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2013年11月30日 (土)

争乱の戦国史75(室町Ⅳ15)信玄、家督奪取そして信濃制圧

 武田信虎甲斐を統一1532年)し、更に1540年(天文9)、隣国信濃の佐久郡に攻め入り制圧した。この戦には嫡子・晴信(のち信玄)も20歳で参戦、武名を挙げた。晴信は1535年(天文5)元服し、将軍・義晴の偏諱を賜り、晴信と名乗り、従五位下に叙せられ、大善大夫信濃守に任ぜられていた。
 ところが、1541年6月(天文10)佐久平から帰国の父・信虎は10日後、突如駿河の今川義元の元に出かけた。駿河には娘が嫁しており、顔を見たさの忍びの下駿で保養のためかとも言われている。しかし、この時信玄は好機到来とばかり、甲斐と駿河の国境を閉ざし、父を駿河に追放し、武田家の家督を奪ってしまったのである。この行動の動機には諸説あり、信虎の無理な遠征や強引な内政に反発し、又弟・信繫を偏愛し、家督を弟に譲ろうとした加羅とも言われる。
F75 かくして実権を得た信玄は、この後信濃制圧に心血を注ぐ。先ず1542年6月(天文11)、諏訪一族と呼応して諏訪頼重の上原城と桑原城を攻略、頼重を切腹させ、高遠、伊奈、塩尻、佐久に抜ける要地上原城を奪取する。
 1545年(天文14)、信玄は伊奈攻略に向かう。相手は信濃守護・小笠原長時と、北信濃の豪族・村上義清だ。翌年には佐久方面に進出。が、小笠原一族の内山城攻撃では惨敗し、幹部を失う。信濃側の反武田勢力が総決起したためで、信虎以来の最大の危機に陥る。
 しかし、一旦甲府に帰還後、塩尻峠に進軍、小笠原長時戦線を急襲し数時間の激闘で勝利した。信玄は更に深志、岡田、相原を抜いて村上義清の戸石城に向かい1550年(天文19)再び敗北、これを「戸石崩れ」という。しかし、信濃攻略着手ご、10年目にして、1551年(天文20)秋、小笠原長時を越後に追放1553年(天文22)には村上義清も越後に追放し、信玄は12年に亘る戦で、ほぼ信濃を制圧したのである。そしていよいよ上杉謙信との運命の対決・川中島の合戦が始まる

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