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2014年3月11日 (火)

争乱の戦国史109(織豊Ⅰ09): 姉川の戦い

 朝倉攻めでの浅井長政の裏切りに、信長は大きな衝撃を受けた。妹婿でもある長政に対する信頼は厚かっただけに、よもやの背反に信長に怒りはそれだけ大きく、信長は岐阜帰還後直ちに巻き返しの準備をした。
 1570年6月4日(元亀元)、六角承禎が南近江で挙兵すると、信長は柴田勝家や佐久間信盛らを派遣してこれを鎮圧、南近江の平定をほぼ完了した。続いて、6月19日、浅井氏の本拠地・小谷城を目指して信長が岐阜を出発。長政への怒りを晴らすべく、小谷の城下を徹底的に焼き払い、対決姿勢を露わにした。

 しかし、険阻な谷と池に恵まれ難攻不落の小谷城を攻めることは難しく、信長は木下藤吉郎やその家臣・竹中半兵衛を使って近江の国人勢力を調略により浅井氏から離反させ、一旦小谷から退くと近江国・坂田郡(現長浜市)の横山城を包囲した。横山城は北近江の中央を東西に流れる姉川の南の横山山中の城。信長は横山城を攻めることで浅井長政をおびき出そうとしたのである。長政が動けば朝倉も援軍を送って来る。これを一挙に叩き、浅井・朝倉連合を打破しようと考えた。信長の思惑通り重要拠点である横山城救援に、長政は城を出て姉川北岸に布陣した
F109  信長は徳川家康に援軍を求め、織田・徳川連合軍総勢三万が集結。一方朝倉も援軍を送り、浅井・朝倉連合軍二万に膨れ上がっていた。1570年6月28日早朝、徳川家康隊の先陣・酒井忠次の兵が朝倉勢を奇襲し、両軍の間での端が開かれた。「姉川の戦い」である。
 全軍を挙げて姉川を越えていった徳川部隊の善戦で、やがては朝倉勢の大半は戦場を敗走した。だが一方、長政自身が指揮する浅井勢は姉川を渡って信長軍に攻め寄せ、一時は信長本陣に迫る勢いをみせた。しかし、激戦の末、先に朝倉軍が潰走した情報が伝わると、浅井勢の勢いも止まり、形勢が急変。浅井軍も戦場を離れて、午後には決着がついて浅井・朝倉の残兵は小谷城へ敗走した。
 勝利を収めた信長は横山城に木下藤吉郎を残し守備を任せ、京都に戻って将軍義昭に戦勝報告。裏で信長討伐を画策した将軍への大きな打撃を与えた。

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