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2014年9月

2014年9月30日 (火)

稔りの秋  カリンも豊作

 今年は果実類も押しなべて花付きがよく実が沢山付いている。中でも、カリンは余り沢山実を付けたのを、私は見たことがないが、今年は沢山実が生っている。但し園芸では、沢山実が生りすぎると、小粒になるので、大概は摘果して大きい果物にするのが普通だ。
 しかし、庭に生る果樹は自家消費なので、或は摘果が面倒なので殆ど生りっぱなしにしているせいか、庭木の果実は概して実が多い
 昨日に続き、今日も木の実でカリンを採り上げた。
Photo カリン(榠樝)。マメ科のカリン(花梨)とは全くの別種。別名安蘭樹(アンランジュ)。中国東部原産。日本への渡来は古いが時期は不明。花期が3~5月で、綺麗な花を付けるが、高所に咲くせいか、余り目が行かない。花、果実が楽しめ、且つ新緑も、紅葉もいいので庭木としては最適だが、大きくなるのがやや難点。語呂合わせで「かりん」は「金は貸すが借りない」の縁起を担ぎ、家の表にはカリンを、裏にはカシノキ(貸し)を植えて商売繁盛とか。
Photo_2 その実生薬名では和木瓜(ワモッカ)という。局方外生薬規定では、カリンの果実木瓜と規定しているので、日本では木瓜がカリンのこと。成熟した果実は楕円形でトリテルペン化合物により芳ばしい香りがする。10-11月に収穫。果実としては渋く美味しくないので、生食はせず砂糖漬けや果実酒にする。カリンは果糖、ビタミンC、クエンサンなど含み、特にカリンポリフェノールが咳や痰の炎症に効くとされるので家庭の常備薬として果実酒にされる他、のど飴にも配合される。

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2014年9月29日 (月)

御嶽山、大惨事に  木斛の実が目立つ

 御嶽山の噴火は死者、心肺停止者併せ31名になった。突然のアッと言う間の出来事であり、岩石の混じった暑い、微粒の灰を含む火山灰が頭上から降ってきたのだ。その瞬間の退避や防護のやり方が生死を分けたことが、生還者のインタビューで明らかになった。
 やはり、登山は天候の急変や落石など思わぬ災害を招く状況変化が起こるものとして、備えを持って登らねばならぬことがよく判った。亡くなられた方には哀悼の意を表すと共に、帰還者体験をできるだけ多くの人に伝え残してほしい
 さて、気候は愈々秋らしくなって、多くの木が実をつけている。その中で、今日はあまりお目に掛からぬ「モッコクの実」を紹介。
Photo モッコク(木斛)。モッコクはモチノキ、マツと並び「庭木の王」と言われる。が、この樹にこんな実が生るとは知らなかった。葉が美しく、樹形が整うため、庭木に好まれる他、堅く美しい赤褐色を帯びる材は床柱などの建材の他、櫛などの木工品の素材となる。又樹皮は繊維などを褐色に染める染料に用いられる。
Photo_2 その。7月頃、径2cm位黄白色花を付け、芳香を放つ。雄花を付ける(雌しべは退化)両性花の樹があり、両性花の株のみ写真の様な径1cm余りの卵状球形の果実を付ける。一寸見にはリンゴの小型の様で、秋には赤くなり目立つので、アカミノキの別名がある。熟すると分厚い果皮が裂け、赤い種を露出する。鳥が食べて種を遠くへ運ぶ。

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2014年9月28日 (日)

御嶽山突然の噴火  金木犀が咲き秋となる

 昨日、長野・岐阜両県境の御嶽山(オンタケサン)が突然噴火。当時、山頂付近に250人の登山者がいて、負傷者・行方不明者が多数出ている。何故この様な惨事となったか。気象庁の地震計は入山禁止とする警戒レベル3には到達してない、レベル2しかキャッチしてない。しかし、現実には大きな噴火であり、向後地震計による警戒レベル、特に入山禁止とする諸条件の見直しが必要となった。
 昨日、昼間に住宅街ウオーキングして、急に金木犀の香りが強くなったと感じた。住宅街では30~50m置きに、金木犀を庭木としている所以であるが、ここにきて急に開花し、満開状態となったせいであろう。私はこの香りに接すると、「阿々、秋が来た」と実感する。彼岸花と秋の虫は秋の前兆で、朝夕秋めいて、昼は夏に逆戻りし、秋と夏が行ったり来たりする期間。それが、朝からうろこ雲が出て、金木犀が薫ると完全に秋なのだ。と思っている。
Photo キンモクセイ(金木犀)。ギンモクセイの変種である。樹皮がサイ(犀)の皮膚に似る故の名。中国南部(桂林地方)原産で、日本には江戸時代初期に渡来雌雄異株であるが、日本には雄株しか入ってないので結実しない。主に庭木や公園樹として観賞用である。梔子(クチナシ)、沈丁花(チンチョウゲ)と共に3香木の一つ
Photo_2 その花。花期9月下旬~10月中旬の間の約2週間と短い。雄しべが2本不完全な雌しべを持つ。芳香はギンモクセイより強い。香り主成分はβ‐イオノン、リナロール、γ‐デカラクトン、3-ヘキセノールなど。この内、γ-デカラクトンはモンシロチョウへの忌避作用がある。花冠は白ワイン漬桂花陳酒、茶に混ぜて桂花茶、蜜煮の香味料などにも利用。
 

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2014年9月27日 (土)

争乱の戦国史155(織豊Ⅲ17): 太閤検地

 豊臣秀吉が全国の統一支配を成し得た最大の要因「太閤検地」を実施し、全国から統一基準による徴税システムを作り上げたことにある。それまでの戦国大名によって行われた指出検地では、田畑の面積は農民の自己申告によっており、誤りや虚偽申告も含まれていた。更に「隠田」と呼ばれる未申告田畑も相当あった。又長さ重さの基準が地域により違って、正確な米生産力の把握は不可能であった。
 これに対して、秀吉の検地は統一政権の検地として非常に厳格なものであった。原則的には検地奉行が実際に現地に赴き、田畑を測量し、その生産力を米の量(石高)で換算する石高制を採用した点が大きな特徴である。この制度を以下箇条書きで簡明にすると以下の如くなる。
.田・畠・屋敷の面積を測る基準を統一:1間の長さ=6尺3寸とし、面積は1間四方=1歩、3百歩=1反とする。又30歩=1畝、10反=1町とする。
田畑の等級(国盛)と石高:田畑の1筆毎に上・中・下・下々の4等級とし、1反当りの斗代(基準生産量=石盛)を定め、面積を乗じて石高を算出する。
測り枡の統一:従来地域により異なっていた枡を、京枡図示の枡)に統一する。
1地1作人の原則:作職(耕作権)を持つ者のみ検地帳に登録し、年貢納入責任を負わせる。
村高を決める:村の境界を定め(村切)、村単位で検地を行い、検地帳を作成し、村の石高を定める。検地帳は百姓に写させ、記載内容を承諾した請状を出させる。
 年貢高は通常、村高を基準に、何割何分という年貢率を乗じて、村に対し納入が請求される。村役人は村の年貢高分を整えて納入する。これが年貢の村請である。
F155 こうして定まった村高を元に秀吉は大名や家臣に知行(所領)を宛がう。そしてそれを元にや諸大名の負担する軍役が定められた。この様に、同じ基準で軍役をかけることが出来、大名の家格や序列の統一的な体系を創出でき、大名をどこにでも転封させること出来た。それは又、各大名領で大名と家臣の間でも行われる。この様な制度を作ることで、豊臣政権に入る税は増え、秀吉は巨大な経済力を得て、統一政権は超越的で専制的な権力となる事が出来たのである
 但し、秀吉の検地は1582年(天正10)、山城の検地から始まり、1598年(慶長3)まで掛っており、その間に制度化も進んでいったのである。奥州平定後の1590年(天正18)の陸奥・奥州の検地では、検地奉行・浅野長政に与えた指示には「検地に反抗する首謀者は国人であろうと農民であろうとなで切りにせよ」いう厳しいものであったっという。太閤検地に反抗する首謀者は処刑し、首は塩漬けにして都へ送られるという凄惨を極めたのであ」った。 秀吉の石高制による知行制江戸幕府にも引き継がれて、近代の支配の仕組みとなり、その土台は太閤検地であり、画期的った。

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2014年9月26日 (金)

紅白の酔芙蓉

 私の散歩道に、一本の木に紅白の花を付け、且つその白い花は酔芙蓉で、夕方から色がピンクになるという八重咲きの木がある。白は2週間前から咲いているが、紅はいつみても蕾の様で全開してない。全開を待ったが咲かないので、そのまま掲載した。
2 紅白の酔芙蓉。原産地中国、日本。酔芙蓉は一重もあるが、大方は八重だそうだ。芙蓉は夏に咲くが酔芙蓉の花期は9-10月。道路の池側の崖にあるこの木は花が丁度目の高さとなっている。酔芙蓉は1日花で寿命は短いが、沢山蕾を持ち、次々と花が咲き続けている。
Photo 紅白の花。紅と白は枝分かれして別の枝だが、1本の木が沢山枝分かれして、紅白入れ混じって咲いている。この場合の紅はこんな風に蕾様にしか咲かないものだろうか?ひょっとして紅は夜咲いているの?
Photo_2 
ほろ酔?の白。午前中の白は真っ白だが、午後3-4時ごろはこの程度にピンクがかっている。多分夕方から夜には赤くなっているだろう。

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2014年9月25日 (木)

ダイエーが消滅へ   ハギも見頃

  

ダイエーは当地福岡にとっては今でも忘れがたい存在である。スーパーのダイエーは業界での浮沈により消去る運命となったが、当地の福岡ドーム球団ダイエーの本拠地であった。旧西鉄ライオンズが西武ライオンズとして埼玉に移って以降、プロ球団がなかったこの福岡市にダイエーの中内氏が、元南海ホークス球団を買収し、ダイエーホークスとしてスタートさせ、根本氏が監督に就任した。その後に現会長の王貞治氏を監督に招へいし、優勝を争う球団に育成した。開閉式の屋根を持つこのドーム球場とその球団は福岡市民の誇りでもある。故にダイエー並びに中内氏に対しては特別な感情を持っている人は少ない筈である。
 そのダイエーもイオンに吸収され、社名も消えていく。世の移り変わりは如何ともしがたいやや切なく、寂しい感じもする。今はソフトバンクホークスとして見事によみがえって、優勝を争っているが、その根っ子は矢張りスーパー・ダイエーだった。
 秋の花・萩も彼岸が過ぎてそろそろ終わりに近づいたが今盛りの花を紹介。
Photo ヤマハギ(山萩)。一般にハギといえば、このヤマハギを指す。日本のほぼ全域に分布し、古くから日本人に親しまれて、万葉集にもよく詠まれた花。別名エゾヤマハギ。茎は木質化し固くなるが、年々太くなることはなく、毎年根本から新しい芽が出る。先端から多数の花枝を出し、瘦せ地でもよく育ち緑化資材としても活用される。
Photo_2 その花。花期は7-10月紅紫色の蝶型花を沢山付ける。萩の花は性的な象徴物でもあって、万葉集では芽子の文字を当て訓読みで女性器の呼称となる。和歌では萩と鹿との取り合わせが好まれ牡鹿の角男性器の象徴に他ならないという。萩の花新しい枝のみに付く、依って毎年選定すると花付きが良い。 

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2014年9月24日 (水)

米 「イスラム国」空爆   ツルボも咲いて

 22日夜から、シリア領内のイスラム教過激派組織『イスラム国』の拠点を、米国は空爆した。作戦にはサウジアラビアなど中東5ヵ国も参加。シリア政府との事前調整も行わないままで軍事行動に踏み切ったとされるが、米国はシリアのジャファリ国連大使に空爆開始数時間前に通告したとシリア外務省は23日の声明で明らかにしている。
 米軍は8月よりイラク国内での空爆は始めたが、シリア国内では今回が初めて。イラクはイラク政府の要請での空爆だが、シリアは米国に軍事要請してないので、国連安保理決議のない空爆は法的根拠がない主権国家への軍事加入だとの批判を浴びかねないという。
 法的根拠の有無は、欧州各国でも異論があり、対「イスラム国」との戦闘が泥沼化しかねないとの懸念が強まっている。  
 16号台風の影響か、蒸し暑いが、季節は完全に秋。今日は初秋の花ツルボ
Photo ツルボ(蔓穂)。別名サンダイガサ(参内傘)、宮中参内の傘を畳んだ形に似る故の呼名。名前はツルイイボ(蔓飯粒穂)からの転化説がある。北海道から南西諸島まで分布。日当たりの良い道端に生育。史前帰化植物。元々は彼岸花と同じ救荒作物(飢饉のときの代用食物)との説もある。あく抜きしないと下痢する由。
Photo_2 その花。葉の間から20-40㎝の花茎を立て、総状花序(柄のある花が花茎に均等に付く)で、薄い紅紫色の花を付ける。花被片は6枚雄しべが6本ある。開花後に葉が出ることが多い。開花期は8-10月

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2014年9月23日 (火)

争乱の戦国史154(織豊Ⅲ16): キリスト教禁止令

 秀吉は、当初キリスト布教を認めていた。しかし、次第にキリスト教の教義が、これから作ろうした体制と矛盾し、国家統一に悪影響を及ぼすと考え始める。
 九州出征で、肥前・大村純忠(初のキリシタン大名が長崎をイエスズ会の教会領に寄進しているのを見、又キリシタン大名があちこちに出現している状況に憂いを抱いた。そこで、九州平定後の秀吉は1587年6月18日(天正15)、博多で11ヶ条の覚書を出し、「個人のキリスト信仰は心次第」としながらも、大名や上級武将に限っては、キリスト教入信は秀吉の許可制とした。
 次いで翌19日夜、キリシタン大名の高山右近棄教を迫ったが、右近が拒否したので彼を追放処分とした。また、博多湾に停泊中のポルトガル船にいたイエスズ会の凖管区長ガスパル・コエリュに対し、強制的な布教や日本人を奴隷としての売買など4ヶ条に付き詰問した。その上で、5ヶ条から成る「伴天連追放令」を発して、20日朝に使者がコエリュ側に手渡した。事実上のキリスト教禁教令である。その内容は箱崎八幡宮の門前、堺・京・奈良・高野山・伊勢神宮にも高札が掲げられた。
F154_2 その第1条で、日本は神国として、キリスト教(邪教)の布教を禁止する。第2条では、大名・領主を信者にして神社仏閣を破壊させていると非難し、大名・領主の所領は秀吉が権限を持って貸しているだけであり、天下の御法度守るべし。第3条では、布教が仏法を破り曲事だから、バテレンは日本に置いておけない、20日以内に帰国せよ。としながらも、一方で、第4・5条で黒船(ポルトガルの貿易船)の商売は保障する、仏法の妨げをせねば商人でも誰でもキリシタン国から来て良いと、貿易促進の政策を明示したキリシタン禁止令の写し(松浦資料博物館所蔵)。
 だが、布教と貿易は分かちがたく、秀吉が貿易を奨励したかったので、1~3条の徹底は出来ず、この後もキリシタンの数は急増した。しかし、大村純忠の教会領没収は貿易独占を一歩進めたし、一部教会の破壊・キリシタン迫害も行われた。そして、大名・領主の領地は人民と合わせ公儀から預かったものという考えは江戸時代まで浸透する。第6~8条は一向宗が各地に寺内を立てて年貢を納めないなどは「天下のさわり」として、更に大名や給人の信仰強制や教会領はそれ以上に「天下のさわり」としている。第10条では日本人を国外に売り渡すことや国内での売買を禁止第11条では、牛馬売買して食べる事禁止している。以上、人民が自分の意志でキリシタンであることもキリシタンに改宗するのも禁止しない。但し、大名・給人に対して信仰・布教に規制を加え、デウスではなく天下の法度に従うべきことを宣告したのである。

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2014年9月22日 (月)

台風16号が近づく  サルビアも終わり

 昨日から最高・最低とも気温が2℃ほど上がったら大変暑く感じる。直しかけた夏ものを引っ張り出してきている。どうやら台風16号が近づきつつあり、その影響で湿度が上がったせいらしい。この台風、変わったルートで、対馬海峡を通って山陰辺りに上陸。列島を縦断に近い格好で関東から太平洋に抜けそうだというのが、現在での予報。今夏は台風の影響を受け、雨風での被害が大きかったが。列島に上陸した台風は一つだけと言うから、その珍しい『上陸した台風』になりそうだ
 さて、天候不順な夏だったが、その中で元気に咲き続けたサルビアもそろそろ終わりそうなので、夏の花の最後に載せて置こう。
Photo サルビア(Salvia)。サルビアには色んな種類があるが、日本では一般的にサルビアと言えば、ルビア・スプレンデスをいう。スプレンデスはブラジル原産標準和名ヒゴロモソウ(緋衣草と言う立派な名があるが、あまり使われない。今、一般的に栽培されるのは草丈30-50㎝の矮性種が主である。不耐寒性のため、春まき1年草とし扱われる。夏・秋の花壇、プランターに多く使われる。
Photo_2 その花。赤色で茎の先端に花穂を形成、筒状の緋色から、長い花筒を持つ唇花が段状に沢山でる。唇花の密は美味との事。花期7-10月。白と赤のツートンカラーのユニークな花・トーチライトがある。花びら自体は咲いたと1日ほど落ちてしまう長い間鮮やかな色がそのまま残るので、長期に咲き続けている感がある

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2014年9月21日 (日)

空家の増加が問題化  痰切豆が咲ている

 今空家住宅が増加している。2013年の空家が820万戸。5年前より63万戸増加。県単位での空家率で多いのは16%前後、少ないのは10%前後で、押しなべて意外と空家が多い。原因核家族化が影響し、年老いた住人が病院や施設に入り、或は子供に引き取られたりして、家だけが残る。家屋を残せば税金は住宅地として安いが、更地とすれば、家屋を撤去する撤去費が高いのと、住宅地でなくなり不動産税が高くなる。それで手つかずのまま住宅地として放置される。
 すると、空家に浮浪者が入り込んだり、若者の屯場所になり、或は野良猫や野獣の棲みかとなっている。住宅地の中にこんな不安な建物が存在するのは周りの住民にはとんだ迷惑だ。
 それで、自治体によってはこの撤去費の3割を自治体が負担する制度のところもあるが不公平だと批判も多い。政府もこの対処のための法案を準備中だが・・・
 急に秋になり朝夕寒いが、昼は爽やかで気持ちのいい季節となった。今頃夏に生い茂った雑草も多いが、その中に珍しい野草・淡切豆が咲いていたので紹介。
Photo タンキリマメ(痰切豆)。関東以西から沖縄にかけての山野に生育するつる性植物。朝鮮半島、台湾、フィリッピン、中国にも分布。痰を切る薬効があると信じられての名前だが、実際には薬用として用いられてはいない。別名狐豆、巾着豆。葉には表裏共に褐色の毛があるのが特徴。
Photo_2 その花長さ1cm弱薄い黄色の蝶型花を総状につける。花期は長く7-10月、日当たりの良い場所で、次々と花を付ける。但し花茎が短いので、花は葉に隠れて見えづらい。秋には花と同時に実もつける。1-2cm程の豆果をつけ、中には1-3個の径5㎜程の豆が入っている。

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2014年9月20日 (土)

天候不順ながら、米作柄平年並みだが・・・ 稲の花

 今年の夏は日本列島何処もが天候不順で雨が多く、且つ気温変動は大きく決して稲作に良くは無かった筈と思ったら、今年の作柄は平年並みと言う。理由は温ー熱帯地の作物で、気温と水があれば日光照射量は必要ないという。しかし、問題は昨年の古米が残っており、余剰米が多くなり、消費者価格は20-40%値下がりして、農家にとっては苦しい結果となっているという。
 ところで、稲の穂はよく御存じだろうが稲の花は余りご存じないと思い紹介する。
Photo 稲の穂。耐冷性の高いジャポニカ種と、耐冷性の低いインディカ種の2系統の組み合わせ多品種がある。日本には紀元前11世紀頃伝来し、稲作九州西北部が早く、弥生前期(紀元前9世紀)頃始まっている。元来稲は湿性植物だが、日本では水稲と陸稲(オカボ)を明確に区別する。
Photo_2 稲の花。風媒花で、開花前に稈(ワラ)を伸ばし穂を突き出すのは開花時に花粉を飛ばやすくするため。開花前に花粉が熟し、開花時に葯が破裂し花粉を飛ばす98%程度が自家受粉する。開花時間は午前中、昼ごろまでの2-3時間と短い。
Photo_3 案山子最近はカカシが田圃に立つのは珍しい。殆ど赤と銀の裏表の威しテープを張っている。この田圃は小学校の稲の成育観察用の田なので、田の主が子供のために毎年案山子を立てるのである。手前から子供、お母さん、お父さんで、毎年変わるので私も楽しみだ。

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2014年9月19日 (金)

争乱の戦国史153(織豊Ⅲ15): 博多直轄

 1587年6月7日(天正15)、秀吉は九州討伐を終え、肥後から筑前博多に凱旋し、箱崎八幡宮を本陣として九州征伐の論功行賞を終えたのである。
 秀吉は博多に20日余り滞在し、先ず6月11日博多の町再興令を発している。博多はかって在家10万軒と言われ、堺に劣らぬ富豪も多かったが、龍造寺氏と大友氏との十余年に及ぶ戦乱に荒廃してしまった。それを秀吉は復興を図り、長束正家・小西行長ら5人を奉行に下奉行を30人配し、黒田孝高を総奉行の体制をもって着手した。所謂「太閤町割」が行われ、町域十町4方を縦横の少路で割、7つの「流(ナガレ)」にまとめた。この流れは現在でも、博多祇園山笠には生きており「流」単位で舁山笠が設置される。南側には南側には横幅20間余の濠を造り、富商を本町に集めた。
F153_2 その富商の中では、極めて積極的に協力したのは、博多商人の重鎮、神谷宗湛島井宗室であった。宗室は高利貸金融業者であった。秀吉はこの二人とは箱崎松原での茶亭でも深い交わりを持った。秀吉にとって、殊に宗湛は博多商人で名家出身で朝鮮ともつながりが深く、茶の湯を学び、僧籍を得ており、ブレーンとして好都合な人物であった。(神谷宗湛像

 秀吉が博多惹かれ、且つ重視したのは、その歴史的・文化的風格にもあるが、昔からの日中貿易の拠点として、今後の大陸との交易の促進を考えていたと思われる。南蛮との交易もあるが、それは堺や長崎が中心であるので、博多は特に大唐・明との交易である
 博多再興を命じたのは3日後、6月15日対馬の宗義調(ヨシシゲ)に朝鮮国王の服属来朝を取り計らうように命じ、応じなければ即時出兵すべきことを告げさせた。歴史的に見て、朝鮮が日本と明の間で果たした役割を考え、朝鮮を通じて明への橋渡しを考えていたものと見られている。

 しかし、それと同時に、秀吉は天下一統が進捗するにつれ、天下の範囲を次第に拡大させる傾向を見せはじめ、日本の天下が遂に三国(本朝・唐・天竺)が天下だと考え始めたのではないかと言われる。即ち九州征伐のこの段階が、秀吉の「天下意識」の拡大した時期であり、新しい天下の拠点はもはや大阪ではなく博多でさえあると。博多復興にはそれだけの意味が背景になっていた

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2014年9月18日 (木)

超大型望遠鏡TMTに着工  孔雀草が咲いている

 地球が存在する太陽系は天の川銀河(銀河系)にあり、それは約10万個の銀河から成立っており直径が約5億光年「超銀河団」の端に位置する可能性が高いと、米ハワイ大などのチームが英科学誌ネイチャーに発表した。
 ところでこの宇宙を観測する天文台は、ハワイ島のマウナケア山頂(4205m)付近に各国からの望遠鏡が10基以上設置されており、日本のスバル望遠鏡もある。そこに日米中など5ヵ国「超大型望遠鏡TMT」を10月に着工し、稼働は2021年度目指している。ここは年間の雲のない日が7割以上あり、且つ大気の乱れや汚れが少なく空気の透明度が世界一よい場所なのだ。ここに大気による画像の乱れを解消する「補償光学」をする装置TMTを装備する予定である。これで銀河系の未知の世界の解明にチャレンジする計画だ。(TMT=Thirty Meter Telescope 口径30m望遠鏡)
 壮大な話で、大きな期待をもつが、小生の生存中に間に合うかどうか心配だが、期待に胸膨らむ話である。対して今日の花は小さく可愛い花・クジャクソウ。
Photo クジャクソウ(孔雀草)。別名孔雀アスター北米原産。戦後園芸品種として昭和30年代日本に渡来、花壇や切り花として利用されている。500種あると言われるこの花の種類は多く花の形色、草丈も種々ある。写真のは草丈は低いが横に広がっている。日当たりよく風通しのいい場所を好む。
Photo_2 その花花径は写真のは1.5cm位だが、大きいので3cmのもある。又花弁の形、色、枚数は種々あり、これは薄紅紫色。花色は基本的には白だが、園芸種の花色は各種ある。花期は夏から咲始め秋まで、沢山の花を咲き続ける。

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2014年9月17日 (水)

勢いづく独立運動  ニラの花

 英国から独立を目指すスコットランド独立賛否の投票が明日に迫った。当初、スコットランド議会での過半数を制するサモンド党首の独立の是非を問う住民投票を、賛成派は1/3にも達しないと、キャメロン英首相はたかをくくっていた。ところが投票直前の今は、スコットランド住民の多くは社会民主主義的政策を志向し、EUへの親近感を強め、英国内に留まる必要性がないとの見方が増えているという。キャメロン政権は大きな誤算をしたと評されている。
 これに刺激されたか、スペインの北東部のカタルーニュア自治州の独立デモが気勢を上げている。住民投票は違憲とされながら11月の独立を問う住民投票の準備を着々と進めている。またイタリヤでもベネチアを擁するベネト州では税負担の不公平が独立機運に拍車をかけ、今年3月のインターネット住民投票でも89%独立を支持した。同州議会も独立住民投票法案を6月に可決し合憲性を係争中だ。何れもEU統合への志向の中での傾向だが、国のしばりの意義が変わって来ているのは事実のようだ。当に「世界は変わる」時代に突入した。
 急に秋らしさが進み始めたが、今日は今急に一斉に開花しているニラを紹介。
Photo ニラ(韮)。原種は中国北部、モンゴル、シベリヤに自生。「正倉院文書」に弥良(ミラ)とあり、3000年以上まえに栽培化された古い植物。日本では9-10世紀頃より栽培。ニラは今でもヨーロッパには殆どない植物。全草に独特の臭いがあり、禅宗では5葷の一つとして嫌われている。原因はアリシンと言う硫化物が含まれる故。
Photo_2 その花。葉の間から花茎を伸ばし、8-10月頃、半球形の散形花序を形成。白い小さな花を20-40個付ける。花弁3枚だが、3枚ある故、花弁が6枚のように見える。雄しべが6本、子房は3室になっている。子房が熟すると割れて黒い種を散布する。
    

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2014年9月15日 (月)

彼岸近く一気に咲いた曼珠沙華

 彼岸が近くなったと思ったら、律儀に曼珠沙華が一気に咲いた。この花ほど、どんな気候の年でも必ずお彼岸を中心に、前後約2週間ほど咲く花と言うのは珍しい。霊気を感じると言われる原因の一つかも知れない。
 曼珠沙華(マンジュシャゲ又はマンジュシャカ)はサンスクリット語で、天界に咲く花という意味。お目出度い事が起こる兆しに、赤い花が天から降ってくるという、仏教の経典から来ている。サンスクリット語では manjusaka と書く。
 お彼岸に咲き、土葬をモグラや野ネズミから守る意味もあって、墓地によく植えられている。そのため、「死人花(シビトバナ)」「地獄花」「幽霊花」などという怖い名もついている。
Photo マンジュシャゲ(曼珠沙華)。原産地中国。田圃の畦道に彼岸花の多いのは毒性のリコリンというアルカロイドを持つため、モグラや野ネズミが畦に穴をあけないので、畦を守るためもあり、また飢饉のとき、球根の澱粉を水にさらすと毒性が抜けるので、非常食とするためもあった。
Photo_2 その花。葉が出る前にまず花茎が伸び、頭頂に花序を形成し、沢山の花を付ける。花びらより長い蕊が数本出る。花の様子から、天蓋花、狐の松明(タイマツ)、狐の簪(カンザシ)、剃刀花などいろいろ呼び名がある。花期は9/15-9/末と短い。

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2014年9月13日 (土)

争乱の戦国史152(織豊Ⅲ14): 秀吉、九州出兵

 豊後における四国大名勢の島津対戦での惨敗に、秀吉大いに憤怒し、1586年12月1日(天正14)を以て、5畿内、北陸5国、南海、中国、江州、尾州、伊勢、伊賀、志摩等37国兵を徴し翌1587年正月(天正14)に遠征軍を編成、兵力25万正月25日先陣宇喜多秀家が出発、次いで弟・秀長初め諸将が征途に就き、3月1日佐々成政浅野長政等諸将を率いて、秀吉が出発した。3月28日豊前小倉城に至って、部署を定め、秀長・秀家らを豊後より日向へ、自ら筑前・肥後へと2手に分かれて南下した。秀吉の来征に、島津に下った諸城は動揺著しく、暫時退却するより方法無く、豊後府内にあった島津義弘・家久らは3月15日には軍を納め延岡に退き19日には家久らは佐土原に帰り義弘は翌日都於(西都市)で家久に合流。
 秀長の軍は秀吉軍より早く南下し、4月6日県城(延岡)主を降し、秀長軍の黒田長政は高鍋の財部を攻めて下した。更に島津の将が守る日高城を包囲し、根白城を占拠し義久来襲に備えた。そこへ義久の前軍が襲撃したので、秀長、藤堂高虎らが赴援して島津の大軍を打ち破ったこの戦で島津氏もようやく講和を考えた決定的な敗戦となった。一方筑前、筑後路の秀吉は羽柴秀勝、前田利家、蒲生氏郷らを率い先ず4月1日秋月を攻め、浅野長政を頼って下った。豊前・英彦山衆徒も下って、立花、龍造寺、鍋島ら相次いで来謁する有様。山鹿を越え、4月16日には熊本城に入ったが抵抗なく、合志城守将も退いて、19日には八代に陣した。
F152 秀吉は一向衆・本願寺光佐を同道していたので、薩摩の門徒の導きで薩摩出水に入り、ここの領主島津忠永も下った。秀吉は川内川を上り泰平寺に陣した。鹿児島へ13里の地である。これを聞いて、義久は諸将と会し去就を協議、遂に降伏したのである
 秀長に伊集院忠棟を人質とし降伏を申し入れ、鹿児島に帰陣した。しkし、川内方面で平佐城主・桂忠眆(タダアキ)が城を固守して屈せず、義久が諭して遂に下った。(既に前以て、秀長の意向を受けて、水面下で足利義昭や木食応其が義久に和平・降伏を進めていたと言われる)。図:征討進軍路
 5月3日、秀吉は秀長から義久降伏を聞きこれを許し、5月6日、義久剃髪して伊集院に赴き謹慎の意を示し、8日泰平寺で秀吉に拝謁し、無条件降伏したのである。
 秀吉は6月7日、筑前筥崎宮で国分けを行い、島津薩摩・大隅・日向を、対馬を安堵したほか、小早川隆景を筑前に、黒田孝高を豊前に、佐々成政を肥後に配置した。尚、日向を大友宗麟に、豊後を大友義統に、大隅を長宗我部元親に与えたが、宗麟と元親は受封を辞退した

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2014年9月12日 (金)

秋深まりゆく  花虎尾咲き上がる

 朝がひんやりと感じられ、秋深まりゆくとの感が強いこの頃で、又最高気温も30℃を割り、今日から27、26℃と下がって行く予報である。それはそれでなんとなく寂しく感じるが、やはり元気は出てくる。いつまでも夏バテ気分でおらずに、夏場に手を抜いてきた庭仕事の心積りをしているところである。
 いまハナトラノオ(花虎尾)が咲いている。「咲き上がる」と表現したのはこの花は花穂の下の方から咲始め、順次上方に咲いて行くからである。
Photo ハナトラノオ(花虎尾)。虎の尾に似た形になる故の名。別名カクトラノオは茎が角ばっている故の名である。原産地は米国のバージニア州。日本には大正時代観賞用として導入された。宿根草で放置すると半野生化する。耐寒性、耐暑性とも強く、日当たりを好み、丈夫で良く増える。増え過ぎた場合は新芽を摘むとすぐ消えるという。
Photo_2 その花。花期7-10月。四方に突き出すように花が咲き、花穂は四角すいの様になる。花は下から順次次々と咲き上がってゆく。花色はピンク、白、紫がある。花径は2cm位の舌状形で、内側に紅紫色の斑点がある。花後の実は分果(複数の子房からできている)で、4つのブロックから成る。

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2014年9月11日 (木)

川内原発、新規凖適合だが・・・  白妙向日葵咲続く

 川内原発(鹿児島・九電)が、新基準による審査に合格した。早ければ年明け再稼働の運びとなるが、地元自治体の同意が必要となる。ところがここに来て30キロ圏内の9市町の議会が再稼働への反対を強めている姶良市は稼働反対ばかりでなく、廃炉まで求める意見書を可決し、その他の自治体でも、避難計画が非現実的で不十分として再稼働反対を打ち出している。これに対し前向きな姿勢であった県知事も国の責任を明確にすることを求めようとしている。新任の小渕経産相も就任早々難題に取り組むことになったが、経産省幹部さえ「国民に理解を得るまで慎重に進めねば」と漏らしているとか。当然のことながら、国自体が責任を持つことと、十分に慎重に対処すべきことは言うまでもない
 夏から咲き続けるシロタエヒマワリが今彼方此方で咲いている。
Photo シロタエヒマワリ(白妙向日葵)。米国南部が原産地。道端や砂地に生える。茎や葉白い綿毛に被われて、全体が銀白色に見える。故に英名Silverleaf sunflowerである。草丈は1~2m位。別名はギンヨウヒマワリ、ハクモウヒマワリ。戦前より切り花や園芸用に栽培された。栽培は強い植物で容易である。
Photo_2 その花晩夏から秋にかけて、黄色い径10cm位の頭花を、枝先に次々と咲かせる。ヒマワリと同じく太陽につれて廻る舌状花黄色~橙色で、中央部の筒状花黒紫色である。手頃な大きさと銀色の葉が好まれる要因だろう。

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2014年9月10日 (水)

円安が更に進む?  ヘメロカリスも終わり

 

8日ニューヨーク外為市場で1ドル106円台に突入し、昨日の東京外為市場も106円台前半で推移、今朝も継続している。これは『経済界を不安にするほどの円相場の急落』と表現されているが、その背景は、景気回復期待が高まる米国は、FRBが来年半ばには利上げに踏み切ると見方が拡大。一方、日本は消費増税後の国内実質総生産の下方修正と回復のもたつが鮮明となった。そのため長期金利も低いままで推移するとの予想が強まり、投資家の高金利のドルでの運用が進み、円売りが加速された結果という。問題はこの傾向は当面続き、景気回復が鈍ければ、日銀は追加緩和に踏み切るという見方もあって、年内にドルは110円まで進むと予想されるというのである。
 勿論輸出面では歓迎される向きもあるが、輸入による材料費、燃料費の高騰で必ずしもプラスにならないと懸念されている。アベノミクスが齟齬をきたしかねない状況である。
 さて、漸く平年並みの気温(30℃)となったものの明日からは2~3℃下がり、涼しい秋になってしまいそうで、夏からの花も愈々終わりのようだ。今日はヘメロカリス。
Photo ヘメロカリス(Hemerocallis)。別名デイリリー。原産地日本・中国のユウスゲカンゾウがヨーロッパなどに導入され、品種改良されたものの総称。これら園芸品種は花の形、大きさ、色など多種あり、掲載のはその内の一つ。冬は落葉して冬眠。花が1日の短命故にデイリリーの呼び名。丈夫な花でいろんな形態で栽培。
Photo_2 その花。花期は6-9月。これはノカンゾウ系の品種園芸種での花色赤、クリーム色、ピンク、紫などがある。大きさは5~20㎝、花弁の形も種々。花は1~2輪ずつ咲いて一斉には咲かず、次々開花して行く。一重と八重がある。朝咲く朝咲種と夕方咲く夜咲種がある。

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2014年9月 9日 (火)

争乱の戦国史151(織豊Ⅲ13):家康の臣従

 小牧・長久手の役(1584年)後、秀吉河内を直轄領とし、摂津は近臣に分封。五畿内に弟・秀長(紀伊・大和・和泉)、前田玄以(山城・京都奉行)、羽柴秀勝(丹波)、豊臣秀次(八幡山城)、堀尾吉晴〔近江)、堀秀政(越前北の庄)らを外構えとして配した。
 そして、秀吉は京都・角倉家や奉行を石田三成とした堺・今井宗久、津田宗及らを通じ、軍需産業、外国貿易と繋がって、秀吉の圧倒的な経済力が定着した。

 一方徳川家康は甲斐・武田氏亡き後、甲斐・信濃に勢力拡大を図り、北条、上杉らと対立し、北条氏とは和議が成立したが領土交換が出来てなかった。北条氏直との交戦では、信州上田城を本拠とする真田昌幸が家康方について、多くの犠牲を払って上野沼田城を奪取した。これを家康が北条に返還するよう命じたが、これは父子伝来の真田領だとの意識が強く断ったため、争いとなり、昌幸上田城に籠
 1585年8月(天正13)、家康は大軍で上田城を囲み攻撃したが、昌幸は頑強に抵抗した上で、秀吉に救援を求めた為秀吉は上杉景勝に真田救援を命じた。結局、徳川軍は上田城攻略ならず敗れ去り、昌幸は次男・幸村人質として送り、秀吉に臣従した。
 この直後の11月、徳川の重臣・石川数正が岡崎城を出奔し妻子・一族をつれて秀吉の元に奔った。この出奔の理由は各説あるが、真相は不明である
F151 このような事態で、家康と秀吉の関係は緊張が続いた。秀吉の再三の上洛要請家康は応じず1586年(天正14)に秀吉は、既に結婚していた妹・朝日姫を離婚させ、正室を喪っていた家康に、嫁がせる。それでも従わぬ家康に、母の大政所を人質として岡崎に送り、家康も根負けして、10月24日入京26日に秀長屋敷に入った。そこへ秀吉が出向き、会見承諾の礼を述べた。(家康臣従の図(秀吉清正記念会館蔵))
 翌日、大阪城において諸大名居並ぶ前で家康は秀吉に対し、臣下の礼を採り、和解が成立したことを表明したのである。

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2014年9月 8日 (月)

本能寺の真実は?  ホシアサガオ咲く 

 私は「推理小説」「時代小説」大好き。明けても暮れてもそのどちらかを読み続けている。その私の前に時代小説の真相を推理するという2倍美味しい本が出た。題して「本能寺の変 431年目の真実」と言う本で、執筆明智光秀の子孫である「明智健三郎氏」。(文芸社文庫、2013年12月15日初版発行。現在初版11刷)。これは小説ではなく、著者の研究成果の報告書である。
 本能寺は過去多くの小説となり、映画・演劇上演も多くて尚且つ未だに絶えない。がこれは全て後世の作り話真相は?となると、ここでは明かせない。ここで明かすと出版社の営業妨害になる。だから、関心のある方、是非一度購入してお読みください。それにしても高々431年前の出来事がこんなにも虚飾されてしまうものかと思うと、我々が学んでいる歴史など何処まで本当か判らない、と今疑い深くなっている
 毎年今頃咲くホシアサガオを今年も見つけた。可憐な小さな花を紹介。
Photo ホシアサガオ(星朝顔)。別名ベニバナマメアサガオ。ヒルガオカ科サツマイモ属。北米原産西日本に帰化している1年草。日当たりの良い草地、河原に生え、ツルで他の物に絡んで繁茂する。これはフェンスに這っていたもの。葉は卵円形で先は尖り、基部は張り出すもの、3裂するものなど変化が多い。
Photo_3 その花。花期7-10月花柄5cm以上と長く、1花茎に1~5個の紅紫色の花が付く。花径1.5~2㎝の狭い鐘形、花冠淡紅紫色で中心部が濃色になる。花冠は上から見ると5角形、小花柄にいぼ状の低い突起がある。蕚片長さ5~8mmで先が尖る。果実は球形で中に4分割した黒色の種が入る。

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2014年9月 7日 (日)

人間も弱い!と痛感  千日紅咲続く

 先日、広島での土石流による家屋の倒壊、死者・行方不明者の発生は、この地域がこのような災害に合うとは思いもしなかった故に起きた災害。が、自然界の動物たちはこの様な気候条件により、自分の巣が壊れるような営巣をしているだろうか。哺乳動物から小さな昆虫類まで、自分の巣は自然の摂理に従い造り、自然に反逆しないから、自然から殺されることもなかろう
 次いで、最近デング。蚊が媒介するが、蚊の様な小動物は、一定区域にじっとはしてない、蚊の棲息環境とは別に、これら小動物風に吹かれりゃ、予想外に遠方まで移動するものだ。公園を立ち入り禁止にしたぐらいでは防げない。厚生省はもっと迅速な対処をすべきであったと思うし、今からでもどうすれば防御できるか、緊急対応策を講じて貰いたい。
 今日も、夏から秋にかけ、咲き続ける花・千日紅を紹介。
Photo センニチコウ(千日紅)。原産地熱帯アメリカ、北アメリカ南部。暑い夏から秋にかけて咲き続ける花で、紅色が褪せない事が、千日紅の名の由来でもある。大概の花壇には植えられている。日本には江戸時代(1712年)に渡来。つるの先に花を付けるので、切戻すと花数を増やせる。
 Photo_2
 下その花。開花期7-11月。花色は紫紅、白、ピンク、オレンジなど。花びらは持たず、色がついているのは苞葉と言う、花の付根に付くである。

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2014年9月 6日 (土)

虫時雨 白いサンパラソル

 朝歩くと、露を帯びた草叢から、、夜通し鳴きつづけた?虫の声3種類ほど盛んにすだくのが聞こえる。空には鰯雲の類の高層雲が朝日を受けて朝焼けしてゆったりと浮かんでいる。そして朝日がさしだすと、法師蝉が鳴きだす
 夜明けとともに秋の様相が次々と夏の様相へと移り変わり、積乱雲も出始める。当に夏から秋への移り変わり(朝は秋から夏への逆戻り)をほんの小一時間の内に演じてくれる。この時期が時候の変化を一番感じられるときでもある。
 今日は夏から今後の中秋まで咲き続ける大輪の白色のマンデビラ即ちサンパラソルが公園で花を沢山つけていたので撮って来た。(代表的な真紅は記載済み)
Photo サンパラソル(白色)。キョウチクトウの仲間でマンデビラ属で、サントリーが開発した大輪のマンデビラの園芸種を一般にサンパラソルと呼んでいる。つる性植物だから、写真の様に伸びた蔓を下方へ巻き戻すと、花がギッシリ付く感じで鉢植えでよく行われる方法。つる誘引は反時計回り。日本での屋外越冬は少し無理
Photo_2 その花。花期6-10月。一つの花の寿命約1週間と長い。但し水が掛ると萎んでしまうので、公園の花は雨後には傷んでいる。日本では越冬は無理と言われるが、もし無事越冬すれば、大きく成長し、木質化して、前年より沢山の花を付ける由。(昨日サンパレルと表記したのはサンパラソルの間違いですので、訂正しました)

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2014年9月 5日 (金)

争乱の戦国史150(織豊Ⅲ12): 島津氏、九州征圧

 大友氏耳川の戦い1578年)で没落、勢力を伸ばした肥前の龍造寺隆信1584年(天正12)、島津家の傘下に入った有馬晴信を攻撃した。少数の兵で救援に駆け付けた島津家久は、得意の「釣り野伏」で龍造寺軍を破り、隆信を討ち取る戦果を挙げた(沖田畷の戦い)。
 その後、大友領へ侵攻を続けた島津義久ら四兄弟は、本国豊後まで危なくなった大友宗麟の要請で、九州の調停に乗り出した豊臣秀吉を無視し、九州統一まであと一歩に迫った。即ち1584年10月2日(天正13)、秀吉は抗争を続ける島津氏と九州諸大名らに対して、関白として勅諚を伝えるという形で停戦命令を発したのである。
F150 そして、これは天皇の意向だから、従わないものは成敗すると伝えている。即ち九州全域の領土の裁量権は、天皇から委託された自分にあると言っている。は秀吉の停戦令
 これが、日本六十余州の支配権を持つ天皇から、関白である自分がその実際の支配権を委託されているという”関白像”を明確にしたものである。

 島津氏1585年10月(天正14)、秀吉の勧告を無視して豊後に侵攻。宗麟は臼杵城に籠ってこれに対抗。一方島津の動きに怒った秀吉は仙石秀久・長宗我部元親・十河存保(マサヤス)ら四国の大名大友氏救援を命じた。
 12月に入ると、島津勢は大友氏の本拠・府内に近い鶴賀城攻略に着手し、これを包囲。対して豊臣勢も鶴賀城の救援に向い、城の北を流れる戸次川を挟んで対峙した。
 秀吉は仙石ら先発軍に対して、自分が出馬するまで持久戦に持ち込み、島津の足止めをするよう命じていた。しかし、仙石は決戦を主張し、自重を求める長宗我部らの反対を押し切ったのである。
 12月12日、仙石・長宗我部・十河・大友連合軍は戸次川を渡って島津勢に襲い掛かる。島津勢は一旦退却すると見せかけ突如反転。不意を突かれた連合軍は総崩れとなり十河・長宗我部元親の嫡男らを喪う大敗となったのである。
 この「戸次川の戦い」の大敗を受けて、秀吉は翌年25万の大軍による九州征討戦を起す

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2014年9月 4日 (木)

内閣改造したが・・・  山法師の実熟す

 昨日の安倍内閣改造は何が目的だったか。どうやら大臣待望組が多いのでその欲求不満解消のための改造ではあったろうが、実際その目的が成就したのは5人とか。では次の目的は?うがった見方すれば、次期総裁選での勝利のための人事。簡単に言えば石破さんの影響力を殺いで置きたい。と言うのが本音だったか。総理は改造内閣の最大課題が「地方再生」だ。といいつつ担当大臣の石破さんの所管省庁がある訳ではない。精々70人程度の事務局があるだけ。一方、地方創生のため、首相を本部長とした全閣僚をメンバーとした創生本部の設置を決めている。要するに各省庁を横断しての政策集約が難航するのは目に見えているという。端的に云えば政敵の追い落としと、選挙対策だけが目的の内閣改造だった「国民のための(内閣)改造ではないの」と言う川柳が載っていた
 天候不順。そしてどんどん秋に向かっている。だから、山法師にも実が成り、熟してきた。花はよく知られているが案外実は知られてないと思い実を紹介
Photo ヤマボウシの実1。写真の通りのオレンジがかった赤色の実が成る。独特の果実で、生のままでも食べられるが、表面がささくれ立って不思議な感触で正直食べづらいらしい。アケビに似たようで、バナナにも似ている。或いはマンゴーに似るという人も居る。
Photo_2 ヤマボウシの実2。拡大写真。球形の集合果である。生のままだとほのかな甘みあるが、果実酒に向いているという。そのままでは酸味が不足するので、皮をむいたレモンを補う。2~3ヶ月でレモンは取り出す。そうすると結構おいしいという。山法師酒は強壮、健胃、整腸、疲労回復に効果的だとか。炭酸飲料を加えカクテルとしても楽しめ、又ジャムに出来る由。

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2014年9月 3日 (水)

名残り惜しむか夏  ポーチュラカ

 季節は秋だが、夏型天候が居座っている。予想最高気温31℃、福岡では珍しく高温。が、曇っていて今にも雨が降りそう。今日も昨日に続き、今元気な花壇の花。
Photo ポーチュラカⅠ(Portulaca)。別名ハナスベリヒユ(花滑莧)。原産地不明の植物だが、熱帯~亜熱帯原産。日本には1983年ドイツから入ったので新しい花。大阪花博(1990年)を機に一気に普及した。草丈01-20㎝で這うように伸びる。葉は肉厚のへら状。茎は良く伸びて一株で径60㎝の範囲を覆う。
Photo_2 中ポーチュラカ。葉はたっぷり水分が蓄えられ、暑さや乾燥に非常に強いが、耐寒性はない。日光を好み、日陰や悪天候では花が咲かない。以前は昼過ぎに萎れた花も、近年夕方まで咲き続ける品種が増えた。差し芽で増やせて、5-6月頃、枝先を5-10㎝摘まんで、挿すだけで根付く
Photo_3 その花。開花期は初夏-秋。花色は白、ピンク、オレンジ、黄色、紫など。2色咲になるのもある。朝開いて夕方閉じるが、雨天、曇天時には花を閉じ、晴天に開く故、一日花と間違えられるがそうではない。中央部には雌しべ一本と雄しべ多数がある。

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2014年9月 2日 (火)

秋の入り口に立ち止まって  ペンタス

 涼しくなって秋になるのかと思ったら、存外蒸し暑く、気温も30℃まで上昇してきた稲も出穂し、草叢から虫のすだく声が聞こえるが、太陽が昇ると夏に逆戻りする。鰯雲も出たり消えたり。暫く秋と夏が行った来たりの日が続くのだろう。
 それで、花壇に目をやると夏から秋まで咲き続ける類の花が咲いているので、今の花壇の花を紹介して行こう、今日はその中で、最近はやりのペンタス
Photo ペンタス万華鏡。ペンタス属の中の1品種。別名クササンタンカ(草山丹花)。山丹花と言う木の花に似た花故の名前。原産地熱帯アフリカ、マダガスカル。約30種ある。園芸種はその内の3種位からの育種。日光を好み、暑さに強くて、開花期が長く、病害虫に強いと言う正しく夏向けの花。
Photo_2 その花。開花期5-11月。花色は白、ピンク、赤紫色など。日当たりを好むが直射光に弱い7㎝位の花序径の中に1cm位の小さな花を沢山付ける。星形の花びらが5つに裂けているところから、ペンタ(5の意味)の名がついた。花中央部に蕊が出ているがその周りや花弁に細毛が沢山出ているのがお判りだろうか。

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2014年9月 1日 (月)

争乱の戦国史149(織豊Ⅲ11): 関白就任と惣無事令

 1582年着工し、1585年略完成した天下を目指す権力の象徴・大阪城と共に、秀吉が欲しのは天下人に相応しい官位であった。山崎合戦(1582年)後、10月に従五位下・左近衛権少将に叙任、1585年3月(天正13)には正二位・内大臣に上る。しかし、秀吉が欲したのは武家の棟梁・征夷大将軍だった。が、源氏にしか叙任されないくらいであり、仕方なく壇ノ浦に落ちていた源氏棟梁・足利義昭の猶子になろうとしたが、義昭に断られた
 そこで秀吉は、朝廷の最高位である関白となる事を考える。当時関白職には二条昭実で、次期関白は近衛言尹の予定だったが、昭実が譲らず確執が続いていた隙を突き、懇意の右大臣今出川晴季に秀吉を推薦させた。関白職になるため藤原姓の必要があったため、先の関白近衛前久の猶子となり藤原秀吉となる。こうして秀吉は1585年7月11日、正式に関白に就任した。
F149 このやり方にはさすがに批判もあったので、秀吉は関白と成れる源氏・平氏・藤原氏・橘氏の四氏姓と並ぶ新しい姓・豊臣朝廷から賜り関白就任正当化する。こうして「豊臣」姓を朝廷に奏請。9月9日朝廷より姓を賜り、豊臣秀吉となったのである。(:天皇勅旨をを伝える略式関白任命書)。
 次いで、必要であったのが政治形態である。秀吉は関白家政所の家政機関として奉行制度を組織し、筆頭奉行に浅野長政を充て、前田玄以・増田長盛・石田三成・長束正家の5奉行制を敷き。過渡的ながら中央政府の任務を負わせた

 こうして関白として天皇に代り国政を行う立場に立った秀吉が先ず行ったのは、その地位を利用して、全国の戦国大名に「惣無事令」と呼ばれる私戦禁止令を発令した。無事とは講和とか和解を意味し、戦国大名の領土境界の紛争や合戦は、公儀(中央政府)である豊臣政権の裁定に委ねられることになり、その裁定に従わなければ、公儀として制圧の対象とするものである。即ち、各地の紛争は羽柴家と他の大名家との紛争から、一段高い国の立場から、全国の紛争に介入し、制圧する立場へと大きく転換したのである。
 これは大名の紛争だけでなく、社会全般の平和を示すものとして拡大解釈され、村落の山林や用水紛争の停止、海上の海賊行為の禁止、更には後の刀狩など、豊臣政権に拠る全国統一政策の貫徹を為し得る寄り処となったのである

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