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2014年1月11日 (土)

争乱の戦国史88(室町Ⅳ28): 浮野の合戦と尾張統一

 1558年5月(永禄元)、尾張上四郡を支配する岩倉織田氏の織田信安は、家督相続問題で子の信賢(ノブカタ)と争い追放される。後を襲った信賢は美濃の斎藤義龍と結び、力をつけてきた織田信長への対決姿勢を鮮明にし始めた。
 この機に信長は信賢の居城・岩倉城攻めに着手し、同7月「浮野の合戦」(浮野:現愛知・一宮)で信賢に勝利した。敗れた信賢は岩倉城へ敗走し、信長は城を包囲。以後数ヶ月に亘る籠城戦を展開した。

 同じ年、信長の弟・信行と彼を推す勢力が再び反乱を企てる。しかし、前回信行を擁して信長に敵対した柴田勝家は今回は信行を見限り信長に密告した。これを知った信長は、病気と偽り清州城に籠り、勝家を介して兄弟の母・土田御前を動かし、信行を清州へ見舞に行くように仕向けた。反乱計画漏れを知らず、11月2日に清州城に赴いた信行は信長に殺された
 柴田勝家はこれを機に信長の側近となり、後の織田軍団の中心的存在となって、一度は背いたものの、信長も彼を生涯重用し続ける。
F88 こうして、岩倉織田氏、及び弟・信行を葬った信長は、尾張統一へ大きく踏み出した。尤も、岩倉織田氏支持の国人勢力も依然多く、又尾張の最南端に当る知多郡は今川義元支配下にあり、未だ尾張の完全支配には多くの障害も残っていたのである。(信長像
 そこで、信長は1559年2月(永禄2)、上洛して室町幕府13代将軍・足利義輝謁見する。信長は幕府に尾張の支配を認めさせ、その権威によって尾張をまとめ上げようとしたのである。この時、尾張守護に任ぜられたとする説もあるが、結果的に信長の尾張支配を将軍が黙認するところとなった。
 尾張に帰国した信長は翌3月岩倉城総攻撃を開始。岩倉城を完全破壊し、信賢を追放し、岩倉織田氏を滅亡させた。家督を継いで8年、父・信秀の果たせなかった尾張統一を、信長は成し遂げたのである。  

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