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2014年8月 3日 (日)

争乱の戦国史142(織豊Ⅲ04): 山崎の戦い

 天下分け目の戦いと言われた山崎合戦の前哨戦前夜天王山で起きていた。秀吉方の先鋒中川清秀の摂津衆は、松明無しでも登山可能で、天王山に分け入ったところへ、光秀軍が松明を手に来たので、鉄砲の餌食としあっけなく撃退した。
F142 翌1582年6月13日(天正10)、富田城の秀吉のもとに、神戸信孝、丹羽長秀の軍8000が到着。秀吉は期を移さず、高山・中川隊の先鋒を天王山と桂川の隘路に向けて進め、山手羽柴秀長・黒田孝高らが天王山に、川手は池田隊桂川沿いに進んだ。これに対し、光秀勝竜寺城を出て桂川支流の円明寺川沿いに布陣、中筋の秀吉軍を待った。秀吉軍4万に対し、光秀軍1万6千で明智軍ははなからの劣勢
 午後4時ごろ先端が開かれ、光秀は天王山を制すべく、秀吉軍の左翼・中川勢の正面を攻撃。中川勢が防戦する内に、山手の羽柴秀長・黒田孝高軍がこれ助け反撃に転じ、秀吉軍の右翼・川手の池田勢も攻撃を加えて、動揺する光秀軍を包囲しての総攻撃となった。光秀軍は忽ち崩れたって、光秀自身も勝竜寺城に逃れ秀吉軍はこれを追撃し2万の大軍でこれを包囲した。
 光秀はこの城を支えることの困難さを知っており、近江に帰り、女婿の明智秀満と一体となるべく夜陰に乗じて城を脱出。主従5、6騎が久我縄手を伏見大亀田に向い、小栗栖を通り、山科より大津に向おうとしたが、小栗栖の竹藪道土民の襲撃を受け殺されてしまった
 あとの勝竜寺城は、全く4分5裂となり14日には落城。秀吉軍先鋒はさらに逃亡の敵を追い近江に入り三井寺に陣した
安土を守っていた明智秀満は、山崎の報を聞き、14日には千数百の兵を纏めて坂本城に移ろうとしたが、途中秀吉方の堀秀政の攻撃を受け、わずか30騎ばかりで坂本城に入った。しかし、秀政に囲まれ、如何ともしがたく、天主に籠り光秀の妻子、己が家族をも殺害して、鉄砲火薬に火をかけ、自刃して果てた
 16日、神戸信孝、羽柴秀吉らは近江安土城に到着したが、かっての宮殿楼閣は、灰燼となっていた光秀の首級も発見され、本能寺にさらされ、光秀の臣・斎藤利三と共に、首級と屍をつなぎ合わせ、粟田口の刑場に磔にされたという

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