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2014年8月

2014年8月31日 (日)

高校軟式野球、遂に50回に中京が制す

 驚いたねー。昨日31回から始まった延長戦。またしても両校無得点で、45回無得点のまま、今日に試合を持ち越した。何と云っても両校の投手の精神力の強さには、驚きを通り越して唖然とさせられる。今日続きを再開し、9回即ち54回までに決着しない場合は、抽選で決定するという。
 と、このブログを書いている途中、速報が入り、50回表、中京が3点を入れ、裏、崇徳点が入らず、中京が勝った。故に午後の優勝戦には中京が臨むこととなった。ホッとした。
 昨日からやっと御天道様も顔出して、何とか夏らしい気分を今ごろ味わっている。が、花はもう秋の花へと移行してきた。今日は夏から咲いてきたキバナコスモス。
Photo キバナコスモス(黄花秋桜)。コスモスの名がついているが、コスモス(オオハルシャギク)とは同属別種。園芸種だが逸失して野生化している。原産地はメキシコ。ヨーロッパを経由して、日本には大正時代初めに輸入された。最近は鉢植えやプランター用の矮性種も出回っている。暑さに強いので、コスモスの前に咲かせる傾向がある。
Photo_2 その花。花期は6-11月。花茎の先に花径3-5㎝の黄色又はオレンジの花(頭花)を一輪つける。花の周りにつく舌状花は普通8枚で先が3つに切れ込む。一重と八重咲がある。夏場に一旦切戻すと、その後また秋に花を楽しめる。 

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2014年8月30日 (土)

高校軟式野球30回0-0でサスペンデッド 今日決着か?

 

 高校軟式野球準決勝崇徳(広島)-中京(岐阜)の試合において0-0のまま、2日間にわたりサスペンデッド(凖決勝までは延長15回で一旦打ち切り翌日引き続き延長を行う。決勝戦では再試合となる)となり、今日3日目の試合を引き続き行う。勿論延長戦故、1回退くと再出場は出来ない中、中京の松井投手(3年生)は432球、崇徳の石岡投手は391球投げている。大会史上30回を超すのは勿論初めてある。(25回延長が2回ある)
 こうなればどちらにも勝敗をつけたくないとさえ思えるが、スポーツの世界はそんな事はあり得ない。両チームとも頑張れ!
 長い雨続きの中、7月頃より咲き始めたアメリカノウゼンカズラが未だに咲き続けているので、載せた。但し雨が多いせいか、今年は花数が少ない。
Photo アメリカノウゼンカズラ(アメリカ凌霄花)。凌霄花の仲間でアメリカより渡来した故の名前。北米東南~メキシコ湾に分布。日本へは大正時代末期に渡来。庭木や公園樹として植栽されている。通常2-5mだが、10m近くなる事もある。ノウゼンカズラの野生種ノウゼンカズラと本種しかない。他は園芸種。
Photo_2 その花。花期
7-9月。枝先に円錐花序(枝分かれして全体が円錐状になっている)を出し、赤橙色~黄橙色筒状の花を付ける。ノウゼンカズラより花径は小さく、筒は長い。花後、長円の楕円形のさくを付け、熟すると裂けて種子を散布する。

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2014年8月29日 (金)

老化指標「AGE」とは?  鍾馗水仙が咲いている

 相変わらず不順な天候で、降ったり止んだり乍ら、青空が見えない。気温も30℃未満だが蒸し暑い。やはり、このまま秋になりそう
 ところで最近、老化指標として「AGE」なる体内物質が老化の度合いを示す数値として注目されているという。これは体内の各種タンパク質と糖が結合してできる糖化物質のこと。血糖値が高い状態が続くと体内の各種タンパク質が糖まみれなり、皮膚のシワ、たるみが増え、血管の弾力性がなくなり動脈硬化につながる。糖尿病がいろんな病気を引き起こすのもこれが原因。AGEが高いと血管、皮膚、骨の老化が進むという。測定は測定機に腕を載せるだけで出来るそうだ。いいことだが、病気がすぐ見つかるというのも嫌だねー。
 そろそろヒガンバナの季節だが通常それより遅い筈の鍾馗水仙が咲いていた。
Photo ショウキズイセン(鍾馗水仙)。別名ショウキラン(鍾馗蘭)がある、と言うがこれで検索すると全く別のショウキラン属の植物が出るこの花はヒガンバナ属の一種だから、紛らわしい。原産地中国、日本、台湾でミヤンマーにも分布する由。日本では四国、九州から沖縄に分布するが、園芸種は各地にあり、花壇には多い。生育は草地や林の縁など。
Photo_2 その花。花色は黄~橙色。茎先に花径6-10㎝位の花を数輪、横向きに付ける。花被片は6枚。花被片の先は少し反り返り、雄しべ、雌しべは花から突き出ている。葯(雄蕊の花粉袋)は黄色。花後の実は円柱形のさく(熟すると裂けて種子を散布)で、緑色。花期は通常9-10月

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2014年8月28日 (木)

争乱の戦国史148(織豊Ⅲ10): 四国統一

 伊予を除く四国内の3国と淡路の守護、名門・細川氏を倒した三好長慶四国勢力を受け継いでいた。しかし、次第に国人たちによる勢力争いも激しくなり、その中で長宗我部が台頭してくる。長宗我部家は16世紀に滅亡したが、元親の父・国親の死により家督を継いだ元親の父・国親再興する。1560年(永禄3)、父・国親の死により家督を継いだ元親は、当主となって半農半兵の兵士・「一領具足」(一揃いの具足しか持たぬ半農の兵)を活用して、宿敵・安芸国虎、名門・一条兼定らを倒し、土佐を統一した。
 当初、元親は信長との関係も良好だったが、阿波に進出した頃、この地域を支配していた三好家が信長傘下に入って、信長に敵対する関係となる。信長が四国征討を始めようとした時、本能寺の変が起こり、元親は窮地を脱した
 そして1582年(天正10)元親は中富川の戦いで、三好一族の十河存保(マサヤス)を破ると、その勢いで引き続き阿波、讃岐、伊予と支配領域を広げて行き、1585年、3年がかりで遂に四国統一を成し遂げたのである。
F148 1583年(天正11)には、仙石秀久の率いる羽柴軍が讃岐の十河存保救援に来たが、元親はこれを撃退。この頃、、秀吉根来・雑賀一揆を鎮圧した(1585年)が、その一部が四国に逃げ込み、秀吉は元親を討つべく兵を四国に送り込んだ
 この時秀吉は病気となり、弟・秀長を総大将として、宇喜多秀家の軍勢と小早川隆景率いる毛利軍を加え総勢11万の軍勢が図示の如く、3方向から攻め込んだ。
 これに対し、長宗我部軍は約4万の兵力。各地の城に兵を配置し、元親は四国の要衝・阿波の白地城に入った。圧倒的な兵力差で長宗我部軍は次第に圧倒され、各地から敗戦の報が元親の白地城に入る。

 この中で長宗我部軍の敗北を決定的にしたのは阿波一宮城の攻防戦だった。羽柴秀長の軍勢は難攻不落の城攻めを避け、城への水路を断つ作戦を取った。水路を断たれた長宗我部軍に対し、秀長が城主に元親との和議を求めた。これを受け、白地城城主は元親に対し、和睦勧告の受け入れ進言。一度は拒否したものの、抗しきれず、8月6日講和が成立土佐一国を安堵されて3男・親忠を人質として和睦した。3年がかりでの統一も、2ヶ月で秀吉にとって代わられたのである

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2014年8月27日 (水)

30℃超えないまま秋に  クサギが咲いている

 天候不順が続き、30℃未満のまま、どうやら秋を迎えそうだ。暑い夏ではなかったものの、雨が多くて蒸し暑く、不快指数は低くはなかった。今朝の新聞では、日本経済成長率が低下し、4-6月期の実質GDPが年率6.8%減となり、消費増税による一時的現象と言われたが、その後の回復もなく、増税による実質所得の目減りで、消費が停滞がつづくとの観測もある。天候と同様、経済も低調のまま推移しそうだ。早く秋晴れが見たいものだ。
 そんな中、山の斜面では早くから咲いていたクサギだが、藪陰のクサギがやっと咲いたので撮って来たが、今年は花数が少ないようだ。
Photo_2 クサギ(臭木)。葉を触ると一種異様な臭いがする故の名。日本全国、朝鮮、中国に分布。山の裾野や藪などに生え、藪状態へのところに侵入するパイオニアの典型。中国原産にはボタンクサギなど観賞用に栽培されるのもある。葉は大きく葉柄含め30㎝にもなる。葉は収穫後直ぐ臭いが消えるので、の他若芽は茹でて山菜として食べられる
Photo_3 その花。8月に開花。花びらは萼から長く突出し、その先で咲く雄しべ、雌しべさらに突出ている。花弁。初めは緑色で、次第に赤くなり、甘い香りがある。昼には大型蝶が、日が暮れると、スズメガの大型蛾が訪花、受粉する。花後の果実紺色の液果で、秋には熟し赤い蕚が開いて結構目立ち、鑑賞価値もある。鳥に摂食され種子分散する。果実は草木染に使うと、絹は鮮やかな空色に染まる

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2014年8月26日 (火)

土石流の迅さ  猩々草が咲いた

 ここんところ、広島土砂災害に関連する話が多いが、その中で驚いたのは、その迅さ。今回は表層崩壊だったので特に迅く(すごく早いので速、早の字でなくを使った)、平均時速40km、瞬間的には時速108~144kmに達したと専門家は分析した。従って発生して、1分で住宅地に到達したという。これでは「地すべり」を察知した瞬間にもう土石が来ている。当然逃げる暇などない
 では、前兆はないかと言えば、複数住民が、山鳴りがした、腐ったっ土の匂いがした、立ち木や石のぶっつかる音がしたという。中でも土臭い匂いがしたというのが多かったようだ。地震の前触れにも似ているが、古老たちの言うこれら言い伝えは後世にも是非伝承してほしい。今日もまだ不順な天候が続いているが、その中に、赤い葉をつけた猩々草が目立つ。
Photo ショウジョウソウ(猩々草)。別名クサショウジョウ(草猩々)、サマーポインセティアなど。アメリカ南部、メキシコ原産。赤い髪をした中国の伝説上の動物・猩々の様な赤い葉が付く故の名前。は中央がくびれヴァイオリンの形をして、茎頂部の小さな葉の基部が赤くなり、且つその上の苞葉が赤くなる。この葉が鑑賞対象で、その中央部に小さな花がある。
Photo_2 その。開花は8-10月。中央部の緑色部分小さな子房で、その先に花弁のない花、即ち花柱、柱頭(蕊に見える部分)に花粉をつけている。雄花と雌花があって(写真では判らない)受粉すると小さな果実を付ける。この写真は雨に打たれ綺麗に見えない。当地では庭植えしている家が多い。

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2014年8月25日 (月)

天候不順でも花は咲く 花蔓草

 相変わらず天候不順が続く。このまま夏が終わりそうな気もするが、時々晴れ間が出て太陽を浴びるとやはり暑い。こんな年はコメの出来具合はどんなものだろう。例年だと早生はもう出穂している頃だが、今年はまだ、青田のままだ。水害、土砂災害、天候不順とじわじわと経済的にも影響しそうな環境が続く。
 こんな気候の中、珍しくハナツルクサが沢山の花を付けている。
Photo ハナツルクサ(花蔓草)。別名アグニア(学名)、ハナツルソウなど。南アフリカ原産。草丈5-10㎝でつる状に地を這い、横に広がり60㎝四方位になる。半耐寒性。常禄多年草の多肉植物。葉は肉厚で、光沢があり内部に水分を蓄え、ゴムの様に弾力性がある。グラドカバーやロックガーデン、吊鉢などに利用される。
Photo_2 その花。花期は7-10月。真夏は休む。マツバギクに似た花で、花径1.5㎝位。花色は赤、桃色。日差しの中で咲き、夜間や曇天の日には閉じる。花弁のように見えるのは「花弁状仮雄しべ」だそうだ。本来の萼は持っていない

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2014年8月24日 (日)

争乱の戦国史147(織豊Ⅲ09): 小牧・長久手の戦い

 羽柴秀吉は、賤ヶ嶽の戦いで柴田勝家に勝利した翌1584年(天正12年)、建築中の大阪城諸大名を招待し、信長後継者たる力を誇示した。が、これに反発したのが、信長次男・織田信勝である。
 秀吉の下につくのを嫌い、秀吉と断交して、信長の同盟者であった徳川家康を味方につけた。一方の家康も急拡大する秀吉勢力に、歯止めを掛けようとする意図から、信雄を旗印として、実質は家康が秀吉に挑戦したのがこの戦いである
 越後・上杉景勝、中国・毛利輝元らは秀吉に勝利祝いの使者を送り、事実上臣従を表明している中、独り徳川家康のみが、秀吉独走を阻むべく、甲斐・武田の遺臣を召し抱えるなど軍事力強化に努め、信雄と連携し秀吉との対決に備えていた。
F147 1584年3月(天正12)、信雄は秀吉に近い自身の家老を誅殺し、織田政権継承を実現せんとして家康協力を求め兵を起こした。これを受け、3月15日家康は尾張の小牧山に布陣し、森長可と戦いこれを退けた
この知らせに、大阪にあった秀吉もすぐに出兵し、3月28日楽田(現犬山市)に本陣を置き、約2万の信雄・家康連合軍に、約10万の軍勢で対峙した。秀吉は小牧山周囲に砦を築き敵軍を包囲したが、家康が四国の長宗我部や本願寺の顕如らと連携していたため、秀吉は迂闊に動けず、膠着状態に入った

 4月に入り、膠着状態が続く中で、秀吉方武将・池田恒興が、家康本領の三河攻撃を提案した。秀吉はこの作戦に反対したが、家康に敗れ挽回を期す森長可や秀吉甥の秀次らも同調したので、4月6日に秀次を総大将に約2万の兵を三河に向けた。この情報は7日、家康が察知。8日夜秘かに小牧山を出て、翌9日秀次軍を長久手に襲った。この戦闘で池田恒興と森長可討死し、秀次軍は約2千5百の死者を出し敗走。この敗北を機に、秀吉は信雄領地を攻めた上で、秘かに単独の講和を持ちかけた。秀吉の諫言に乗せられた信雄はこの年11月、家康に無断で秀吉と講和してしまった。この結果、助っ人の家康には戦う大義名分がなくなった為、止む無く次男・秀康を養子として送り込み、秀吉と和睦した。
 小牧・長久手の戦いの後も、家康は秀吉に臣従はしなかった。しかもこの時期、家康は秀吉に対抗するために、関東の北条家と同盟を結んだために、秀吉は東方に大きな脅威を残すことになる

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2014年8月23日 (土)

「8月豪雨」を教訓に  紫紺野牡丹が咲く

 気象庁が7月30日以来の各地大雨による災害を纏めて『8月豪雨』と命名した。気象に名前がついたのは『平成24年7月九州北部豪雨』以来2年ぶり。これまで「8月豪雨」で3時間雨量が最も多かったのは広島・阿佐北区の217.5㍉高知・馬路村の211.5㍉徳島・阿南市の208㍉などが200㍉を越えている。
 今回の災害で多くの犠牲者が出た原因に、広島市の避難勧告を出すタイミングが、行動基準に沿わず遅すぎたことが上げられているが、どこの場合でも初体験であることから、前以ての行動基準にスムーズ沿えるかどうかが鍵になる。そういう意味で事前に基準に沿った避難訓練をしている自治体もあるのに学ぶべきであったろう。悔やまれるところである。
 福岡は昨日10日振りに晴れて今日も夕刻までは薄曇りが続きそうだ。が、今夜から又下り坂とか。ホントに、もう雨は要らない。今日はこの雨に咲き続けた紫紺野牡丹。
Photo シコンノボタン(紫紺野牡丹)。ブラジル原産。常緑低木。シコンノボタン属。日本原産のノボタンはノボタン属で属が別。紫紺の花を付けるノボタンからの名前。霜の惧れがない所地植えで生育。茎の断面四角形紅色の毛が生える。花が終わった秋に2-3節切詰めると脇芽が出て2番花が楽しめる。日当たりが花付きが良い。
Photo_2 その花。花期8-10月花径5‐10cmだが、今年は何処の花も小振り。花は1日花で朝咲いて翌日散るが、花付きがよく次々と花を咲かせる5弁花で、10本ある雄しべの内5本が伸びて、鉤状に曲がった細長い葯を持ち目立つ。雄しべの形が蜘蛛の足ようなので、ブラジリアン・スパイダー・フラワーの名がある。花は白や、花の中に白のぼかしが入ったのもある。

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2014年8月22日 (金)

広島土砂災害広がる  オクラが咲いている

 ここ福岡でも連日の雨で、もういい加減嫌になったが、幸いに当地では災害には至っていない。しかし広島の阿佐地区を襲った土砂災害は日を追うごとに、死者、行方不明者が増加している。こんな土砂災害が夢にも起こるとは思っていなかった人たちには、悪夢を見ているようであろうと推察する
 向後も雨が続く予報で有り、各地何処に起こるか判らないので、危険地域と思われる場所の方々にはどうか充分な御注意を願うものである。
 こんな雨の中、庭先に植えられているオクラが、毎日綺麗な花を付けるので撮って来た。
Photo オクラ。和名はアメリカネリオカレンコン(陸蓮根)(沖縄、鹿児島、伊豆諸島など昔から植栽されている地域での呼び名)。勿論これは食用に庭先に植わっているもの。日当たりと肥料と水遣りで、簡単に育つそうで、この家の食卓には毎日新鮮なオクラが出てるだろう。しかもこんな綺麗な花も見られ一挙両得だろう。
Photo_2 その花。残念ながら通りの方向に咲いている花が無く、横向き。1日花で、朝は大抵蕾ながら、午後に通ると綺麗に咲いている。この花は受粉しなくとも結実するそうで益々簡便で有益な野菜だ。但し少し肥料を食い。又連作障害はあるようだ。花もわさび醤油ベーコン巻で食べられ、オクラの香りと粘りもある由。

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2014年8月20日 (水)

このまま秋になる? 高砂百合が一気に満開

 ある気象予報士の話では、最近日本周辺の海水温が下がって来ている。海水温が下がるのは気候が秋に移りつつある前兆であり、今年の秋は早いのでは?といっていた。
 当地ではここんところ、雨が多いせいか、気温が30℃を切っている。雨のせいか、気温のせいか判らぬが、山裾、野原或いは民家の庭などのタカサゴユリが一気に満開状態に咲いた。なんだか夏の花が遅かった割には百日紅に続き、高砂百合も一気に咲いて、もう秋になりつつあるのかも。
 そんな事で今日は満開に近いタカサゴユリを紹介。
Photo タカサゴユリ(高砂百合)。別名ホソバテッポウユリ、タイワンユリなどという。台湾原産の帰化植物。タカサゴは琉球語台湾を意味するサカサングに由来しているという。鑑賞用として大正時代に導入された。良く種子を稔らせ、辺りに散布し、2、3年目頃に花を付ける。しかし、4年目以降は連作障害により滅亡する。荒地、道端、堤防など空地に侵入する。
Photo_2 その花。日本では東北南部から琉球列島まで分布。開花は8月。茎の上部に花径10-12㎝、花長15cm位のラッパ状の花を付け、花弁は6枚、花の内側は白色。外側には紫褐色の線が入る。風媒花で自家受粉する。先日のテッポウユリよりは花もやや小振り。

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2014年8月19日 (火)

争乱の戦国史146(織豊Ⅲ08): 大阪城の築城

 秀吉は墨俣一夜城や小田原城攻撃時の石垣城など多くの築城を手掛け、生涯10以上の城を築き特筆されるものだが、その中でもこの大阪城は最も重要な城であり、その規模や豪華さも安土城を抜いたとも云われる。
 秀吉は、柴田勝家を討ち、反秀吉派を葬り、大阪を拠点に畿内とその周辺を親秀吉派大名や子飼いの馬回り達で固めて、天下人への道を歩み始めた。その第一歩が、天下人たる威容を示す城の建設であった。

 大阪城は、1583年9月1日(天正11)、秀吉自らの鍬始めでかっての石山本願寺跡地に築城が開始された。この地は京都から流れる淀川と、大和・河内から流れる大和川との合流点であり、すぐ西が大阪湾で瀬戸内に通じ、河川・海上交通の要衝地である。信長と同じく交通・物流の動脈を掌握し、海外貿易・外交を政権の基盤にしようとしたものだ。尚、この城は「御手伝普請方式」即ち全国諸大名に協力させたもので、秀吉がこの時点でそれだけの権力者になっていたことを示し、天下城と言え、全国から5万人が動員された。
F146 天守台はわずか2ヶ月で完成し、1585年4月(天正13)には、天主閣をはじめ、本丸部分が完成した。その翌年から、2期工事で、二の丸建設に着手した。安土城を上回る5層9階の天守をはじめ、多数の曲輪(クルワ)と堀に囲まれた巨大な要塞であった。二の丸工事は1588年(天正16)までかかった。尚、築城と同時に諸大名に屋敷を作らせ、又和泉や堺・摂津の商業都市の住民を移住させた。
 1594年(文禄3)からは城下一帯を堀や土塁で囲む惣構工事を開始した。城北の淀川は、そのまま堀の役割をし、城東・城西も河川を利用した惣構堀を作り空堀を掘って、要塞としての強化を図った。そして、惣構内の本願寺時の寺内町は祖もまま城下町とした。
 更に、1598年(慶長3)からは三の丸建設が始まり、そこに合った町屋はそっくり西惣構堀外の船場地区に移転させ、巨大な大阪の城と町が出来上がったのである。
 秀吉は後に京都に邸宅としての聚楽第と、隠居用の城・伏見城を作った。

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2014年8月18日 (月)

今年は百日紅が咲くのが遅かった

 当地福岡では毎年、百日紅が咲くのは8月初旬からお盆位であるが、今年は天候不順のせいか、花が咲くのが遅く漸く今頃咲きそろったという感じで、花付も悪く貧弱だが、比較的花付きの良い木を選んでアップしておこう。
Photo サルスベリ(百日紅)。中国南部原産。日本への渡来は、大和本草(1708年)に載っているところから、それ以前とされる。花が美しく、うどんこ病に罹り易い以外は耐病性もあり、程よい大きさになるので、庭木や公園の植栽によく使われる。樹高を低く抑える園芸種では鉢植えもある
Photo_2 サルスベリサルスベリという和名は、幹の成長に従い、古い樹皮のコルク層が剥がれ、新しいすべすべの樹皮になるところから。猿滑の表記もある。花弁が縮緬の様に縮れてギンバイカ(Myrtle)の花に似る故英名Crape murtle という。中国は唐代の長安の紫微(宮廷)に多かった紫薇と呼んだが、長期に咲く故百日紅となった。
Photo_3 その花。開花期7-10月。春に伸びた枝先花を付ける。故に花付きをよくするには前年の枝伐り詰める。花は白色の他、紅の濃淡色各種。円錐花序になり、1輪の花を詳細に見る事はないが、筒状で6裂花弁6枚で写真の如く縁が縮れている。写真は上下2輪である。

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2014年8月17日 (日)

狂い咲き?のテッポウユリ

 昨日雨も止んだので少し歩いていて、今頃咲いている鉄砲百合に遭遇した。テッポウユリは6月頃から咲始め、8月には終わる。その後8月に咲くのがタカサゴユリで、今頃あちこちで蕾が開き、満開近い状態だ。このブログでも、6月23日にテッポウユリを紹介したが、今頃咲いているのに驚き、ここにその狂い咲き?の写真を載せた。故にタカサゴユリは後日掲載する。
Photo_3 テッポウユリ(鉄砲百合)。本来台湾固有種とされたが、鎌倉時代には既に渡来しており、沖縄、南西諸島には多く、リュウキュウユリとも称され、日本固有種としている場合が多い。テッポウユリは連作障害を起こし、同じ場所には群生できず、種子を飛ばして移動する。が、明治以降、球根が大量輸出され、結果大幅に減少して現在レッドデータブックに載る種が増加した。
Photo_4 下その。花の形はタカサゴユリと酷似しているが、花に筋が入らずやや小ぶりであり、又葉幅もタカサゴよりは広いのが特徴。上述の如く開花期もは早いので、今頃咲くのは珍しい。この花は真っ白な花なので、冠婚葬祭に多用され、生け花にも使われる。花言葉「純潔、甘美、威厳」である。

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2014年8月16日 (土)

69回目の終戦記念日 ツルレイシが咲いている

 

 戦後69年終戦記念日だからか、戦争をしない国・日本であり続けるべきだとの新聞論評やテレビ討論など多かった。それは集団的自衛権の行使容認を憲法解釈だけで変更するとの閣議決定に対する国民の不安感、或は不信感の表れでないか
 一方、30歳以下位の若人に対し、8月15日何の日か知っているかと問いかけるテレビ番組があったが、殆どの人が知らない。生まれる40年以上前の事など知っていない人が多いという事かとも思うが、歴史や社会の時間に習って知っていると思っていたのは大間違いだった。「10年ひと昔」「歴史は繰り返す」などの言葉通り、戦前の軍国化への道を歩むのでないかと危惧される。ジジ、ババの話が伝わらない核家族化がもたらした結果だろうか
 今日は、お盆頃咲いて目立つ蔓レイシを紹介。
Photo ツルレイシ(蔓茘枝)。中華料理などに使われるレイシ(ライチ)の果樹に似る故の名。未熟の果実を食用にするが苦いのでニガウリ、或は沖縄ではゴーヤと呼ばれる。熱帯アジヤ原産で、日本では南西諸島、南九州での栽培が多かったが、最近はグリーンカーテンとして広まった。果実はリノレン酸、ビタミン類が多く苦みは健胃効果もある。
Photo_2 そのニガウリ雌雄異花で、この写真の花は雄花である。真中にあるのが雄蕊。一方雌花薄緑色の雌蕊で、花と同時に実の部分があるが、雌花はウリ科共通であるが、高温、長日条件下では雌花分化が抑えられるので、時期的に8月後半以降でないと咲かない。故にグリーンカーテンと果実収穫の一挙両得は難しいかも・・・。

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2014年8月15日 (金)

争乱の戦国史145(織豊Ⅲ07): 豊臣体制への道

 1583年4月22日(天正11)、秀吉府中に進んだが、前田利家は既に秀吉に与みしていたから城を開き下った。秀吉は利家を先鋒にし、柴田勝家居城・北庄城囲んだ。秀吉が急いだのは、賤ヶ岳の敗兵の集結前に一挙に陥落させるためで、3千の城兵も秀吉追撃に忽破れ、天主土居まで攻め寄せられた
F145 勝家その夜、その室・お市の方(信長妹)らと城中に決別の宴を張り、24日市は運命を共にし、長政の3女は秀吉陣に送られた。最後は天守にて、妻子を殺し城に火を放ち自刃して果てた。(は柴田神社の勝家像
 25日、秀吉が加賀に入ると、北陸の諸将は新たな風に下った。秀吉は利家に石川・河北2郡を与え金沢に、惟住長秀にはその功に加賀能美・江沼2郡を与え越前北の荘に居らしめた。5月2日、秀吉は北庄に戻り、尾張内海の大御堂寺にて信孝を自刃せしめた。行年26歳であった。秀吉は長浜・安土を経て11日近江坂本城で兵を休め、翌日虜囚となった佐久間盛政は斬首の上、洛中引き回し、首を6条河原に晒した滝川一益は降伏したので、越前・大野城を与えて許した。

 こうして戦後処理した秀吉は、愈々自らの足場固めと、近畿一帯の掌握を確かなものにするため態勢固めを行った。子飼いの馬回り達にはその戦功を賞し恩賞を与え、特に福島政則は眼前の一番槍を功として、3千石を宛がった。信雄尾張・伊賀の他に北伊勢を与えられ清州に在城丹羽(惟住)長秀は旧柴田領の越前国、加賀2郡を与えられ金沢に入る。美濃の旧信孝領は池田恒興に、稲葉一鉄・森長可などは旧領安堵。そして大身の信長旧臣を東と北陸にそのまま配置し、加増したといえる。筒井順慶(大和)、細川藤孝(丹後)には手をつけなかった。
 尚、自身安全のため、若狭・佐柿に木村重滋を、高浜城に堀尾吉晴の馬回りを入れ、丹波を養子の秀勝に、但馬・播磨を秀長に与えた。近江の掌握も重視し浅野長政を坂本に、加藤光泰を高島城に配した。そして佐和山に堀秀政を置いて大和以外の畿内も直轄と馬回りで固めた。又、龍野に蜂巣賀正勝、淡路に仙石久秀を配し、瀬戸内東部を押さえている。この時期では未だ秀吉の勢力圏が山城・摂津を中心の小さな同心円に限られていることを示している

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2014年8月14日 (木)

消費税10%に赤信号? GDPの落ち込み

 4-6月期国内総生産(GDP)の速報値は年率換算でー6.8%で、消費増税前の駆け込み需要の反動で大きく落ち込み、大幅なマイナス成長となった。7-9月期には反動減が和らぎプラス成長になると政府は期待するが、5.5兆円の経済対策など懸命であるも、消費がどこまで回復するかがポイントと言われる。
 先ず不安要因として、電気料金の高騰が経済界に与える問題。早急な代替エネルギー源がなく、原油高が響いている。ついでは賃金の引き上げは前期比1.3%増加したものの、物価上昇を除くと2.2%のマイナスで、実質所得は減少している。この様な環境下での消費増は見込めず、7-9月期GDP上昇は危ぶまれる。結果消費税の10%までの引き揚げが難しい状況となって来た訳である。増税下での景気回復の難しさが出てきた。
 面白くない環境ながら、自然界は夏の花を咲かせている。今日その内の桃色凌霄
Photo ピンクノーゼンカズラ(桃色凌霄)。この和名は俗称的だが、正式和名。英名もPink Trumpet Vine(ツル植物)という。ノウゼンカズラ科の双子葉、蔓性の落葉低木。南アフリカ原産、樹高3-5m。属名のボトラウアとも呼ばれる。耐暑性は強いが、耐寒性が強くなく暖地でないと露地栽培は難しい。
Photo_2 その。夏(6-10月)茎の先にトランペット状ピンク又は薄紅色で、赤紫の筋が入った花を付ける。蕚片5裂し、花弁5裂する。属の違うノウゼンカズラが大きいのに対し、これは花径3cm、花長5cm位の小さな花で、前者が鳥媒花であるに対し、これは昆虫による虫媒花なのだ。小さくて軽い花なのでこの花序は下に垂れず、横に広がって咲く

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2014年8月13日 (水)

凌ぎよい夏?  仙人草が咲いている

 今夏は天候不順で大雨があったり、台風が多発したりだが、その御蔭か涼しい日が続く。最高気温が30℃以下で、湿度が低ければ涼しい。このまま暑くならずに秋を迎えるとなれば、やや寂しい感じがしないでもない。暑い暑いとぼやき、なんでも暑さのせいにして、グータラ生活を楽しむのも夏の醍醐味なんだがなあー、と思いつつ今日もテレビで甲子園観戦。
 今日の花は今あちこちで結構綺麗な花を咲かせる野草の仙人草。
Photo センニンソウ(仙人草)。クレマチスの一種。日本各地に分布し、日当たりの良い山野に多くみられる、つる植物。葉柄が他の植物の枝や葉に絡み付き植物体を固定する。ヘクソカズラと同様な生態ながら、こちらは白い花がきれいなせいか、余り毛嫌いはされない。但し、有毒植物で、馬もたべないので「馬食わず」とも呼ばれる。
Photo_2 その8-9月に咲く。茎の先端付近の葉腋から三出状の散房花序を出し多数の白い花をつける。4枚の花弁に見えるのは萼片で本当の花はない。写真の様に、沢山の雄しべを出し、中に雌しべが数個あって花柱を出す。花後果実となった時、その先端から白い毛のある花枝が伸びる。これを仙人の髭に見立てて「仙人草」という。

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2014年8月12日 (火)

帰省ラッシュ始まる

 今年はガソリンの高いお盆となったが、例年の如く、高速道は今日は下り方面が渋滞を起こしている。勿論一般道も車が多い。だから、いつも通り遠出は控えて、近場も帰省中の人達で込んでいるので、テレビで甲子園を見ている。台風以降、最高気温が30℃位で、今年は過ごし易いので助かっている
 今日は余り観賞価値はないが、例年通り花を付けているペパーミントを紹介。
Photo ペパーミント(Peppermint)。シソ科ハッカ属。和名はコショウハッカセイヨウハッカ。ヨーロッパ原産。ハーブの一種で、葉を千切ると独特のメントールの匂いがする。菓子やハーブティーに使われる。清涼感に加え、抗アレルギー作用があることから、のど飴によく使われる。非常に強い植物で種子の他、地下茎でも容易に増え、又雑草も絶やすほどである。
Photo_2 その6-10月が開花期で、写真の如く花穂に小さな花がぎっしりと付いている。が、観賞用になる花ではなく、この花が咲くと香りが弱くなるので、花は早めに摘み取られる。但し、観賞用切り花として楽しまれる場合もあるという。
 

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2014年8月11日 (月)

争乱の戦国史144(織豊Ⅲ06): 賤ヶ嶽の戦い

 1582年10月15日、大徳寺で秀吉が執行した信長の葬儀に柴田勝家や滝川一益らは現れず、その後秀吉と反秀吉派との対立は鋳そう厳しくなった。織田家相続を阻まれた三男・信孝は特に秀吉を敵視し、勝家と結び秀吉追い落としを狙った。
 1582年12月7日(天正10)、秀吉は先手を取り、次男・信雄と組んで、5万の軍を起こし、9日には近江へ入った。勝家が雪に阻まれている間、その徒党を討つのが目的で、勝家属城で勝豊が守る長浜城をめざし、勝豊に来降を求めた。勝豊は勝家に付いた佐久間盛政に私憤を持っており、人質を出しこれに応じた16日には大垣城に入り、稲葉一鉄からも人質を取り他の美濃衆をも従え、信雄の命に奉ぜしめた。更に美濃兼山城主・森長可を信孝に背かせ、東美濃諸城の多くをも従えた。この結果、秀吉軍に包囲された岐阜城主・信孝は秀信(三法師)を出し、妻とその母を人質として和を請い、秀吉は秀信を岐阜城に入れ。申入れを受入れた。

 翌1583年閏正月28日(天正11)筒井順慶を大和より出陣せしめ、秀吉も出陣し、勝豊から人質を取り惟住長秀と勝家の南下に備えた。また、上杉景勝から誓書で好を通じてきたので、勝家背後を脅かすべく、越中への出兵を依頼した。この状況の中で、正月伊勢で滝川一益が挙兵したので、秀吉は兵を率いて伊勢に入り、2月16日一益の亀山城を攻囲3月3日一益が遂に長島を退いたので、信雄を亀山に入れ、蒲生氏郷らに周りの諸城を攻めさせた。
 しかしこの時、勝家が滝川支援のため、3万の兵を率い近江に侵攻、佐久間盛政も越前北庄を発し柳瀬に陣をしいた。これを知った秀吉は伊勢から急遽兵を返し12日近江佐和山城に入り、長浜から柳瀬へ向け対陣して、賤ヶ岳、大岩山、岩崎山を築いて柴田軍に対峙した。17日には上杉景勝に勝家後方攪乱を依頼している。
F144 両軍にらみ合いは、1ヶ月に及び膠着状態に陥っていた。4月16日、岐阜の信孝が挙兵したとの報で、秀吉は1万5千の兵を率いて大垣城へ向かう。秀吉の戦線離脱の隙を突き、勝家配下の佐久間盛政同20日、中川清秀が守る大岩山砦を襲撃全滅させた。続いて岩崎山の高山右近を攻め敗走させた。勢いづいた盛政は勝家の制止を聞かず敵陣に深入りした。これを聞いた秀吉は直ぐ兵を反転翌21日佐久間勢を攻撃、柴田方前田利家の突然の離脱もあって、柴田勢が総崩れとなり勝家は越前北庄城へ逃げ帰った。この時活躍した福島政則ほか、秀吉子飼いの加藤清正、片桐直盛(且元)、加藤嘉明、脇坂安治たちが、後に賤ヶ岳の7本槍と称された。

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2014年8月10日 (日)

台風、高知に上陸

 今朝、予報通り台風11号は高知・室戸岬西に上陸、北東向けて徳島通過中(9時半)、間もなく淡路島通過し兵庫県に入る見込み。強さを維持しながら東北方向に日本海に抜ける見込みだが、紀伊、三重、愛媛、岐阜方面には大雨をもたらし、冠水が増えそうだ。心よりお見舞い申し上げ、災害等起こらぬ様祈念します。
 今日は天候不順の中、葉が消えて、花だけが残るナツズイセンを紹介。
Photo ナツズイセン(夏水仙)。別名リコリス(属名)と呼ばれる。中国・日本(本州~九州)に分布。人里近い山野、草地に自生スイセンの名がついているが、葉が似ている故で、ヒガンバナの仲間。リコリスの1種。早春に葉を出すが、夏前に枯れてしまい、花径がその後伸びてくる。開花時に葉が無いので、ハダカユリの別名がある。日本には古くに中国より渡来し、野生化したと言われる。
Photo_2 その花。開花期8月中・下旬。60㎝前後の花径を伸ばし、先端に数輪の花を付ける。花の付根は細い筒状で、花の全長は7㎝位。先端がラッパ状に大きく開き、6枚の花被片は反り返る。花色は上品なピンク。球根は有皮鱗茎。全草に有毒成分・リコリンを有し、麻痺、ケイレン、嘔吐などの中毒症状を起こす。

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2014年8月 9日 (土)

悪魔の仕業?エボラ

 WHOは8日、エボラ出血熱に対し、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」と宣言した。この病気はエボラウイルスにより感染し、潜伏期間8~10日間で、頭痛や発熱、筋肉痛などインフルエンザに似た症状が現れ、悪化すると、口や鼻、消化器から出血する。大量の出血で治療困難になり死に至るものである。現在治療薬は開発中で、今のところ鎮痛、点滴などの対症療法しかない感染は接触による直接感染だけで、空気感染や飛沫感染はなく、日本は厳戒態勢を敷いているから安全とは言え、感染地域では大問題だ。何としてでも治療薬の早期開発が望まれる。人類の大敵は矢張り病原菌だ
 さて台風の近づく中、公園の花壇のコリウスの鮮やかな色目につ付いたので撮って来た。
2  コリウス(Coleus)。シソ科コリウス属の総称。和名はキンランジソ(金襴紫蘇)、ニシキジソ(錦紫蘇)など。熱帯アフリカ、熱帯アジアオーストラリア、東インド諸島、フィリッピンに100種以上分布。園芸種は沢山いろんな色や葉のものが出回っている。観葉植物として鉢植にするが、公園など一面に植えている場合もある。
Photo_2 その接写平滑なもの、深い切込のもの、縮れのものなど多種ある。エンジ、黄、サーモンピンクなどに緑の縁取りのものが多い。花は紫蘇に似た花を咲かせるが観賞価値がなく、又咲かせると葉の色が褪せるので、咲くと摘むことが多い。主な開花期は6-10月。草丈は20-80㎝。

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2014年8月 8日 (金)

遅くて、強い台風が近づく

 多分多くの人が休暇を取っているであろう盆前に、台風11号が近づいて来た。進路は奄美東南から北上し、四国・高知に上陸し、岡山を横断して11日日本海に抜けると言う予報。その間、945hPaと言う低気圧を保持するという強い台風であり、当然大雨を降らせると予測されている。台風の東側、即ち関西、中部、関東そして東北、北海道まで大雨の予報だ。特に四国、岡山以東の近畿辺りは風と大雨のダブルパンチとなりそうなので、十分にご注意頂きたい。
 お盆時期から秋口まで咲き続けるクレオメが咲き始めた。この花のまとまった花公園もあるようだが、私の周りには少しずつ植えたものを散見する程度だが、不思議な花の形とやさしい色合いに惹かれる
Photo  クレオメ(Cleome)。和名は西洋風蝶草、又はスイチョウカ(酔蝶花)。何れも蝶が風に舞うような花姿からの名前。原産地南アフリカ。草丈90-120cm。肥沃な土地を好み、移植を嫌う。暑さ、乾燥の耐久力が強く、当に「夏の花」である。明治初期に渡来。
Photo_3 その花。花期7-10月。茎先に総状花序(柄のある花が花茎に均等に付く)を出し、頂点に沢山の4弁花を付ける。4本ある雄しべの先は太くて緑色の部分があり、雌しべ紫色の糸状で異様に長い。花が蕾の頃濃いピンクで、開いてくるとだんだん白くなり、その風に揺れている様から酔蝶花と言われる。一輪の花の寿命は短かいが、毎日下から上に咲きあがって行き、夏中咲く。

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2014年8月 7日 (木)

争乱の戦国史143(織豊Ⅲ05): 清州会議

 明智討伐での秀吉の対処は群を抜いて迅速であった。が、徳川家康6月14日に漸く尾張に着いたが、秀吉の平定の報を受け兵を納めた。北国の柴田勝家は越中から、前田利家は能登から夫々兵を返したが、能登の石動山天平寺の僧徒の一揆に遭遇し、上洛の時宜を喪った
 そして、信孝(信長三男)・秀吉らが岐阜城を召上げ、美濃・尾張に軍を進めた機会に、6月27日信長重臣の柴田勝家・羽柴秀吉・惟任(丹羽)長秀、池田恒興らが尾張清州城に会して信長後継、遺領処分に当ることになった清州会議)。この時、滝川一益は上野侵入の北条氏に大敗しており、清州会議には遅れて参じている。この会議の招集者勝家だったが、光秀討伐の立ち遅れから、主導権を取り返そうとしての招集提唱だったと言われる。
 後継者問題で、勝家は、信孝の烏帽子親でもあったが、明智討伐にもいち早く秀吉に同行している点から三男・神戸信孝を押した。尤も次男・信雄を超える点で問題が残る。秀吉は故信忠(長男)と懇意でもあり、その嫡子・三法師(秀信)を後継として主張した。信長からの嫡流である故との筋目を通した意見に対して、秀吉が体調悪しとして別室に退いた後も、惟任長秀賛意を表して、勝家を説得した。秀吉が仮病使ってまで退出して充分論議させたのも、自分の筋論に自信を持っていたからと言われる。堂々巡りの論議が続いたが、最終的に三法師の後継と信孝による後見が決定した。天下の政道は勝家、秀吉、長秀、恒興の4人が見る事に定まり、暫くは4人連署で知行あてがいなど行う事が決まる。

 信長旧領の処分信雄に尾張、信孝に美濃、秀勝(6男・秀吉養子)に丹波、秀吉に山城、勝家に長浜6万石、恒興父子に大阪・尼崎・兵庫12万石、長秀に若狭と近江の一部、滝川に5万石と分け取りとなった三法師は当然安土に移り近江を領する
 秀吉は旧領長浜を勝家の希望通り譲り、山城を採ったが、領土分与は関係なく、明智討伐の実績は大きな重みを加え、既に諸将を超越する形となった
F143 7月11日には京に入り、公家衆以下の訪客相次ぎ、秀吉の天下が約束された感があった。その内名声は次第に高まり、肥前鍋島と誼を通じ、毛利輝元も使僧をを遣わし、信長弔意を伝え、吉川元春も山崎の戦勝を賀し、後継政権を公認した感があった。(秀吉からの毛利輝元の信長への弔意の礼状(毛利博物館蔵))。
 尚、10月3日、正親町天皇から秀吉に武勇を讃える綸旨があり、従五位下に叙し近衛権少将に任じられ、10月15日には大徳寺に於いて盛大な信長の葬儀を行ったが、前代未聞の盛儀であった。

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2014年8月 6日 (水)

やっと晴れ間が出た、が花は萎れて

 ここんところ降り続いた雨も、昨日午後には止んだ。早速カメラを持って出て見たが、お目当ての花はじめ、殆どの花々は雨に打たれたり、萎んでいた。仕方なく花屋さんを覗いてみると、こんな花が店頭においてあった。これもやはり夏の花。真っ白の清々しさが気に入ったので、撮ってきた。
Photo セイロンライティア(Ceylon wrightia)。原産地スリランカ(セイロン島)。草丈70㎝-2mになる。鉢植にして育てると冬期取り込める由。日本にはタイ経由で、花木として導入された。低木でよく枝分かれするので、庭木向きらしい。日当たりを好むが、夏は半日蔭でよいとか。樹皮が赤痢に効くと言われてる。
 Photo_2
 下その花。開花期6-10月。枝先に散形花序(沢山の枝を出し、その先に1個ずつ花を付ける)で、花径3cm位の純白の花。花弁は5枚で、付根の部分にも髭の様なものが見られるが、これは副花冠(花冠は花弁のある部分のこと)が発達したもの(横向きの花がよく判る)。

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2014年8月 5日 (火)

悪天候の中 芙蓉も咲いた。

 台風が引きずってきた低気圧の関係で、九州は昨日に続き、今日も雨が断続的に降り続く様だ。気温は30℃未満だが、湿度が高くイヤーな感じである。
 今日は昨日撮ってきた芙蓉。今年は芙蓉の花を見かけない。私が歩く範囲に2ヶ所しか咲いてない。それもやや離れての撮影で、接写ができない。ムクゲは今でも彼方此方色々咲いている。思うに最近あまり大きな場所を取る花木は敬遠され、又高木は手入れが困難為高齢者からも敬遠されたと思える。そんな事で庭木も色々移り変わるもんだと納得。従って、花の説明は書いたものの、写真では判らぬ事をご容赦頂きたい。
2 フヨウ(芙蓉)。アオイ科ハイビスカス属。別名木芙蓉。よく似た蓮を水芙蓉と言うのに対しての呼び名。中国、台湾、日本の四国、九州以南に自生。鑑賞用には関東以南で栽培。この木は多くに枝分かれし、こんもりと広がり樹高も3mまでになる。酔芙蓉に似た色だが、これは朝から色づいているので酔芙蓉ではない
2_2 近接撮影の。花期8-10月。花色はからピンク花径10-15㎝。葉の付根に朝咲いて、夕方萎む1日花。長期に亘り毎日次々と開花する。花弁5枚で回遊し、椀状に広がる。先端で円筒状に散開する雄しべは根元では筒状に癒合しており、その中心部がら雌しべが延び、雄しべの先より更に突き出て5裂する。5日に撮りなおしの写真と交換したが、これでも判りづらいがご容赦。

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2014年8月 4日 (月)

今日も雨 雨に濡れた柘榴

 こうも雨降りが続くと、台風12号が憎らしくなってきたが、その影響も今日辺りで終りと思っていたら、猛烈に強い11号台風が列島方向に向かって北上している。そのせいで、ここ1週間はずーと雨の予報
 今日は少し明るい話をと思って新聞を眺めたが、日本国内はもとより、海外も国際間の大小トラブルなどいつ爆発するかしれない状況の継続だ。そんな中、国会議員は長い夏休みに入ったという。この3年間、夏には必ずあった「政局」がないから静かなんだそうだ。国会議員さん、静かに、そしてゆっくり物事を考える時間が出来たのなら、今の日本の状況と、政治が取り組むべき大きな政治課題について、自己の損得や党の立場などから抜けて、ゆっくりと冷静に、客観的に眺めて、今後の日本の有り様を考えてください。お願いします。
 さて、雨の中、濡れても美しくぶら下っている柘榴が目についたので紹介。
Photo ザクロ(柘榴)。トルコ、イランからヒマラヤ山地に至る西南アジヤが原産地。日本では東北南部から沖縄まで分布。日当たりを好む。果実花托(花柄の頂端の花が付く部分)の発達したもの。中に果肉(仮種皮)があり、その中に種子がある。この種子を覆う形で発達した種衣食用部分である。(中味の写真は撮れず)
Photo_2 ザクロの先端。ザクロの中の食用部分は皮と種子を除いた種衣の部分で、生食される。果汁をジュースとしたり、清涼飲料のグレナデンの原料とする。又いろんな料理にも用いられる。果皮や種子は大昔から薬用として用いられたが、科学的な効果が証明されている訳ではない。尚写真の先端部分が気になるが花の蕊部分が残っているのか

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2014年8月 3日 (日)

争乱の戦国史142(織豊Ⅲ04): 山崎の戦い

 天下分け目の戦いと言われた山崎合戦の前哨戦前夜天王山で起きていた。秀吉方の先鋒中川清秀の摂津衆は、松明無しでも登山可能で、天王山に分け入ったところへ、光秀軍が松明を手に来たので、鉄砲の餌食としあっけなく撃退した。
F142 翌1582年6月13日(天正10)、富田城の秀吉のもとに、神戸信孝、丹羽長秀の軍8000が到着。秀吉は期を移さず、高山・中川隊の先鋒を天王山と桂川の隘路に向けて進め、山手羽柴秀長・黒田孝高らが天王山に、川手は池田隊桂川沿いに進んだ。これに対し、光秀勝竜寺城を出て桂川支流の円明寺川沿いに布陣、中筋の秀吉軍を待った。秀吉軍4万に対し、光秀軍1万6千で明智軍ははなからの劣勢
 午後4時ごろ先端が開かれ、光秀は天王山を制すべく、秀吉軍の左翼・中川勢の正面を攻撃。中川勢が防戦する内に、山手の羽柴秀長・黒田孝高軍がこれ助け反撃に転じ、秀吉軍の右翼・川手の池田勢も攻撃を加えて、動揺する光秀軍を包囲しての総攻撃となった。光秀軍は忽ち崩れたって、光秀自身も勝竜寺城に逃れ秀吉軍はこれを追撃し2万の大軍でこれを包囲した。
 光秀はこの城を支えることの困難さを知っており、近江に帰り、女婿の明智秀満と一体となるべく夜陰に乗じて城を脱出。主従5、6騎が久我縄手を伏見大亀田に向い、小栗栖を通り、山科より大津に向おうとしたが、小栗栖の竹藪道土民の襲撃を受け殺されてしまった
 あとの勝竜寺城は、全く4分5裂となり14日には落城。秀吉軍先鋒はさらに逃亡の敵を追い近江に入り三井寺に陣した
安土を守っていた明智秀満は、山崎の報を聞き、14日には千数百の兵を纏めて坂本城に移ろうとしたが、途中秀吉方の堀秀政の攻撃を受け、わずか30騎ばかりで坂本城に入った。しかし、秀政に囲まれ、如何ともしがたく、天主に籠り光秀の妻子、己が家族をも殺害して、鉄砲火薬に火をかけ、自刃して果てた
 16日、神戸信孝、羽柴秀吉らは近江安土城に到着したが、かっての宮殿楼閣は、灰燼となっていた光秀の首級も発見され、本能寺にさらされ、光秀の臣・斎藤利三と共に、首級と屍をつなぎ合わせ、粟田口の刑場に磔にされたという

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2014年8月 2日 (土)

悪天候続く中、長期咲き続ける姫岩垂草

 昨夜の大濠花火大会は、打ち上げ開始時期には雨も止んで、45万人の人出と言われる中、夜8時より、1時間半にわたって6000発を打ち上げて無事終了した。当地ではこの間NHKが実況中継したので、テレビでの見物だったが。
 しかし、台風の影響はあり、今日も一日中降ったり止んだりの蒸し暑い日が続きそうであるが、涼しい風が吹くので助かってはいる。そんな中で、この6月21日にアップしたコバノランタナに付け加えコバナノランタナ?ではなさそうだが、名前が判らぬとしていた花が、今でも元気咲き続けている。それで近縁種等を頼りに検索していたらアッタ!。
 名前はヒメイワダレソウという。クマツヅラ科のイワダレソウ属でランタナの近縁種なのだ。だから花は小さいがランタナそっくりの花だった訳である。
Photo ヒメイワダレソウ(姫岩垂草)。これは匍匐性があり、草丈5-10cmで、地衣類の様に、地面にべったりと付いて横に広がる。だから、グランドカバーや雑草抑制用の地被植物として利用される由。丈夫で生長がはやく手間が掛からない、又耐寒性も関東以南では問題ない。写真のも、近くの運動公園や住宅地の公園の緑地周縁に植わっているもの。
Photo_2 その。花期6-9月。葉の脇から花径を出して長さ5㎜位の小さな筒状花をつける。花冠の先は唇形で平らに開く。花の色ないし淡い紅紫色付根の部分にオレンジ色の斑紋がある。又中央部分には黄色ピンクの部分がある。この花は放射性セシュウムの吸着効果が、福島県南相馬町の調査ではヒマワリの約30倍あったという。

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2014年8月 1日 (金)

花が小さい観葉植物「ハツユキソウ」

 福岡は朝から時々雨が降り、風が強い。現在(午後2時)台風12号沖縄西北200km位のところを北上中、あまり強くはないが強風圏が非常に大きな台風で、九州全域が強風圏に入っているからだという。しかもこの台風、足が遅く今日から3日間福岡は強風圏内、場合により暴風圏内となり、雨と強風が続き、11号の強さ如何では引っ張られて、九州直撃の可能性もあるという。
 福岡は今日夜は恒例の「大濠花火大会」で、既に濠の周りは場所取りのシートがぎっしりと並んでいる。これを見るために近県からの見物客も多い中、気を揉ませる台風である。
 花壇の花シリーズは前回で終わりとし、今回からは目についた花を適宜アップロードして行く予定で、今日はハツユキソウを紹介。この花が珍しい花なのだ。
Photo ハツユキソウ(初雪草)。トウダイグサ属。北米原産で日本には1811年又は1860年に渡来した2説ある。草丈60cm-1m。茎の頂点に近い部分の葉の縁が白く彩られ(これを覆輪という)るのが特徴。この白い縁どりが涼しげで花壇や切り花で楽しめ、密に植えた花壇では雪が積もった感じとか。乾燥には強いが水切れには弱い
Photo_2 その。開花期(鑑賞期)7-10月。白く色づいた葉の中に埋もれる様に黄緑色の小さな花(花径約5㎜)がつく(写真中央に縦3つ並んでいる部分)。花の様に見えるのは杯状花序で、花序の中には雌しべの雌花が一つと(多分一番下複数の雄蕊だけの雄花が含まれる(上の二つか?)という。杯状花序はさらに散形花序を形成している。花のように見えるのは付属体と呼ばれるもので密腺がついているとのことだが、この写真では不明。

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