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2014年3月15日 (土)

争乱の戦国史110(織豊Ⅰ10): 信長包囲網

 姉川の戦いに勝利したものの、「止め」を刺せなかった信長には息つく暇もなかった。1570年7月21日(元亀元)、三好三人衆(三好長慶の臣:三好長逸、三好政康、岩成友通)が、一万三千の兵を繰り出し、摂津の中島に入り、野田・福島に砦を築いた。8月25日信長は岐阜を発して京都に入りこれを討伐するため先ず枚方に陣し、次いで天王寺に進み、野田・福島の砦を抜いて天満森まで進んだ。9月8日三好義次・松永久秀らも出動し、9月半ばには敵を摂津・海老江城に追い詰めるなど、畿内不穏の形勢となった。

 この時、石山本願寺の動静が怪しくなる。石山本願寺は河川に囲まれ、戦略的にも商業的にも重要な場所で、予て信長は石山本願寺の移転を求めていた。当然、本願寺第11世顕如は強くこれに反発し、浅井氏らと連携して、信長への反攻の機会を狙っていた。顕如は三好三人衆らと謀を通じ、浅井父子とも連携し、諸国に檄を発し兵を起こさせた。9月20日、門徒らは夜半に信長方の天満森の陣所を襲いこれを撃破した。自衛の挙兵の形式ながら、既に浅井・朝倉とも連携した信長包囲作戦であった。
 浅井・朝倉軍は信長の虚を窺い、兵を南近江にだし、9月20日には信長の属城・宇佐山に城将・織田信治(信長弟)、森可成を倒し、次いで長政らは坂本に陣し京都に肉薄した。京中の主要社寺には義景・長政の禁制が掲げられ、越前・近江勢に占領された観を呈した。連合軍は余勢を駆って京の将軍義昭の御所を窺い比叡山に着陣
 F110 これを聞き、信長は急遽本願寺勢との戦闘を切り上げ、京へ戻ったが、この時信長は身動きが取れなかった。比叡山着陣の浅井・朝倉軍は動く気配を見せず、膠着状態となる。本願寺の一揆勢の他、河内の畠山・遊佐両氏も敵対、周囲は敵だらけ。更には強力な僧兵軍団を擁する比叡山延暦寺を敵に回していた。
 11月には顕如の呼び掛けで蜂起した伊勢長嶋の一向一揆が、信長の弟・織田信興が守る尾張の小木江城を襲撃。城は落ち、信興は切腹。が、信長はこの報にも救援に向えなかった。
 追い詰められた信長は将軍・義昭を動かし、正親町天皇に和睦の斡旋を要請。天皇は朝倉義景に信長との和睦を命じかろうじて信長は窮地を脱した

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