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2014年2月 8日 (土)

争乱の戦国史98(室町Ⅳ38): 城下町の形成

 鎌倉時代から室町時代前半の頃、持統・御家人、或は国人など武士の館はせいぜい150mから200m四方の規模に過ぎなかった。が、それなりに城の体を成していた。即ち、館の中に建てられた倉には何十何百石の年貢米が積まれ、これを売り払って鎧・兜・刀などの武器、時には中国から輸入の絹織物・書画・骨董品、或は塩・魚などの必需品を購入する。そのための市も必然的に発生した。此処に後世の戦国期の城と城下町の原型があった。

 室町後半の戦国期には、下剋上や弱肉強食が日常茶飯事になると、城と町のコンビは第二段階の城下町形成の時期に入る。城は小さなものでは、あり得なかった。戦のために城は険峻な山の上に移り、その構えも本丸・二の丸三の丸、更には空堀や水濠を巡らした。これが戦国の山城である。
F98 小さな領主では町場を伴う城館を本拠とした者も居たが、多くの戦国大名は山城を築き、別に麓の集落に館を持つことが多かった。こうした山城の築城はそれまでの農村に広く散在していた家臣たちの領主館周辺への集中を伴った。家臣団の城下集中が進むと、彼らの膨大な軍需・民需物資の需要供給を巡って、方々から商人や職人が山城の下に集まって来るのはごく自然の成り行きだった。こうして形成された代表的な城下町は小田原(北条氏)、甲府(武田氏)、駿府(今川氏)、小谷(浅井氏)、一乗谷(朝倉氏)等である。(朝倉一乗谷復元図(週刊朝日百科21「日本の歴史」6巻より)

 戦国期が城下町の始まりの時代であると共に、近世の地方都市興隆の始まりでもあった。特に応仁の乱により荒廃した京都を捨てて、一部の公家が地方へ移り、京都の文化を地方に伝え「小京都」と呼ばれた都市も出現した。山口が代表格だが、萩や津和野などもそう呼ぶ人も居る。
 又、城下町以外に商業都市・堺(鉄砲生産第一位∴工業都市でもあった)や一向宗・石山本願寺で造成された宗教都市・石山(後大阪城)、博多、兵庫など商業都市化の進んだ町もできた。又、戦国期後半には多くが、政治都市たる平城の城下町に変化して行く

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