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2014年5月18日 (日)

争乱の戦国史126(織豊Ⅱ08): 信長、絶頂期を誇示

 1581年正月(天正9)の安土・信長には、かってない強い喜びの内に明けた。畿内中央の安定は元より北陸(加賀・越前)、中国(播磨・備前・美作)、山陰(丹波・丹後)に広がる戦果を祝うことが出来たからである。とりわけ長い間、信長を悩ませた一向一揆の総本山・石山本願寺が信長に明け渡され、解体されたことは、過去数年間掛り切になって来たことから、特別な正月となったのである。
 そしてそれは東側で境界を接する徳川家康との同盟関係が維持され、微動だにしなかったためである。重ねて、家康を介して北条氏政との友好関係も促進され、一層西に向かう環境が整った事もある
F126  正月8日、安土城下に築いた馬場で左義長(小正月行事)を行った。江州衆に爆竹を鳴らさせ、小姓衆や近衛、北畠ら一家衆らが思い思いのきらびやかな頭巾・装束をつけた馬に乗って馬場を巡り、町にも乗り出した。小姓衆に続き、信長は眉墨を入れ、南蛮笠、赤い着物、唐織袖なし羽織など異国の風俗で葦毛に乗っていた。この行事には見物人が群集し貴賤耳目を驚かすというほどアピールした。(織田信長像
 これに気をよくした信長は正月23日、明智光秀に京都での馬揃を行う準備を命じ、分国中に動員令を発し、趣向を凝らして参加する様命じた。全国にうわさが広まる事を計算してのことだ。

 2月28日御所の東側に馬場が設けられ、天皇・公家や宣教師を招いて多くの見物人の中、華美を極めた馬揃が行われた。行列は下京本能寺を出て北上したので道中の見物人を楽しませた。行列一番に丹羽長秀・摂州衆。若州衆など、二番には蜂屋兵庫頭・河内州・和泉衆など、と云う様に四番まで編成。その後に一家衆、近衛・正親町らの公家衆らと旧幕臣や馬回衆、小姓衆等が続いた。
 この後に愈々信長の登場で、多くの先導の後、金紗を着た信長が出発した。信長は唐冠、蜀江錦の小袖、白熊の腰蓑、猩々緋(深紅色の毛織物)と唐綿の沓という装束で人々を圧倒した。日本の天皇を超える、東アジヤの中心・中国の皇帝にも見紛う姿を演出し、全く新しい天下人としての信長像を人々に強く焼き付けた

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