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2013年12月 3日 (火)

争乱の戦国史76(室町Ⅳ16): 北条氏、河越夜戦で勢力拡大

 北条家初代・早雲は伊豆、相模を制圧し、2代目・氏綱は武蔵、下総に手を伸ばした。1541年(天文10)に家督を継いだ3代目・氏康は山内上杉や扇谷上杉などの関東旧勢力を圧倒し、武蔵全土平定する勢いにあった。
 1545年(天文14)上杉(山内)憲政は、北条氏康打倒のため、抗争を繰り返した上杉(扇谷)朝定と和睦し、北条方に奪われていた越城の奪還に向け動き出した。すると、北条支持だった古河公方・足利晴氏が反北条に寝返った。つれて北条方であった関東の中小勢力も反北条連合に加担した事から、8万もの軍勢に膨れ上がって、北条氏の武蔵における拠点だった河越城に押し寄せた。
F76jpg 北条氏康は急ぎ出陣し、救援に向かったものの城内の兵と救援併せて、1万程度であり、到底勝ち目がなかった。又、甲斐の武田信玄や駿河の今川義元も反北条連合を支援し、北条氏は戦国大名となって以来の危機を迎えた。数か月膠着状態が続いたのち、氏康は連合軍が油断したころ、まず信玄と休戦協定を結び、その仲介で義元と交渉信玄は信濃国内での勢力圏を拡大しているため、後方の安全確保のため、北条氏との和解を選択した。そして、今川氏とは東駿河の今川領を占拠していたのを返還する条件で今川氏とも和睦した。(図は成美堂出版「図解戦国史」より)
 そして氏康は
1546年4月(天文15)、夜半に河越城を包囲中の連合軍に奇襲攻撃をかけた。完全に油断し寝静まっていた連合軍の陣地は大混乱に陥り、乱戦の最中上杉朝定は討ち取られ扇谷上杉氏は滅亡した。これを越夜戦という。

 河越夜戦に敗れた関東の旧勢力は急速に衰退して行く。当主を失った扇谷上杉は断絶。山内上杉氏1552年(天文21)に居城を攻め落とされて、上野を追われ、当主・上杉憲政は越後へ脱出。越後守護代長尾景虎(後の上杉謙信)を頼った。古河公方の足利晴氏は降伏し、北条家の血を引く義氏に家督を譲って隠居するよう強制された。こうして、北条家の関東支配は一層進んで行くのである。
 一方、長尾景虎は、1561年(永禄4)越後に亡命していた上杉憲政を伴って、小田原城に北条氏を攻め、その帰途景虎は憲政から上杉の名跡と関東管領の職を譲り受ける

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