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2014年11月 3日 (月)

争乱の戦国史163(織豊Ⅲ25): 奥州仕置全国統一成る

 北条氏を制した秀吉は1590年7月19日(天正18)、引続き奥州を征する小田原を発し20日下野宇都宮に着き、伊達政宗・最上義光を呼び、領国支配の意見を聞いた。8月9日に会津・黒川城に入ると、小田原に参陣しなかった理由で、白川義親・石川昭光・大崎義隆・葛西晴信の領地を没収した。
 そして、会津領と白川・石川領などを蒲生氏郷に与え、伊勢松坂から会津に移し、奥羽の司令塔とし、大崎・葛西領は直臣の木村吉清・清久親子に与え伊達領の南北を押さえて監視役ともした。その他の大名は領地安堵。秀吉の処置は、早く来降した者は優遇、遅延者は相応の処分、不参者には罪科を課した。上杉氏は天正16年(1588)、武力制圧の庄内地方領有は惣無事令違反ながら認め、又天正18年津軽の南部氏族・大浦(津軽)為信はいち早く秀吉に通じ、津軽の一部領有を認め大名とした。だが遅れた南部信直父子は7月に小田原に至り、津軽為信と九戸を討つ事を諭されたのみだった。

 秀吉は会津滞在三日間で、8月12日、黒川城を発し9月1日京都に凱旋した。しかし、10月17日早くも木村父子の領土となった葛西・大崎に於いて一揆が起った。木村氏の俄な重用、譜代の部下なく旧主配下への無配慮に反発が噴出。政宗は様子を見たが、徳川家康が榊原康政や結城秀康を出兵せしめ、黒川城にあった蒲生氏郷も兵を進め、政宗に異心ありと疑い、単独で一揆を撃退して、佐沼城の木村親子救った。後に政宗異心問題も解決し、秀吉は1591年2月9日(天正19)、木村親子の封を奪い、その地を政宗に与えた
163_2 然るに続いて九戸政実の乱が起った。1591年正月、九戸氏が先に併呑した南部氏の領土の返還を命ぜられのを墳って、葛西・大崎・庄内などに乱入したのである。そこで同7月家康・秀次を大将に、政宗・氏郷に二本松から、佐竹義宣・宇都宮国綱に相馬口から進ませ石田三成をして軍を監させた。又上杉景勝にも最上口より攻めさせ、政宗佐沼城を落とし9月氏郷は福岡城に九戸を降して、前後の一揆も完全に終息し、秀吉の奥州仕置きは此処に完了し、全国統一が生ったのであるは秀吉の奥州仕置図

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