« 台風16号が近づく  サルビアも終わり | トップページ | 米 「イスラム国」空爆   ツルボも咲いて »

2014年9月23日 (火)

争乱の戦国史154(織豊Ⅲ16): キリスト教禁止令

 秀吉は、当初キリスト布教を認めていた。しかし、次第にキリスト教の教義が、これから作ろうした体制と矛盾し、国家統一に悪影響を及ぼすと考え始める。
 九州出征で、肥前・大村純忠(初のキリシタン大名が長崎をイエスズ会の教会領に寄進しているのを見、又キリシタン大名があちこちに出現している状況に憂いを抱いた。そこで、九州平定後の秀吉は1587年6月18日(天正15)、博多で11ヶ条の覚書を出し、「個人のキリスト信仰は心次第」としながらも、大名や上級武将に限っては、キリスト教入信は秀吉の許可制とした。
 次いで翌19日夜、キリシタン大名の高山右近棄教を迫ったが、右近が拒否したので彼を追放処分とした。また、博多湾に停泊中のポルトガル船にいたイエスズ会の凖管区長ガスパル・コエリュに対し、強制的な布教や日本人を奴隷としての売買など4ヶ条に付き詰問した。その上で、5ヶ条から成る「伴天連追放令」を発して、20日朝に使者がコエリュ側に手渡した。事実上のキリスト教禁教令である。その内容は箱崎八幡宮の門前、堺・京・奈良・高野山・伊勢神宮にも高札が掲げられた。
F154_2 その第1条で、日本は神国として、キリスト教(邪教)の布教を禁止する。第2条では、大名・領主を信者にして神社仏閣を破壊させていると非難し、大名・領主の所領は秀吉が権限を持って貸しているだけであり、天下の御法度守るべし。第3条では、布教が仏法を破り曲事だから、バテレンは日本に置いておけない、20日以内に帰国せよ。としながらも、一方で、第4・5条で黒船(ポルトガルの貿易船)の商売は保障する、仏法の妨げをせねば商人でも誰でもキリシタン国から来て良いと、貿易促進の政策を明示したキリシタン禁止令の写し(松浦資料博物館所蔵)。
 だが、布教と貿易は分かちがたく、秀吉が貿易を奨励したかったので、1~3条の徹底は出来ず、この後もキリシタンの数は急増した。しかし、大村純忠の教会領没収は貿易独占を一歩進めたし、一部教会の破壊・キリシタン迫害も行われた。そして、大名・領主の領地は人民と合わせ公儀から預かったものという考えは江戸時代まで浸透する。第6~8条は一向宗が各地に寺内を立てて年貢を納めないなどは「天下のさわり」として、更に大名や給人の信仰強制や教会領はそれ以上に「天下のさわり」としている。第10条では日本人を国外に売り渡すことや国内での売買を禁止第11条では、牛馬売買して食べる事禁止している。以上、人民が自分の意志でキリシタンであることもキリシタンに改宗するのも禁止しない。但し、大名・給人に対して信仰・布教に規制を加え、デウスではなく天下の法度に従うべきことを宣告したのである。

|

« 台風16号が近づく  サルビアも終わり | トップページ | 米 「イスラム国」空爆   ツルボも咲いて »

戦国時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/60361292

この記事へのトラックバック一覧です: 争乱の戦国史154(織豊Ⅲ16): キリスト教禁止令:

« 台風16号が近づく  サルビアも終わり | トップページ | 米 「イスラム国」空爆   ツルボも咲いて »