« 冴返る早春の風景2 一気に開いた紅梅 | トップページ | 冴返る早春の風景3 花芽膨らむ »

2014年2月 4日 (火)

争乱の戦国史96(室町Ⅳ36): 三好氏・三人衆と松永下剋上

 信長が美濃攻略をしている頃、畿内では山城・摂津・丹波・播磨から四国に及ぶ広大な地域を支配する三好氏が勢力を持ち、1549年(天文18)には三好長慶が将軍・義輝と幕府の要である管領・細川晴元を近江に追放。従来の支配体制を崩壊させ、実権を掌握していた。
F96 1558年(永禄元)に将軍・義輝は長慶と和睦して京に戻ったが、長慶から家督を継承した三好義継(長慶の養子)は1564年(永禄7)、長慶が死ぬと三好家の家宰・松永久秀三好三人衆(三好一族の長逸(ナガユキ)、政康と一門衆の岩成友通(トモミチ)) と結託しようとした。が、三好家内で頭角を現した松永久秀は岩成友通らと手を組み、義継を傀儡として三好政権を掌握した。(三好長慶画像(大徳寺聚光院蔵)、背景は屏風・洛中洛外図(上杉博物館蔵)の三好屋敷)。

 松永久秀の出自は不明だが、長慶の元では大和一国を支配するまでになっていた。長慶のの弟・十河一存(カズマサ)と嫡男・三好義興(ヨシオキ)を暗殺し、久秀と対立する長慶の弟・安宅冬康を長慶に讒言し処刑させたとも言われる。
 一方長慶と和睦して京に戻った13代将軍・足利義輝は、1565年(永禄元)将軍権力を復活さえようと活発に動いたが、久秀と三人衆は義輝の勝手を許さず、挙兵して京都二条御所襲撃義輝も奮戦したが、力尽きて殺害された。

 久秀は12代将軍・義晴の甥、足利義栄(ヨシヒデ)を14代将軍に擁立し、傀儡政権を樹立した。この前将軍殺害という暴挙に、出家していた義輝の弟・義昭は、還俗して大和国を脱出。幕府復興の協力者を求めて旅に出た
 一方久秀は三人衆と主導権を巡り対立。両者は戦闘状態に入り、三人衆が立てこもる東大寺大仏殿が松永軍の攻撃で焼失した。彼らの対立と畿内の動乱は、織田信長が義輝の弟・義昭を擁して入京するまで続くことになる

|

« 冴返る早春の風景2 一気に開いた紅梅 | トップページ | 冴返る早春の風景3 花芽膨らむ »

戦国時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/59069270

この記事へのトラックバック一覧です: 争乱の戦国史96(室町Ⅳ36): 三好氏・三人衆と松永下剋上:

« 冴返る早春の風景2 一気に開いた紅梅 | トップページ | 冴返る早春の風景3 花芽膨らむ »