« 銀行振込時間拡大?  コスモス真盛り | トップページ | 自然の脅威の認識と怖れを!  秋名菊満開 »

2014年10月12日 (日)

争乱の戦国史158(織豊Ⅲ20):北条氏へ最後通告

 戦国大名・北条氏は早雲から5代目の氏直になっていた。この間約100年、北条氏は奇襲と謀略を用い、巧みな外交戦略と卓越した民政により関東を支配した。4代氏政、5代氏直は、三河・徳川家康や奥州・伊達氏と同盟を結び、秀吉への対抗を目論んだが、天下の趨勢は秀吉に傾いていた。
 九州平定後の秀吉1586年5月(天正14)に上洛した上杉景勝や同年10月上洛の家康を使って、北条氏の平和帰属を画策した。家康は関東惣無事令による秀吉の停戦命令書を北条に取次ぎ、従うよう求めた。続いて秀吉は「関東・奥羽惣無事令」を大名・国人に発し、停戦、秀吉裁定による国分令の受託、上洛・出仕の三点を求めた。
F158jpg しかし、未だ北条氏は関白の領土裁判権を振りかざしての停戦命令に納得できず、真田昌幸の沼田領奪取に執着していた。だが秀吉は家康の上洛・臣従により信濃の真田・小笠原・木曽を所領安堵の上、家康に付属させてしまった。北条は同年末から国(北条領国)の非常時と認識し、秀吉との戦争も視野に入れ、城の修築・普請を進め給人・地侍・百姓の動員体制を強化していた。(北条氏菩提寺・早雲寺
 唯、北条に秀吉との和平を求める意志がなかったわけではない。秀吉の上洛命令に対し、上洛条件として家康の時と同程度の人質などの待遇を要求し、1588年8月(天正16)氏政の弟・氏規を上洛させた。秀吉は、北条が何事も秀吉に従うと言って来たので赦免し、やがて上使を遣わし、国分けを行うので皆も上洛せよとの意向を関東諸将に伝えた。

 秀吉は1589年(天正17)、沼田領の2/3は真田から北条に割譲し、相当分を家康から真田に渡すとの裁定案を示した。北条はこれをしぶしぶ受託し、年末の氏政上洛を誓った。7月裁定通りの引き渡しが行われた。ところが、その3ヶ月後、北条方が真田領である名胡桃城を奪い取ったのである
 この報を受けた秀吉は糾明の使者を送り、次いで11月24日付で、氏直に5ヶ条の朱印状を(宣戦布告状)を発し。「公儀を侮り上洛せず、・・・・勝手に狼藉を働き・・・・」から始まり、「勅命に逆らったものには誅伐を加えねばならぬ来年必ず出兵して首を刎ねる」と結んだ。

|

« 銀行振込時間拡大?  コスモス真盛り | トップページ | 自然の脅威の認識と怖れを!  秋名菊満開 »

戦国時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/60464344

この記事へのトラックバック一覧です: 争乱の戦国史158(織豊Ⅲ20):北条氏へ最後通告:

« 銀行振込時間拡大?  コスモス真盛り | トップページ | 自然の脅威の認識と怖れを!  秋名菊満開 »