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2014年2月24日 (月)

争乱の戦国史104(織豊Ⅰ04): 信長、宿敵信玄と同盟

 信長は東国を三河の徳川氏に委ね、中央の経路に当っていた。その東国には越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康の三大勢力が並び立ち、その間に今川義元の後継の氏真が駿河・遠江両国を領して介在している。
F104  この状況下で最も意欲的に活動していたのは甲斐の武田信玄であり、北に南に或いは東西にと兵を動かした。1568年(永禄11)信長が上洛を果たした直後、武田信玄は甲府を発して駿河・今川館に攻め入り、徳川家康遠江に入って井伊谷、刑部(オサカベ)などの諸城を抜いた。双方の軍事行動は、大井川を挟んで、駿河は武田、遠江は徳川が抜き取る約束「国切の御約束」)が信玄と家康の間で成立していた事に基づく。かくして信玄は駿府を占領し、氏真は遠江掛川に逃れた。(武田信玄像
 この時、相模の北条氏康・氏政親子は、今川氏真に嫁した氏康の息女が「必死の躰で」のがれたことで、「この恥辱そそぎ難し」とし、氏真を救け、信玄に敵対した。同時に今川氏からと北条氏から「越・相一和」の議を上杉輝虎(謙信)に乞い、1569年2月(永禄12)越・相の講和交渉に入った。
このような越・相の和睦交渉は、甲州の武田信玄を挟撃し苦境に立たせた。武田と結ぶ織田信長としても黙視することが出来ず、時を同じくして義昭・信長より謙信に対して、「越相和睦」が勧説され、同年閏5月謙信・氏康の間に和議が成立した。

 信長はかって遠山友勝(信長の娘婿)の女を養女とし、武田四郎勝頼に嫁入りさせていたが、出産後死亡したので、縁切りを恐れてか1567年11月(永禄10)、信玄の六女お松嫡男の正室に迎えている。元々武田氏は今川氏と深い婚姻関係で2代に渡る縁続きだったのだが、桶狭間後は断絶していた。そうした時織田氏が武田氏と同盟関係を結ぶに至ったのである。信長は信玄の変化を極めて的確に把握し、パートナーとして取り入れるのに成功したのである。 

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