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2014年6月

2014年6月30日 (月)

暑き夏に青い花1 デュランタ

 明日から政府の節電要請期間がスタートする。原発稼働が0の状態が続いており、このままでの供給予備率の見通しは、安定供給に必要な最低限必要水準3%に対し、東日本3社では予備率6.1%と充分なのに対し、西日本6社の予備率は3.4%とギリギリである。特に関西電力と九州電力は、他社融通含めて、夫々3.0%ぎりぎりにできる。という、見通しである。
 これを見そりゃ大変だ早く原発稼働をというか、何とかしのげるなら、ここは代替電源開発を急ぎ、且つ節電生活の浸透を進めながら、原発0体制構築を目指すか分かれ道なのだ。今後永遠の人類の存続を願うなら、政府も、電力会社も本気になって節電キャンペーンを張って欲しいものだ。
 さて、その暑い夏にはやはり花はブルーと思っていたが、考えてみると、自生の花木や草花には「青い夏の花」ない。今ある園芸花は涼しさを求めて育種されたものなのだ。その中から青紫色の花を採り上げてみよう。今日はデュランタ
Photo デュランタ(Duranta)。別名タイワンレンギョウ。原産地熱帯アメリカ。明治中期に渡来。本来観葉植物として出回ったが、20年位前、「宝塚」という品種が登場し、夏の花として人気が出た。日当たりを好み、本来花付きは良くないが、放置気味にするとよく花芽が着く由。ローマ法王の侍医で植物学者のデュランテスさんに由来する
Photo_2 その花。藤の花に似た紫色の花が一般的だが、白い花(アルバ)もある。花径は1-1.5㎝程度。花期は6-10月。但し、暖地では通年咲くそうだ。濃紫色の花に白い縁取りが入る「タカラヅカ」(この写真)が人気品種である。

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2014年6月28日 (土)

争乱の戦国史133(織豊Ⅱ15): 明智光秀の台頭、躍進

 話は若干戻る。明智光秀の出自や係累、略歴などは明確ではない。一時期、越前の朝倉義景に仕えていたが、朝倉家に身を寄せていた15代将軍・足利義昭と信長の接近を仲介したことがきっかけで、そのまま義昭に従う様になった。
 義昭と信長が対立し始めると、義昭の家臣であった細川藤孝(幽斎)らと共に信長に味方し、以降織田家に仕え各地を転戦し活躍した。それらの功績により1571年(元亀2)、近江に領地を与えられ坂本城主となった光秀は、信長の命で各地を転戦する一方で、畿内の反信長勢力を打倒する役目を与えられていた。又、1575年(天正3)には日向守の官職と「惟任」の姓をを与えられ「惟任光秀」とも呼ばれた。
F133 近畿方面軍司令官となった光秀が戦ったのは、紀伊・雑賀衆、丹波・波多野秀治と赤井氏、大和・松永久秀、摂津・荒木村重と、織田家の外敵から反乱勢力まで、多岐にわたり、その何れにも目覚ましい活躍を見せた。
 光秀は攻略した丹波一国だけでなく、丹後を預けられた細川幽斎と、同じく大和を預けられた筒井順慶与力の大名としてつけられ、5ヵ国に亘る軍団の指揮を行う事になる。新参ながら勝家や秀吉に並ぶ織田家の重臣として際立った存在となっていたのである。

 ところが、翌1576年(天正4)、丹波の八上城主・波多野秀治が光秀に背き、信長は細川藤孝、丹羽長秀を援軍に派遣し、八上城を攻め立てた。しかし、国衆の動向定まらず、止む無く長期戦の構えを採り、四方3里を遮断、城中への連絡を絶ち切った。1579年には羽柴秀長も応援に付けたが、城内籠城軍は餓死状態ながらも降伏を拒否。堪り兼ねた光秀は母(実は伯母)を質にだし、波多野三兄弟を誘い出し、和議の証として安土へ送った。しかし、信長は3兄弟を磔にしたため光秀の母も磔にされた信長は包囲戦での人質差出を叱ったという。
 結局、光秀は八上城を力攻めで落とし、又宮津城を占領。更に波多野余党を峰山城に攻め落とし丹波・丹後を平定した。その功で丹波は光秀、丹後は藤孝が領した。信長は二人の付き合いにも配慮したのである。

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2014年6月27日 (金)

夏の花々 3.ノウゼンカズラ

 気象予報では南海上にあった梅雨前線が北上を始めたという。結果、沖縄は昨日梅雨明け宣言を行ったが、列島はこれから愈々本格的な梅雨に突入するという。既に局地的に大雨に見舞われ、水害の起きたところも多いが、これからは持続的に降り続くからより一層の用心が必要になる。
 しかし、当ブログでは既に真夏に咲く花々が咲き始めているので、順次取り上げて行く。今日は3回目で、夏の象徴的な花としての最後ノウゼンカズラを採り上げた。
 Photo
 上ノウゼンカズラ(凌霄花)。凌霄は古くはノウセウカズラと読んだが、これが訛ってノウゼンカズラとなった由。空、雲の意で、空高く咲く花を表す。原産地中国。日本には平安時代に既に入っており薬用として栽培された。花や樹皮が漢方薬で利尿、通経に効く。気根を出して木や壁に這いあがり、生育は旺盛なので公園にもよく植えられる。
2 その茎の先に花序をつける。花冠はラッパ型で先が5片に分かれている。花は短命だが、次から次と咲く。花期は6-9月鳥媒花で世界で最も小さい鳥・ハチドリが空中をホバリングしながら嘴を花の中に差し込んで蜜を吸う。花色は濃い赤オレンジだが、園芸種にはピンクや黄色もあるという。

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2014年6月26日 (木)

夏の花々 2.ひまわり

 

 トヨタ「究極のエコカー」とされる燃料電池車(FCV)今年度中に国内販売すると発表した。これは水素と酸素が化学反応すると電気を発生するので、その電気でモーターを回して走る車だ。価格はセダンで700万円程度となる。水素を充てんする水素ステーションの整備を進めている。
 一方、いすゞ自動車は、油脂を体内生産する単細胞生物・ミドリムシを使ってバイオディーゼル燃料を生産し、車の燃料にする計画を進めており、18年までに実用化するという。
 これらが実用化され、価格も低減されれば、原油、そして原発電力等に代わる新しいエネルギィーの時代が到来する。エネルギィーの転換は大きな産業革命である。ずーっと長生きして先行きを見たいものだ。
 今日は夏の花2として、珍しくもないが、夏の代表花・向日葵をのせる。
Photo ヒマワリ(向日葵)。別名ニチリンソウ(日輪草)。キク科の1年草。原産地は北米1500年代スペインに伝わり、さらに100年後欧州に広まり、日本には17世紀に渡来。太陽の方に向く故の名だが、実際は生長の盛んな若い時だけで、蕾が着く頃からは東向きとなる。鑑賞用以外に、欧州では種子を食用としたり油糧とする目的での栽培が多い。
Photo_2 その花。花に見える部分は「頭状花序」といい、多数の花の集まりで、キク科の特徴。外輪の花弁の部分は舌状花内側の花弁のない部分は筒状花という。開花期は播種期により異なり、8月に蒔けば、他の花が少ない時に咲く。そして、草丈が低く見やすいので、最近は遅まきが増えた。又、本葉5,6枚の頃摘芯すれば草丈は抑えられ、花数は多くなる。 

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2014年6月25日 (水)

夏の花々が彩り始めた 先ずムクゲ

 梅雨晴れ間というものの、夏空となり気温も上昇。連れて夏の花々深緑の中で彩り始めた。手始めにムクゲを採り上げた。
2 八重のムクゲ(木槿)。これは半八重の範疇か?。別名ハチス(波知須:古名)。ムクゲは木槿の音読みが変化。インド・中国が原産で、中近東にも自生。根が広がらず刈込にも耐えるので庭木、垣根に多用される。園芸品種は多い。樹皮、花とも生薬となり皮膚炎や胃腸炎に効く。
Photo その。花期は7-10月。花芽はその年の枝に次々形成する。朝開き、夜萎むが翌日また開くので一日花ではない。一重2-3日八重では2週間ぐらい咲く。花色は白、濃紫、濃紅、青紫、ピンクなどがある。これは薄い青紫色。中央に雌しべが3つ、その周りに雄しべがある。
Jpg 一重のムクゲ。この白一重の赤い底紅種は最もポピュラーだが、千利休の孫・千宗旦が好んだところから、宗旦木槿と呼ばれ、茶花として用いられるものである。

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2014年6月24日 (火)

梅雨晴れ間の草花 ムラサキカタバミ

 今日は久しぶりに青空が出て、暑くなってきた。花木では夏の花が色鮮やかに咲き始めたが、この時期、野草の草花では、唯一色鮮やかなのが紫片食である。それで、今日はこのカタバミを採り上げた。
Photo ムラサキカタバミ(紫片食)。別名キキョウカタバミとも言う。南米原産で、江戸中期観賞用に導入され、帰化した植物である。地下に鱗茎を持ち、地上には葉と花柄を伸ばしている。空き地などの草叢や畑地に咲く。土中の鱗茎が駆除困難な雑草だが、地上部は簡単に草刈りできる。但し、全体にシュウ酸を持ち有毒なので、動物や虫による害を防いでおり、自家受粉で増殖する。
Photo_2 その花。花期は5-10月。ご覧の通り、紅紫色の5弁花であり、花の真中は淡い緑色をしている。花柄が葉を越えて伸び、よく目立つ。花柄先端に散形花序をつけ、数輪の花が付く。朝に開き、夕刻閉じる。だから、雨の日や曇りでは花を閉じたままである。

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2014年6月23日 (月)

園芸に使われる花が変わってきた? でも強い百合

 戸建てに住んで、園芸に勤しんできた人たちが、加齢と共に庭仕事が出来なくなって、樹木は少なくし、高さも切り詰めている。花木や草花も世話が出来ず、減らしている。こんなことから、家庭園芸で使う花木の種類も変わり、昔からの花木も見つけるのが難しくなった。今日は、もうそろそろ終わりのユリを載せて置く。
Photo テッポウユリ(鉄砲百合)。5-6月に咲く百合にはこれに似たタカサゴユリもある。大きな違いはテッポウユリ葉幅が広くはタカサゴユリより径は大きく長さが短い。タカサゴユリが台湾・高砂地方原産に対し、テッポウユリは九州南部、南西諸島に自生。園芸種が出回ったが、自生種は連作に弱く減少傾向。
Photo_2 その。写真は民家の庭のもの故、園芸種即ちタカサゴとの交配種とも思える。花長は10-15㎝、花弁が6枚あるように見えるが、花被片が6枚あるが、根元はつながり筒状である。白く清楚な感じから、白百合洋の東西を問わず冠婚葬祭によく使われる。
Photo_3 園芸種。品種名は判らないが、民家の庭先に咲いていたもの。最近はこの様に鮮やかな色の百合が好まれているようだ。又、生け花にも多用され、欠かせないものなっているようだ。

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2014年6月22日 (日)

争乱の戦国史132(織豊Ⅱ14): 本能寺前夜2秀吉高松城水攻

 柴田勝家が北陸平定した頃、秀吉は「三木城の干殺し」、「鳥取城の渇殺し」に続き、中国攻めの総仕上げの段階に入っていた。
 1582年3月(天正10)、機を窺っていた秀吉は播磨・但馬・因幡の兵を率いて姫路を発し、備中に向かった。4月4日、岡山に着陣。備中守備の中心は毛利方の小早川隆景に属する清水宗治の高松城である。
 秀吉は宗治に対し、蜂須賀正勝及び黒田孝高(官兵衛)を使者として、備中一国を与える条件で内附(服属)を勧めた。しかし、宗治はこれを拒否し、秀吉との対決を選んだ。そこで秀吉は宇喜多秀家の兵と共に備中の宮路山城・冠山城を囲みこれを落とし、外部からの援助の道を絶った上で、5月7日高松城を囲んだ
F132_2 高松城は周囲を湿地と山に囲まれ、天然の要害で守るに易しく攻めるに難い難攻の城であったので、秀吉は正面攻撃を避け、近くを流れる足守川から水を引き込む水攻めを採った。本陣の城東・蛙之鼻と城西・赤浜山の間に長堤を築くという、大規模な土木工事を突貫工事で行い、堰き止めた足守川の水を流し込んだ。周辺は忽ち水没し湖上の城となった。これを「高松城の水攻め」という。(は当時の秀吉の征略領域
 毛利氏は輝元自身出兵し、吉川元春・小早川隆景共に来援したが、手も出せず膠着状態となった。

 その結果、毛利方は安国寺恵瓊を以て秀吉との和議を取計らい、秀吉側の条件は備中・美作・伯耆の現係争地の他、備後・出雲両国を加えた領国の割譲と城主・清水宗治の切腹であった。この講和は毛利方からの申し入れであり、呑まざるを得なかったが、毛利方としては領国割譲よりも誠忠の宗治を救いたいと講和が暗礁乗り上げた
 
この時、信長は家康の上京を受け応接中であったが、秀吉からの救援要請もあり、急遽中国討伐へ向かう決定をする。家康応接役であった明智光秀中国出兵を命じられた。唯秀吉の出兵要請は信長に花を持たせようとの秀吉の考えだったという説がある。この時、京まで来た信長が、6月2日本能寺で光秀に討たれるのである。秀吉は4日朝、この報を受け、4日中に安国寺恵瓊を呼び、領国割譲は緩和し、清水宗治の切腹を以って講和した後、急遽京へと出立したのである

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2014年6月21日 (土)

長く咲く コバノランタナ

 これほど長く咲き、これほどどの家でも植えてる花は珍しい。簡単に挿し木でつき、簡単に切込める、手間いらずがその原因かもしれない。
Photo コバノランタナ(小葉のランタナ)。ランタナ(七変化)とは同属ながら別種。常緑・匍匐性のつた性植物。塀に這わせたり、ハンギングで吊るすのも良い。寒さで紅葉するが、霜に当ると枯れる。名前の通り、ランタナより葉が小さい。原産地は南米。枝は切戻した方が樹形を整えるのによく、また花付も良いという。
Photo_2 その。花期は5-11月と長く秋が美しく、紅葉も楽しめる。花色はこの白以外、紅紫色、ピンク、黄、などあり、紫系が多い。枝先に花序径3㎝ほどの散形花序を形成し、ちっさな花を沢山つけるのはランタナと同じ。但し花数はランタナより少ない。
Photo_3 コバナノランタナ?(名称不明)。この花の名前が判らない姿かたちはランタナ系と酷似する花だが、花序径が7mmほどのちっさな花序で、その中に2、3㎜の花をつけている。葉はコバナノランタナと同じ形だが、葉長は1-1.5cm位。まるで地衣類の様に地面に張り付くように蔓で伸び、草丈が伸びても5cm位である。やや日陰の道端に咲いている。ご存知の方は是非名前を教えてください!

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2014年6月20日 (金)

梅雨時期の変わりもの カスミノキ

 

明日からは雨が降るという予報。雨らしい雨が降って欲しいと願っていたが、いざ雨かという状況では薄日和ながら、湿度が高いらしく蒸し暑いけだるさがなんとも嫌な感じである。愈々本格的な”梅雨”らしい。
 そんな朝、歩いていると珍しくこのカスミノキがあったので、早速アップロードした次第。
Photo カスミノキ(霞の木)。別名スモークツリー、ケムリノキ(煙の木)、ハグマノキ(白熊の木)等々呼び名がある。当に見た感じの名。以前大木のある家があったが伐り倒され、今年はこの樹を見つけた。中国・ヒマラヤ、南欧が原産地。日本には明治時代渡来。イングリッシュガーデンの定番とか。樹形のいろん仕立てが可能とか。雌雄異株。
Photo_2 その。花は5‐6月に開花花後6-7月にこのモクモク或いはフワフワが着く。花ではなく花柄(不稔花)糸状の房を一杯着けているのだ。なぜこのような羽毛のような物を発達させるのか不明だが、花後に小さな豆状の実(種)を付けるが、それを遠くへ飛ばすためか、という見方もあるようだ。不思議な木である。

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2014年6月19日 (木)

漸く梅雨気分 野草化のユリズイセン

 福岡も漸く梅雨らしくなって、昨日から雨が降り、晴れては来たものの、蒸し暑く土曜から日曜には雨の予報。結果気温は10℃近く上下変動する。いやな季節だが、時節の花々は元気に咲いているので、順次紹介して行こう。今日はユリズイセン。
Photo ユリズイセン(百合水仙)。アストロメリアのこと。別名インカのユリ。中南米に分布。塊茎や地下茎を持つものが多く多年生で、この仲間には美しい花を咲かせるのが多く園芸植物として品種改良が進んだが、最近は日本でも野生化したものが各地にみられるという。
Photo_2 その。散形花序につき、花色は赤で、花弁内は褐色の斑点がある。花は内花被片3枚と、外花被片3枚で構成。雄蕊は内側3本と外側3本雌しべは3本の心皮が融合し1本に見える。この写真では蕊やその下の子房辺りは見えづらい。これは花壇そのものが手入れされず雑草に混じっている状態。

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2014年6月17日 (火)

梅雨時期目を引く ツユクサ類

 梅雨特有の曇天の中、毎日毎日新しい花を付けるツユクサが目立つ。その内の園芸種を紹介。
Photo ムラサキツユクサ(紫露草)。最近多いのはオオムラサキツユクサとムラサキツユクサの交配種。原産地は北米、熱帯アメリカ。日本には昭和初期に渡来し、一部野生化した由。茎には細長い葉が数枚ついて、茎先端葉腋に花序がつく。手間が掛からず放置状態でよく育つ。花後の実はさく果で、熟して裂けると種子を散布。
Photo_2 その。花期は6-10月。茎の頂点から3枚の花弁をもつ花を付ける。先端から咲始め順次基部の方へ咲き進む。1日花で、毎日次々と新しい花を咲かせる。天気の良い日は半日しか持たず、曇天だと夕方まで持つ。雄蕊は6本で、その花糸に細長い毛が生えている。
Photo_3 ムラサキゴテン(紫御殿)。同じツユクサの仲間地上部全体が紫色で、葉は少し多肉質。花数が少なく、むしろ観葉植物としての栽培が多いようだ。メキシコ原産で、日本では東京以南であれば戸外で越冬が可能。花期は6-9月。

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2014年6月16日 (月)

揺れる自衛権論議の中 ギンバイカが咲く

 集団的自衛権の行使容認の閣議決定に向け、与党内論議も大詰めを迎えているが、国民がこの問題をどのように理解しているか、或は理解すべきかという”基本認識を問う”論も盛んに語られている。毎日新聞の論壇・「風知草」で、執筆者・山田孝男氏は「日本が世界にどう関わっていくかかが基本であるという弁えが重要」と云っている。この裏返しというか、同次元の認識で動いたのが自民党岐阜県連自衛権行使容認には「慎重な検討」を首相に求める意見書を県内42市町村議会議長に送り、6月県議会にも提案するという。国会内の圧倒的多数の中での論議は、地方議会や国民の認識とは噛みあってないことを示している。更なる議論を時間制限抜きでやるべきテーマなのだ。
 そんな国論が揺れている中、清楚な白い花・ギンバイカが咲いている。
Photo ギンバイカ(銀梅花)。別名ギンコウバイ、ギンコウボク或いはイワイノキ。イワイノキは結婚式などの飾りによく使われる故の名。葉を揉むと強い芳香を放つので「マートル」の名でハーブとして流通している由。原産地は中近東、地中海沿岸。日当たりを好み、寒風を避ければ花付きが良いという。7月がさし木の適期。
Photo_2 その。開花期6-7月5弁の花に細い雄しべが多いのが目立つ。花にも微かな甘いフルーティな香があり、この花から造る化粧水は「オダージュ」つまり「天使の水」という。花が咲いて暫くすると、花弁が後退して蕊が真直ぐに伸びて蕊だけのような形になる。

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2014年6月15日 (日)

争乱の戦国史131(織豊Ⅱ13): 本能寺前夜1勝家の北陸平定

 信長は一向一揆の勢力が根強く、強敵・上杉謙信もいる北陸方面の制圧柴田勝家に任せた。越前は、朝倉義景の滅亡後、朝倉家の旧臣と手を組んだ一向一揆によって占領されていた
 信長は1575年(天正3)にこれを鎮圧して勝家を越前に配置し、勝家は北の庄に定住し、更に佐々成政、前田利家、不破光治などの武将を付けた。最初の数年間は一向一揆の血生臭いゲリラ討伐に明け暮れる中で、北の庄築城を急ぎ、城下町の都市計画に力を注ぎ、越後の上杉に備えていた。しかも農民や坊主衆を武装解除し、武器は鋳潰して農具を作るという秀吉一歩手前の「刀狩り」を実施した。
F131 こうして編成された北陸方面郡に与えられた最大の役目は、100年間近く統治してきた加賀の一向一揆の鎮圧であった。1578年(天正6)謙信が急死。謙信の脅威は消えたが、勝家の積極的攻撃に粘り強い抵抗を見せる一向一揆には苦戦した。1580年、石山戦争が終結した後も討伐は続き、同年末、一向宗の金沢御坊を陥落させて一向一揆の鎮圧を終えたが、越前鎮圧から4年の歳月を要したのである。(北陸方面参照図

 1582年(天正10)、勝家は佐々成政、前田利家らを率いて北陸方面の攻略に当っており、能登を平定後、越後の上杉景勝と越中の支配を争っていた。景勝は越中の魚津城と松倉城(現魚津市)を防衛ラインとして織田軍を迎え撃ったが、同年3月に魚津城は織田の大軍に包囲され籠城戦に入った。
 5月に入ると、勝倉城から上杉軍撤退。孤立した魚津城は兵糧・弾薬が底をつき、ついに6月3日落城した。
 しかし、この直後「本能寺の変」(6月2日)の知らせが届き、織田軍は撤退。柴田勝家の越前北ノ庄城へと戻り、魚津は再び上杉の手に渡った

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2014年6月14日 (土)

空梅雨なのか 夏の花ブーゲンビリア

 

 長期天気予報が定まらぬ。というのはエルニーニョとなりそうだがその結果、猛暑となるか冷夏となるか極端には、ずーと梅雨が続き、夏にならぬまま秋になるなど、いろんな説があり、冷菓、飲料、家電業界も気がもめることだろう
 今日も朝からいい天気で、この気候では夏の花が良いかと、ブーゲンビリアを採り上げた。福岡は瀬戸内と共に、庭木として植えても越冬し毎年花を咲かせる北限かも知れないが、冬期の気温が5℃以上なら越冬するという。
Photo ブーゲンビリア(Bougainvillea)。和名はイカダカズラ(筏葛)、ココノエカズラ(九重葛)。中央アメリアカ、南アメリカの熱帯雨林が原産地。探検家ブーカン゙ヴィルが1968年ブラジルで発見したのに因んだ名。福岡ではこの種のブーゲンビリアは庭木として植えられており、この樹も6m位の木。園芸用の鉢植えは色んな花色で大輪が咲くが、屋外越冬は難しい
Photo_2 その。花色はこの種は紅(青)紫色だが、園芸用では各種の色のものがある。この花は、花弁に見える部分花を取り巻く葉(苞という)で、普通3枚。本当の花は中央部にある小さく白いのが花で通常3つ咲く。(写真は2つしか見えない)。この花にも雌蕊、雄蕊があるが、10日位で萎れるので、受粉はせず、実はならない。花期は初夏から晩秋まで咲くが、夏の間は咲かない。尚奄美以南では年中咲いている。

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2014年6月13日 (金)

憲法解釈の変更可否? ランタナは七変化

 

集団的自衛権の問題。首相先月はこの問題の議論は期限ありきではない与党内でも十分に議論して国民の理解を得る方向性を決める、との発言だったのがここに来て、唐突に期限を切り、与党の公明党の限定容認論にのって、閣議決定に持ち込もうとしている。
 憲法の解釈を一内閣が勝手に解釈変更できるものではない。先ず憲法改正の上、集団的自衛権を行使できるようにすべきである。世論調査でも反対が多い解釈変更による集団的自衛権行使容認は許されないと思うが。
 この件に引っかけた訳ではないが、今日くるくると色を変える花・七変化を紹介。
Photo ランタナ(Lantana)。中南米原産。和名はシチヘンゲ(七変化)。花色が次第に変化し、6月~11月の花期の間、色の変化を楽しめる。世界中帰化植物として定着。日本では小笠原・沖縄諸島に移入・分布。花も葉もアジサイの小型の様であるが全くの別種。果実は種子が有毒だが小鳥が啄んでも種子を噛み砕かないので無害
Photo_2 その。漏斗型の多数の小花からなる散形花序を形成。同一花序でも内側新しい蕾が出来て花は外へ広がる。中の蕾は角が張り出した四角形であり、これが順次咲いてラッパ型になる。花色は基本的には咲始めがオレンジ色徐々に赤色に変化するが、黄→オレンジ、ピンク→クリーム、白→ピンクなどに変化する。

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2014年6月12日 (木)

雨のない梅雨に咲く 花柘榴

 福岡では梅雨入り以来、雨らしい雨が降らず、曇りがちで蒸し暑い日々が続き、鬱陶しい毎日である。そんな中で一際鮮やかに朱色の花を付けた八重ザクロが目立ったので紹介する。
Photo ヤエザクロ(八重柘榴)。別名ハナザクロとも言われる八重咲の園芸種である。ザクロはヒマラヤ山地の原産で、日本には中国経由で、平安時代に渡来。その園芸種がこの八重柘榴で、実はつかずに専ら観賞用で、庭木、盆栽、花材と使われ、樹皮は駆虫剤になるという。樹高は5-6mになり、よく分枝して短枝の先はとなる。
Photo_2 その重弁の園芸種で雄雌蕊共に殆ど花弁に覆われ、遠くからは花弁ばかりの花(写真上)のように見える。花径5-8cmの朱赤色の他、白や白覆輪(朱赤色に白の縁取り)のもある。尚、写真上で小さな丸い実のように見えるのはである。

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2014年6月10日 (火)

大雨の梅雨災害  樹木の花々

 昨日から今日にかけて、近畿から関東の各地で大雨が降り、水災害を起している。そんな中でも当地福岡市では入梅以来も殆ど雨がなく、花壇の草花たちは萎れている。それでも樹木たちは元気に、白い花を付けているので今日はそれを紹介。
Photo クマノミズキ(熊野水木)。三重県熊野に産するミズキゆえの名前。近畿以西に多く自生するという。樹高8-12mで、名の通り水気の多い比較的低地の山野に自生。花期は6-7月。新枝の先端に径8-14㎝の散房花序をつけ、多数の白色4弁花がさく。花期6-7月。
Photo_3 アカメガシワ(赤芽柏)。新芽が赤葉が柏の様に大きくなる故の名。別名ゴサイバ(五菜葉)、サイモリバ(菜盛葉)は食物を葉に載せるに使ったからの名前。山野に普通に生えるが、荒地や新しい空き地などに生えやすいパイオニア植物胃潰瘍、胆石薬効ある。花期6-7月。
2 ネズミモチ(鼠黐)。果実生薬となるが、ネズミの糞に似て葉がモチノキに似るの名。照葉樹の陽樹故、森林の開けたところに生える。中部以南の暖地には自生するので公園などによく植樹される。花序は円錐形5-6㎜位小さな花を多数つける。中国原産のトウネズミモチによく似る。花期5‐6月。

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2014年6月 9日 (月)

争乱の戦国史130(織豊Ⅱ12): 武田家の滅亡

 信長が中国・四国平定に専念するためには、背後の不安即ち武田家勢力を排除しておく必要があった。美濃の苗木九兵衛を勝頼の義弟・木曽義昌の下に送り込み調略させた結果1582年2月1日(天正10)、九兵衛から信忠(信長嫡子)に義昌が寝返ったので出兵する様にとの報告が入った。3日、信長は諸口からの侵攻を、駿河口からは家康、飛騨口は金森長近、伊奈口は信長・信忠と定め信忠軍が早速出陣した。
 一方、武田勝頼は信長侵攻に備え築いた新府城(山梨・韮崎市)に、前年暮れに移っていた。落ち着く間もなく、木曽謀叛に対し、勝頼親子と武田信豊は兵1万5千人を率いて2月2日出陣、信長軍の主力が伊那谷を北上すると見込んで、諏訪に進んだ。しかし、松尾城(飯田市)・大島城(松川町)の要所の城々の兵は寝返り或いは自落・逃走するものが殆どで、3月1日信忠は早くも勝頼弟・仁科守信が守る高遠城に達した。この勢いに勝頼らは2月28日諏訪から新府城へ撤退し、籠城戦に持ち込もうとした。
F130 高遠城は三峰川と藤沢川の合流点に位置する堅固な平山城だったが、信長軍は搦手口、大手口の両方から攻め込み、戦闘3月2日1日で終り、城主ら主立つ者が討ち死にし落城した。このため、新府に居た者達は勝頼を見捨てて逃走した。3月3日、勝頼は新府城に火を懸け、夫人、嫡男・信勝らと共に、小山田信茂を頼って南へ逃げた。しかし、信茂にも裏切られ、家臣は最後は40人ほどに減っていた。田野(甲州市)に至ったところで追っ手に囲まれ、女子供を刺殺してから最後の戦いに挑んでの討死或いは自害して果てた。かくして3月11日名門武田家は滅亡した。

 信長は3月5日、安土を出発、14日伊奈の浪合で勝頼父子の首の検分をした。これに守信と信豊を加えた武田一門4人の首は京都に送られ獄門に掛けられた。駿河口から侵攻の家康は武田一門で駿河江尻城(清水市)城主の穴山梅雪を寝返らせ、これを案内者として、富士川沿いを北上し、甲斐に侵攻した。20日、諏訪の信長の元に北条氏政の死者が到着し米千俵を贈り、又武田分国の駿河に侵攻し、信長との友好関係を保つように努めた。29日、信長は武田旧領の知行割を行い、駿河は家康に、上野は滝川一益に、北信四郡は森長可に与えるなどした。

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2014年6月 8日 (日)

梅雨期の代表花Ⅱ ホンアジサイ

 折角だから、普通のアジサイだが、単なるPHによる色違いではなく、品種改良による色違ホンアジサイを昨日に続き掲載しておきます。
Photoピンク) ホンアジサイはガクアジサイに対して普通のアジサイをいう。即ちガクアジサイが欧州で品種改良され作り出されたのがこのホンアジサイ。開花期や花色種はガクアジサイと変わらぬが、これは花序が球形で、すべてが蕚の発達した装飾花からなっている。日本、欧州、米国で、観賞用に多くに品種が作られている。
Photo_2青色) アジサイの名は、「藍色が集まった」意のあづさい(集真藍)」が訛ったものとするのが有力。「紫陽花」は中国語のライラック誤って伝えたと言われる。草冠の下に便を置いた字や「安知佐井」や「止毛久佐(トモクサ)」の字があった。後者は葉を便所で使った地域もあったことからシモクサと読めるとも言われる。
Photo_3白色) 日本における紫陽花の名所は、大阪・ぬかた園地、神戸・森林植物園、舞鶴自然文化園等には5万本の株のアジサイが植えられいる。又三重県・伊勢温泉ゴルフクラブ内のあじさい園には56種類、7万5000本の株が植えられている由(2008年開園)。こうしてみると関西に多いようだ。尤も現在は全国にあじさい園はあるが・・・。

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2014年6月 7日 (土)

梅雨期の代表花 ガクアジサイ

 梅雨時期、ひと際鮮やかに咲き、目に付くのが紫陽花。その中で今日はガクアジサイ。
Photo薄紫ガクアジサイ(額紫陽花)は日本に自生する原種のアジサイである。それが欧州に渡り品種改良されたのが普通の半球状に咲くホンアジサイ中心部が本当ので、周囲蕚の変化した装飾花である。
Photo_4 ()花色は白、青、紫及び赤色がある。花色はアントシニアンによるもので、土壌のPHにより変化する。酸性ではアルカリ性になるとになる。これは、アルミニュームによる変化で、PHによりその吸収率が変わるからである。但し開花から経時的に薄緑から青そして赤に変化して行く。
Photo_3(薄青)周辺の装飾花の色は上述の如く白、青、淡青緑、淡紫赤色があるが、中央部の花の部分は両性花で、濃緑色である。尚、房総半島、三浦半島、伊豆諸島、足摺岬には自生し、そのためハマアジサイとも呼ばれる。

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2014年6月 6日 (金)

梅雨空に映える花色は?  クチナシが満開 

 ついこの間まで、爽やかな五月晴れの下、新緑が萌え、明るい色の花が種々咲いていた。が、今は夫々実を付け、葉が繁茂している。そしてどんよりと曇った梅雨空の下で咲く花は、少々の雨風に耐え忍び咲き続ける強い花達である。そういえば、実を啄む小鳥たちは元気だが、花の受粉担当の蝶や蜂達も雨の中では飛び回れない。
 で、梅雨に咲く花ってどんな花?と云う興味を持って観て行こうと思う。取り敢えず今日は白い花をつけているクチナシの花。何故クチナシが今なのか。この花昔から人間と付き合いが深く、野生は殆どない木である。花も「薫りが良い」特徴を持っている。だから梅雨にも咲き続けるのか?
Photo クチナシ(梔子)。常緑低木で、自生は少なく殆ど栽培種。この果実は熟れても割れない故に”口無し”となった説がある。果実にはクロシン(カロチノイド系)と云う物質が含まれ、黄色の着色料とし用いられ発酵させると青色の着色料となり、繊維の染料や菓子等の食品の着色料、サンシンという局方の生薬となる。
Photo_2 その。やはり地味な白色の花で(周りが深緑となると目立つ)、徐々に黄色になる。代りに強い芳香を放ち昆虫類を呼び寄せる。学名も Jasuminoides(ジャスミンの花)である。蕚脇から短い柄を出し一個ずつ花を付ける。基部は筒状で先は6弁に分かれる。八重種もある。実の先端には蕚片の名残りが6本針状に着くのが特徴。

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2014年6月 5日 (木)

争乱の戦国史129(織豊Ⅱ11): 秀吉、鳥取城を攻略

 秀吉は、京での御馬揃の頃、姫路城修築に掛かっていて参加できなかった。その後、前回既述の三木城陥落に引き続き、美作・備前に転戦し、小早川隆景を包囲しようとしていた。信長が石山本願寺の開城、顕如再挙への対応の間、秀吉の役割は毛利氏の牽制であった。
 為に、1580年9月(天正8)、毛利方の山名豊国を鳥取城に囲んだ。そして旧領因幡1国を安堵するという条件で内通させて、わずか2郡しか与えず、怒った豊国の部下が吉川元春に告げた。元春は豊国を追放したが、翌年2月、元春が傷ついたので、毛利方の一族・吉川経家鳥取城に入れた。
F129 同年(1581年)6月末秀吉は動き出す。二万の軍勢を率いて備前・美作から但馬口を経て因幡に入り、吉川経家が守る鳥取城を囲んだ。城が険しく、容易に破り難いのは判っていたから三木城と同じく干殺しを図ることにした。(秀吉大改築時の姫路城天主(復元模型))
 但し、従来の兵糧攻めと異なるやり方を用いた。まず、城の蓄えを放出させることを考え、若狭の商船団を因幡港に回して城内の物資を高値で買占めさせた。敵方の謀略とも知らず、城中の家臣たちは高値につられて五穀を放出してしまった。更に、秀吉は鳥取城包囲に先立ち、因幡の鹿野城を降し、守備を固めた為、毛利軍が手も足も出せず、長陣の覚悟のなかった鳥取城内は直ぐに食糧は底をつき、3ヶ月の籠城で飢餓は極限状態に達した。
 木草の葉、牛馬を食べ尽くし、鉄砲で撃たれた者の肉まで取り合いする惨状を呈するに至り、城主経家は遂に、一命に変えて士卒の助命を願い、10月25日開城して、城を接収した。これを「鳥取城の渇殺し(カツエゴロシ)」と呼び、後世まで語り継がれた。

 秀吉は一旦姫路に戻った後、11月に池田信輝の子・之助と共に今度は淡路へ兵を進め、岩谷城を攻略して占領。更に由良城も攻め取り、難なく瀬戸内交通権を掌握した。将来予定される四国渡海の中継地点を完全に掌握したことにより、一石二鳥の戦略的意義を持つ快挙であった。しかも、中国平定の合間にやり遂げたことで、信長を喜ばせた。

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2014年6月 4日 (水)

梅雨入りしたが晴 紫陽花咲く

 

梅雨入り宣言され、今日は傘マークがついているに拘わらず、朝から晴れ時々曇りで、やはり梅雨ともなれば安定しないかなと思っていたら、随分爽やかな風が吹き、気持ちがいい日となったので、カメラを提げて歩いてきた。
 さすがに梅雨ともなれば、彼方此方いろんな紫陽花が咲いていて楽しんで来た。今日はその中で、カシワバアジサイを採り上げる。
Photo カシワバアジサイ(柏葉紫陽花)。北米東部原産。葉に大きな切込があり、柏の葉に似ている故の名前。一重と八重とがあるが、これは園芸品種の八重である耐寒性、耐暑性があり、且つ開花期が長く、病害虫にも強い。そして秋には紅葉し、晩秋には深みのある赤となるなど、最近人気がある。
Photo_2 その。白い花を円錐状に咲かせるが、日にちの経過と共にピンクに変色する。開花期は5/中旬7-7月。アジサイの花は花びらだけで、雄しべ、雌しべがないのが特徴。花びらに見えているのも正確には萼である。従ってこの八重も花の八重ではない。が、見た処花の様で、一重より綺麗だ。

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2014年6月 3日 (火)

凍土遮水壁着工 金糸梅も咲く

 福島原発の汚染水対策の柱となる、「凍土遮水壁」の建設工事が昨日着工された。地下水が原子炉下に流れ込み、汚染水の量を増加させるのを失せぐため、原子炉建屋の周囲の土壌を凍らせ地下水の流入を防ごうというもの。原発事故から3年経過し漸く汚染水増加を防ぐ手だてが講じられ始めた訳である。
 凍土遮水壁とは、凍結管を建屋周囲に差し込み、このパイプにー30℃の冷却液を循環させて、深さ30mの凍土の壁を作って、地下水流入を防ぐ仕組みになる。来年3月に凍結開始を目指している。これで1日400tずつ増加している汚染水が止められる。地元漁民は大きな期待を寄せながらも、不信感は拭えてないと言われるが、是非にも成功することを祈る
 早くも梅雨入り宣言となった北部九州は曇りがちながら今週は雨は降らないという。その中で雨にも負けない花々。昨日の未央柳に続き、今日はよく似た金糸梅。
Photo キンシバイ(金糸梅)。中国原産。江戸時代1760年(宝暦10)に渡来花の形がに似ており、黄色の雄蕊金糸に見立ての名前。庭木やグランドカバーとして、北海道以外の各地に植栽されている。ビヨウヤナギとよく似ており、又時期も同じ頃に咲くが、当地では最近、未央柳が民家に増えている。
Photo_2 その。花期5-7月。黄色の艶のある5弁花を次から次へと咲かせる。木はビヨウヤナギに似るが、花は異なるので、識別できる。又未央柳の花が上向きに咲くに対し、これは横からやや下向きに咲いている。写真のは最近の園芸種で花が5cm近くと大きいので、大輪金糸梅と呼ばれる種と思う。

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2014年6月 2日 (月)

リニアは第2の列島改造? 今未央柳が咲ている

 安倍政権はオリンピックに合わせてリニア開通を目指すよう指示しているが、元々工事はもっと長くかかる予定であった。当然ながらいろんな問題が起きてくる。南アルプスをを貫く計画区間の86%が地下と云う巨大プロジェクト。その際トンネル掘削による発生する大量残土と、地下水の流量低下が懸念されるという。
 地中から出る建設残土は推計で5680万立方㍍。汚泥やコンクリートを合わせ約6380万立方㍍東京ドーム50杯分が発生する。ところがこの捨て場所が決まっていない。又は本来地下水として周辺地域の河川に流れ込んでいたのが、トンネル内に流出し、河川水域の水不足は大きな不安材料だとか。そして工事中、長野県大鹿村では唯一の幹線道路(国道152号)を1日1736台の大型車両が残土運搬すると推測。それが10年続くとみられ、村民は暮らせないと懸念している。列島改造に繋がる事業が列島破壊にならぬよう願いたい。今日は先月より咲き始めたビヨウヤナギ。
Photo ビヨウヤナギ(未央柳)。中国原産、約300年前日本渡来。半常緑性小低木で、公園などに多いが、最近民家の門脇にも植えるのが、流行っている。枝先が垂れ下がり、葉が柳に似ている故に、通称ビヨウヤナギと称される。玄宗皇帝の長恨歌に「未央の柳」と詠われたのが由来とか。美容柳は当て字
Photo_2 その。花期は5-7月。花径5~7cm位の黄色花弁5枚。キンシバイ(金糸梅)に似るが、写真の様に長い雄しべが沢山あり、それが良く目立つ。雄蕊の基部は5つの束になっている。

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2014年6月 1日 (日)

争乱の戦国史128(織豊Ⅱ10): 秀吉の三木城干殺し

 122回に既述の秀吉、播磨・上月城を攻略。続いて124回に既述の三木城攻略に取り掛かった時の荒木村重謀反と並行して、秀吉三木城攻略の最中であった。
 1578年2月(天正6)、秀吉は再度播磨に入り書写山に陣した。三木城主・別所長治が毛利氏に通じて挙兵したからである。長治は播磨東8郡の守護であり、秀吉に協力を申し出ており、若干21歳の青年であったため秀吉が先鋒にしようとしたが、後見の叔父・賀相が謀反を勧めて、三木城立て籠もったのである。
F128 秀吉は3月29日三木城を囲んだ。対して毛利氏は小早川隆景や吉川元春らに播磨・備前・美作の境に陣を張らせたが、毛利の狙いは秀吉軍に落とされて、尼子勝久・山中幸盛の籠る上月城を囲むことであった。秀吉は陣を播磨・高倉山に移し、上月城攻囲の毛利に相対した。しかし、毛利氏の結束は固く6月21日秀吉軍は上月城で戦って敗れ26日には陣を引いた。秀吉は上月城救援を放棄して、三木城に向かった。上月城は秀吉来援の頼みを失い糧食も尽きて、毛利軍門に下らざるを得なかった。(豊臣秀吉画像(豊国神社蔵)

 三木城攻囲上月城を犠牲に供しての戦いとなったが、荒木村重の謀反を挟んでの実に満2年にも及ぶ持久戦となった。長治は兵庫・花隈城に内通し、三木城への食料輸送を図った。又、毛利氏も紀伊・雑賀衆と連絡を取り兵船で播磨魚住に食糧を運び三木城に送ろうとした。
 しかし、秀吉はこれら三木城との連携を悉く絶ち孤立させることにより、「三木の干殺し」と言われた兵糧攻めを敢行した。その間、備前・美作に勢力を持つ宇喜多直家が秀吉に応じ、毛利方の属城・美作三星城を攻めた。直家は毛利方に立っていたが信長の勢力が播磨以西に及ぶ形勢に投降の意向を決したのである。

 秀吉の三木城干殺し戦術は、1580年正月(天正8)に入り、最終段階に達したと考えたか、攻城戦に転じた。長治は遂に正月15日力尽きて、秀吉の将・浅野長吉に、弟・友之、叔父・賀相と共に自死する事、城中の諸卒は救け置かれることを請うた秀吉はこの神妙な申し出に感嘆して、樽酒2、3荷を城中に送り最後の酒宴に名残を惜しませた。かくして、17日長治・友之らは自殺して城は落ちた。ここに於いて属城も次々落ち、播磨平定は為ったのである。

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