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2014年4月

2014年4月30日 (水)

綿毛が面白い タンポポ

 昨日、GWの初日の有田陶器市の人出は21万人。前年(25万人)より少なかったが、天候不良と冷え込みが原因と報じられ、明日からの天候回復で、昨年7日間の来場者が過去最高の137万人だったが、それに近い人出を期待している。今年で111回目と云うから、相当昔からあったんだとびっくり。消費者のデザインを3Dプリンター成型し、窯元が商品に仕上げた新作もあるという。合成樹脂の食器類に負けず、将来も長く陶磁器が生産される様祈る
 昨日歩いていて、道路に面した造成宅地に一面のタンポポの綿毛を見つけて、近頃タンポポも余り見かけなくなったが、可愛い綿毛が沢山なのに若干驚きを感じて撮ってきた。”
Photo  群生タンポポ(蒲公英)。キク科蒲公英属。タンポポとはなんとも妙な名前だと調べたら、もとを意味する小児語がタンポポだった。それで江戸時代つづみ草と呼んでいたのがタンポポと呼ばれるようになったというのが通説。タンポポは古典園芸植物江戸末期に園芸化された由。これは外来種のセイヨウタンポポで初夏まで咲く。
Photo_2  綿毛。朝花が開き、夕方閉じる。舌状花という小さな花が集まって頭花を形成している(キク科の特徴)。花が終わると綿毛(冠毛)の付いた種子を作る。勿論、風で種子を飛散させるためである。写真の如くこの綿毛が沢山ある景も、花とは違った趣があり面白い。尚、この綿毛が綿を丸めて作る”タンポ”に似ているタンポ穂と言ったのが、タンポポとなったという説もある。 

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2014年4月29日 (火)

少し冷え込んでGWスタート 

 昨日から雨で、最高気温も一気に5、6度下がり20℃前後の予報、但し5月2日以降24、5℃まで戻りそうで賑やかな「ドンタク」となりそうだ。東南アジヤ、特に中国からの多くの観光客も「made in Japan」商品(特に家電)の買い込みに来ると予測されている。富裕層が多いが、「高くても日本製が良い」と云っている由。
 それにしても、オバマ大統領が、フィリピンで「新軍事協定」を結んだことで、中国が勝手に引いた領海域の九段線を巡っての鬩ぎ合いはより激しくなりそうだ。米国の傘再構築と言われる大統領の東南アジア訪問が、米国の目指す「中国を国際秩序の枠組みに取り込もう」との意図と合致するのか。国際法の順守を呼び掛けてはいるが・・・。
 今日の花は、近所の幼稚園内の遊び場で、道路に面したフェンス内に咲いている花。
Photo  シラー。別名スキラ。学名Scilla からの呼び名だが、読み方を変えてスキラという。この花はシラー・ベルビアナ(和名:大蔓穂(オオツルボ)という種。原産地欧州、アジヤ、アフリカの温帯に分布する球根植物。地下茎部分が有毒でギリシャ語skyllo(有毒な)から来ている由。茎と葉がヒヤシンスに似ている故ワイルド・ヒヤシンスとも云う。
Photo_2  。地際から花茎を伸ばして、穂状に沢山の6弁花を付ける。中央部は蕾順次開花して行く。花色は紫、青、白がある。球根植物だが、掘り起す必要はなく放置しても翌年も芽をだし、花を付ける。

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2014年4月28日 (月)

争乱の戦国史122(織豊Ⅱ04): 秀吉、中国平定開始

 話が遡るが、石山戦争で1577年4月(天正5)、信長軍が石山と雑賀に膠着している時、毛利軍は石山後援のため安芸を出発し備前の宇喜多直家と播磨・室津に着陣した。これに三木・明石・高砂の諸氏がすべて是に靡き、畿内は大いに動揺した。この時、播磨・御着城主小寺政職(マサモト)は家臣・黒田官兵衛孝高(ヨシタカ)の進言で信長側につき、5月同国英賀(アガ)で毛利軍を破り、食い止めたのである。しかし、閏7月越後の上杉謙信は本国を出て越中魚津に出陣し、能登に向かった。信長は総大将を柴田勝家とする謙信討伐軍を編成。滝川一益、前田利家、佐々成政に、羽柴秀吉と丹羽長秀を補強しての織田軍主力の編成軍だった。

 しかし、秀吉は不満であった。いくら頑張っても自分の手柄にならないと踏んだ。柴田勝家と意見が合わず諍いがあったとも云うが、命令を無視して無断で戦線を離脱する。しかもこの時(8月17日)、松永久秀・久道父子が突然信長に背き、摂津天王寺の砦を去って大和信貴山城に拠った。しかし、この謀叛は、時期も未熟だったし、準備不足であった。10月10日織田信忠・明智光秀・細川藤孝に攻められて、信貴山城に自殺した
 この間に、9月14日謙信は信長党の守る七尾城を攻めてこれを落とした。柴田勝家が一向一揆に行く手を阻まれたためである。ついで、23日加賀湊川に出陣したが、信長軍の動きは秀吉離脱のせいか、芳しくなかったが、謙信軍も明春雪解けを待って出陣、退去を定めて引き上げた。そして翌年3月15日を期して全軍に出陣の令がくだった、がその3月9日、突然謙信は脳溢血で倒れ13日49歳で帰らぬ人となった。
F122  一方、1577年10月23日(天正5)越後で来春の出陣が計画されている頃、秀吉中国平定の任務を帯びて京都を出発した。秀吉はその10月28日から「播磨国中、夜を日に継いで駆けまわり悉く人質執り固む」(信長公記)と記すように、奮闘した。播磨では小寺政職が導き、黒田官兵衛の迎えによって姫路城に入った。(図は黒田如水画像(福岡博物館蔵))
 秀吉はさらに但馬国にも手を伸ばし、岩淵城を攻略し更に竹田城も落とし、義弟・秀長を城代として入れた。11月には播磨福原城を攻略、そして上月城を囲み12月3日には下ってきた。こうして毛利勢の一拠点を奪い、尼子勝久を移したこうして秀吉の中国攻めが開始されたのである

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2014年4月27日 (日)

チョッと遠慮気味な 草花たち

 愈々G.W.。当地では藤や石楠花、ツツジの花見の人出も多いが、有田を中心に各地の陶磁器生産地では「陶器市」の人出も多い。勿論5月に入ると「博多ドンタク」で大賑わいとなる。
 そんな時期、路傍で遠慮がちに花を付けている草花を紹介。
Photo  キランソウ(金瘡小草)。別名ジゴクノカマノフタ名の由来は、相生葉が地面に張りつくように付き、墓地などの湿り気の地に生える故の名、又は生薬でもあり、鎮咳・解熱・健胃などの効があり、病気を治し、地獄の釜の蓋をする故とも。縦1cm弱、幅5㎜程度の小さな花だが、群生するので見過ごすことはない。
Photo_2  スミレ(菫)。近縁種や類似種が多いが、これは種としてのスミレである。道端(舗装路の隙間でも)によく見られる。根際から沢山だし、深い紫(菫色)の花は独特の形をしており、5枚の花弁の内1枚だけが大きく、後は左右対称に付く。山菜としても利用され、おひたしや和え物、酢の物、吸い物の椀ネタになる。
Photo_3  ワスレナグサ(勿忘草)。ワスレナグサは種の総称だが、園芸品では一般ノハラワスレナグサ(この写真)やエゾムラサキ、又はその交配種をいう。日本には元々エゾムラサキが自生していたが、明治時代ノハラワスレナグサが輸入された由。花色は白、ピンクもある。種子は民間薬で鎮咳、去痰薬とされる。

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2014年4月26日 (土)

長期間咲く カロライナジャスミン

 TPPは合意に至らず日米首脳会談は終わった。そもそも「聖域なき関税撤廃が前提ではない」として、安倍首相が正式にTPP参加表明したのが、2013年3月15日。これまでの間相当回数農産物に係る関税につき交渉が持たれたが、合意しなかった訳である。将来に交渉をつなぐ事にはなったが、国内でも正直ほっとしている向きも多いのではとおもう。
 TPPのあり方が、ISD条項、ラチェット規定の厳守、TPP離脱の訴訟リスクなど、容易に脱退できないことや医療関係の自由化など日本には適合できない分野の問題もある。 又ASEAN10ヶ国の内参加表明しているのは4か国(マレーシヤ、シンガポール、ベトナム、ブルネイ)のみで、マレーシヤのマハティール元首相は「TPPは小国を植民地化する企て」とまで云って反発しており、残るは大半が新興国。このような状況下で、日本もまだ十分な国内論議を重ね国民の大多数の賛意の下でこそ、取り組める課題でないのだろうか
 風薫る五月だが、今年は雨天が多く今少しすっきりしない初夏にになりつつある。が、花は例年より沢山咲いている感じがする。今日は咲続けるカロライナジャスミン。
Photo  カロライナジャスミン。アメリカ南部カロライナに自生する故の名。別名イエロージャスミン、トランペットフラワーなど。花期 3-7月。全草に有毒成分を含むが、剪定程度では問題ない。(よく似たゲルセミラム・エレガンスは矢毒に使うほど猛毒)。つる性で、壁面やフェンスの緑化に利用されている。
Photo_2  そのトランペット状の黄色い花が沢山付く。一重と八重があるというが八重は見たことがない。芳香花ではあるが、余り匂わない。蕾は2月位ごろから付くが、花が開くのは3月中頃からで、7月頃まで次からつぎと咲くので、長期に花は楽しめる。

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2014年4月25日 (金)

我が庭の花たち

 今正に花時で、我が庭にも、草花や久留米・霧島ツツジやサツキなどが雑然と咲いている。今日は、その中で比較的大きな花をつけいるのを紹介しよう。
Photo  ジャーマンアイリス。これはイチハツと言って頂いた株を植えたら、咲いた花はジャーマンアイリスだった。一初と比べると、大きな花弁2枚の間に小さいのが1枚、下に大きな花弁1枚垂れて真中に黄色い色がついているのが特徴。毎年増えるので御裾分けするが、貰っても迷惑か。
Photo_2  クレマチス鉄線)。植えた頃はこの半分位の花だったが、横の槇の木に油粕をやるものだから、それが効いてか、近頃は大きな花を付ける。しかも幹は1本だが枝分かれして沢山の蕾がつるの伸長に伴い順次つくので、6月頃まで花を楽しませてくれる
Photo_3  つつじ。久留米ツツジの後咲始め、5月連休辺りが満開となる。ツツジ類は花後すぐに剪定しないと、梅雨頃から来年の花芽が出来るので、遅く剪定すると花芽を切るので花が少なくなる。判って居ながら、毎年松の新芽積みに合わせ、遅くにしか剪定しないので、花付きが少ない。

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2014年4月24日 (木)

争乱の戦国史121(織豊Ⅱ03): 石山戦争の終息

 信長と石山本願寺の争い(石山戦争)は、1570年(元亀元)本願寺11世・顕如が各地門徒に檄文を発し、信長に敵対した事から始まった。以降、一向一揆は信長の天下統一に大きな障害だった。1574年(天正2)の伊勢長島一揆、翌年の越前一向一揆が信長に制圧され、その勢力は衰え始めたが、石山本願寺に拠る顕如は頑強に抵抗していた。(図は顕如が発した「顕如の檄文」(明照寺旧蔵))
F121
 1576年(天正4)、信長に追放され備後国に逃れ、毛利に庇護されていた足利義昭の仲介で、顕如が中国地方の覇者・毛利輝元と手を結んだ。一方、信長同年4月、再び石山本願寺攻撃を開始したが、本願寺側は毛利水軍による海上からの補給を受けて織田軍を圧倒した。更に7月15日、毛利水軍が800艘の船で摂津木津川河口(大阪湾)から石山本願寺に補給を行うという情報が信長に入った。信長は児の海上補給路を断つべく水軍による決戦を挑んだ。
 毛利川は、瀬戸内海で海賊行為を生業とした村上水軍を中心に、焙烙(ホウロク)火矢という強力な武器で織田水軍を圧倒した。信長軍は補給路断絶に失敗し、籠城する本願寺勢との戦いは膠着状態に陥った。

 翌1577年(天正5)、信長は紀伊国の土着勢力で本願寺への物資補給に協力していた雑賀衆を羽柴秀吉、佐久間信盛、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀らに命じて攻略。また、九鬼嘉隆と滝川一益に命じて船体に鉄板を張った巨大軍船(鉄甲船)を7艘建造させ、石山本願寺攻略の準備を整えた。船体は横幅12.6m、縦約22mで、船首から船尾まで総矢倉に造られ「海に浮かぶ城」と評されたという。
 1578年11月(天正6)、織田水軍は本願寺への救援物資を満載した毛利水軍600艘の船団と、再び木津川河口で対決する。7艘の鉄甲船で敵の炮烙火矢を無力化した織田水軍は、毛利水軍を退け大阪湾の制海権を奪取。補給路を断たれた顕如1580年4月(天正8)、正親町天皇の斡旋で信長と和解し、本願寺から退去、10年に亘った「石山戦争」は漸く幕を閉じたのである。
 顕如の子・教如は再決起を門徒に呼びかけたが、その抵抗も長く続かず、信長は周辺の砦を次々と落とし7月17日付で教如に起請文を送り、退去を求めた。8月2日退去と共に伽藍に火を懸け蓮如以来85年の歴史を刻んだ本願寺と寺内町は灰燼に帰した

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2014年4月23日 (水)

藤が見頃になった

 以前は5月連休頃がツツジと藤の見頃だったが、最近は桜開花が早まるにつれ、他の花も早く咲いている。今はツツジは8分咲と言ったところだが、フジはほぼ満開となった。
 山肌にも薄紫の塊が遠望されるが、あれは山藤であろう。山藤は樹木に絡み着き、林の上部を覆い、光合成を妨げたり、幹を変形させて、材木の商品価値を落とすので、蔓は刈り取る。しかし、近年は山の手入れも余りされず、山藤がはびこった結果、山肌が薄紫に色づく事が多くなったと言われる。藤づるを使った細工物(籠など)を作れる人も減ったのも一因とか。山林の手入れ不足山の保水力を落とし、治山治水上問題となっている。
 さてその藤、鑑賞用の庭木や公園の藤棚に用いられるのは、一般にはノダフジである。藤の名所・大阪の野田に因んで、牧野博士により命名されたものである。
Photo  ノダフジ(野田藤)。これは一般民家の目隠し用の藤だが手入れがいいのか立派に咲いている。つる右巻きだが、山藤左巻きだそうだ。藤は古代から綱の代りに人が利用して来た事が遺跡から判るという。藤の名所は各地に多いが、福岡では八女市の「黒木の大藤」(樹齢600年)国の紀念物に指定されている。
Photo_2  藤の。房全体を眺める事は多いが、その一輪一輪を見る人はそう多くないと思い接写した。藤は紫の花が幹の方から順次先端の方へと咲き進む。一輪の花は写真の如く蝶のような形をした、ごく小さい花だが、それがとなって80cm以上にもなるという。花は三杯酢天ぷらにして食べられるそうだ。

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2014年4月22日 (火)

チョット珍しい 舞孔雀(紅葉)の花

 日本人間ドック学会は、血圧、血糖値など健康状態の指標とする数値の正常範囲の見直しをし、新基準値を発表した。人間ドック受信者150万人の内、健常者15000人のデータを基準としたものである。従来基準は欧米に比べ厳しすぎたとの声もあるが、平均寿命の高齢化と、高齢者の人口比が高くなったことで、健康保険制度が財政的に行き詰りつつある中、その解決策として、この基準値を緩和し、結果的に「患者数」を減らし、医療費を引き下げようとしているとの見方もある。
 例えば、最高血圧の上限値を129→147最低血圧84→94中性脂肪149→198(男)、134(女)コレステロール値119㎎/dl→178(男)、190(女)などという風に、殆ど高い値に緩和される。即ち、何もしなくても「健康な人」が増加する訳である。尤も異論もあるが、謂わばグローバルスタンダードに修正という「錦の御旗」である。此れ喜んでいいのか?
 いろんな花が沢山咲いてる中で、珍しい花としたのは、紅葉の花はイロハモミジなどよく知られ珍しくはないが、この舞孔雀という園芸品種大きな樹と大きな花が珍しかったので紹介する。
Photo  マイクジャク(舞孔雀)。カエデ科ハウチワカエデの深裂品種。これはオオモミジの園芸品種でマイクジャクの内の「〆の内(七五三)」と名付けられたものにソックリ。写真では判りにくいが、葉の中心近くまで深く裂け孔雀が羽を広げたような大きな葉形が特徴と言われる。
Photo_2  その。花も大きく、この花の房の径10cm位あった。写真はよく見られるトンボ型のと花径は1cm足らずの5弁花の雄花が沢山付いている。紅葉の時期には品種や時期によって真紅、黄、橙、その中間と色々ある由。

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2014年4月21日 (月)

小っさな花 も一つ コメツブツメクサ

 今朝の新聞、「韓国客船、管制に対応せず」「、「消費増税負担感6割」、「ウクライナ銃撃戦」、等々全く面白くない記事が並んでいる。でも、心から笑えるような楽しいニュースもない世の中と悲観しても仕方ない。それで、川柳欄を読んだら思わず笑ってしまった。
 先日来、一斉に春の花が華やかに咲いている中、ちっさな草花を紹介しているが、小さなものついでに、今日も小さいコメツブツメクサを紹介。
Photo  コメツブツメクサ(米粒詰草)。マメ科シャジクソウ属。これによく似た花コメツブメクサがある。ネットで紹介されているのも、この2種は混同されてるようなので、判らない。公園や川の土手などに生えているが、公園などのグランドカバーにも使われるとか。日本では1930年代に確認された帰化植物で、比較的新しい植物だ。
Photo_2  その直径5-7mm程の花序長さ3-4㎜の小型で黄色の蝶型花5~20個球状につける。短い花柄があり、花の後下向く。果実は豆果で、枯れた花弁に包まれて成熟し、長さ2㎜位楕円形種子が1個入るという。暇があれば1度観察してみてください。
  

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2014年4月20日 (日)

争乱の戦国史120(織豊Ⅱ02: 経済政策・楽市楽座

 信長の経済施策には土地面積、収量報告書による検地の実施、関所の廃止、京・堺などの商業都市の直轄化などあげられるが、有名なのは美濃加納と安土での「楽市楽座令」の発令である。尤も、楽市楽座は信長独自の政策ではなく、この時期、戦国大名が自分の城下町繁栄のため発令した例は少なくない。
 通説では、この法令は戦国大名や織豊政権が領国の統一と城下町の繁栄を図るために他地域からの商工業者が入込み、営業するのを保証したものである。これまでの独占的な販売権を承認された座商人の特権を否定し新しい自由な経済体制国内で確立するため出された政策が、楽市楽座令である。

 しかし、戦国大名や織豊政権がこの法令を発しながらも、一方座商人の特権を保護したり、城下町だけでなく地方市場や寺内町にも多く発布されている事に注目し、最近はこの楽市楽座を二系列に分けて考えられている。
 即ち、既に楽市場として存在してきた楽市の機能を保証するために出された「保証型」の楽市楽座と、このような形態を前提にして、信長の政策のような新城下町の楽市化による繁栄を目指した「政策型」の楽市楽座令の二つである。
F120  この見方で既に存在した楽市場を見ると、権力や主従関係などの世俗的関係から解き放たれる「無縁の場」であり、独占権でつながれた特定集団を排除した場であり、これを保証し政策的に作り出してゆく事が国の経済発展につながったのである。この「保証型」の楽市令は信長の美濃加納・近江金森の楽市令、後北条氏の相模・萩野市の楽市令等がある。これらの多くは寺社の門前市として存在し、役人権力を排除した「不入地」が多かった。(世田谷新宿の楽市令代表的な掟書
 勿論「政策型」の代表・安土の楽市は全く新しくできた楽市場で、美濃加納での楽市令と同じ文言「掟書」の制札が建てられたという。
 美濃加納楽市令は3ヶ条からなり、商人の往還の安全、屋敷年貢の他各種課税免除、市座の独占・座商人の特権否定、治安維持など極めてコンパクトに示した優れた制札だった。特に安土の場合は新城下町の振興策でもあった訳でである。 

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2014年4月19日 (土)

小さくて目立たぬが綺麗な花 アメリカフウロ

 今週は面白くない話が多かった。最悪なのは「韓国客船の沈没」、次いで残念なのは「日米TTP協議物分れ」、やはり不安な「ウクライナ合意」、余り意味なさそうな「日米首脳会談予定」、責任所在不明の「STAP細胞問題」、物議を醸すか「北西太平洋の捕鯨継続」等々。此れだけグローバル化が進む中では国際的な利害関係が益々先鋭化し、増えてくる問題だ。これを緩和し、調和させ、平穏化させて来た国連中心での取組や米国の指導的立場での影響力などが衰えてきた来たことも大きな要因だが、各国の経済的、技術・文化的レベル上昇と共に、生活レベルが向上・平準化したせいもあろう
 こうした世界の成熟化の中で、各国協調を進めるには、今までのシステムが不適合となった以上、新しい協調維持・増進のシステムを構築するべきステップに入っていると思う。そのため、ベースである言語や通貨以外に価値判断の基準となる思想や宗教、風習等国や人種による壁を如何に融和させるかがキーポイントではないだろか。
 難しい世界でも、季節は巡り春爛漫。今日はその中で見過ごしそうな可憐な花
Photo  アメリカフウロ(亜米利加風露)。北米原産の帰化植物。同じ仲間の薬草・ゲンノショウコによく似た葉で、見分け難いが、フウロが4月に咲くに対しゲンンショウコ7月以降にフウロより大きくて赤色系の花を付ける。薬効はどちらも同じとか。戦後、牧草に混じって種子が入ってきたが、繁殖力旺盛で路地や荒地に地面に這って咲いている。
Photo_2  その。茎の先端に散房状につく。5-7mm程度の径の花弁。白色~淡紅・淡紫色の小っさな花がなんともかわいい。は緑で毛が多く、写真の様に先端はこん棒状の突起になっている。雄しべは10本で雌しべの周りに集まっている。3月中旬~5月が花期

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2014年4月18日 (金)

霞の木が煙むり始めた

 原発再稼働の安全審査の第1号となる川内原発について、九電は約3万年前の姶良カルデラ巨大噴火による火砕流が川内原発に到達した可能性を初めて認めた。巨大噴火は600度以上の高温火砕流が時速100㌔以上で周辺100㌔四方を焼き尽くす。原発は当然制御不能となる。
 ところが、九電は姶良近辺のカルデラを「鹿児島地溝」とひとくくりにして、巨大噴火活動間隔を9~6万年と説明、姶良が3万年前に巨大噴火故、原発稼働中に次が起こる可能性は非常に低いとして、規制委も大筋了承している。
 しかし、火山学者の間では有史以降の観測例がない巨大噴火の予知は困難とするのが大勢である。桜島、霧島の活火山は毎日噴煙を上げており、これが前兆かもとも。要するに規制委に地震学者は入っている火山学者が入っておらず危険視されている。が、審査は公開しており問題ないはずと規制委は答えている。でも、心配だ
 で、火山と関係はないが、今頃ケムリノキが花柄を伸ばし始めモクモクとし始めている
Photo  カスミノキ(霞の木)。スモークツリー、ケムリノキ、白熊の木などとも呼ばれる。遠くから見ると霞んでモヤモヤとしたまるで、煙が立っている感じである。この写真は最近できたアパートの植栽として植えられた若い木だが、その”花”が間近に見られたので撮って来たもの。珍しいので紹介する。
Photo_2  その”。花のようだが違う。繊維状のモヤモヤの先端には写真の通り、薄緑色の粒々があるが、これは花ではなくて不稔花といい、咲かない花の柄が糸状に伸びているもの。その先端の粒である。これが出来る頃より(今頃)花柄が伸びてきてモクモクとなる。実際には5弁の3㎜程のものが少しだけ咲くという。何故、この実がなる頃花柄が伸びるのかはよく判ってないが、風に吹かれて遠くへ飛ばすためとの説がある、色は白の他、薄緑、ピンク、薄紫などがある。

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2014年4月17日 (木)

争乱の戦国史119(織豊Ⅱ01): 安土城建設

 今回から織豊時代のⅡ期に入る。石山本願寺と和議を結び、北国を征討し、且つ武田勝頼を長篠で打ち破った信長は、愈々天下布武の旗印の下、天下統一に動き始める。北国には配下の武将に分国統治をまかせ、自らを大名の上に立つ統一政権と位置付けた。そのため朝廷より大納言兼右大将(鎌倉・室町時代の将軍並)の拝賀も受けた。即ち天下人として、天下統一を推し進めようとした
 そのためまず取り組んのが安土城の築城である。その建設地としたのは琵琶湖に突き出した安土山上である。此処は本願寺に遠すぎず、近すぎず、且つ加賀・越前の一向衆拠点と本願寺を分離すること、及び上杉上洛を此処で阻止する軍事目的以外、主目的は物流の大動脈を掌握するためであったろう。琵琶湖の水運を使った物流ルートは重要で、日本海側からの敦賀・小浜から湖北ー水上ー坂本・大津ー京・畿内の巨大ルートがある。又陸上でも東海道・東山道が東国と京・畿内結び、北国街道が北陸へ通じ、又保内商人の伊勢と近江を結ぶ交通路も多い。という要衝の地であった。(当時の安土山頂の安土城天主想像図
F119_2  城は1576年正月(天正4)、普請が丹羽長秀に命じられて建設に着工した。標高200mの安土山山頂に天主を置き、その周りに本丸御殿・二の丸御殿などが配された大規模な城郭である。まず信長の居館となる本丸造営が始まり、2月下旬には信長がこれに移り住み4月から天主に石垣工事が始まり、天主の建立に取り掛かった。尾・濃・勢・三・越・若それに畿内の諸侍、京都・奈良・堺の大工・諸職人を呼せ寄、瓦焼きは唐風に焼かせた。
 1576年11月(天正4)、天主の輪郭が完成した。竣工1579年(天正7)である。この天主は13mの石垣の上に約32mもの建物が建てられた。内部は地上6階地下1階(石蔵)で、1階24室、政庁。2階は信長の御座を含む12室。14室の3階は信長、奥方の居室、茶室など、4階は部屋無く、5、6階は金箔などで装飾された仏教的主題の部屋と儒教的な部屋だった。3年後明智光秀反乱時の戦闘時に焼失した。この天主の下に天下が存在することを示したと言われている。
 信長は右大将任官に伴い、この城とは別京に二条城を築造し、公務を行い、安土城は居城としたが、信長の政権構想の核となる城であった。 

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2014年4月16日 (水)

久留米ツツジが満開

 集団的自衛権の行使は、憲法に抵触する故、憲法の改正が必要と云うのが、これまでの政権が踏襲してきた見解である。が、現政権は憲法改正が容易でないと見てか、現憲法下での集団的自衛権の行使容認を探り始めている
 首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が、憲法解釈上認められている「自衛のための必要最小限の実力行使」に集団的自衛権が含まれるとの見解を打ち出そうとしている。5月に首相に提出する報告書で、「わが国を防衛する必要最小限の限度に留める範囲での」という限定容認論に落ち着きそうだという。是非「虎の尾を踏まぬよう」願いたいものだ。
 暖かくなり、もう初夏の薫りが漂う新緑の中、木々の花が一斉に咲いているが、今日はその中で一際鮮やかな真紅の久留米ツツジを紹介。
Photo  クルメツツジ(久留米躑躅)。今満開を迎えている小輪多花のツツジ。江戸時代19世紀半ば、久留米藩士が育成し、京、江戸に広まったもの。霧島ツツジと佐田ツツジの交配種。品種改良が進み、色んな色の花が多種開発されており、鉢植にも多用される。久留米つつじ祭りは4月5日~5月5日
Photo_2  その。この色は霧島ツツジ系の色。花径は2.5cm前後の花がぎっしりと咲き、葉が見えない。久留米ツツジは根で呼吸する浅植が良い由。又、来年の花芽が夏に付くので、剪定は花後直ぐに行い、梅雨以降はしない。

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2014年4月15日 (火)

香りが良い木香薔薇

 半つる性の樹全体や、花の感じが昨日の八重山吹に似た感じのモッコウバラが満開に近い状態で咲いているので、今日はそれを紹介。
Photo  モッコウバラ(木香薔薇)。これは八重咲。香りが良いので付いた名前。中国原産のバラ。常禄つる性低木で、棘がなく病・害虫に強いので庭木に好まれる。生長が早いが、8月以降は花芽が付くので剪定は早く済ます。秋篠宮家の真子内親王のお花である。
Photo_2  その一重咲と八重咲があり、香りが良いのは白花黄色は一重咲で、写真の様な八重の黄色は香りがないが、一般的に植えられているのは黄色の八重が多い。花径は2~3cm位だがかたまって咲くと豪華な感じである。

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2014年4月14日 (月)

満開近い八重山吹

 山吹といえばすぐ思い浮かぶのが、太田道灌の話。雨に遇って蓑を借りようとしたが、その家の女性が出したのが蓑ではなく山吹。それは、兼明親王の歌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」、即ち(実の)「蓑一つもない」との意思表示だった。と云う話。
 さて、山吹には花が咲いても実はならぬのかと、不思議に思い調べてみた。すると一重の山吹は間違いなく実を付ける。但し、八重には実が付かないとの事。それは八重咲の花の花弁と見えるのは、雄しべが変化したもので、雌しべは退化してしまっている事による、とあった。八重と一重の山吹は花の構造が違うというのであれば、一重とは区別する意味で、掲題は八重山吹とした次第。
Photo  ヤエヤマブキ(八重山吹)。学名Kerria japonica と言われるように、原産は日本と中国。北海道から九州まで分布。花のツワブキに似る処からヤマブキとなった由。或いはしなやかな枝が風に揺れる様から山振(古語でヤマブキ)と言われた説もある。よく歌に歌われ万葉集に17首登場する由。
Photo_2  その一重多数の雄しべと5~8個の離生心皮(雌しべを構成するもの)がある。この心皮が熟して分果になる。八重は前述の通り、花弁に見えるのは雄蕊の変化したもので、雌しべは退化して消失。因みに花色が小判の色と同じなので、小判を隠語「ヤマブキ」と言った。

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2014年4月13日 (日)

戦国史118(織豊Ⅰ18): 長篠の戦い 

 信玄没後、武田家と徳川家・織田家は東海地方を巡って激しく争っていた。信玄を継いだ武田勝頼は、遠江や美濃へと積極的に遠征し、武田家の最大版図(領地)を築いた1574年(天正2)には、信玄も落とせなかった遠江の要衝・高天神城攻略するなど確実に成果を挙げつつあった。
 1575年(天正3)、勝頼は徳川方に取られた長篠城奪還のため甲府を出陣した。同年4月下旬には勝頼は15000の大軍で、徳川方の武将・奥平信昌が守備する長篠城を囲んだ。この地は信濃から三河に通じる要地のため、徳川家と武田家の係争が続いていた。勝頼の侵攻の報を受けた家康は同盟する信長に救援を仰いだ
 同5月13日、この報を受けて信長は救出のため3万余りの軍勢を率いて出陣、家康8千の兵を率いて出陣し翌日岡崎で合流した。

 信長は先ず長篠城の出城である鳶ヶ巣山砦に家康家臣・酒井忠次を派遣。奇襲を敢行して鳶ヶ巣山砦を落とし、長篠城に援軍を入れることに成功した。その上で長篠城の西・説楽原(シダガラハラ)に陣する勝頼に対し、織田・徳川連合軍は説楽原を流れる連呼川に沿って陣をしいた。此処で、信長は堀を設けたり、土手を利用し、又馬防柵を設けて、大量の鉄砲を調達・配備して武田との決戦に臨んだ。
F118_2   背後(長篠城)と説楽原の防備柵による鉄砲隊に挟まれ、武田軍は騎馬隊を中心に織田軍へ殺到したが、馬防柵に行く手を阻まれ、鉄砲隊の集中砲火を浴び、信玄以来の誉れ高い武田の騎馬隊はその真価を発揮できず、次々と討ち果たされたは長篠合戦の徳川鉄砲隊の図
 前以て、長篠城を経由して退却する道を塞がれ説楽原の出るより他ない武田軍は、古い鉄砲知識しかなく、狙い撃ちに遇ってもやむなく繰り返し突撃して退路を開くほかなく、武田軍は1万余の死傷者、逃亡者が出て壊滅状態となった。
 勝頼はわずかの従者に守られ甲府に逃げ帰った。有力武将たちも失い、結果的に武田家はこれ以降衰退していった。対して信長は得意満面で岐阜城に凱旋帰国した。信長の当面の敵の殆どを倒し、いよいよ信長の天下統一事業が始められのである

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2014年4月12日 (土)

春の雑草の花4 カラスの豌豆

 世の中にはどうしょうもない問題と云うものが出てくる。現状では「諫早干拓事業の開門」福岡高裁で有明漁民の生活権を奪うものとして、長崎県側の仕切りを開く命令を国に出したが、農民の反対で実施出来てない)、「沖縄・竹富町の教科書問題」(文科省推薦以外の教科書地域教委会が指定使用)、「STAP細胞存否の問題」STAP細胞の存在の有無より、小保方氏の論文作成方法の是非を問題にし、理研の閉鎖性が暴露されている)などである。何れも問題の本質とその問題解決の手法が噛みあわない故のトラブルで、現状のままでは永遠に解決しそうにない「司法」の解決力が問われている
 さて、雑草の花とはいえ、今回のカラスの豌豆はブログに載せるほどのものではないと、捨てかけたが、この植物、古代では食用としてそれなりに人間と結びついていた植物と知り、敢えて此処に掲載、紹介する。
Photo  カラスノエンドウ(烏野豌豆)。標準名はヤハズエンドウ(矢筈豌豆)。掲題名は通称で、中国名の野豌豆に烏を付けたもの。本州以南沖縄まで、路傍や堤防に自生。茎は四角柱状で、巻きヒゲでどこにでも絡みつく。若芽や若い豆果、豆は食べられ、古代食用に栽培された痕跡がある由、若芽と若鞘豆天ぷらがお勧めとか。
Photo_2  その豌豆に似た小型の紅紫色の花。托葉の付根に蜜腺がある。豆果は熟すると黒くなり、晴天の日に裂け、種子を弾き飛ばす。結果生育範囲が広がり、繁茂するので、現状は嫌われる植物となっている。

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2014年4月11日 (金)

春の雑草の花3 オランダミミナグサ

 雑草も今花盛りだが、その中でも今一番沢山咲いている内の三指に入るだろうと思われるのがこれ。美しくもなく多分人に嫌われる草だろうが、よく見るとなかなかの花なので、名も判らぬまま撮って帰り、手持ちの「野の花小図鑑」で見るとすぐ出てきた。随分と長い名前だが、この日本在来種・ミミナグサ(耳菜草)は平安の頃からあるらしく、枕草子に出ているという。昔はそれなりに愛でられた花なんだ。尤も今ではこの在来種は絶滅近く、あまり見かけられず、写真のオランダミミナグサが殆どで、在来種意より花は一回り大きいそうだ。
Photo  オランダミミナグサ(和蘭耳菜草)。欧州原産の帰化植物で、明治末期に渡来。世界中に分布。葉がネズミの耳に似ていて、食べられる故の名。茎は直立し、さじ型の葉を対生する。全体に軟毛と腺毛が密生している。
Photo_2  その。分枝した先端に集散花序の花を付ける。花柄が短いので、群れて咲いてる印象を受ける。花径1cm弱の白色の花。花弁の先は2浅裂している。雄しべは10個。蕚片は5個。写真の花の後ろは蕾が沢山付いている。

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2014年4月10日 (木)

春の雑草の花2 ツタバウンラン

 一昨日から好天となり、昼間は屋外の方が暖かく、外出が楽しくなってきた。昨日は近くの小高い山にあるコースでグランドゴルフをしてきた。周りの桜が散る中で、鶯の鳴き声を聞きながらのんびりと廻り、気分もすっきりした次第。今日も草花で、ツタバウンラン。
Photo  ツタバウンラン(蔦葉海蘭)。別名ツタカラクサ(蔦唐草)、ウンランカズラ(海蘭葛)とも云う。地中海沿岸原産で、日本には大正初期に入ってきた帰化植物。花径1cm、葉2cm以下の小さなものだがつる性なので、石垣など這って咲いている。これは花壇に植っていたが、壁面緑化グランドカバーにも使われる。
Photo_2  その。春から夏にかけ(4-9月)て咲く。唇形の花で、中央は黄色。上唇は2裂し先端が丸い。下唇は浅く3裂する。花冠の後部はになって突き出している(この写真では見えない)。小さいがスッキリした感じのいい花で少し花壇の端に植えるのには奨めの花

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2014年4月 9日 (水)

争乱の戦国史117(織豊Ⅰ17): 信長、越前平定

 朝倉義景亡き後、1574年正月(天正2)、信長から「守護代」に任じられた一乗谷城主・桂田長敏と、同じく寝返りで府中城将となった富田長俊対立したが、一揆と結んだ富田が桂田を討った。これを機に、一向宗の坊主や門徒が次々と蜂起し、信長が北の庄に置いた織田三人衆を追放、信長方に寝返った富田や朝倉景鏡、溝江ら各城主を討った。越前は百姓たちが一揆を結成したのである。
 しかし、この一揆を指揮すべく乗り込んだ七里頼周(ライシュウ)らによって、越前国本願寺の分国に編成された。本願寺の顕如は下間頼照を守護代に、同頼敏を足羽郡司、杉浦玄任を大野郡司にして支配体制を整え、一揆に立ち上がった村や町の人々に年貢や夫役の課役をかけた。本願寺の法流に従わぬものを法敵としたため、その年閏11月と12月下間ら門徒衆の間で一戦が起きたのである。
F117  信長はすかさずこの機を捉え介入。越前奪回のため1575年8月岐阜を発した。先陣は越前牢人衆がつとめ、佐久間信盛・柴田勝家・滝川一益・羽柴秀吉ら3万余の大軍が進撃。海上からも若狭衆と丹後衆数百艘の船で押し寄せた。一揆側は侵入路や府中竜門寺に城砦を構えたが、15日それらは早くも先陣の攻撃で落とされ、一揆方の戦力は劣り一部逃走して秀吉や光秀に討たれた顕如画像(願泉寺蔵)
 信長方に寝返ろうと、一揆方大将下間らの首を切って持参した朝倉孫三郎も、許さず切られた。籠城者や山に逃げ込んだ者も容赦なく首を切られ、8月15日から19日までの死者は3、4万に及んだという。更に信長軍は加賀に侵入し、能美郡・江沼郡を支配下に入れた。

 信長は越前国のうち八郡柴田勝家に与え、北庄城に置き、大野郡の三分の二を金森長近、三分の一を原彦三郎に与えて大野郡に置いた。今立郡・南条郡は前田利家・佐々成政・不破光治に与え、府中とその近辺に置いて勝家に対する目付(監視役)とした。そして、支配方針を盛った越前国掟九ヶ条を定めた。
 一国の支配のため国掟を制定したのは、信長が初めて分国支配者(大名)から脱して、自らがその上に立つ統一政権としての自己を明確に位置づけたのであると言われる。  

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2014年4月 8日 (火)

春の雑草の花1 キツネノボタン

 みんなの党の渡辺喜美氏代表を辞任する意向を表明した。化粧品会社の会長から借り入れた8億円問題、「法的に全く問題ないが、党に迷惑をかけた責任は私にある。」としての辞任である。しかし、5億円は保管してあったので返還した。3億円は個人的に使ったが選挙費用としたわけではないので、収支報告書には記載してないが、法的に問題はない」としている。貸した側が「選挙資金以外にありえない」と言っていることもあり、この辺りは今後明解にされるだろう。が、一番困ったのは安倍総理。今問題の集団的自衛権の行使容認に賛成だった渡辺氏が代表を退けば、この問題に慎重な公明党の穴を埋める人数バランスが崩れる虞があるからだ。
 今草木は花盛りだから、今回から、雑草たちの花盛りを紹介して行こうと思い、今日は先ず今花盛りのキツネノボタン
Photo  キツネノボタン(狐の牡丹)。牡丹の葉に似ている故の名。別名コンペイトウ草((写真の中のイガイガ)の形から)。日本の本州、四国、九州、朝鮮半島に分布。川辺や水田の近くの湿りのあるところに生育。同じキンポウゲ属のタガラシなどと共通の毒成分(ラヌンクリン)を含む有毒植物。口腔内や消化器に炎症を起こし、汁は皮膚がかぶれる。
Photo_2  その。茎の先端に黄色の5弁花が咲く。花径1~1.5cm花弁には光沢がある。花後にコンペイトウの様な果実が付く、果実は集合果で角状の突起夫々が一つの実である。果実の先端は鉤状にまがっているのが特徴。他のものに付着して分散する様になっているらしい。

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2014年4月 7日 (月)

雨に負けず花海棠も満開

 小野寺防衛相が来日中のヘーゲル防衛長官と会談。集団的自衛権の行使を憲法解釈で可能にしようとの政府の方針に対し、米国はこれまでの「歓迎する」と云う表現から一歩踏み込んで「支持する」と表現した。北朝鮮問題や尖閣列島問題も後押しする意味も込め、イージス艦2隻の日本への追加配備の計画も表明している。
 集団的自衛権の行使は憲法に触れるとしてきた自民党であるから、当然憲法改正を行う必要がある。が、憲法改正は簡単にはゆかない。それで憲法下での行使容認可能とする解釈へ変更しようとしているが、与党の公明党も賛同しない。この問題大変難しい問題だが右傾化を警戒する人々も多い事、今一度よく考えて貰いたいものだ。
 そんな難しい問題の上、ここ3、4日寒い日が続き、心身ともに冷え込んでいたが、今日から少し暖かく成る予報。春の花達も順調に咲き誇っている。今日は満開の花海棠。
Photo  ハナカイドウ(花海棠)。単にカイドウと云ったり、垂絲海棠南京海棠とも呼ぶ。中国原産、江戸初期に渡来梨の事で、海外から来た梨の意味。実海棠に対し、花の美しいのを花海棠と称したもの。木は5~10mにも成長するそうだが、庭木は精々3m位に剪定されて居る。
Photo_2  。ソメイヨシノが終わる頃咲く。花は全開せず半開きで蕊を包む。一重から八重の花が花径を伸ばして垂れ下がるところから、垂絲海棠と呼ぶ。この花が咲く頃は花冷えで、雨が多く、雨に濡れても花を咲かせているのをよく見る。

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2014年4月 6日 (日)

争乱の戦国史116(織豊Ⅰ16): 長島一向一揆の壊滅

 木曽川・長良川が注ぎ込む伊勢湾の川内長島は伊勢国に属すが、この沿岸一帯は一向宗の拠点であった。信長の本拠地・尾張に隣接しており、1568年(永禄11)に伊勢の北部を、翌年に南部を制圧したにも拘らずこの地を平定できなかった。ここは一向宗の長島願証寺を中心に、長島の人々が信長支配を拒んだのである。
F116  川内長島は大小島々からなり(掲図:伊勢湾古地図参照)、が交通手段で商業・運輸業・漁業の手段であったから、信長は容易に近づけず、北方の小木江城に弟の信興を入れ足がかりとしていた。これに対し、長島の一向一揆は1570年11月(元亀元)、近江での一揆蜂起と浅井・朝倉軍の攻勢に呼応して挙兵し、信興を攻めて自刃に追い込んだ。このため翌年5月、叡山焼討の前に信長は長島を攻めたが歯が立たなかった。氏家卜全らが戦死し、柴田勝家が負傷して追われたのである。

 本願寺は此処を重視し、軍備強化したが、1574年7月(天正2)ついに信長は大軍を動員して四方から攻撃を開始した。特に志摩の九鬼嘉隆や伊勢の滝川一益等の水軍は大きな軍船・安宅船を出し、その他伊勢・尾張の船と船乗りを総動員して海上封鎖したため、長島方は逃げ道を失い兵糧補給も出来なくなった
 一揆勢は多方面からの攻撃に、分散して出撃、防戦したが、次第に追い詰められ篠橋・大鳥居・屋長島・中江・長島の5ヶ所に楯籠った。しかし、大鳥居・篠橋などが集中攻撃で大鉄砲に打ち込まれ、塀・櫓も壊されると降参した。しかし、信長は懲らしめのため干殺しにすると言って許さず、8月2日に夜逃げしようとし男女千人は切られた。7月末に早くも餓死者が出て、8月には度々降伏を申し出たが、信長は皆殺しをする積りで許さなかった。
 ところが、9月末突然降伏を認めると、船で退去する一揆勢に対し、鉄砲の一斉射撃を浴びせ、騙し討ちにしたのである。最後に残った中江・屋長島には男女二万ばかりが立て籠もっていたが、これを幾重もの柵囲いで逃げなくした上で、四方より火を掛け焼き殺した。こうして長島の一向一揆は壊滅させられ、伊勢湾全域が信長の支配下に入った。比叡山焼討を上回る信長の残忍性を象徴する虐殺だったと言われる。

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2014年4月 5日 (土)

冷たい春雨降り続く

 菜種梅雨には早すぎる感がしないでもないが、一昨日から霧雨の様な雨が降ったり止んだりで、気温は上がらず寒い日が続く。桜も9割方、雨に落とされてしまった。代って枝垂れ桜や牡丹桜が満開。その中で道端の草花も元気に咲いているので、今日はそれを紹介。
Photo  クサイチゴ(草苺)。バラ科キイチゴ属。別名ワセイチゴ。50cm位の丈なので草本の様に見える故の名前だが、木本即ち樹木の部類強い木で、刈り取らない限り毎年花を咲かせ実を付る。果実は大型で、赤熟し、食用となる。酸味が少なくとても甘い味がある。
Photo_2  その。花期3-4月。花径3-4cm位で白色の結構綺麗な花を沢山つける。園芸花としても通用しそうだ。5弁花中央雌蕊が沢山あり、その周りに雄しべも沢山付ける。沢山ある雌しべの一つ一つ苺の実1粒の中の小さな粒々の一つずつになるのである。苺ってそんなだったの?と驚く

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2014年4月 4日 (金)

常盤万作も花盛

 今日から2、3日冷え込む予報だが、百花繚乱。今日は花盛りの常盤万作
Photo  トキワマンサク(常盤万作)。中国南部、インド東北部に分布、日本では本州以南に分布。但し、自生種は極めて限定的で、静岡・湖西市、三重・伊勢神宮、熊本・荒尾市のみに自生。1905年中国輸入の蘭鉢に付着して入ったが日本在来種は1917年伊勢神宮で発見と云う変わり種。
Photo_2  接写の。開花期4-5月。4枚の短冊の様な花弁をつけ1ヶ所に数輪がまとめて付く。基本種はこの花の様に薄い黄色。花弁が同じく細長いマンサクに似る故付いた名前だが、マンサク黄色の花で、落葉樹で葉は緑色、しかも10mになる大木という。
Photo_3  ベニバナトキワマンサク(紅花常盤万作)。常盤万作の変種で紅紫色の花を付ける。中国が原産だが、最近はこれがよく垣根などに用いられている。葉がこのように赤みを帯びるのは「銅葉」といい、葉が緑のは「緑葉」と呼ぶとの事。

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2014年4月 3日 (木)

争乱の戦国史115(織豊Ⅰ15): 浅井・朝倉の滅亡

 1573年8月(天正元)、信長は愈々宿敵・浅井、朝倉の討伐をめざし近江に入り浅井長政居城・小谷城を包囲した。朝倉義景は大軍を率いて救援に駆けつけ、近江の木之元・田部山に陣したが、織田軍がこれを圧倒し、信長はその退路を断って陣を山田山に移し、次いで大嶽を攻略し、丁野山を陥れた。
 そこで、朝倉軍は陣を撤して越前に走った信長軍は一挙にこれを追撃し敦賀に至り、かって長政裏切りで敗北の因縁のある金ヶ崎城に入り、朝倉の本拠地・一乗谷へ攻撃を開始した。平泉寺に向かった信長を、平泉寺衆徒が導き、一族影鏡(カゲアキ)の叛心により、義景は山田荘・賢松寺に包囲され、もはや反撃の余力もなく追い詰められた義景8月20日ここで自刃した。41歳であった。朝倉氏の祖・広景入国以来、11代230年、守護代から越前守護に任ぜられ領国支配に優れた実績を残したが、ここに朝倉氏は滅亡したのである。
F115_2  朝倉氏を倒した信長は引返して、虎御前山に陣し、浅井久政・長政父子小谷城に攻めた8月27日、父子の館の真中に位置する京極廓が先ず羽柴秀吉の手に落ち、長政の入る本丸と父・久政が守る小丸を分断。秀吉が小丸に攻撃を集中し、久政を自害へと追いやった。(図はお市の方画像)
 翌日、長政は激しい戦闘の末、もはやこれまでと思い定めた長政は、妻のお市の方ち三人の娘信長の元へと送り届け、自刃した。戦国の雄・浅井氏も滅んだ。長政嫡男・万福丸は関ヶ原で、にされ、北近江に君臨した浅井氏の血は根絶やしにされた。浅井氏の旧領は秀吉に与えられ、秀吉は初めて国持大名になった。

 信長の浅井長政・久政に対する怒りはそれで収まらず、三人の首は京都に運ばれ、市中引き回しの上、梟首(さらし首)にした。尚、万福丸(10歳)磔は、残虐非道の行為に思えるが、嫡流を断つのは戦国の常識だった。又梟首三人の首の髑髏に箔濃(ハクダミ)(漆を塗って金泥で彩色)を施し、盆に載せて飾り酒宴の肴にしたと非難す向きもあるが、これは死者への敬意を表す仕来たりであった。 

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2014年4月 2日 (水)

STAP細胞騒動、冷静に対応を

 非常に高度な研究領域における話で、我々素人にはその論議の内容もよく判らなない。それだけに、STAP細胞の存在の真偽と云う一番大切な部分をそっちのけにして、論文作成や使用した画像が捏造・改竄と云うような、小保方氏を貶めるような論議ばかりが騒がれ、謂わば、理化学研究所内のずさんさを、その中の調査委員会が暴露したような部分しかわからない
 多分にSTAP細胞の有無を研究するような最先端の研究者に対するやっかみの様な感情も作用してないか。自然科学領域の研究者は「事実」に謙虚であらねばならない。その研究課題の研究過程で、当然のことながら正しくない結論に至り、後日修正されるケースあるものだ。今回も関係者は冷静に対応して正しい方向に向う様努力すべきだ。そうでないと、日本における研究が世界から不信感を持たれる。報道機関も騒ぎ立てるだけが仕事ではなかろう。
 今日も春の花々として、今満開になろうとしているハナズオウを紹介。
Photo  ハナズオウ(花蘇芳)。これも葉に先立って開花する花ばかりの木。又この花が蕾か開花かは遠くから判らない。花色が蘇芳(染料の木)で染めた色に似る故の名前。中国原産で江戸初期日本に渡来した由。北半球の温帯に分布している。花後は平たい豆鞘(実)がなる。
Photo_2  接写の花柄がなく、沢山の花が枝に直接ついているように見える。紅色~赤紫色(白色もある)で、2cm位の蝶型花。上に3枚の花弁とその下に蕊が入っている袋がくっ付いているなんとも微妙な形の花である。遠くからは蕾も花も区別つかず、結構長期に花が咲いている感じだ

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2014年4月 1日 (火)

今日から8%

 やはり今日は記憶に残る日であろう。消費税が8%になった日。従来の消費税引き上げの内閣は皆評判がよくなく短命であった。しかし、安倍内閣は多数与党を背景に、且つ前民主党・野田内閣が決定していた事を引き継ぎ実施と言う意味もあって、野田さんが悪者になって、安倍さんは傷つかずで、フルーツを手にしたので従来の様な批判が起こらない。しかし、これから、値上げの実感を日々国民が感じるようになると、アベノミクスにも影がさし始めるかも知れない。その結果、10%への再引き上げは躊躇せざるを得ないかもしれない。そんなこんなで安倍内閣も今秋辺りが正念場になりかねない。
 そんな年度替わりだが、季節は春爛漫のとき、草木の花が一斉に咲いている。今日は3月5日一度掲載したが、時期尚早であまり多くの花はついてなかった。それで別の山裾の公園ではやや寒く、今頃トサミズキが沢山の花をつけていたので改めて今回、再掲載した。
Photo  トサミズキ(土佐水木)。マンサク科の木。故にミズキの様に春先に枝を切っても、水が滴ることはない。トサミズキは土佐・高知県の蛇紋岩地帯に生える自生種である。
Photo_2  その。花は穂状花序を垂らし(上図参照)、淡黄色の花を7-10個ぐらいつけている。花弁4~5枚で、雄しべ5本あるのが写真でお判り頂けるだろう。

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