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2014年10月 1日 (水)

争乱の戦国史156(織豊Ⅲ18): 刀狩と海賊停止

 秀吉の全国統治システムで、検地による知行制の確立と共に欠かせなかったのが、生産の安定・確保を図る為の「刀狩令」であった。それは大名にだした「惣無事令」、海で活躍する民に出した「海賊停止令」と並んで秀吉の「平和令」の一つであった。
 九州を平定した1587年(天正15)、肥後で国人一揆が起きた。太閤検地によって有力農民の既得権が奪われることへの反発であった。中世の農民は武器を手に戦う半農半兵の存在であり、一揆を組んで大名を脅かす事もあった。九州の一揆も秀吉の九州支配を揺り動かし、北野大茶会も1日で中止せざるを得なかったのである。
 そこで秀吉は百姓の武器を没収することにより、農業に専念させて、一揆・反乱を未然に防ごうととしたのである。これにより、武士・町人・百姓の職業による身分固定化が起こり、兵農分離が実現した
F156 1588年7月8日(天正18)、秀吉は紀伊・和泉制圧過程での刀狩令を元に、全3ヶ条の刀狩令を諸国に発布した。図の通り長い文章だが、要約すると
第一条:諸国の百姓の武器所持を禁止する。持てば、年貢出し渋り一揆企て領主に反抗する。さすれば田畠不作となって年貢が散れなくなる。故に大名・給人代官は武器を集めて進上せよ。(この条は大名・領主にたいしたもので、実行させるための条。(刀狩令(大阪城天主閣蔵))
第二条:没収した刀・脇差等は無駄にせず方広寺大仏建立の釘やかすがいに使う。だから百姓は現世のみならず、来世も救われる。(この条百姓向けの目的の条)
第三条:百姓は農具だけ持って耕作に専念すれば子々孫々まで長久である。(この箇条は今後の百姓の有りていを説いている。

 刀狩と全く同じ日付けで、秀吉は三ヶ条からなる海賊禁止令を出した。
第一条では、諸国海上において、賊船の儀堅く御停止なさるる。とし、その理由を第二条で、諸国の浦々の船頭漁師ら船を使う者を領主が調べ、海賊行為をしないと誓約した連判状を出させ国主が集めて秀吉に提出せよ。とし、第三条で領主の油断で海賊する者がでれば海賊は秀吉が成敗し、領主は知行を没収すると罰則を定めた。
 即ち海上も秀吉の支配下であり、海上通航の安全保障と違反者処罰は関白の権限と言う方針を明示したのである。尚、これは朝鮮出兵に備えて船と船頭、水主(カコ)を把握する事と倭寇を取り締まり明との勘合貿易を復活する狙いが在ったと思われる

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