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2014年3月 6日 (木)

争乱の戦国史107(織豊Ⅰ07): 信長、将軍と対立

 新たに擁立した将軍は、信長には単なる傀儡に過ぎない。信長の真意は、将軍の権威を利用しての権力拡大することだ。が、実際義昭が将軍であるためには信長の力が不可欠であり、義昭に何の力もない事も誰の目にも明らかだった。
 ところが、義昭は将軍となって暫くすると、自分の裁量で幕府を運営しようとし、豊・芸和睦や甲・越同盟など戦略家を気取って、上杉・大友・毛利の諸氏に御内書を出していた。これは義昭の考える天下一統の意思表示だった。
F107  このような動きに対し、信長は1569年正月14日(永禄12)、9ヶ条の事書(箇条書)と更に7ヶ条の追加からなる「殿中御掟」を信長の名において制定し、義昭にその袖に承認を意味する花押(袖判)をさせた。内容政務についての内奏は禁止する。、奉行衆に意見を問われたときは、是非の御沙汰があってはいけない、諸門跡・坊官・山門衆・医師・陰陽師以下が濫りに伺候してはならないなど政治活動を一切禁じたものである。(15代将軍・義昭画像)
 その上で、信長は義昭の御所の建設に諸国から役夫を上洛させる大工事を行い、信長自身がその工事の督励にあたった。更に続いて同月16日からは内裏の修理に掛かり、翌年までかかる大工事をした。しかし、これは信長自身の権威を示すものであった。かくして、上洛直後に信長に感激した義昭も、上記掟で将軍としての動きを縛られ、信長への不信感を露わにし始める

 こうして将軍との間に不和感を残したまま岐阜に帰った信長に対し、正親町天皇の「どうして俄に帰国したか」との奉書を以て、天皇の内意を受けて山科言継が岐阜に下向してきた。信長一辺倒の朝廷に対して、天皇の慰撫に応えるべく、1570年正月23日(元亀元)、信長は義昭との和解条件を提示した。
 その事書5ヶ条からなり:諸国への将軍御内書は信長の添え状を付けること。:従来の下知はすべて破棄すること。:公儀に忠節の者への恩賞は土地が無ければ信長分国内でも与える。:天下の議は信長に委任された以上、上意を待たず信長の分別で成敗する。:天下が静謐となったうえは禁中の儀は油断するべからず。と云うものであり、これによって義昭は全く政権から締出され、面目を完全に失墜。ついに信長への叛意は堅固なものとなったのである。

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