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2014年5月24日 (土)

争乱の戦国史127(織豊Ⅱ09): 信長の経済策

 信長の頃には、豊富な金・銀産出量を背景にし、キリスト教と共に海外からの工業、技術、文化の移入に伴う国内商業および海外との交易も盛んとなった。
 この状況の中で、信長が従来とは期を画する経済策を採ったとする説もあれば、あくまで土地支配が主であったが、商業都市の発達や金銀の流通は軍事的成功を支える経済的基盤であったが、従属的・補完的な役割だったとする説もある。
F127cg  そこで、信長の経済的施政を概観してみよう。確かに信長は(秀吉も)天皇・公家や大名・能役者・相撲取りなどへ度々黄金・銀子を配り、又天皇・将軍御所の造営、寺社の復興や安土城築城に大金をつぎ込んだ。又、金で鉄砲や兵糧などの軍需物資も豊富に調達できて、軍事的成功を支えた。それは領内での金・銀の産出もあったが、後の生野銀山を支配下に置いたのも要因であった。(CGによる安土城天主復元(国立歴史民俗博物館))

 信長が取った経済政策として、流通の増進がある。まず濃尾掌握後、1568-9年(永禄11-12)、伊勢支配をめざし、伊勢湾の水運を掌握した。次に1571年(元亀2)には近江を掌握し、上洛ルート確保と共に、次いで叡山焼討で坂本を掌握し、湖上水運と共に、畿内と東国・日本海側の物流の喉元を押さえた。即ち若狭・小浜港とを結ぶ九里半街道を信長支配下に置き、更に越前侵攻により、日本海廻船業者の拠点・敦賀港へのルートを確保したのである。これにより、北は蝦夷から、西は山陰までの物流を可能にし、中国からの唐船も入港した
 も一つは堺・博多の商業都市化を進め、これを掌握することで瀬戸内の部流拠点とした。(この件は)。

 尚、流通政策として有名なのは関所の廃止である。1567年10月(永禄11)、分国中の関所を廃止。その後、越前・甲斐・信濃へと拡大した。当然商人・運輸業者には善政であった。更に奉行を命じて、道路整備や架橋、街道並木植樹を行い流通を促した。
 尚、楽市・楽座令を信長が岐阜と安土城下に出したが、楽市令は近江の六角氏に始まり、今川や後北条氏が始めており、信長がこれに倣ったに過ぎない。信長の目的は商人や技術者を集めるのが目的だったという

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