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2014年7月

2014年7月31日 (木)

夢が膨らむ水素エネ  ホソバ百日草が満開

 経産省管轄の新エネルギー・産業技術総合開発機構NEDO)が30日出した「水素エネルギー白書」によると、家庭用燃料電池や燃料電池自動車の普及、更に新用途拡大により2030年には、水素ネルギーの1兆円の国内市場が出来、50年8兆円まで拡大すると予測している。
 水素が燃えると酸素と反応し水になる。が、その化学反応により発電する燃料電池分野では日本は世界一の特許出願数を持っており、水素を電源構成の一翼を担う存在に押し上げると白書は表明している。何と云っても、炭酸ガスを出さない。そして現に家庭用燃料電池は設置工事を含め150万円と販売初期の半額まで安くなった。さらにコスト減を図りつつ、燃料電池車の普及に努め主な都市圏には水素補給用のステーションを整備する。車に次いで、水素発電の実現取り組むことを表明している。原発問題、化石燃料問題解決の糸口たらん事を念じる。
 さて今日は、夏真っ盛りの中元気咲いてる花・ホソバヒャクニチ草を紹介。
Photo ホソバヒャクニチソウ(細葉百日草)。別名ジニア・リネアリス(Zinnia linearis)。草丈20~30㎝。病気に強く、乾燥にも強い傾向があり、日当たりを好む正に夏の花。普通の百日草より草丈は低く、葉幅が細いのが名前の由来。原産地メキシコ、北米。鉢植えや花壇に最適の花。多少の雪や霜は乗り越える。
Photo_3 下:その。開花期6-11月花色赤、白、オレンジ、黄など。一重咲きの清楚な花で、頭状花序を形成。花径3-5㎝周辺部舌状花中心部筒状花。種類によっては筒状花が花弁状の物もあり、八重咲もある

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2014年7月30日 (水)

争乱の戦国史141(織豊Ⅲ03):秀吉の中国大返し

 高松城で信長の死を知って大きなショックを受け、悲しみに暮れる秀吉に対し、軍師・黒田官兵衛「あなた様の運が開ける始まりです。今こそ確りして巧くやりなさい」と耳打ちしたと言われる。秀吉が信長後継者として、天下統一事業の継承を決意したのはこの時であった。

 1582年6月6日(天正10)、秀吉軍一万(二万とも言う)全軍を叱咤激励し、山陽道50kmを一気に駆け戻って、わずか1昼夜で姫路城に帰陣した。世にいう中国大返しである。そこで2日間弱兵を休め、その間兵を集結して、時をおかず9日には明石に向い、10日には秀吉軍は摂津尼崎に到着した。(図は日本実業出版社「早わかり戦国史」より)
F141_2 この慌しい強行軍の中で、秀吉は夥しい書簡を発し多数派工作を行い、周辺からの織田方武将の参陣に備え待機したのである。その結果、尼崎までに信長旧臣・池田恒興、堀秀政、高山右近、中川清秀らの諸将が馳せ参じ、秀吉軍は当初の倍の3万に膨れ上がり、最終的には信孝、丹羽隊を加え4万ともいわれる大兵力となっていた。光秀が殆ど援軍を得られなかったのに比し、秀吉の人心掌握術の非凡さが際立ったという。

 13日富田城に信孝らを迎えて、行動開始した時は、秀吉軍は4万余に膨張していた。高山長房と中川清秀が天王山と桂川とに挟まれた道に向かって軍を進め、山手は羽柴秀長、黒田孝高(官兵衛)ら天王山へ進軍し、池田恒興らは川手筋に進んだ。こうして先手必勝、秀吉は山手を掌握したのである
 これに対し、光秀12日になり、初めて秀吉の大返しを知って驚いている有様で、慌てて山崎に出て天王山を占領せんとするが、中川勢に制圧された後のことだった。

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2014年7月29日 (火)

うなぎが危ない  

 今日は土用の丑の日。無事に夏を乗り切るために、ウナギを食べる習慣があるが、なんとなく躊躇する。その理由は一つにはニホンウナギが絶滅に近い事。現在の養殖技術は捕獲してきた稚魚(シラスウナギ)を育てるだけで、完全養殖が出来ない。輸入ウナギも同様であり、かって大量輸入したヨーロッパウナギも激減し、ワシントン条約の規制対象種とされた。環境省は昨年からニホンウナギは絶滅危惧種に指定し、生息状況調査を行っている。二つ目の理由は、焼いて売ってるウナギは何処産のものか全く不明であり、輸入食品が問題多い現在、なんとなく食指が動かない。そんな訳で、土用が過ぎてから堪能するか
 今日の花は、本来野生種だが、昔から、お盆時期によく使われるミソハギが今は園芸種に仲間入りして、花壇で綺麗に咲いているので、紹介。
 Photo
 上みそはぎ(禊萩)。原産地は日本、朝鮮半島。盆花として使われるので、ボンバナ、ショウリョウバナ(精霊花)などの名がある。萩に似ており、禊(ミソギ)に使われるの名。又は溝に生える故のミゾハギからとも言われる。花期も長く、病害虫もなく、耐寒性、耐暑性もある故、ウオーターガーデンの植え込みにも使われる。
Photo_2 その。花期7-9月。花は葉脇につき、萼は筒状で、12本の肋(筋)があり、先きは6裂(稀に5裂)し、1輪の花径1cm弱の花が1~3個付き、花弁は紅紫色6枚が普通であるが、5枚のもある。

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2014年7月28日 (月)

難病に討ち勝ち、422日ぶりの白星・大隣

 昨日、パリーグ首位攻防をかけての試合に、難病「黄色靭帯骨化症(背骨の靭帯が骨化する)」の手術を受け、422日振りの復活登板した大隣投手の快投で、ソフトバンクはオリックスを降し、首位を維持した。この手術は巨人・越智投手も受けたが未だ回復せず、楽天・星野監督もこの手術を受けている。それを乗り越え復活した大隣投手には、敵味方を分かたず、多くの観客・選手が拍手を送ったおめでとう大隣
 さて暑い中の園芸草花。今日はサルビアの中のコッキネア。
Photo_2 サルビア・コッキネア(Salvia coccinea)南北アメリカが原産地。別名ベニバナサルビア、テキサスセージなど。多くの品種があり、その中のコーラルニンフがこれである。日本には1879年(明治12年)に渡来したという。温暖地では宿根する。次々と花を咲かせて楽しませてくれるサルビアの代表的品種である。日当たりの良い場所を好む丈夫な植物。
Photo_3 下その。花期6-11月。花弁は上側が白色下側がピンクの花。花色が桜の様だと言われるチェリ‐ブロッサムと言う品種もある。和名緋衣草」という。尚、コーラルニンフとは「珊瑚の妖精」と言う意味である。花は上唇と下唇に分かれ、雌しべ2本と雄しべが出ているのが見える。

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2014年7月27日 (日)

世界で唯一のベンベルグ生産・旭化成延岡

 ベンベルグ綿の種子を覆ううぶ毛原料にした人造絹糸。1857年ドイツ・ベンベルグ社が開発した再生セルロース繊維で、1931年旭化成は延岡工場で製造を開始。高度な技術を要し、世界で現在製造しているのは延岡だけで、品質は絹に最も近い繊維と呼ばれる。
 ところが、約10年前からインド経済が急成長。購買力を高めた中産階級以上の女性がこぞってベンベルグ製のサリー(女性衣装)を求めるようになり、販売が急伸。延岡では生産が追い付かず、この6月に設備を増強。インド向けに年5000㌧生産体制を整えた。空洞化が進む日本繊維業界で、国内大型投資は30年ぶりと言う。やはり日本の技術力のすごさだ。
 久方振りの明るい話題だが、今の時期、野草の花がほとんどなく、園芸花が花壇を彩っているので、花壇の花を紹介して行こう。今日は先ず、花壇に多いトレニア。
Photo トレニア(Torenia)。和名はナツスミレ(夏菫)、ハナウリグサ(花瓜草)。原産地東南アジヤ、アフリカで、約40種が分布。花付きの良さ、育てやすさ、暑さに強い等で、夏の花として幅広い用途で普及。日向から半日蔭で、湿り気のある場所を好む、病害虫の心配は殆どない。これは道路端の花壇のもの。代表的園芸種クラウン、パンダなど。
Photo_2 その。花期6-10月。写真のようにスミレに似た花を次々と咲かせる。花径は2‐3cm。花色は濃い紫色が基本で、白、紫、ピンク、赤など。花は不明瞭に合着した淡紫色の2枚の花弁上唇弁となり、下唇弁は濃紫青色の3枚が明瞭に合着して成り立ち、花喉部に黄色の斑紋があり、そこにある雌しべの先端が二つに割れており(写真では不明瞭)。そこに触れるとピタリと閉じるのが特色。

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2014年7月26日 (土)

争乱の戦国史140(織豊Ⅲ02): 秀吉、信長異変を掴む

 本能寺の変で織田信長が死んだ1582年6月2日(天正10)織田政権の重臣たちは、各方面軍を率いて全国各地に散っていた徳川家康は堺を遊覧中で、伊賀越えに三河帰国が精一杯。神戸信孝と丹羽長秀は兵士の逃亡が多く、左右に供したのはわずか八十騎で動けない。東山道の滝川一益は上野厩橋に居たが、新領国経営の端緒に着いたばかり、又北陸道の柴田勝家も上杉軍を前に、魚津・松倉両城を攻撃中で、6月4日の変報にも動けなかった。

 残るは羽柴秀吉。1582年6月3日(天正10)、毛利方武将・清水宗治が守る備中高松城を包囲していた秀吉のもとに、本能寺の変の第一報が届く。光秀の発した吉川宛ての使者が秀吉の陣に迷い込んで捕えられた。と、謂うのが通説
 高松城は水攻めにより、もはや落城寸前に追い込まれていた。応援に駆けつけた毛利軍勢も手が出ず、見守る中、講和交渉も行われたが、秀吉が城主・宗治の切腹を要求したため、中断していた。しかし、前日の2日、遂に城を支えきれなくなったと判断した宗治から自決と引き換えに将兵の命を助けるという条件を示され、秀吉は直ぐに毛利の外交僧・安国寺恵瓊を介し、講和を急いだ。秀吉にとっては、目先の敵以上に光秀を討つことが最優先すべきことであった。宗治はこれを受容れ、見事切腹して果てたという
F140_2 信長の死を知った秀吉は、一刻も早く毛利と和睦し、京へ駆けつける必要があった。6月4日、宗治の最期を見届けた秀吉は、すぐに全軍に対して、信長の死を告げると、京への帰還を命じた。
 一方、4日の午後には毛利方にも信長の死の報が入る。秀吉が講和を急いだ理由を知った毛利方武将・吉川元春(元就次男)は講和を撤回し、秀吉との決戦を望んだが、これに小早川隆景(元春弟)は一度和睦したからには約束を守るべしと主張し、毛利軍は動かなかった。
 秀吉は泰然自若として、清水宗治を切腹させたのち、和平の誓紙を交換すると史上名高い、中国大返しを行い、6月6日には秀吉軍2万は姫路城に帰陣したのである

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2014年7月25日 (金)

暑さに負けず、ど根性カンナ

 今日は電柱と廻りの舗装との間に出来た7,8cmの隙間から生えて毎年花を咲かせているカンナを紹介。このカンナ昨年、見事に咲いたので、ブログに載せたが、今年も御覧の通り立派に花を付けたので再び採り上げた次第。
 「ど根性カンナ」名を奉ったのは、わずかな隙間から流れ込むとそれに混じっている養分だけでこんなに立派に、毎年咲くものかと不思議に思い「ど根性」で生きているのか、と感嘆しているからである。周りは民家ばかりの住宅地だからひょっとすると、誰かが秘かに、施肥や灌水をしているのかなと思わぬでもないが、まさかそれは無いだろうと思う。
 カンナはギリシャ語で、葦の意味で、草姿が葦に似る故の名だが、見た目にはそんなに強い植物とは思えない。カンナはショウガ目の中でも形態が独特で、最も特殊化した科で、カンナ科はカンナ属1つで構成している。
Photo カンナ(Canna)。和名はハナカンナ。熱帯アメリカ原産で、同地方には50種が分布。日本には江戸時代前期カンナ・インディカ(和名ダンドク)が渡来。現在ハナカンナと呼ばれる園芸種は1000種に及ぶという。草丈は40-50cmの矮性種と4-5mの大型種がある。緑色と赤銅色があり、葉脈に斑入りもある。暖地では球根を掘らず、宿根草として扱える。
Photo_2 その。花期7-10月。3枚の花弁基部が合着し筒状になり、蕚片は3枚で花後も残る。尚、この他、花弁のように見えるのは、6本ある雄しべが、1本を残して他は全て花びらになる(退化するのもある)。残った1本のみが花粉を出す。(写真で1本の雄しべが見える)。雌しべはへら状になる(写真では判らない)。花色は緋色、ピンク、黄色、白など。花後は黒に近い堅い種を作る。その堅さからマラカスや玩具のカラカラに入れられる。

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2014年7月24日 (木)

トウキビ(唐黍)の花が咲いた

 近所の集落の民家の庭先は大概、花壇と菜園の同居となっており、そこに植えられているトウキビ(トウモロコシを当地ではこう呼ぶ)の花が咲いていたので撮ってきた。
Photo トウキビ(唐黍)。トウモロコシ(玉蜀黍)のこと。ナンバトウミギなど地域によって種々呼び名があるようだ。穀物として、食糧や飼料の他、デンプン、油、バイオエタノールの原料として世界で8億トン以上も生産しているので知らない人はない。が、花はどれ?実は何処につく?等ご存じないかもと思って紹介。
Photo_2 雄花(雄小穂)。頭頂部にあるのが雄花。ススキの穂に似た小さな花下向きに沢山ぶら下っている。これが雄花。この花が花粉を落とし、それが落下、或は風に乗って辺りを浮遊する。
Photo_3 雌花(雌小穂)。茎の各節に写真の様に、包葉に包まれたトウモロコシの実の部分上向きについている。包葉に包まれているので判らないが、その先から白いヒゲが束になっているのが雌花である。この雌花が上記雄花の花粉を受粉し包容の中に実を形成する。トウモロコシは紀元前5000年から栽培されているので、水稲と変わらぬ古い農産物だろう。

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2014年7月23日 (水)

佐賀にオスプレイ配備要請

 昨日政府は、副防衛相が佐賀県知事に対し、佐賀空港へのオスプレイ配備を要請した。オスプレイはヘリの様に垂直昇降が出来る輸送機で、米軍が沖縄に配備したのは最近だったが、自衛隊も最近の尖閣等、南西諸島防備のために17機を導入し、これを配備したいというものである。且、普天間飛行場の移転完了までの間、米海兵隊のオスプレイも暫定的に受け入れるようにも求めている。
 佐賀空港県営空港で地元とはこの空港は自衛隊との共用はしないとの覚書が交わされており、当然ながら、地元は反対するものと思われる。向後、地元との協議により可否が決定されるが、集団的自衛権行使容認問題の直後、軍用施設の増強問題には、国民も神経質にならざるを得ないと思われる。
 暑い話の中で、暑い花・サンパラソルを紹介。
Photo サンパラソル。サントリーが開発したマンデビラの園芸種。マンデビラは別名チリソケイと呼ばれ、メキシコ~アルゼンチンに100種ほど分布している亜熱帯性植物である。日当りを好み、寒さ(10℃以下)には弱いと言われるが、当地では地植えで越冬しているのもある。つる性で上に伸びたら下方へ誘引できるので密に咲かせられる。
Photo_2 その。この写真のは早咲き種開花期は6-9月。つる咲種で花径は7-8cm位のラッパ型で、先端は大きく開いて5枚の花びら状になっている。花色はこのルージュ以外に、クリムゾン(深紅)やミルキーピンク、白などがある。

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2014年7月22日 (火)

争乱の戦国史139(織豊Ⅲ01): 孤立した明智光秀

 本能寺に信長が討たれ、その後の秀吉の台頭と全国統一期については織豊時代第Ⅲ期とし、タイトルは(織豊Ⅲno.)の表示をする。今回はその第1回。

 1582年6月2日(天正10)、信長を討った明智光秀は、引き続き朝8時ごろには、二条御所を守っていた信忠を討つべく攻撃。光秀軍は市中馳せ参じたものを含め1500にもなり、信忠よく防戦したが、御殿に火をかけられ衆寡敵せず、自刃して果て、所司代・村井貞勝らも殉じた
 光秀はその後、目標の安土をめざし近江に向った。先ず勢多城主・山岡景隆を誘ったが、山岡兄弟はこれを拒否し、勢多橋を焼落とし、居城に火をかけ山中に退去。光秀は最初の誘降作戦に失敗し、一旦自分の坂本城に引き上げた。

 安土にも10時ごろには京の変報が伝わり、留守居の守将・蒲生賢秀は安土退去を決意し、3日午後、信長側室らを伴い、難を居城の日野に避けた
 5日、光秀安土城に入り部下にその財宝を分与し、京極高次に秀吉居城・長浜城を占領させ、斎藤利三を入れ、前若狭守護・武田元明佐和山城を攻めさせ奪った。こうした後、日野の蒲生父子を招いたが堅く拒否された
 変後、光秀は直ちに、安芸の小早川隆景に書状を発し、「将軍の意向に沿い自分も信長父子を討った」との意味の書状を携えた使者6月3日の深更に備中高松の秀吉軍に捕えられ、首を刎ねられた
F139jpg_2 9日再び上洛した光秀は各地の大名に書状を送り、自らの行動への支持を取り付けようとした。しかし、光秀に味方しようとする者は殆ど現れなかった。(光秀が山崎合戦に陣した勝竜寺
 親交の深かった細川藤孝やその子の女婿・忠興にも同様の書状を送ったが。が、細川親子ともに剃髪して光秀の誘いを断ってきた
 かって信長のもとで光秀と共に働き、大和一国を与えられた筒井順慶は、当初光秀に味方する意向を示していたが、形勢が光秀に不利とみると態度を変え、居城の郡山城に籠って光秀を拒絶6月11日には秀吉に使者を送り、光秀には協力しない旨を伝えている。

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2014年7月21日 (月)

梅雨明け、やはり暑い!

 毎年のことながら、今時分になると我が家の山法師にはイラガの幼虫が着く。これに触れると針で刺されたような痛みが走り、2,3日間はおできが出来たようになる。それで、ここ2,3年は幼虫がついているのを発見すると”スミチオン”なる殺虫剤を散布している。今年も昨日発見したので、涼しいうちにと思い朝から殺虫作業を行ったがやはり暑かった予報通り梅雨明けと福岡気象台が発表。強い陽射しとなっている。
 昨日まで2日続けてキク科の花だったので今日までキク科の花として、野草のヨメナが緑一色の中で、薄紫の涼しげな花を咲かせているので紹介。
Photo ヨメナ(嫁菜)。中部地方以西のあぜ道など湿った場所に生える。この種は山地には余りないそうだ。春の若草は茹でて和え物として食すと、美味なので、嫁にも食わすという意味からの名前だという。草丈50㎝~1m。
Photo_2 その。茎の下部で枝を分け、花序余り枝を分けず茎頂に1個ずつ花を付ける。花は薄紫色の舌状花と、黄色の筒状花からなる径3cm位の頭花。花期は7-10月。そう果は約3㎜の扁平な倒卵形で冠毛0.5㎜と短い。

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2014年7月20日 (日)

梅雨終末の蒸暑さ 暑さに強いメランポジューム

 昨日野球オールスター第二戦が終了した。我がソフトバンクの面々も第一戦より少しは場馴れしたか、実力を発揮してくれて、12-6でパの大勝で終わった。中でも柳田は6打数4安打、2打点、内HR1本と大活躍。目出度くMVPに輝いた。この勢いをもって後半戦での活躍を期待したい処だ。
 学校も夏休みに入り、連日32,3℃の最高気温予報だが、梅雨明けには至らず、蒸し暑い。加齢と共に鈍くなって高温もこたえないかと思っていたが、逆に蒸し暑さにへばってしまいそうだ。体がまだ真夏に慣れていない感じだ。熱中症にならぬ様、暫くは静かに家の中で過ごそうと思っている。
 昨日に続き、今日暑さに強い花で、昨日のサンビタリアとそっくりだが、中央部の筒状花部分色が、昨日が黒褐色に対し、今日は黄色である点が違う「メランポジューム」を紹介。
Photo メランポジューム(Melampodium)。メキシコ周辺が原産地で、日本には1990年頃と言うからごく最近の平成初期に渡来したものである。高温多湿を好み、乾燥を嫌うが、真夏にも元気なので、夏の花壇向きである。但し生育気温が25℃なので、暑くなってからの種蒔きで可。花壇の他、コンテナ植えにも適す。
3 その。1本の花径に一つの花が次々と咲くので、鑑賞上は、咲終わった花がらを次々摘み取ってやるとよい(放置すると種ができ、栄養分を取って本体が弱るから)。花期6-10月。花径は2cm位。日当たりを好む。(この花色は上と同じ黄色だが、近接写を早朝時、フラッシュを切って撮るとこの色になってしまう)。
 

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2014年7月19日 (土)

リニアの残土どうする?  咲続くサンビタリア

 国交相はJR東海の提出したリニア建設の環境アセスにたいする意見書を同社に伝えた。即ち、高音や振動など公害等の対策を容認したわけで、今秋から工事着工の運びとなる。が、問題が残されている一つはトンネル部分が多いために発生する残土が5,680㎥(東京ドーム46杯分)あり、この内約2割は付帯工事に使用されるが残り8割の使用先は未定、とりあえず仮置きとなる。今後そこへのトラック搬入や搬出が相当期間続くことになり、予定場所となる地元には不安が強く、協議に時間が掛りそうであるという。今一つ大井川の流量減少(平均毎秒2㌧)が予測され、元々水枯れの懸念が強い流域だけに、反発が再燃する恐れがあるという。公共工事だからとは言うものの、住民の生活を脅かす問題には充分な対応を取るべきであろう。
 梅雨も間もなく上がる予想だが、7月頃から咲始め秋まで咲く花が元気に咲いている、今日はその一つサンビタリア(蛇の目菊の1種)を紹介。
Photo サンビタリア(Sanvitalia)。北米南部~中南米に分布。その内の園芸種のサンビタリア・ブロクンベスの園芸品種で花の形状や色合いは多種ある。別名蛇の目菊の中の一つ。日本には明治に渡来。匍匐性で枝分かれし横に広がる。暑さには強いが寒さに弱く、又乾燥には強いが雨や湿気に弱いという。
Photo_2 その花。開花期7-10月。花径は2㎝と小さい花で、黄色~橙色中心部の黒褐色は筒状花で、ヒマワリと同じ造りで似てもいるので、小さな向日葵といわれる。秋以降の最盛期には豪華な花の絨毯になるという。尚見た目にはメランポジュームとそっくりだが、中央部の色が異なる。

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2014年7月18日 (金)

争乱の戦国史138(織豊Ⅱ20): 本能寺の変

 1582年6月2日(天正10)早朝、明智光秀の軍勢約一万三千人が本能寺を取囲んだ。信長は京都における定宿を本能寺にしており、周囲には堀を設け、土塁をめぐらして城郭のような造りに改修していた。しかし、この時の信長は安土から供を2~30名ほど(一説には7~80名)しか率いておらず、護衛として余りにも手薄だった。この時期、信長を襲うような勢力は京都には居るとは想像できなかったのと、正式の軍勢は後日到着の予定であった
F138 光秀の兵が、本能寺の四方から乱入した時、信長や小姓たちはその物音を下々の者の喧嘩騒ぎであろうと思っていた様子で、鬨(トキ)の声や鉄砲の音が混じって聞こえる様になって、ただ事でないと感じ始めたようである。(は「図解戦国史(成美堂出版)より)。
 やがて、御殿にも鉄砲が撃ち込まれて、信長これは謀叛なのか、誰の企てか」と聞いた時、側近の森蘭丸が「明智の軍勢かと思われます」と答えると、信長は「是非にも及ばず」と一言答えただけであった。(「光秀ほどの戦略者が企てた謀叛なら、周到な計画の上の事であろうから、もはやどうにもならぬ」と信長は考えただろうと云われている)。

 信長を守る武将たちが次々と討死する中、信長も弓を取って応戦した。弓の現が切れると、槍に持ち替えて戦ったが、ひじに傷を受けて、建物の中へ退き「女は苦しからず、急ぎ罷り出でよ」と退去を命じた。続いて火をかけられた建物の奥へ入り、納戸の戸を閉ざして、自刃したと言われている。
 父に従い妙覚寺に滞在中であった嫡男・信忠は本能寺へ救援に向おうとしたが間に合わず二条御所に籠って明智勢と奮戦したが、力尽きて自刃した。信忠26歳の若さであった。本能寺の変の詳細は「信長公記」と当時日本に滞在したフロイスの「年報」の伝える処以外、詳細不明と言われる。
 信長の突然の死によって、もはや目前と思われた天下統一は遠退き、時代は再び混乱の世になる

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2014年7月17日 (木)

梅雨明け近し 筑紫萩咲く

 山笠が終り、梅雨明けはいつかと気を揉んでいたが、気象庁は漸く、北部九州は21日頃梅雨明けするものと見られると発表した。既に気温は30℃を越えている上、湿度は未だ梅雨並みの80%。故に蒸し暑い日が続いている
 その中で、筑紫萩は7月初めより開花し始めたが、度々雨に遇い花が傷んでしまい漸く、最近なんとか見れる状態になって来たので、今日は筑紫萩を紹介。
Photo ツクシハギ(筑紫萩)。別名ヤブハギ。最初に福岡県で見つけられた故の名前。わが国の固有種で、本州から四国、九州に分布。平地や山地の林縁から道端に生える。樹高2~4m。上部の枝は枝垂れる。葉は3出複葉で楕円形の小葉は厚みがある。
Photo_2 その。花期は7-10月。葉腋からやや長い総状花序を出し、淡紅紫色の長さ1cm位の蝶型花を咲かせる。5つの花弁からなるのが基本で、上方に反り返っているのが旗弁でその下にある濃赤紫色をした翼弁が両方に開くのが正常だがこの写真では見えない、そして中  心部で雄しべ、雌しべを包んでいるのが竜骨弁と言われる。秋口になればきれいな花が咲き揃うかもしれない。

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2014年7月16日 (水)

危うい原発再稼働  逞しいヘクソカズラ

 国は九電・川内原発を第1号に、安全審査を終えた原発の再稼働を進めようとしている。が、30㌔圏内の自治体の避難先は未だ7割が未定介護保養施設や病院の多くの避難先が決まっていない。国は原発30㌔圏の社会福祉施設や病院に避難計画の作成を地域に求めるだけで、責任を以って支援する仕組みになっていない原発の可否については国が決め、対応は地域任せということである。原発関連官庁が増加しているが、肝心の安全性に関し、どこが責任持つかが不明のまま、再稼働が認められようとしている。
 基本的に国家レベルで責任対処すべき原発問題をどうして正面から対応しようとしないのか。こんな政府の「集団的自衛権の行使容認」など出来る訳がないであろう、と、腹立たしい限りの近頃、梅雨も終末近い予想もあり、夏の花が咲き乱れている。その中で今日は、嫌われものの「ヘクソカズラ」を紹介。
Photo ヘクソカズラ(屁糞葛)。茎や葉に悪臭があることからの名前。古名はクソカズラ、別名ヤイトバナ、サオトメバナなど。東アジヤ、日本各地に分布。葉はつる性の茎に対生し、干して水分を飛ばした果実は臭いもなく、生薬として、しもやけ、あかぎれの外用民間薬・鶏屎藤果として知られる。
 Photo_2
 下その。花期7-9月。花弁は先端5列、白色中心は紅紫色でその色合いから灸を据えた後の様なので、ヤイトバナの別名ある。果実は黄褐色。花の筒部には内外に多数の毛があり、蜜を盗む蟻の侵入を遮るという説があるが、よく赤蟻の巣窟となる。筒の中には5個の雄しべの葯と2本の雌蕊の長い花柱がある。尚、臭いは個人があるようで、臭いを感じない人も多いようだ

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2014年7月15日 (火)

博多山笠 奔る!

Photo_5 6月より準備に入り、7月からの祭り行事も愈々最終本番「追い山」を迎えた。
 櫛田入り待機(4番山笠中州流): 15日朝4時59大太鼓を合図にスタート。1番山笠より順次、櫛田神社参拝のため「櫛田入り」を行う。そのため待ち構えているところ。
Photo_2 櫛田入りの瞬間(7番山笠恵比寿流): 近くの出発点から一気に社殿前を巡り、出る地点までのタイムを競う(通常3分前後)。但し、1番山笠のみ、社殿前で停止し、「祝いめでた」を奉納する。
Photo_6 追い山(2番山笠大黒流): 櫛田入りを終えて、一旦停止後改めて約5kmある「追い山コース」を疾走する。櫛田神社近くの東長寺、承天寺を経て終着点須崎町の「廻り止め」まで一気に駆ける。ほぼ30分前後で走り抜ける。
Photo_4 奔る飾り山(8番上川端流): 本来飾り山として設置される高さ12m、重さ4トンと言われる大きな山笠である。市内数か所にある飾り山の内、走るのはこれだけ。時間も6分ぐらいかかる。後は上川端商店街に設置、常時展示される。 

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2014年7月14日 (月)

滋賀知事選、自公敗る  メドウセージが咲いてる

 滋賀県知事選は、自公支持候補が敗れた。政府が集団的自衛権行使容認の閣議決定後から流れが変わったという。無党派層の70%が民主系の三日月氏を支持した。当然今秋の福島、沖縄知事選そして来春の統一地方選にも影響するとみられ、政府・与党は安全保障関連の法案提出を来春以降に先送りし、熱がさめるのを待つ戦術とか。しかし、ここに来て消費税引き上げや、原発稼働承認など国民批判が強い案件もあり、政権運営に影響しそうだ。
 博多山笠を明日に控え、梅雨空はかわらず、雨の中の「追い山」になりそうである。その雨の中、涼しげな色のメドウセージが咲いているので、採り上げた。
Photo メドウセージ(Meadow Sage)。本名サルビア・ガラニチカ(学名)であるが、これを日本では間違って本来サルビア・プラテンシスを指す「メドウセージ」と称している。南米原産。耐寒性、耐暑性ともに強く、地下茎で繁殖する。草丈は60㎝~1m位。夏の暑い時、涼しげな色が好まれよく庭植えされる。これは草叢に放置されているもの。
Photo_2 その。花期は5~9月と長く、濃青紫色の唇形の花を咲かせる。黒っぽい顎に蛇が口を開いたような形の花を花枝に従い連れて咲かせる。遠目には可憐な花だが、接写すると、やはり気持ちの悪い形をした花ではある。

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2014年7月13日 (日)

争乱の戦国史137(織豊Ⅱ19): 光秀変心、謀反へ

 1582年5月(天正10)、織田信長は忙しい時であった。7日に三男・神戸信孝に四国討伐を命じたところへ、14日、長男・信忠が信濃平定から凱旋し、翌15日には徳川家康が、元武田家家臣で寝返り、武田討伐に功を上げた穴山信君(梅雪)を伴って駿河拝領の御礼言上に来た。中でも盟友・徳川家康の接待には気を使い、二人を心から持て成すため、腹心の明智(惟任)光秀饗応役に命じた。
 だが、丁度この時、備中高松城包囲中の羽柴秀吉から、信長に対し、毛利方に吉川、小早川の救援が入ったという緊急の救援依頼の報が入った。信長は直感的にこれを織田・毛利の決戦の時と感じ取って、饗応三日目も終わらぬ17日に直ちに光秀に対し、先鋒として備中出陣を命じ、自らも出陣を決意したのである。
F137 光秀は直ちに安土を出立し、一旦坂本城に戻り、5月26日には居城の丹波亀山城に入り、出陣の準備に取り掛った。翌27日には京都・愛宕山の愛宕神社に参詣し、翌28日には連歌の会を催した。発句は光秀が「ときは今あめがしたしる五月かな」とした。後世この句の光秀の本心が込められたとする説がでる。即ちとき土岐で光秀の出自で自分のこと、あめがした天下、即ち今、自分が天下を取る決意を示したとするもである。
 一方信長は、20日まで家康らを饗応し、21日家康を京、大阪・堺の遊覧に赴かせ、信長29日、安土城に留守居をおいて、近臣20~30人と共に入京、本能寺に入った。

 6月1日が出陣の日である。夕刻、光秀は1万3千人の兵を率いて丹波亀山城を出発。本来であれば、西の三草山を越え、中国を目指す筈の軍勢は、進路京都方面に取った。京の森蘭丸より、飛脚があり、中国出陣の人馬の様を上様(信長)に見せよとの御諚であると告げ、京への進軍を納得させた。
 そして老いの坂を越え沓掛(西京区)に至り、側近の数名には謀反の決意を告げ、沓掛から京への進路を取って、桂川を越えたところで夜が明けた。ここで、全軍に対して「今日より光秀様が天下様に御成りなされ候間、皆々勇み悦び候へ」と光秀の天下を取る決意が知らされ、明智全軍が本能寺に向かって突進したのである。

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2014年7月12日 (土)

与謝野晶子の未発表歌

 歌人・与謝野晶子未発表歌が、東京都で発見され、和歌文学研究者の鑑定で、本人の筆であることが確認されたという。歌は秋風やいくさ始まり港なるたゞの船さえ見て悲しけれというもので、日中戦争が激化している頃、横浜市の海岸を散歩中の作で、晶子は民間客船や商船までが徴用される事態を予見『悲しけれ』と詠んだものと云う。中国をやっつけろと盛り上がる世論の中で、悲しいと詠む歌は発表できなかったのだろう、と言われている。
 最近の集団的自衛権の行使容認是非論議で、色んなことが論議されているが、日本がかって歩んできた「軍国化」の過程を、も一度国民はよく見直し熟知してほしいものと思う。
 梅雨の中休み、歩いてみると色んな花が咲いていた。今日その内の姫檜扇水仙を紹介しよう。
Photo ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)。園芸名はクロコスミア又はモントブレチアと呼ばれる。南アフリカ原産。明治時代欧州から渡来した園芸種が日本でも野生化している。和名は葉の付き方がヒオウギに似て、花が水仙に似たヒオウギスイゼンより小型故の名前。耐寒性に優れ、繁殖力も旺盛で、あらゆる場所で世界的に野生化している由。
Photo_2 その。花径から3-5個の穂状花序を分枝し、オレンジ色の花を付ける。下の方から順次咲きあがる花びら(花被片)は6枚で、内側と外側に3枚ずつあり根元方でくっ付いている雄しべが3本で(この写真では判りにくいが)、花柱(雌しべが1本ある。花柱の先は3つに裂けている。結実はせず、球根で増える。お盆の仏前花として重宝される由。

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2014年7月11日 (金)

台風一過、山笠流舁奔る トランペットフラワー

 

台風は低気圧が上昇したせいか、強風域のみとなり、当地福岡では昨日朝から風もななく薄日のさす日和と成った。その中で博多祇園山笠の流舁(ナガレガキ)が始まった。本番15日に備え、各流れとも、実際の舁山をかいて市内走る。心身ともに「奔る」ための調整期間なのだ。これに対し各町内では勢い水をぶっかける。こうして山と街が一体化して行くのである。
 そんな熱い風景の中、見るだけで暑そうな花トランペット・フラワーを紹介。大きいのでどこにでもある訳じゃないが庭植えしている家もある。
Photo ブルグンシア。トランペットフラワーの内の木立性で下向き咲き種の名前である。別名エンジェルストランペット。和名では木立朝鮮朝顔。又は曼荼羅華(マンダラゲ)などとも呼ばれる。成長力旺盛で2m近くなるので、場所がいる。この植物は毒性が強いので、毛嫌いされるほか、下向きに咲く縁起が悪いとされる場合もあるようだ。
Photo_2 その。勿論中に雌しべ、雄しべがあるがよく見えない。園芸種には淡黄、淡桃、紫、赤などがある由。花後は長い楕円形さく果が出来る。(写真でキュウリが下がっているように見える部分)。

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2014年7月10日 (木)

争乱の戦国史136(織豊Ⅱ18): 四国・九州の情勢

 1538年(天文7)に長宗我部元親は、土佐の小領主から身を起し、1575年(天正3)に土佐を統一。続いて阿波、伊予、讃岐に兵を進め、各地有力大名を次々に制圧した。一方中国地方の制圧を進めていた信長は、次の標的をこの長宗我部元親により統一されつつある四国に定めた。
 それを知ってか、元親は明智光秀を通じて信長への接近を図り、四国統一が信長の全国制覇を妨げるものでない事を訴えた。しかし、敵対する阿波の三好康長も秀吉を通じて信長に接近。信長は三好を取り込んで元親征討に乗り出した。ここでも、光秀の顔は潰されていた1582年(天正10)、信長は三男・神戸信孝に命じて四国征伐の兵を起こす。しかし、信孝の四国渡航を目前に、本能寺の変が起こり、四国征伐は頓挫した。

 九州でゃ中国・九州に君臨した大内氏勢力も家臣・陶晴賢の反乱で減退。北九州の菊池氏や少弐氏も滅亡。代って豊後の大友宗麟が豊後・豊前・筑前・筑後・肥前・肥後の守護職を務め、大友氏の全盛期を築いていた。
 これに対し、南九州では島津氏が台頭していた。島津氏は薩摩・大隅・日向の守護職を務める家柄で、家督相続を巡り一族間の抗争が生じたものの、1550年(天文19)に島津貴久が鹿児島城に入城して決着。以後子の義久と共に、薩摩。大隅の統一事業を進めた。
F136 1566年(永禄9)に家督相続した義久1578年(天正6)に日向で大友宗麟と激突宗麟は島津の拠点。高城を攻撃したが、島津の反撃で敗走。耳川(宮崎県)に追い詰めら、壊滅的な打撃を受けた。この「耳川の戦い」から、大友氏の衰退が始まり、宗麟に抑え込まれていた肥前・竜造寺隆信が離反。肥前を平定して領国を拡大し、大友氏を圧迫した。
 1582年(天正10)、中国地方制圧にほぼ成功した信長のてが、何れ九州に伸びてくるのが明らかで、この頃の九州の各勢力は互いに牽制しつつも、信長の動きも中止していたのであった

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2014年7月 9日 (水)

梅雨に蔓延る ヤブガラシ

 強大台風8号の進路予想が、当初予報より若干南側へ変更された。現代の気象予報は神技の如く正確になって来ているから、恐らく大きく外れることはないだろう。明日夕刻から九州西方から東へ転じて鹿児島県北辺りに上陸しそうだ。北部九州では、阿蘇の北を通るか南を通るかで、その影響は(風、雨量共に)大きく異なる。これだと鹿児島を抜けて四国南海上を東方へ進み、四国、紀伊半島上通過はなくなるが・・・・・
 
 そんな梅雨の中、元気に蔓延(ハビコ)っているのが、ヤブガラシ。生育力が強く、他の草木を枯らしてしまうほど繁茂する故の名前だが、結構薬効もあり、古くは生薬として用いられたそうだ。昔の人は自然の生物を敵視せず、共存する度量を持って生きてきたのだ。
Photo ヤブガラシ(藪枯らし)。別名ビンボウカズラ。草引く間もない貧乏家の庭に蔓延る故の名とも言う。東~東南アジヤに分布。日本では道南から南西諸島に生育。道端、荒地に生え、フェンスなどに絡みつく。根茎まで抜かぬと絶えない。若芽は茹でてあく抜きすると食用になるとか、漢名は烏斂苺(ウレンボ)で、利尿、解毒、鎮痛に薬効があり、生薬となる。
Photo_2 その。葉と対生する散房状の集散花序につき、6-8月に徐々に開花。花は径5㎜位の小さな花で、薄緑色の花弁4枚と雄しべ4本、雌しべが1本。但し、この花弁と雄蕊は開花後半日で散ってしまい、この写真の如く白色の雌蕊が中央に立った径約3㎜の橙色(これはピンクだが)の花盤(盤状の花托)が残る。この花盤は蜜が豊富で蟻、蝶がよく集まる。

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2014年7月 8日 (火)

嵐の前の薄日和  鮮やかなサフランモドキ

 昨日とうって変わって、今朝から雨雲が消えて、薄日がさしてきた。久しぶりに日の光と青空を見る感じである。しかし、天気予報通り、大型で強い台風8号は沖縄向けて北上中であり、明朝には沖縄本島は台風圏内に入りそうだ。予想進路では木曜日ごろ、九州西方から東に方向を変え、熊本を横断し、四国、近畿、中部、関東と列島縦断するという、そしてその強さは数十年ぶりのものと云うから、又相当の被害が発生しそうだ。
 余り先走って心配してもしようがないが、気を付けよう。この梅雨空の下、余り華やかな色の花が無いが、ピンクの美しいサフランモドキが咲いていたので紹介。
Photo サフランモドキ(サフラン擬き)。学名ゼフィランサス(Zephyranthes)という属名で呼ばれることもある。熱帯アメリカ原産。和名はサフランに似ている故の名。日本には江戸末期に渡来(1854年)。耐寒性なので露地植が多い。鑑賞用の園芸種が野生化して日当たりの良い草叢でも咲いている。
Photo_2 その。開花期6-10月。花径6㎝位。花被裂片は6裂し、桃色筒部緑色している。雄蕊は6個で3個は長く、3個は短いと言うが、これでは判らない。雌しべは白く長いのが1本ある。蕊の先端・柱頭(受粉する所)は3つに割れている。花の寿命は1~3日と短いが、次々と開花し、花期は長い。春咲種もある由。

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2014年7月 7日 (月)

梅雨明け近い? フウセントウワタ

 梅雨明け近く特有の梅雨前線北上に伴う雨が降り続く。そして大方1週間になる大雨が各地に発生。つれて台風8号も発生。その雨の中咲き続けるフウセントウワタを紹介。
Photo フウセントウワタ(風船唐綿)。別名フウセンダマノキ。南アフリカ原産。草花でなく樹木に属する。花より果実が鑑賞対象になる。花期6-7月、果実鑑賞黄8-10月と鑑賞期は長い。尚、この木の樹液は強い角膜毒性があり、手に着いた手でまぶたに触れると角膜浮腫を起し、結膜充血で痛みがでる。
Photo_2 。枝先に近い葉の付け根から花茎を伸ばし、乳白色の花がぶら下る様に下向きに咲く。小さな花が散形花序を形成している。蕚片5枚で、その下に深く5裂する花弁がある(上の乳白色部分)。その中下向き吊り下がっている部分(薄褐色)が5角形の蕊柱(ズイチュウ)で、雄蕊、雌蕊があり、その周辺に赤紫色の副花冠が5つあり、蜜を湛えている
Photo_3 果実。この緑色の果実の方を観賞対象とするのが普通。ホウズキのような感じだが、熟すると中から綿毛の付いた種が出てくる。さく裂して、風に乗り拡散するのである。

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2014年7月 6日 (日)

争乱の戦国史135(織豊Ⅱ17): 中国・毛利家の三大名

 中国に一代で覇権を築いた毛利元就は、家督を長男・隆元に譲った。隆元は厳島の戦いでは先頭を切って戦うなど、父と共に中国地方を転戦したが、出雲・尼子家攻略に向かう途中謎の死を遂げた。為に、毛利家の家督は隆元の子・輝元に継がれた
 これを補佐したのが元就次男・元春三男・隆景である。元就はこの二人を安芸の有力国人である、吉川家と小早川家に養子に出していた。年若い輝元を補佐するこの体制は両家の「川」を採って「毛利の両川」と呼ばれたが、この3家の約束を説いた「三本束ねれば強い」といった「三本の矢」は有名な話である。
F1353_3 次男が継いだ吉川家は元々毛利家の宿敵と言える存在だったが、元春が家督を継ぐと、元就は反対派を皆殺しにして、吉川家を毛利家に取り込んでしまった。元春は武勇と共に知略に優れ、出雲・尼子家攻略や豊後・大友宗麟との戦い、秀吉率いる織田軍との攻防戦では活躍をした。(毛利家略系図(「図解戦国史」(成美堂出版)より)
 一方三男・隆景が継いだ小早川家は、瀬戸内水軍(海賊)と深いつながりを持っており、隆景はこれを強力な毛利水軍に仕立て上げ、水軍の機動力を生かした情報収集を行い、毛利家の外交や内政を担当した。更に早くから秀吉に接近しその中枢部の信頼を得て、毛利本家を守った。この両川によって、元就死後も毛利家の繁栄が維持されたのである

 この一方、毛利家傘下の大名として活躍したのが、宇喜多直家である。直家は備前守護代の浦上氏の有力家臣の子として生まれた。長じて浦上宗景に仕え、謀略を得意とし、効率的に勢力を伸ばしていった。そして、主家を凌ぐ実力者にのし上がっても満足せずに、宗景を裏切って独立し、毛利傘下の大名として勢力を拡大。1575年(天正3)には宗景を追放して備前の統一に成功した。
 秀吉が中国侵略を開始した頃、当初毛利方について秀吉と戦ったが、1579年(天正7)秀吉の誘いを受けて信長に臣従。以後、秀吉を助けて毛利家と戦い、1581年(天正9)子の秀家を秀吉に託して病没した。

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2014年7月 5日 (土)

暑き夏の青い花最終回 名称不正確2点

 この「夏の青い花」編の最後は、どうやら私の思っている花と違う様なので、正確な名称をお教え頂き度く掲載しました。ご存じの方、是非お教え下さい。
Photo 上1:ヤハズカズラ?(矢筈葛)。英名サンベルギア・アフィニス。この花の種類は多く花の形も色も多種あり、中にこれとそっくりの花をこの名で紹介されているのもありますが。
Photo_2 2:そのヤハズカズラつる性で、花はラッパ型の様です。そしてこの花中央部が黄色なので、正面図はソックリになります。対してこれは半つる性、花径4cm位で、中央部には明らかに黄色の蕊がある(ラッパ型でない)点違っている。
Photo_3 1:フサフジウツギ?(房藤うつぎ)。
房の付き方、色、葉の形などフサフジウツギにソックリで、従来これをフサフジツギとしておりましたが、花が違うようです
Huji 2:そのフサフジウツギの花は平面花で、蕊は見えませんが、この花は今回初めて接写してよく見ましたところ、ラッパ型の筒状花であること、そして花弁を飛び出すほどの長い蕊が見えることの2点が大きく異なることを発見しました。花径はほぼ変わりません。
 

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2014年7月 4日 (金)

暑き夏の青い花4 アガパンサス

 ここ2、3日の北部九州の”豪雨”は長崎に水害をもたらし、又熊本、佐賀では家屋、田畑の冠水被害が出た。しかし、福岡市内にも雨が降ったものの、市内への給水を担う周辺ダムの貯水率は60%台で、このままでは間違いなく真夏には給水制限となるところであった。今しばらくの雨が続き、貯水率が70%を超えることが願われているところだ
 適当な雨量がほしいが、今地球規模での砂漠化の進行、その原因となる温暖化、更にその原因となる生活の近代化即ち、エネルギーの過剰消費(地球の持つ浄化機能を超えるという意味)がある。地球上の武力を伴う諸紛争も問題だが、この地球上のネルギー過剰消費を抑える取組の方がもっと重要な問題であろう。そんな事をおもっていたら、今の園芸用の花の育種、栽培等も相当のエネルギー消費だろうなあ、と感じた朝だった。
 今日も青い花で、今満開のアガパンサス。
Photo アガパンサス(Agapanthus)。南アフリカ原産で、20種ぐらいが自生。普通この中の和名ムラサキクンシラン(紫君子蘭)を指していう。日本には明治中期に渡来、300種以上の園芸種がある由。性質が強く、手間が掛からぬので、公園の花壇、公共施設の植え込みや、切花にも使われる。
Photo_2 その。地際から細長い葉をだし、その間から花茎を伸ばす。種類によって花の形も花筒の短いものからは細長いもの、星形の切込の深いもの、ラッパ状のもの等種々ある由。花径の先端に散形花序で数輪の花を放射状に咲かせる。外側から内側へと順次咲き、花色は紫、青紫、白がある。花期は6月下旬ー7月末。

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2014年7月 3日 (木)

争乱の戦国史134(織豊Ⅱ16): 滝川一益の関東鎮撫

滝川一益(タキガワカズマス)は、もと甲賀の忍者だったとか、鉄砲の達人だったとも伝わっているが、その前半生には謎が多く、よく判っていない近江甲賀の出身とされ、織田信長が尾張で勢力基盤を築き始めた頃に織田家の家臣となっている。
 一益は1574年(天正2)の伊勢長島の一向一揆攻略で活躍し、伊勢に領地を与えられて長島城主となった。また、武田家征伐の折には主将の織田信忠(信長長男)をよく補佐して、大きな功績を残した。

 1582年(天正10)、武田家を攻め滅ぼした功績を評価された一益は、上野一国信濃一部を与えられ、関東方面軍の司令官に任じられた。この時の一益の地位を「関東管領」と呼ぶこともある。信長配下の諸大名の内、主だったものを各方面の総大将的な任務を追わせて戦闘攻略全般を任せる方式を、信長が採りはじめた時期である。当然日本全体の支配・統治体制構築を念頭に置いてのことだったろうと推察される。
F134 一益に与えられた主な役割は次の3つが考えられる。先ず関東地方の国人たちを織田政権に組み込むこと北条家との友好関係をさらに強化し、最終的には織田家傘下に置くこと。、最後に、伊達家や蘆名家に代表される東北の大名たちと接触し従属させることである。は関東方面軍の支配地域と主な勢力・武将。

 北条家を始め
多くの大名たちは友好的で、一益の役割は比較的順調に進みつつあった。この時期、織田政権はどの大名にとっても巨大な脅威であった為、誰も積極的に対立しようとはしなかった、という背景もあったと思われる。

 しかし、この一益の工作が完成する前に、中央で、本能寺の変が起きてしまう。そのため、信長の全国支配体制の一端である、織田家の関東方面軍はごく短時間で消滅することになる。

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2014年7月 2日 (水)

暑き夏に青い花3 ルリマツリ

 新聞を開くと『「集団的自衛権」閣議決定』の文字が目に飛び込んできた。勿論急に決まった話ではない。自公の与党協議でこの件は以前より取りざたされ、問題事項として、周知ではあったものの、内容の詳細は、殆どの国民が知らぬ間に、閣議決定された感は否めない。
 そんな事では済まされない重要事項であり、戦前の日本が歩んだ道をなぞれば、殆ど同じ表現で、太平洋戦争へのめり込んで行った事実も記載されていた
 戦争を知らぬ世代が増加するこれから、年寄りの繰言の如く云い続ることがいかに大切か、改めて思う。
 今日は夏の青い花第3弾、ルリマツリを掲載。
Photo_2 ルリマツリ(瑠璃茉莉)。名前は花が瑠璃色で、花姿がマツリカ(ジャスミン)に似るに由来する。別名アオマツリ、プルンパゴ(学名).原産地は南アフリカ。草丈は1.5m位。半つる性の常緑樹。日本の寒さでは枯れることもある真夏の暑さは元気で、花盛りは見応えがある。0℃位以上では越冬する。
Photo_3 その。開花期6-10月。園芸種では濃いブルーの「ブルームーン」がある。径2cm程の花を房状に穂状花序に花を付ける。花の下は筒状であり、先端が5枚の花冠は筒状である。花後さく果の腺毛は粘液により「引っ付き虫」に成る。

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2014年7月 1日 (火)

暑き夏に青い花々2 オーシャンブルー

 今朝の新聞に13年度九州農業白書の話があり、そこに「進む6次産業化」の見出しがあった。何のことかと思えば、農林水産業者(農家・漁師)(1次産業)が、商工業者(食品会社)(2次)と連携し加工販売(3次)につなげて、農産物の価値向上を図る。即ち1×2×3=6で、生産から加工販売までの連携化(6次産業)を云っている。零細農家ではやって行けない中、農業法人化が進み、会社形態が多くなり、結果輸出増加になり産出額は2年連続増加とのこと。TPP関連もあり、農業経営の近代化が我が国の大きなテーマである。農業の夜明けの燭光を見た思いである。
 さて今日は青い花の2番目西洋朝顔ヘブンリーブルー(天国の青、天上の青)と言っても、品種が多いので、今回はその中で当地区近辺に多く、野生化も進んでいるオーシャンブルーに限定する。
Photo オーシャンブルー。別名琉球朝顔、或は宿根アサガオという。沖縄では海岸付近で自生している。朝顔というものの昼過ぎ、曇天では夕方まで咲いている。朝顔との違いは①種が出来ないので差し芽で増やす②2-3℃で越冬する。霜に当ると地上部は枯れるが、翌年又芽を出す由。オーシャンブルーは繁殖力が旺盛で雑草化するので迷惑がられることもあるという。
Photo_2 その花。開花期6月下旬-11月。写真の通り、中央部中心が赤紫色になるのがこれの特徴。10月上旬が最も花数が多くなり、夕方まで咲き続ける。耐暑性は強い尚、ヘブンリーブルーの花色は白、青、紫、ピンク、斑入りなど各種あるが、オーシャンブルーと言えばこれだけ。

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