« 冬の風景5 山眠る | トップページ | 冬の風景6 鰤起し »

2014年1月18日 (土)

争乱の戦国史91(室町Ⅳ31): 川中島の戦い 序盤戦1-3回

 上杉謙信と武田信玄の川中島での戦いは、『史学雑誌』(39の12)における渡辺世祐氏の論文により提唱された「5戦説」が定説となっている。今回はその序盤戦としての1-3回目までを記述する。
 信濃・更科郡を流れる千曲川と犀川の合流点に川中島が位置する。甲斐・越後上野3国に通ずる要所で、信濃の完全支配を目指す信玄にとっては何としてでも確保して置きたい要衝の地である。

 折しも信玄の信濃侵攻によって本城を奪われた小笠原長時や村上義清らが越後に敗走し、自立したばかりの謙信に救援を求めた。義に生きた謙信は北信濃は越後にとっても重要、北信の国人衆が謙信を頼んだこと、特に親戚の高梨氏救援を名目に、1553年8月(天文22)、川中島の合戦が始まった
 1回目は、上杉軍は5000の兵で出陣し、信玄に奪われた葛尾城を攻略。武田軍もすぐに反撃。上杉軍は川中島に兵を集め、信玄の遊撃戦部隊とゲリラ戦を展開したが、主力衝突は起こらないまま、両軍とも引き上げた
F91 2回目は、1555年4月(弘治元)に勃発。前年12月、甲・駿・相の3国同盟締結で、信玄は北信攻略に全力を注ぎ始めた。そこへ謙信が信濃に入り、善光寺の城山を根拠とした。当時善光寺別当栗田氏は里栗田家と山栗田家があり、前者は上杉氏に属し、対して後者は武田氏に属し旭山城に拠った。信玄は旭山城に3千人の兵と8百張の弓と3百挺の鉄砲を投入し、自ら犀川南岸の大塚に陣して謙信と対峙した。7月19日、両軍犀川を挟んで激戦。(川中島合戦屏風絵、(岩国歴史美術館蔵))
 短期決戦を焦る謙信に対し、信玄は持久戦法を採った。退陣100日に及び、謙信軍勢は動揺し始め、諸将に「奮闘する」旨の誓約書を提出せしめた。そしてついに今川義元の調停により、対決は和睦を結び、両軍撤兵して終わった。

 3回目は、1557年武田軍が葛城山城を攻略し、上杉軍も武田方の山田城や福島城を攻略しながら川中島方面へ南下したが、大きな戦闘にならずに終わった

|

« 冬の風景5 山眠る | トップページ | 冬の風景6 鰤起し »

戦国時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/58965713

この記事へのトラックバック一覧です: 争乱の戦国史91(室町Ⅳ31): 川中島の戦い 序盤戦1-3回:

« 冬の風景5 山眠る | トップページ | 冬の風景6 鰤起し »