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2013年12月 8日 (日)

争乱の戦国史78(室町Ⅳ18): キリスト教の伝来

 16世紀中頃、カトリックの伝道を目的としたイエズス会は、インドのゴアを拠点にアジヤで布教活動を行っていた。1549年(天文18)、イエズス会の宣教師フランシス・ザビエルにより、日本にキリスト教が伝えられた
 ザビエルは、殺人罪を犯して国外に脱出し、マラッカに住んでいた薩摩武士・アンジロー(ヤジロウともいう)に巡り合ったのが縁で、日本という国を知り、カトリック布教の目的で来日した。
F78_2 鹿児島に上陸すると大変な歓迎を受けた。領主・島津貴久はポルトガル貿易の利益を知っており、ザビエルの布教活動をあっさり承認した。最初は誇り高い日本人の性質に触れ彼は感動したが、次第に現実が判ってくる。貿易の方便としてキリスト教を許可した事、特に日本の大名たちが欲したのは鉄砲であり、火薬だった。
 1年間鹿児島に滞在し布教を行って、その後平戸・博多・山口と島津氏、松浦氏、大内氏その他大名の布教許可を貰いながら布教活動を行い京都へ向かった。天皇に謁見し、布教許可を得ようとしたが、戦乱で京は荒れ果てており、各地に割拠する戦国大名の許可を受けて布教する外ないことを知る。結局、大内義隆にインド総督の親書と進物を贈り、豊後へ赴く。豊後では大友宗麟がキリスト教に深い理解を示し、来日の最大の成果を得たが、1551年9月(天文20)、大内が陶晴賢に滅ぼされたこともあり、日本を去りインドへ戻った。(図解戦国史(成美堂出版)より)

 その後もあとを継ぐ宣教師たちが来日し、1560年(永禄3)には将軍・足利義輝から京都での布教を認められた。尤も逆に天皇は禁教の綸旨を出しており、キリスト教が畿内で広まるのは織田信長の時代になってからである。
 最盛期には信者も30万人いたとされ、キリスト教の普及に伴い、ポルトガル船の入港もひんぱんになり南蛮貿易も活発化した。又、西国や畿内を中心に洗礼を受けたキリシタン大名も誕生する。

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