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2013年12月20日 (金)

争乱の戦国史83(室町Ⅳ23): 信長と道三の同盟、尾張統一へ

 信長が13歳で元服の頃、隣国・美濃の斎藤道三は尾張に食指を伸ばし、信長父・信秀と度々戦闘を繰り返していた。1547年(天文16)信秀は美濃に侵攻、多数の犠牲を出して撤退し、道三との和睦を探る。翌年(天文17)信秀は道三の娘・濃姫を信長の正室に迎えることで、美濃との争いに終止符を打つ。この政略結婚から3年後の1551年に信秀は病に倒れる。家督は信長に譲られた。
F83 1553年4月(天文22)、斎藤道三は織田信長に会見を申し入れた。娘を嫁がせ和睦したが、信長が同盟するに相応しい人物かどうか確かめるためだった。信長は会見場・尾張富田の正徳寺に鉄砲5百挺、長槍5百本を携えた兵を引連れて臨んだ。鉄砲伝来ごわずか10年で、既に信長は大量の鉄砲を調達していた。これを見て道三は、信長の先見性と独創性を見抜いた。これで同盟は強化した。
 この同盟強化は、道三には尾張が駿河・遠江・三河を支配する強大な今川義元の脅威から美濃を守るための楯であった。そして、信長にも、信秀の死に動揺した国人の今川への寝返りが相次ぐ中、道三の後ろ盾により、浮足立つ国内勢力を牽制し、態勢立て直しの必要があった。

 1554年7月(天文23)、尾張下半国の守護代・清州城主の織田信友とその家臣・坂井大善が、尾張守護職・斯波義統(ヨシムネ)を暗殺する事件が起きた。この時狩に出ていた義統の子・義銀は那古野城に逃げ込んで、信長の保護を受けた。信長は義銀を擁して清洲城を攻撃した。
 これに対し、信友は、叔父にあたる守山城主・織田信光に援軍を依頼。勝利すれば、信光を守護代に推挙するという。この条件を受けた信光は清州城に入るが、信友を裏切って切腹に追いやり、信長を清州城に引入れた。事件後、信長は清州城を信光に与えたが、1555年(弘治元)信光は家臣に殺害された。
 信長はわずか1年ほどで尾張下半国の拠点・清州城・那古屋城・守山城を掌握。この時、信長22歳。尾張統一へ向け、戦国大名として、大きな一歩を踏み出したのである。

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