« 暑き夏の青い花最終回 名称不正確2点 | トップページ | 梅雨明け近い? フウセントウワタ »

2014年7月 6日 (日)

争乱の戦国史135(織豊Ⅱ17): 中国・毛利家の三大名

 中国に一代で覇権を築いた毛利元就は、家督を長男・隆元に譲った。隆元は厳島の戦いでは先頭を切って戦うなど、父と共に中国地方を転戦したが、出雲・尼子家攻略に向かう途中謎の死を遂げた。為に、毛利家の家督は隆元の子・輝元に継がれた
 これを補佐したのが元就次男・元春三男・隆景である。元就はこの二人を安芸の有力国人である、吉川家と小早川家に養子に出していた。年若い輝元を補佐するこの体制は両家の「川」を採って「毛利の両川」と呼ばれたが、この3家の約束を説いた「三本束ねれば強い」といった「三本の矢」は有名な話である。
F1353_3 次男が継いだ吉川家は元々毛利家の宿敵と言える存在だったが、元春が家督を継ぐと、元就は反対派を皆殺しにして、吉川家を毛利家に取り込んでしまった。元春は武勇と共に知略に優れ、出雲・尼子家攻略や豊後・大友宗麟との戦い、秀吉率いる織田軍との攻防戦では活躍をした。(毛利家略系図(「図解戦国史」(成美堂出版)より)
 一方三男・隆景が継いだ小早川家は、瀬戸内水軍(海賊)と深いつながりを持っており、隆景はこれを強力な毛利水軍に仕立て上げ、水軍の機動力を生かした情報収集を行い、毛利家の外交や内政を担当した。更に早くから秀吉に接近しその中枢部の信頼を得て、毛利本家を守った。この両川によって、元就死後も毛利家の繁栄が維持されたのである

 この一方、毛利家傘下の大名として活躍したのが、宇喜多直家である。直家は備前守護代の浦上氏の有力家臣の子として生まれた。長じて浦上宗景に仕え、謀略を得意とし、効率的に勢力を伸ばしていった。そして、主家を凌ぐ実力者にのし上がっても満足せずに、宗景を裏切って独立し、毛利傘下の大名として勢力を拡大。1575年(天正3)には宗景を追放して備前の統一に成功した。
 秀吉が中国侵略を開始した頃、当初毛利方について秀吉と戦ったが、1579年(天正7)秀吉の誘いを受けて信長に臣従。以後、秀吉を助けて毛利家と戦い、1581年(天正9)子の秀家を秀吉に託して病没した。

|

« 暑き夏の青い花最終回 名称不正確2点 | トップページ | 梅雨明け近い? フウセントウワタ »

戦国時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/59935971

この記事へのトラックバック一覧です: 争乱の戦国史135(織豊Ⅱ17): 中国・毛利家の三大名:

« 暑き夏の青い花最終回 名称不正確2点 | トップページ | 梅雨明け近い? フウセントウワタ »