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2014年2月28日 (金)

争乱の戦国史106(織豊Ⅰ06): 信長、キリスト教を許容

 1569年4月8日(永禄12)、信長、宣教師ルイス・フロイスに面会し、その京都居住を許し、かってのザビエルの願いが本格的に達せられた。
 それまでの間のキリシタン伝道を概観すると、北九州のザビエルの普及は著しいものがあり、9年後1559年10月(永禄2)、ガスパル・ビレラが比叡山の僧侶の招きにより入京している。ビレラは比叡山には入らず京都で大道説教を試み、群集の嘲笑や僧徒の迫害に屈せず布教の結果、三好長慶の庇護を得て、翌年(1560年)将軍・義輝から布教認可を得た。信長が桶狭間に勝利した年である。
 ビレラは1561年(永禄4)堺で布教し仏教非難に及び、叡山僧徒の反対にあったが、三好長慶らのとりなしで、事なきを得た。更に1565年正月(永禄8)には新しく平戸から宣教師ルイス・フロイスが到着し、将軍義輝及び夫人から厚遇を受け、高山右近親子らも信徒であった。然るに、同年5月将軍義輝が松永久秀らに弑されて、京都の法華宗徒らが三好党に迫り、キリシタンを禁じ、宣教師追放令が出たフロイスは堺に退いた

 このような経過で信長のキリシタンに対する態度は注目された。信長は摂津芥川城主・和田惟政の紹介で、フロイスとの会見を一度は拒否したが、再度の勧めで引見した。最初の引見拒否は、外国人の引見礼儀が判らなかったこと、信長が洗礼を希望しているとの誤解を恐れたことなどと言われる。しかし、面会してみると、信長からの一方的な質問攻めであったらしい。
F106  結果、フロイスには要望通り、全く無償で朱印状を与え、会堂を引き渡した。かくしてフロイスは布教認可を勝ち取ったが、信長はどのような意図を秘めていたのであろうか。考えられる理由は彼自身の「かぶきもの」的猟奇趣味もあったと思われるが、仏教僧侶への対抗的役割を持たせようとしたと考えられる。その点では山門や一向一揆を敵視した信長の信仰は法華宗に近かった。(:当時の洋風の若者(徳川美術館蔵))
 この点も少し明快に整理すると、以下の様に言われている。
①異邦人や西欧に興味と関心を持ち、新知識を積極的に取り入れようとした。
②ポルトガルとの貿易により、富国強兵を実現しようとした。
③そのため、鉄砲や火薬輸入を盛んにし、宗教上比叡山・本願寺勢力と対抗させ、
  寺院勢力を抑止しようとした狙いがあった。

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