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2014年5月

2014年5月31日 (土)

暑さに感けて閉籠り 金鶏菊が咲く

 

福岡市は30℃を越え、佐賀、久留米、熊本では33~34℃の最高気温。もう真夏並みの日が今しばらく続くとの予報。庭の草木がよく伸びて、庭仕事はたくさんある。が、とてもじゃないが、この暑さと、黄砂、さらには40を超えるPM2.5と悪条件が重なっていることに感(カマ)けて、家の中に閉籠り。テレビとブログと時代小説で時を過ごす、真夏のグータラ生活が巡ってきた。今夏は少し違った生活をと思ってはいるが・・・。但し、来週には梅雨入りとか。
 その暑さの中で、今は嫌われ者となってる金鶏菊が、綺麗に咲いている。
Photo キンケイギク(金鶏菊)。現代金鶏菊は殆ど消えてしまい、今咲いているのはオオキンケイギクらしいが、両者とも通称金鶏菊。黄色い鶏に見立てての名前。北米原産1880年代に観賞目的で日本に導入され好まれたが、在来種への悪影響のため、2006年栽培、移入、販売など禁止された。侵略的外来種ワースト100に選定されている由。
 Photo_2
 下その。花期5-7月。黄色の舌状花。花弁の先端が4-5裂しているのが特徴。真中の筒状花茶褐色となる。花後にはそう果(熟しても裂開しない)がつく。

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2014年5月30日 (金)

猛暑の兆しの中 シモツケが満開へ

 北朝鮮が、従来の「拉致問題は解決済み」としてきた主張を、局長級協議で「包括的かつ全面的」な再調査を約束し、日本人生存者が発見された場合は「帰国させる方向で去就の問題に関して協議し、必要な措置を講じる」ことに同意した。と、従来の主張を修正した。対して、日本はこれまで日本が独自に北朝鮮に科してきた制裁の一部を解除するとしている。
 このような情勢の変化は喜ばしい事だが、これまでの経緯からして、一体北朝鮮に何が起こったのかと疑心暗鬼に考えたくなるが、特別な裏がなければ被害者家族には長年の苦労がやっと叶えられるかと喜び一入のものがあろうと推察する。
 この朗報の中、愈々夏の花が咲きだした。今日はまずシモツケ。
Photo シモツケ(下野)。原産地は日本で、朝鮮、中国、日本各地に自生する。下野国(栃木県)で発見された故の名前。初夏に花が咲き、秋には紅葉するから古くから庭木とされてきた。暑さ寒さに強く大変丈夫な木で、樹高が低いので、庭木は勿論、公園にも多用されている。
Photo_3 そのコデマリやユキヤナギと同じ仲間で、花径3~5㎜が集まって散房花序を半球状に形成している。図の如く花一つ一つは梅の花の形の5弁花がぎっしり集まっている。色は赤紫、ピンク、白などがある。花期は5月下旬~6月

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2014年5月27日 (火)

行く春や・・・、 そして満開のサツキ

 春を謳歌したツツジが散ってしまい、5月初旬から咲き始めたサツキが今、満開。普通のツツジより遅く、旧暦の5月に咲くツツジなので、サツキ(五月)と呼ばれる。ツツジよりは葉も花も小さく茎には這う性質が強い。本来渓流沿いの岩の上に生育し、増水時にも他の物が引っ掛らぬ様に低い姿勢となった「渓流植物」だそうだ。
 ところで、これより更に遅く5月下旬~6月中旬頃九州の火山にのみ咲く「ミヤマキリシマがある。天然記念物に指定されているので採る事は出来ず、若い頃、群生地の九重連山の大船山頂上までわざわざ見に行った。途中、芹洋子の「坊がづる賛歌坊がづる湿地を経由して登山口から片道4時間弱の登山だった。このミヤマキリシマは紫紅色の小さな花を付け、群生するが、久留米ツツジの交配の一方の相手である。話が横道にそれたが、五月の花に戻る。
Photo  サツキ(皐月)。稲の耕作を意味する古語が「さ」で、旧暦5月に稲作を始めるのが「さ」の月として、5月をサツキと呼んだのが語源。上述の如く背が低く、群落を形成して初夏に一面に咲くのが特徴。日本では最も多く使われる庭木だそうだ。又ホトトギス(杜鵑)が鳴く頃さくので、杜鵑花ともいう。
Photo_2  その。花期は5/10~6/20頃。ツツジより小さく、色は淡紅色、ピンクだが、最近は真紅も出回り、人気がある由。尚、サツキは1本の木から突然変異で、色んな色の花が咲く。時々色が混じっているのを見るが、あれは接木ではないそうだ。

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2014年5月26日 (月)

開花の順序は年によって変わる? クロバナエンジュ

 この数年、歩きながら花の写真を撮り続け、今年は花の咲く順が違うのじゃない?と思っている。この花が咲いたら、次はあれと思って居るのに違っている。不思議に思って、過去の写真を見てみると、確かに撮影順が違っている
 勿論、園芸樹は植え替えられたり、花壇の花の種が変わっての変化はあるにしても、野生の花も変わっている。花には夫々特性もあり、周囲の環境変化の影響もあるだろうから、多分開花順が変わっても何の不思議もない、と云うのが本当か。
 そんなことを考えて歩いていたら、今日のクロバナエンジュは、あまり見かける花ではなかったが、今年は彼方此方の草原や山裾などでよく見ける。他の花の例に洩れず、この花も例年より花付きが多いせいで、そう思えるだけかも知れないが・・・・
Photo  クロバナエンジュ(黒花槐)。別名イタチハギ(鼬萩)。マメ科特有の葉で、左右に鳥の羽の様に小葉が並び、枝には弱い棘がある。樹高は4~5mになる。北米の南部が原産地で、日本へは砂防用、護岸用として、大正時代に渡来したが、現在は野生化しており、特に今年は当地ではよく散見する。
Photo_2  その。暗紫色の総状花序、即ち柄のある花が花径に均等につき、写真の様に小さな蝶型の花(黄橙色)を沢山付ける。この花はお世辞にも美しいわけではないが珍しいので載せた。花後は1cm位の豆果を付けるが熟しても弾けない。

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2014年5月24日 (土)

争乱の戦国史127(織豊Ⅱ09): 信長の経済策

 信長の頃には、豊富な金・銀産出量を背景にし、キリスト教と共に海外からの工業、技術、文化の移入に伴う国内商業および海外との交易も盛んとなった。
 この状況の中で、信長が従来とは期を画する経済策を採ったとする説もあれば、あくまで土地支配が主であったが、商業都市の発達や金銀の流通は軍事的成功を支える経済的基盤であったが、従属的・補完的な役割だったとする説もある。
F127cg  そこで、信長の経済的施政を概観してみよう。確かに信長は(秀吉も)天皇・公家や大名・能役者・相撲取りなどへ度々黄金・銀子を配り、又天皇・将軍御所の造営、寺社の復興や安土城築城に大金をつぎ込んだ。又、金で鉄砲や兵糧などの軍需物資も豊富に調達できて、軍事的成功を支えた。それは領内での金・銀の産出もあったが、後の生野銀山を支配下に置いたのも要因であった。(CGによる安土城天主復元(国立歴史民俗博物館))

 信長が取った経済政策として、流通の増進がある。まず濃尾掌握後、1568-9年(永禄11-12)、伊勢支配をめざし、伊勢湾の水運を掌握した。次に1571年(元亀2)には近江を掌握し、上洛ルート確保と共に、次いで叡山焼討で坂本を掌握し、湖上水運と共に、畿内と東国・日本海側の物流の喉元を押さえた。即ち若狭・小浜港とを結ぶ九里半街道を信長支配下に置き、更に越前侵攻により、日本海廻船業者の拠点・敦賀港へのルートを確保したのである。これにより、北は蝦夷から、西は山陰までの物流を可能にし、中国からの唐船も入港した
 も一つは堺・博多の商業都市化を進め、これを掌握することで瀬戸内の部流拠点とした。(この件は)。

 尚、流通政策として有名なのは関所の廃止である。1567年10月(永禄11)、分国中の関所を廃止。その後、越前・甲斐・信濃へと拡大した。当然商人・運輸業者には善政であった。更に奉行を命じて、道路整備や架橋、街道並木植樹を行い流通を促した。
 尚、楽市・楽座令を信長が岐阜と安土城下に出したが、楽市令は近江の六角氏に始まり、今川や後北条氏が始めており、信長がこれに倣ったに過ぎない。信長の目的は商人や技術者を集めるのが目的だったという

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2014年5月23日 (金)

初夏に咲く 路傍の草花

 新緑の時期も過ぎ、緑が濃くなって深緑に移り始めた。今から夏まで咲く草花たちも、雑草の中で元気に開花を競っているので、今日はその中から3点を紹介。
Photo  マンネングサ(万年草)。別名セダム(学名:Sedum)。世界各地に分布し、日本には21種ある由。花径は1cm未満の小さい花をぎっしり付けている。乾燥、貧栄養にも強く石垣の被覆に使われることもある。多肉植物として盆栽に使われたり、屋上緑化に適していると注目されている。
Photo_2  ヘラオオバコ(箆大葉子)。欧州原産で、日本へは帰化植物。細長へら状の葉を水平~斜め上に放射状に伸ばして、その上に30~50cmの茎を幾本も伸ばす。茎先に花穂をつけ、写真の如く小さい花が下から上へ咲上がってゆく。江戸末期に侵入し全国に広まった。世界中に広まりコスモポリタン雑草と呼ばれている。
Photo_3  マツヨイグサ(待宵草)。南北米大陸原産で他には産せず。日本には帰化植又は園芸用移入で入った。パイオニア植物で河原、荒地に生え、造成地に多い。他の植物が繁茂すると、消えてゆく。日本には嘉永年間(1848-1853年)観賞用に植えられたのが逸出した。同属の白い花が月見草で、赤い花が夕化粧とよばれる。

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2014年5月22日 (木)

緑深まる中白さが目立つ テイカカズラ

 ちょっと画期的と思える判決が2件あった。一つ大飯原発の運転差し止め訴訟で、福井地裁は住民189人による訴訟に対し、その主張を認め、運転差し止め命じた。「この地域は活断層もあり、今後予想を超える地震の可能性が否定できず、且つ発電の安全技術や設備に楽観的な脆弱がある」と云う理由で、200㌔圏内の住民に危険がある、とした。
 も一つは、厚木基地での自衛隊の夜間飛行を差し止め命じる初めての判決を横浜地裁が出した。従来の民事訴訟での空港での騒音問題では最高裁でしりぞけられたが、2004年の法改正で行政訴訟が可能になっての判決である。両者とも控訴があるので、最終的にどうなるか判らぬが、行政に対し司法が対抗するというのは3権分立の原則を維持し、行政の一方的な施政が、国民の人権を阻害しかねない点に黄信号を付けた感がする。
 住みやすい国になる事をを念じながら、今日の花はテイカカズラ
Photo  テイカカズラ(定家葛)。つる性常緑低木。原産地日本、朝鮮半島。秋田以南の列島に自生。この名前、藤原定家が愛した女性の墓に死後カズラとなって墓石に絡みついたという能「定家」による。自立できず茎から気根を出し他の木に登ってゆく。高木の樹冠に達し、幹は径3~4cmにもなる。茎や葉を切ると有毒である乳液を出す。
Photo_2  その。開花期5~6月。花は房状に垂れ下がったところに着く。花弁基部は筒状先端は5裂して広がり、プロペラ状になる。色は白色が段々黄色になり、ジャスミンに似た芳香を出す。この葛の園芸種が過日載せたハツユキカズラであるから、花型もソックリだ。

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2014年5月20日 (火)

古代の意思決定と今日の花・ニゲラ

 毎日の「余禄」の話。平安時代の寺院では、物事の決定や人を選ぶのは多数決に依ったという。この意思決定方式仏教と共に中国経由でインドから伝わったという。一方中国に倣った国の律令制では最高位者の専決による意思決定が原則だった。仏教での多数決制紀元前600年頃、北インドで成立した古代共和制や商人組合での意思決定の影響ともみられるという。その結果、現在インドは世界最大の民主主義国と言われる。とある。
 お陰で、日本は両者の影響を受け、政治的には為政者による意思決定が長く続き、今でもその影響が残っている感がする。一方末端の町内会や商業・漁業の組合制度などは民主的な意思決定で運営されてきた。江戸時代の御江戸は警察権と徴税権は幕府に在ったが、町民の日常生活は庄屋や組頭の下で御上の御意向を参酌しながら差配されていた。そんな結果が江戸の文化を花開かせ、庶民の日常生活文化を築いてきている。そんな気がする。今日は私は知らなかった花に出くわしたのでそれを紹介。
Photo  ニゲラ(Nigella)。原産地は南欧。仲間は地中海~西アジヤに分布。この花はニゲラ・ダマスケで、通称ニゲラで普及している由。茎は細かく枝分かれしその先端に一輪の花を付ける。種が黒いからラテン語のニガー(黒い)から出た名で、別名クロタネソウの由来である。江戸中期に入ってきた。路地、鉢植え、切花に利用。
Photo_2  その。八重咲様の花。花径は3~5cm。色は白、青、ピンクなど。花弁見えるのは萼片で、花弁は退化している。花は総房片に包まれている。中央部に子房があり、果実が出来て中に種が出来る。揮発性の油を含み薬として利用されるとの事。

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2014年5月19日 (月)

暑い初夏に咲いている スイカズラ

 昨日は北部九州各地の最高気温が29℃を超す真夏日に近い暑い日だった。この処、急に暑くなったためか初夏に咲く草木の花々が一斉に咲きだした。ブログ用に撮ってきた写真も沢山溜まっているが、やはり順番に少しづつ乍ら、紹介して行くことにする。
 今日は、最近道端の生垣や木蔭のフェンスに蔓を這わせてしているスイカズらを紹介。
Photo  スイカズラ(吸葛)。古くは花を口に咥えて、蜜を吸った事による名前である。別名ニンドウ(忍冬)は冬場を枯れずに耐え忍ぶ故の名。日本及び東アジヤ一帯に分布。欧米では観賞用に栽培されたが、近年野生化して嫌われている由。花と蕾をホワイトリカーに入れ、砂糖をいれて熟成させた忍冬酒は特有の香りがあり、素晴らしいとの事。
Photo_2  その。開花期は5-7月。甘い香りがある。花弁は筒状で上下2枚の唇状に分かれ、上唇はさらに4裂している。花色は初め白いが、徐々に黄色くなる。これにより金銀花の異名を持つ。又蕾が「金銀花」の名の生薬になり、抗菌作用や解熱作用がある。又、袋に入れて煎じた液を袋と共に風呂に入れと、皮膚を美しくし、美容に大変良いと言われる。

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2014年5月18日 (日)

争乱の戦国史126(織豊Ⅱ08): 信長、絶頂期を誇示

 1581年正月(天正9)の安土・信長には、かってない強い喜びの内に明けた。畿内中央の安定は元より北陸(加賀・越前)、中国(播磨・備前・美作)、山陰(丹波・丹後)に広がる戦果を祝うことが出来たからである。とりわけ長い間、信長を悩ませた一向一揆の総本山・石山本願寺が信長に明け渡され、解体されたことは、過去数年間掛り切になって来たことから、特別な正月となったのである。
 そしてそれは東側で境界を接する徳川家康との同盟関係が維持され、微動だにしなかったためである。重ねて、家康を介して北条氏政との友好関係も促進され、一層西に向かう環境が整った事もある
F126  正月8日、安土城下に築いた馬場で左義長(小正月行事)を行った。江州衆に爆竹を鳴らさせ、小姓衆や近衛、北畠ら一家衆らが思い思いのきらびやかな頭巾・装束をつけた馬に乗って馬場を巡り、町にも乗り出した。小姓衆に続き、信長は眉墨を入れ、南蛮笠、赤い着物、唐織袖なし羽織など異国の風俗で葦毛に乗っていた。この行事には見物人が群集し貴賤耳目を驚かすというほどアピールした。(織田信長像
 これに気をよくした信長は正月23日、明智光秀に京都での馬揃を行う準備を命じ、分国中に動員令を発し、趣向を凝らして参加する様命じた。全国にうわさが広まる事を計算してのことだ。

 2月28日御所の東側に馬場が設けられ、天皇・公家や宣教師を招いて多くの見物人の中、華美を極めた馬揃が行われた。行列は下京本能寺を出て北上したので道中の見物人を楽しませた。行列一番に丹羽長秀・摂州衆。若州衆など、二番には蜂屋兵庫頭・河内州・和泉衆など、と云う様に四番まで編成。その後に一家衆、近衛・正親町らの公家衆らと旧幕臣や馬回衆、小姓衆等が続いた。
 この後に愈々信長の登場で、多くの先導の後、金紗を着た信長が出発した。信長は唐冠、蜀江錦の小袖、白熊の腰蓑、猩々緋(深紅色の毛織物)と唐綿の沓という装束で人々を圧倒した。日本の天皇を超える、東アジヤの中心・中国の皇帝にも見紛う姿を演出し、全く新しい天下人としての信長像を人々に強く焼き付けた

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2014年5月17日 (土)

芳香が強い 柑橘類

 今年は柑橘類が咲き始めた頃、小雨乍ら、3日に亘り天候不順が続いたところ、折角の花が傷つき、茶色になって縮んでしまった。その後新たな蕾が花開いたので、例年より遅いが、柑橘類特有のいい匂いを漂わせている。(民家の庭の木です)
Photo  ウンシュウミカン(温州蜜柑)。中国の柑橘の名産地・温州に因んでの名だが、原産は鹿児島県とされている。16世紀紀州の有田に移され、紀伊国屋によって、江戸に運ばれた花は小さく1cm以下で、写真の如く雄しべが雌しべを取り囲んでいる。
Photo_2  ナツミカン(夏蜜柑)。江戸時代、黒潮に乗って南方から渡来。山口・青海島に漂着した文旦系の柑橘を育種した。故に萩では、藩の奨励もあって栽培され、藩の経済に寄与した。花も温州より大きく花径1.5cm位花弁の幅も広く、雄しべは早くからバラバラとなっている。
Photo_3  レモン(檸檬)。最近庭にレモンを植える家が増えた。インド北部が原産地。大体柑橘類の生産地で栽培され、殆ど国内消費に回る。主に果汁飲料食用にされ、揚げ物にかけたりレモンティーに利用される。花の雄しべは温州に似るが花弁は6枚あり幅は狭く、温州より長く花径1.5cm以上とやや大きい。

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2014年5月16日 (金)

五月晴れに咲く カラタネオガタマ

 今朝の新聞は、安倍総理の集団的自衛権に関する「政府対応の『基本的方向性』」を示す記者会見に関する記事が大きく占めた。対して憲法改正なしに集団的自衛権行使が違憲であるという記事も多くある。中でも『集団的自衛権の行使容認の是非の答えを出せるのは、政府・与党ではなく国民である』とし、首相の私的懇談会の「憲法解釈を変更して容認する」との報告書に基づいて、解釈変更での対応に意欲を見せる首相に、『立憲主義の否定』と厳しく批判する意見もある。何故もっと、ゆっくり時間をかけ、国民レベルでの議論・意見の行方を見定めようとしないのか。重要であるだけにじっくり腰を据えて取り組んでほしい
 今日は今時分芳香性のある花が多い中で、ひと際強い芳香を出す花を紹介。
Photo  カラタネオガタマ(唐種招霊)。別名トウオガタマ。中国原産で江戸時代に渡来。関東以西の温暖地の神社の境内や庭木として植栽されている。特徴は花の甘い香り。園芸種には日本原産のオガタマノキがあるそうだ。これは霊を招くという意の「おきたま(招霊)」の訛ったものの由。
Photo_2  その。開花期は4月中旬~5月花径は3cm位。花弁は厚く、クリーム色で縁と内部にほんのり紅紫色を帯びる。甘い香りは完熟バナナをすっきりさせたような芳香との表現があるが、辺り一帯に香りを漂わせている。花の香りから、英名ではバナナ・シュラブとか、バナナツリーとも呼ばれるという。中国では「含笑花」と呼ばれる。

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2014年5月15日 (木)

コロンブスの船発見か

 中米のハイチ沖で見つかった沈没船が、コロンブス1492年「新大陸」に到着した際の旗艦「サンタマリア号の可能性があると、米メディアなどが報じたという。この船の発見は米・マサチューセッツ州の海洋調査家バリー・クリフォード氏率いる調査団だそうだ。船が見つかった場所が、サンタマリア号が沈んだとされる場所とほぼ一致していることや、船の骨組みや大砲も証拠に挙げているという。但しコロンブスの航海を支援したスペインはハイチ政府と連絡を取り合って、更なる情報が必要と云う点で一致しているとして、慎重に調査する必要をのべている。過去の歴史の証拠品が出るのはうれしい事だ。何と言ってもロマンがある
 昨日から今日午前までは雨だったが、午後から晴れ上がり、再び夏が戻ってきた。今日も夏の白い花、トベラを紹介。トベラは美しい花でもないが魔除けとして、昔から人間とかかわってきた。
Photo  トベラ(扉、海桐花)。中国南部、韓国、台湾の海岸に自生。日本では東北以南の海岸に自生し、乾燥に強い事から庭園、公園、道路の緑化帯にされている。枝、葉は切ると悪臭を放つ。故に昔はイワシの頭と共に、魔除けとして戸口に掲げられた。そのため扉の木と言われ、なまってトベラとなった。
Photo_2  雌花雌雄異株で、この写真は雌株。花期4-6月で、葉と違って花は芳香のある白い5弁花を付ける。雌花中心に雌しべが1本あり子房が大きく丸い、その周囲に退化した雄しべがある。雄花は中心に発達の悪い雌しべがあり、その周囲に7-8㎜の雄しべが5本ある。

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2014年5月13日 (火)

夏らしくなって ピラカンサも満開

 新緑、若葉と初夏を満喫してたら、緑が段々濃さを増し、愈々本格的な夏らしくなってきた矢先、九州ではここ2、3日の最高気温が30℃を超える処が続出真夏日の到来である。
今日の福岡の最高気温は27℃の予報。”温暖”と言える気候が余りなく、冬から夏に直行と云う感じだ。
 そんな中、木々の花々も夏の花が咲きだした。先日も云ったが、白い花が俄然多くなった。今、ピラカンサがあちこちで白い花の塊となっているので、それを紹介。
Photo  ピラカンサ(Pyracantha)。トキワサンザシ属の園芸種指しているが、概ねトキワサンザシ(常盤山査子)を指して言う。だから橙色の実をつけるタチバナモドキはピラカンサに含めないことが多いようだ。東欧、西アジア原産で、日本には明治中期に渡来庭木に使われるが大木になるので、最近は生垣に多く使われている。
Photo_2  その。枝先に散房花序(柄のある花が沢山つく)を出し、径1cm未満の小さな花を沢山付ける。花弁は5枚、蕚片も5枚ある。花後には球形の果実をつけて、10-12月には鮮やかな紅色に熟する味はリンゴと同じだそうだが、果肉以外の部分が多く、食べられたものではない由。

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2014年5月12日 (月)

花を咲かせた ハツユキカズラ

 今年はいろんな花木で沢山花を付けている花の豊作と言える年かもしれない。そんな中で、花を咲かせるとは知らなかったハツユキカズラが花を付けていた。観葉植物で花を付ける筈がないので、別の草花が混じっているのでは?、としげしげ眺めたが、やはりこれは、初雪葛の花だった。調べてみると、稀に花を付ける事がある」そうなので紹介する。
Photo  ハツユキカズラ(初雪葛)。テイカカズラの斑入り品種で、別名フイリテイカカズラともいう。草のようだが、常緑つる性低木で、白い斑点が入るので「雪」の名が入る。新芽は赤みの強いピンクだが、段々白みが強くなり、最終的には緑一色となり、秋から冬には紅葉する。門柱や塀に這わせている家が多い。
1  その。開花期5-9月。花を咲かせるのは稀である。色は初め白色だが徐々に黄色くなる。写真の如くスクリューのような形の合弁花で、5裂する。花の付根の筒には5本の雄しべと雌しべが入っているが、この写真では判りづらい。
2  花2。5裂した花弁がビラビラと皺がよった感じになっている花。上図の中央部には小さな花が数個開いており、もあるので、これからもっと沢山の花が咲くのだろう。

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2014年5月11日 (日)

争乱の戦国史125(織豊Ⅱ07): 家康、妻子を処断

 安土城が完成した頃(1579年)、徳川家康の嫡男・信康は信長の娘・徳姫妻に迎え、岡崎城を居城としていた。この徳姫が信長に「信康とその母・築山殿(家康妻)が、甲斐の武田勝頼に内通している」という趣旨の12ヶ条に亘る告発状を送った。
 築山殿今川一門の出身である。家康今川の人質であった16歳の時、今川義元の命でこの女性と結婚していた。しかし、桶狭間の戦いで信長が今川義元を討ったため、家康は今川氏を離れて信長と同盟した。築山殿は実家である今川家凋落のきっかけを作った信長の娘を、自分の息子の嫁に迎えるという複雑な立場にあった。

 徳姫が何故夫や姑を非難したのか、その理由は定かでないが、その結果が重大事を引き起こす。信長はすぐ家康の重臣・酒井忠次を安土に呼び出し、徳姫が書き送った12ヶ条の疑惑の真偽を問いただした。忠次はこの内10ヶ条について弁明できなかったという。それで怒った信長は信康を切腹させるように命じたのである。
F125  事は徳川家の存続に関わる問題であったが、当時の徳川には信長に逆らう力はなく、、家康は信康一人を犠牲にすることで、徳川家全体を救う道を選んだ。1597年9月15日(天正7)、信康21歳の若さで遠州二俣城にて切腹築山殿も家康の命令で遠州富塚にて殺されてしまった。(松平信康画像(勝蓮寺蔵))
 築山殿は実家の親戚に当る武田や北条と盛んに交際した。そして、武田が徳川にとって当面の敵である事などお構いなしだったという。信康も優秀な武人ではあったが、その夫人(織田)からみれば粗野な人物であり、そりが合わなかったものと見られる。
 だが、実際に二人が武田と通じていたかどうか、真相は謎に包まれているが、一説には信康が優秀な若武者であったため、その存在を危険視した信長が仕掛けたのではないかとも言われている

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2014年5月10日 (土)

競い咲く 初夏の草花

 好天が続く中、初夏の草花が色鮮やかに咲き競っている。その内3点を紹介
Photo  ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)。北米原産の帰化植物で、観賞用に輸入され栽培された。その一部が野生化している。マツヨイグサ属ながら、昼に咲く故の名前。花期は5-7月。白または薄いピンクの花。花弁は4枚。特徴は雌しべが十字型している事、雄しべは8本。
Photo_2  ベニバナツメクサ(紅花詰草)。欧州や西アジヤ原産。マメ科の植物で葉は3ヶの小葉を持つ複葉。濃赤色で6-8mmの蝶型花が円錐形に集まって3-5cmの花穂を形成する。明治時代に観賞用や牧草として渡来したものが野生化している。
Photo_3  羽衣ジャスミンジャスミンの仲間で温帯に200種が分布。その内日本で栽培されているのがこの花。中国南部原産のつる性植物で”草”ではなく樹木に分類。蕾はピンクだが、開くと白い花に成る。強い芳香がある。最近フェンスなどに這わせている家が多い。

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2014年5月 9日 (金)

花付きが良い 満開のハクチョウゲ

 今朝の朝刊に「896自治体『消滅の可能性』」なるショッキングな記事が出ていた。子どもを生む20~39歳の女性人口全国1800の市区町村の内約半分の896自治体で、2040年(26年後)には5割以上減少すると推計されるというのだ。この896自治体の内40年人口が1万人を割る523自治体(全体の29%)については「消滅の可能性が高い」という。
 人口減少に伴い、医療・介護の制度は維持できなくなるのだ。また逆に東京など大都市でも流入した人口が高齢化し、医療・介護の需要が急増するため制度が成り立たなくなともいう。これは単なる医療・介護の問題でなく、効率化を推し進めた国の政策が地方を衰亡させた結果であろうと思う。地方分権を推し進め一極集中を如何に分散させるかが緊急課題であろう。
 さて、今年の天候のせいか、木々が沢山の花を付けている。中でもこの白丁花がこんなに花を沢山密に付けたのは珍しいので撮ってきた。
Photo  ハクチョウゲ(白丁花)。丁字型の花を付ける故の名。別名ハクレンボク。強い刈込にも耐え、細かな枝が容易に分枝し、且つ病虫害にも耐性があるので、江戸時代から生垣や盆栽使われてきた。花期は5-7月だが、西日本では天候により秋にも花を付けることがある。
Photo_2  その。花色は藤色(又は淡紅色)と白色の一重。園芸種は二重、八重があるという。葉は斑入りのものある。花径1cm位の実に可愛い花で、花冠は5裂しており、雌しべと5本の雄しべがあるが、雌しべは頭が殆ど判らぬものもある由。(これは雄しべは判るが雌蕊は不明)。

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2014年5月 8日 (木)

五月晴れの下 満開の姫空木

 先日佐渡島で、野生下で生まれた親を持つトキ「純野生」のひな(3世)が誕生とのニュースがあった。トキの野生復帰をめざし、環境省は2008年、人工繁殖したトキの放鳥を佐渡島で始めた。今回3世の親となったのは12年に生まれた2歳の雄と昨年放鳥された3歳の雌のつがいだ。30億円以上を投じての野生復帰事業は、乱獲や農薬使用など人間の勝手でトキ絶滅を招いたことから、トキと云う希少種を守り自然と人間との共生につなげようという目的で行われている。トキの野生復帰は人の手を借りず集団が維持できるようになって初めて完了すると言われる。そのため500組の野生トキのつがいが必要だそうである。現在野生生活のトキは約90羽に留まる由。地元住民やボランティア協力を得ながらの取組である。多くの人の協力が今後も期待されるところである。
 初夏と云う時節、夏の白い花の紹介が続くが今日は姫空木の紹介。
Photo  ヒメウツギ(姫空木)。アジサイ科ウツギ属。日本原産で日本、中国に分布。背丈60cm位の匍匐性のウツギの仲間。白い花が綺麗で、よく庭植えされている。葉は細長く縁は鋸歯になっている。丈夫な木で乾燥しない土地なら幅広い環境でよく育つ由。花壇や鉢物の他根締として利用されている。
Photo_2  接写の。花期は5-6月。枝先に円錐花房を出し、やや下向き多数の花を付ける。花柄は細く、長さ2-6㎜位。花弁5枚長さ0.7-1.0cm位。雄蕊は10個、花糸は長さが不揃いで4~7㎜位、両側に翼状に広がり翼の先端がとがる(写真でお判り頂けるだろうか?)。

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2014年5月 7日 (水)

五月晴れの中 ノイバラが満開

 昨日までの3日間、我が家の狭い庭にある松3本、山茶花、椿、金木犀の新芽摘み、ツツジ類の新芽剪定来年の花芽が付く前の剪定)を行った。但し金木犀は昨秋、花後に剪定しており、以降今頃切ると今年の花が少なくなるが、今の新芽を放置すると、近所迷惑(陽当たり、風通しなど)のための剪定
 昔はお互い様で許容された庭木の伸長、繁茂も今頃の若い人には許容できない問題の範疇に入ることもあるらしく、互いに遠慮し合うことが多くなった。ペットの放し飼いや、鳴き声も問題になることも多い。なんとなく今の国際間での諸問題にも通じる互いの権利主張は、国際交流をギクシャクさせているのに相通じる感がした次第である。
 さて、今日は爽やかな五月晴れとなり、暑い日差しには、涼しい風が気持ちが良かった。その中で、今野茨が満開である。野茨は昔から、シューベルト、ウエルナー、シューマンらのノバラとして歌われ、人に親しまれた花である。
Photo  ノイバラ(野茨)。日本のバラの代表的な種。沖縄以外日本各地に自生。野薔薇とも言う。花期5-6月。道端に多く出現するが、棘が多いので嫌われる雑草的性格が多い。バラの房咲性をもたらした原種だ。日本では接木の台木に使用されることが多い。
Photo_3  。散房状に芳香性のある花を付ける。5弁化の花径は2㎝位の小さな花で、花弁の先端はくぼむ。雄しべは多数つき、雌しべは無毛。
 赤い果実営実(エイジツ)と称し、瀉下薬、利尿薬として薬局方に記載されている。エイジツエキスはおでき、にきび、腫物に効果がある。又化粧品成分としても利用されており、皮膚の保護、抗酸化性、美白性、保湿性があるという。

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2014年5月 6日 (火)

争乱の戦国史124(織豊Ⅱ06): 荒木村重の謀叛

 羽柴秀吉が北陸での織田軍対上杉謙信との「手取り川の戦い」で、柴田勝家との確執で織田軍を離脱し、中国征討に赴き播磨・三木城を包囲して居る頃、全く思いがけない事件が起こった。荒木村重の信長への謀反である。
 元々、村重は摂津国の池田勝政に属し、茨木城を攻め取りこれに居り、後三好氏に属した尼崎城を保っていた。1573年2月(天正元)、義昭挙兵時には細川藤孝と共に堀秀政、佐久間信盛について信長の麾下に入った。7月には信長党として芥川城を攻め、中川清秀を落とした
 しかし、旧主・池田勝政は形勢を観望、進退時期を逸し、高野山に逃れたので、その部下の多くが村重に属し、池田を併有した。翌年11月には伊丹城を陥れ、有岡城と改名して入城。信長入京時には摂津国の池田・和田・伊丹の3守服させ、本願寺攻囲、播磨討伐に信長のために戦功をあげた。

 その謀叛だから、当然原因がある。村重の属人中川清秀の郎従に大阪城中に糧食を秘かに送る者があった。これが信長の兵の目に止まり、村重は関知しないが、部下の利敵行為の責を負って、内通と安土に伝えた。村重は母を人質として安土に陳謝せんとしたが、清秀がその効なしとし、諸将も同意したので、謀反の意を決したといわれる。
 信長も驚き、11月3日入京して、村重と親しい細川藤孝、秀吉をして尉諭せしめたが、村重がんじえず、止む無く討伐した
F124jpg  この時、信長は村重の家臣で高槻城主・高山右近を味方に引入れ、村重を孤立させ、10ヶ月に亘り有岡城を包囲して攻めた。この時、後に秀吉の軍師になる黒田官兵衛は村重説得のため有岡城に入るが、幽閉されてしまう。翌1579年9月(天正7)、村重は部下を連れ、妻子や家臣を見捨てて脱出し、嫡男・村安の居る尼崎城へ逃れた。同年11月に有岡城は開城。信長は重臣jの妻子や側室122人磔にし処。村重とその肉親36名は京都市引き回しの上、6条河原で斬した。信長は村重に対する信頼が厚かっただけに裏切りへの怒りも格別大きかったようだ。(有岡城本丸跡

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2014年5月 5日 (月)

子供の日、鯉幟の季節のコンボルブス

 今日は子供の日。端午の節句であり、鯉幟が立てられる。女の子の桃の節句に対して男の子の節句で、男の子の初節句にはお祝いをする。しかし、今は男女とも子供を祝う祝日。鯉幟もお父さん、お母さん、子供の3尾の鯉幟を泳がせているのが多い。
 ところで、総務省推計では、14歳以下の子供の数は4月1日時点で1633万人、33年連続で減少し、昨年1年で16万人の減少だと云う。人口4000万人以上の30ヶ国の中で、総人口に占める割合は12.8%と最低水準であり、先進7ヶ国では米国19.5%。仏18.5%と高く独13.2%を下回り、最下位。出生数が少なく、若年人口が減少することは、国の生産力の減少となり、経済的活力の向上が難しくなるという。国力の大きな指標でもあるのだ。子供は国の宝とはよく言ったものだ。出生率向上のため施策を更に講ずべき時である。
 今日は、立夏から夏にかけ咲き続けるコンボルブスを紹介。
Photo  コンボルブス。ヒルガオ科。温帯~亜熱帯にかけて200~250種が分布。ラテン語のコンボルボ(巻き付く)に由来する名前。1年草と多年草があるが、この写真のは毎年咲いている多年草だ。花壇やロックガーデンに多用されると云う。見たところ、雨、風、病気に強うそうだ。
Photo_2  。花期は5~9月と長く、夏の暑くて、花が少ない時でも咲き続けるので、重宝される。花径2cm位で小ぶりの朝顔と云う感じで、写真の様に、ギッシリと咲き、ブルーの涼感も気持ちよく、結構見応えがある花である。

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2014年5月 4日 (日)

緑の日 ナニワイバラが満開

 緑の日。今日をみどりの日としたのは慧眼だ!。毎日新聞・余禄によると、幕末、江戸は人口に於いて世界最大の巨大都市だった。その江戸の町は公園や庭園が多く(各藩邸や寺院は大きな庭園を造っていた)、スイス領事・リンダウ「江戸は遠くから見ると無限に広がる庭園だ」と記している。英国初代総領事・オールコック「欧州にはこれほどの容貌を見せる首都はない」と云ったそうだ。
 それが明治になると「日本のかって旅行者を魅了した不思議な美しさはなくなった」と、仏人紀行家コトーは書いている由。それが100年後の現代、平均気温が3℃以上上昇、アスファルトやコンクリートがヒートアイランド現象を起こしている。幕末、庶民が花や緑を育てるのが熱心だったと外人が驚いたという。大規模緑地がクールアイランドの役割を果たす。屋上緑化や壁面緑化を進め、空き地や遊休地の緑化を推進すべきであろう。それが「美しい日本」だ。
 明日は立夏。萌え立つ新緑に咲くナニワイバラも、盛りが過ぎようとしてしている。
Jpg  ナニワイバラ(難波茨)。原産地は中国南部、台湾。別名オオイバラ、キイバラなど。江戸時代難波商人により導入された故の名。大きな花を付けるので生垣などに多用されている。近畿から九州にかけて野生化しているという。蔓には棘がある。4月下旬から咲続け、もうそろそろ終わりである。
Photo  。花径7~10cmの香りのよい大きな花をつける。真中の黄色い雄しべが沢山あるが、古くなると黒くなる。花後の実は生薬で、金櫻子といって、下痢止め、縮尿の薬効がある由。花が咲く原種のバラで、最も枝枯れしにくいバラとも言われる。

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2014年5月 3日 (土)

風薫る新緑の候 タニウツギ咲く

 昨日、3日以降は大渋滞が予測されるので、今日の内にツツジでも見に行こうと、佐賀のツツジの名所まで車を走らせた。が、やはり福岡より早いのか、ツツジはもう散ってしまっていた。しかし、車窓から眺める野山の新緑の美しい事! 風も爽やかに感じられ大変気持ちのいい異次元の世界に入り込んだような気分を味わった新緑は季語として青葉、○若葉、新樹、万緑等々と表し、新しい生命の息吹の万象に歓びを表している。
 お陰で身も心を洗われ、生き返った気分になれた。しかし、最近の山々の若葉が美しいのは、松や杉・檜などの針葉樹材の植林もされず、結果的に広葉樹や雑木が繁茂しているからである。広葉樹の方が保水力が強く、山崩れなども起きにくい。が、手を入れない山は日が入らず、原始林化して、人が入れなくなる。やはり、治山治水は重要なのである。
 最近咲きだしたタニウツギが先日の雨で傷み、見苦しくなったが記録のため撮っておいた。
Photo  タニウツギ(谷空木)。田植頃咲くので、田植花として知られる。日本固有種で珍しく日本特産で、北海道西側、東北北陸地方、山陰地方に分布し、日本海型気候の山地に多いという裏日本特有の木である。2-5mの樹高だが、古くから庭園用として栽培されているという。
Photo_2  。花期は5-6月だが、九州では4月より開花。毎年新しい枝に散房花序をつけ、沢山の花を付ける、花冠は淡紅色で、漏斗状。長さ2.5~3.5cm、径2cm位の花。先端は放射相称に5裂する。写真の如く雄しべが5本花柱は1個で花筒から少し突き出る。

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2014年5月 2日 (金)

争乱の戦国史123(織豊Ⅱ05): 謙信没し 「御館の乱」

 1572年(元亀3)以来織田信長と上杉謙信は共通の敵である甲斐・武田氏を牽制するため、同盟関係を維持していた。が、1573年(元亀4)、武田信玄が死去したため同盟の意味は薄れ、逆に謙信は一向一揆を打ち破り越後に迫る勢いの信長を危険視していた。
 そしてこの時、謙信は信長に対する一向宗徒との提携を実現したため、両者の同盟関係は崩壊した。信長との同盟破棄をした謙信は1576年(天正4)、能登を支配下に置くため畠山氏の居城七尾城に兵を進めた。畠山氏はよく戦い、一度は上杉軍を撃退したが、翌年再び包囲され、織田方に救援要請を行い、信長は大軍を送り出した。しかし、勝家と秀吉の対立など織田軍の足並みが揃わず、能登国(石川)・七尾城は陥落し、織田軍は撤退を始めた。
謙信は能登から加賀国まで攻め、国境の手取川まで進軍していた両軍(上杉軍3万5千、織田軍5万)は決戦となった。増水した川に溺れる者あり織田軍は2千の死者を出して敗走した。
F123  こうして織田軍を破った謙信は春日山城に引き上げて、翌年の小田原城攻めの準備を着々と進めた。そして翌年関東出陣二日後に控えた1578年3月23日(天正6)、謙信は脳溢血で死亡した
 謙信には同族の長尾景虎と北条一族の景虎の二人の養子があったため、謙信死後両者間の相続争いが起こった「御館((オタテ)の乱」とよばれる内乱に発展した両者の争いで頭角を現したのが景勝側近の直江兼続であった。兼続は「景虎が継げば北条氏が越後に介入する」と諸将を説得。これに対し、景虎は春日山を脱出、御館城に入り景勝と対峙した。(上杉謙信画像(米沢市上杉博物館蔵)
 当初戦局が景虎有利に展開したため、兼続は北条氏と同盟関係の武田勝頼に金一万両と領土割譲を約束して協力を求めた。是を受け、勝頼は二万人の大軍を率いて越後へ来たが景虎を助けず、又北条氏からの援軍も遅れ、景勝軍の猛攻で、1579年3月27日(天正7)御館城は落城。景虎は自害した。乱後、兼続は越後の土豪を纏め、景勝政権の安定に力を尽くした。

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2014年5月 1日 (木)

ゴールデンウィーク シャクナゲ咲く

 玄海原発30㌔圏内各県が、九電玄海原発(佐賀・玄海町)での重大事故発生時、30㌔圏内の住民が圏外に車で避難する場合のシミュレーションを発表した。それによると最も標準的なシナリオでも、渋滞により避難完了迄24時間50分かかるとした。但し、計算には自然災害による道路の寸断や圏内での渋滞などが計算に入ってないという。これは、政府の災害対策指針「避難指示から24時間以内に避難完了する」規定に可能性の低い条件を除けば指針の条件を満たしている(佐賀・防災課)としている。
 これに対し、多くの専門家が「楽観的な前提での机上の空論だ」批判している。特に災害による主要道路の通行止や、高齢者・要介護者に対する視点など悪条件が加味されてない事など現実的でないと批判されている。行政側は厳しい条件下での対応を如何にするか、住民側に立って検討すべきであろう
 今日は近くの民家の門脇に植えられたシャクナゲが咲き始めていたので撮ってきた。
Photo  シャクナゲ(石楠花)。地球上、亜寒帯から熱帯山地まで広く分布。品種は野生種、園芸種合わせると数百種に及ぶという。この写真のは、ホソバシャクナゲと云う品種であろう。19世紀、中国原産のシャクナゲがヨーロッパに導入され、品種改良されて、セイヨウシャクナゲとして明治期に日本に輸入された。
Photo_2  。シャクナゲの花色は赤、白、黄、ピンクなど変化に富み、早咲きが3月頃から咲始め、6月末ぐらいまで咲く。ツツジ科ツツジ属であり、花はツツジの花によく似ているが、園芸種ではいろんなものがあるようだ。写真のはまだ蕾も多く、開き始めの花である。

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