる由。
Photo_2 その花。開花期は11-5月花径3-4㎝。花茎を15cm位伸ばして、先端に一輪の花を付ける。長期に咲かせるには、花柄摘みが必須の由。又草丈が伸びると下葉が無くなり、見栄がわえうくなるので、年に2~3回切戻すと綺麗な姿が保て、花付も良いとの事。

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2014年11月10日 (月)

古い映画もいい  ビデンスが咲いている

 昨日、映画『黒部の太陽が上映されているところがあり見に行ってきた。実はこの映画は一度も見てなかったので、見ておこうと思って行ったもの。想像していた通り、観客は同年輩の年寄りばかり。しかし、今更裕次郎でもないが、やはり懐かしの裕次郎であり、三船敏郎だった。それよりなにより、今の映画に比べ物語のテンポがゆっくりしており、その中の会話のテンポも、ゆっくりしている。故に聞き落すこともなく楽しめた。今の映画や、テレビは会話の速度が早く、少し耳の遠くなりかけているものには聞きづらい。大げさに言うと、緊張して見てないと判らぬことが多い。それに比し、昔のはゆっくりした気分で見れた
 そろそろ、時代に乗り遅れる年代になったかとやや寂しい気がしないでもないが、年相応に世の中、楽しんで生きたいと思ったものだ。
 愚痴めいた話になったが、今ビデンスが咲いている。
Photo ビデンス(Bidens)。世界中に約230種が分布し、原産地は世界中と言われる程一杯ある。日本ではセンダン草など6種が自生(二つ)デンス(歯)のラテン語から来た名前で、実に歯のようなトゲが2本ある。晩秋から冬に咲き、季節の合間を埋めるのに適して、且つ強健で育てやすいので増えやすい。伸びすぎを刈込むのがコツ。
Photo_2 その花。キク科なので、花径2-3㎝5枚の舌状花の真中に筒状花がある。花期が夏から正月ぐらいまで咲き、コスモスに似た花なので、ウインターコスモスの名がある。暖地では真冬以外、周年花を咲かせる由。花弁の先端が白い園芸種はコメットイエロ-キューピッド(写真)という品種がある。

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2014年11月 8日 (土)

争乱の戦国史164(織豊Ⅲ26): 家康の関東移封

 小田原城落城目前の1590年6月28日秀吉は石垣山の陣屋で、家康に「小田原城もやがて落ちる。その際は、北条氏の領国を全部差し上げる。代りに、今の領地3国は返上して貰う。東の江戸を本拠地にすればよい」と言い渡した。そして10月には家康は江戸入りをした。
 当時、家康は天下人・秀吉最大のライバル。それで、家康を京都から遠ざけ旧北条領6ヶ国の他、256万石を与えた。その秀吉の意図を昔の定説では、「従来の北条氏に帰属した人々は、土地不案内の家康に従わず、一揆が起るだろう、その隙に攻めれば徳川は瓦解する」と見ていたという「家康いじめ」が一般論
164 ところが、「家康いじめ」定説に対し、実は家康が望んだことという説がある。即ち、「家康は新たな領地の中心地に江戸を選んだだけ」という岡本友彦である。江戸は既に太田道灌が江戸城を築き、北条氏直の頃には関東支配の拠点だった。また、当時の江戸は東国水運の結節点で、伊勢・熊野から品川にたどり着く太平洋海運と銚子や関宿から浅草・葛西に通じた利根川水系という重要な水系を結びつける絶好の港が江戸だったというのである。江戸湾の古地図(都立中央図書館蔵)。
 これに対し、「家康は異常なほど強い上方志向があった」という鈴木理生説がある。即ち江戸入りから没するまでの26年間、家康は京都・伏見や駿府で多くの時間を過ごし、江戸にいた期間は延べ約5年1ヶ月に過ぎないという。これは彼の最終目標が豊臣勢力の根絶であり、上方での最前線指揮の必要があったからだ。まさに本拠地・江戸無視の行動である。

 各論共、夫々の論拠だが、秀吉は「家康いじめ」どころか、江戸の重要性を知っており、天下統一に向けて残された最後の課題「奥州制圧」の拠点つくりを狙って側近中の側近・家康を江戸に送ったと、上記鈴木氏は見ている。また、天下人・秀吉の前では、大名の身分は大変不安定で、いつ国替えがあるかもしれず、家康が「江戸入り」直後、後の大江戸を目標に置いて、手を打ったとは考えられない
 何れも、家康の江戸入りは、秀吉の「家康いじめ」では説明できない点で一致している。それは既にこの時、江戸は政治・経済の要衝であったという事だ

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2014年11月 7日 (金)

日中首脳会議成るか?APEC  千両実る

 今日から北京に於いて中国を議長国としてのAPEC首脳会議が始まった。今日から閣僚会議が始まり、10、11に首脳会議が予定されており、安倍首相も参加する。この機をとらまえ、日中首脳会談を開催しようとの折衝が続けられてきた。但し、両国間の尖閣諸島問題に関し、中国は基本的に中国領土との前提を捨てず、日本の棚上げ案を了解して居らず、最近の日中間の融和ムード演出の中でも、やはりこの尖閣諸島問題の取り扱いでは一致してない。従って谷内安保局長が最終調整に北京へ飛んでいる。この結果にもよるが、両国首脳が世界平和のため、特に東南アジヤの平穏のために如何にすべきか大局観に立っての会談が実現されることを期して止まない
Photo センリョウ(千両、仙蓼)。原産地インド、マレーシア、日本。東アジヤ~インドに分布。日本では関東以南~九州、沖縄までの常緑樹林の半日蔭に自生。万両との違いは千両がセンリョウ科で、葉の上に実を付けるに対し、万両、百両、ヤブコウジはヤブコウジ科で葉の下に実をつける。ヒトリシズカフタリシズカがセンリョウ仲間
3 その実花は7-8月に咲き、茎の先に穂状花序を作る。花後直径5㎜前後の球形の果実を茎の頂点にまとまって着ける。晩秋に色づき、果実には点状のくぼみが二つ出来、大きいのは雌しべ、その脇にある小さなくぼみ雄しべ脱落した跡(写真では不明)。目出度い名前から正月の縁起物に使われる。
 

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2014年11月 6日 (木)

深まりゆく秋  コンギク

 今頃の句には”日ごとに深まりゆく秋、とか染まりゆく紅葉などの表現がある様に、日に日に紅葉は進み、果実も色づいてきた。それを推し進めるのが、朝夕の冷え込み。紅葉は温度変化に対応した酵素の働きだし、果実が甘くなるのは、栄養分を糖に変えて貯蔵するからだ。
 が、この自然の変化に我々生理機能の衰えた年寄りどもは体がついて行けない。仕方なく朝起きたときはもう冬に近い厚着をし、昼ごろの小春日には一転軽装に着替えるという暮らしぶりになる。当然衣服の置場、タンスなどは一杯。しかし、やせ我慢で風邪を引いたら大変だあまり不精せずにこまめにケースバイケースで頑張ろう。
 今頃、コンギクが目に付く。写真は実際より色が薄く映っているがコンギク
2 コンギク(紺菊)。ノコンギクの園芸種が逸出し、野生状態で山野の草地に咲いている。本州~九州に分布、自生。庭植えしている家もあるが、最近少ないようだ。ノコンギクより花色が青く花付きは良い。ヨメナに似るが、ヨメナより枝別れが多い。
 Photo
 下その花。茎先に散房花序(柄のある花が沢山付き、下部の花ほど柄が長く花序の上部がほぼ平らになる)を出す。花径は2‐3cm濃い青紫色の頭花をつける。開花期10-12月

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2014年11月 4日 (火)

どうにも危うい川内原発  ホトトギスが咲きだした

 川内原発再稼働の知事の同意要件は、薩摩川内市と県議会の判断を上げていたが、さきに同意を表明した川内市に続き、県議会も再稼働を認める公算が大きくなった。宮沢経産相も川内原発視察後、県庁に入り「再稼働後、万が一事故が起きた場合には国が先頭に立って責任を果たすと約束する」と述べ、再稼働への協力を求めた。と、報じている
 この「万一事故が起きた場合」に責任を持つとはどういう意味なのか。事故が起きてしまった後の責任など持ちようがないではないか。この時期に霧島火山のマグマ量が増加しており、いつ噴火するか判らぬ状況という。火山学会の最近の議論でも向後の予知が議論されたようだが、普通噴火の兆しがあってから実際に噴火するまでの期間は、原子炉停止に至る時間よりずっと短いという。考え直すの今だ!今ならまだ間に合う!
 いろんな問題を抱えて地球は回っているが、季節は間違いなく移ろっている。小さいながら可愛いホトトギスが咲きだした。
2 ホトトギス(杜鵑草)。東アジヤ20種類ほど存在する内、10種類日本固有種と言われ自生する。山野草として人気があるが、写真は民家の玄関脇のもの。別名ユテンソウ(油点草)、単にホトトギスと称するのは関東以南の本州、四国、九州の山野の日陰に自生。冬は地上部は枯れるが水は必要。
Photo その花。開花期10-11月、白地に濃紫色の斑点のある花弁が6枚。花径2cm弱。花弁の内側にあるのは、6本の雄蕊(写真は判りにくい)。その内側に花柱(雌しべ)が立っているのが判る。花柱は3つに裂けて更に先が二つに裂けている。

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2014年11月 3日 (月)

争乱の戦国史163(織豊Ⅲ25): 奥州仕置全国統一成る

 北条氏を制した秀吉は1590年7月19日(天正18)、引続き奥州を征する小田原を発し20日下野宇都宮に着き、伊達政宗・最上義光を呼び、領国支配の意見を聞いた。8月9日に会津・黒川城に入ると、小田原に参陣しなかった理由で、白川義親・石川昭光・大崎義隆・葛西晴信の領地を没収した。
 そして、会津領と白川・石川領などを蒲生氏郷に与え、伊勢松坂から会津に移し、奥羽の司令塔とし、大崎・葛西領は直臣の木村吉清・清久親子に与え伊達領の南北を押さえて監視役ともした。その他の大名は領地安堵。秀吉の処置は、早く来降した者は優遇、遅延者は相応の処分、不参者には罪科を課した。上杉氏は天正16年(1588)、武力制圧の庄内地方領有は惣無事令違反ながら認め、又天正18年津軽の南部氏族・大浦(津軽)為信はいち早く秀吉に通じ、津軽の一部領有を認め大名とした。だが遅れた南部信直父子は7月に小田原に至り、津軽為信と九戸を討つ事を諭されたのみだった。

 秀吉は会津滞在三日間で、8月12日、黒川城を発し9月1日京都に凱旋した。しかし、10月17日早くも木村父子の領土となった葛西・大崎に於いて一揆が起った。木村氏の俄な重用、譜代の部下なく旧主配下への無配慮に反発が噴出。政宗は様子を見たが、徳川家康が榊原康政や結城秀康を出兵せしめ、黒川城にあった蒲生氏郷も兵を進め、政宗に異心ありと疑い、単独で一揆を撃退して、佐沼城の木村親子救った。後に政宗異心問題も解決し、秀吉は1591年2月9日(天正19)、木村親子の封を奪い、その地を政宗に与えた
163_2 然るに続いて九戸政実の乱が起った。1591年正月、九戸氏が先に併呑した南部氏の領土の返還を命ぜられのを墳って、葛西・大崎・庄内などに乱入したのである。そこで同7月家康・秀次を大将に、政宗・氏郷に二本松から、佐竹義宣・宇都宮国綱に相馬口から進ませ石田三成をして軍を監させた。又上杉景勝にも最上口より攻めさせ、政宗佐沼城を落とし9月氏郷は福岡城に九戸を降して、前後の一揆も完全に終息し、秀吉の奥州仕置きは此処に完了し、全国統一が生ったのであるは秀吉の奥州仕置図

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2014年11月 2日 (日)

ビール類税率一本化?  七変化の実

 自民党・税制調査会は2015年度税制改正大綱で中長期的な酒税改革を打ち出そうとしている。何しろ、来年度国家予算の内、税収で賄えるのは50%に過ぎないという現実から、勿論税制改革は増税を目論んでのことではあろう。ビール類の税は、350ml缶ビール77円、発泡酒が47円、第3のビールが28円と、使用する麦芽量により差をつけている。当然のことながら安い発泡酒、第3の消費量は増えたが、ビール消費量は減少した。酒造会社は大変な努力(研究開発、新工場建設等)の上、現税制に沿った生産体制を築いてきた
 消費の多い発砲、第3の税率を上げ、普通ビールの税率は下げようとしている。当然メーカーには打撃となろうし、消費者のビール離れがより進むかも。何れにせよ、メーカーにも消費者にも公平感を持たせる税制改革でないと朝礼暮改のそしりを免れまい
 くるくる変わる税制を揶揄する訳ではないが、今日は「七変化」の実をとりあげた。
Photo シチヘンゲ(七変化)の実。七変化の花は既に紹介済み。その花に実が付き始めるのは6月頃より。散形花序の花色を変えながら、その塊りの中の小さな花の一つ一つに次第に実が付き初め、緑の実が今頃は熟してくる。変化で色を変えて咲き続けた花も、結実を以て花は終わる。
Photo_2 その実。花期を終えて最初緑色の実は、やがては青く、そして黒っぽい藍色へと変化してゆく。この果実には毒がある。毒成分はランタニンと呼ばれ、かなりの毒性のため、激しい腹痛と嘔吐や下痢の症状が出る。しかし鳥は食べても問題ないのは、噛み砕かず、毒性のない周りの果肉部分だけを食べ、種子は排出するからである。

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2014年11月 1日 (土)

金融緩和で株価急上昇  ポンポン菊が綺麗

 昨日の日経平均終値755.56円上昇した。日銀が景気刺激策として追加金融緩和を発表たからである。元々、安倍政権は公的年金資産を運用するのに、株式の比重を倍増する投資比率の見直しと、対して国債債券比率を引き下げるという成長戦略を持っていた。が、ここにきて、景気回復が遅れ消費税の追加増の是非が難しい状況である中での、「完全なサプライズ」と言われる措置なので、政府との協調演出だとの批判もある。因みに今朝の円/ドルは112.34円/ドルと円安に大きく振れた。さて来週の円相場と株価変動が見ものだ。
 今菊の季節となったが、今日は最近出始めた真ん丸のポンポン菊を紹介。
Photo ポンポンギク(ぽんぽん菊)。ポンポンマムとも呼ばれ、両方が同一という人と別物扱いする人がおり、正直同異が判らない園芸品種の菊。また、ゴールデンピンポン或いはジェニーオレンジと言われる品種もある。ピンポンは丁度大きさがピンポン球に似る故の名だそうだ。
 Photo_2
 下接写の花。写真の如く真ん丸の花生け花に使いやすいそうでよく使われる由。最近出てきたが、写真の様に道端の小っさな花壇にも植えられている。場所を取らない良さもあるようだ。

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