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2013年11月28日 (木)

争乱の戦国史74(室町Ⅳ14): 斎藤道三の国盗り

 斎藤道三は、父の代から守護にとって代わらんとの動きを見せていた。父は山城の地侍・松浪基宗の子として生まれ、1504年(永正元)京都・妙覚寺で僧となり法蓮坊と称したが、その後還俗して油商人となって松波庄五郎を称した。
 そして行商で訪れた美濃で、西村新左衛門尉を名乗り美濃守護・土岐の旗下で名族の長井氏に仕えて頭角を現し、遂に長井氏を名乗るまでになっていた。
 1527年(大永7)、新佐衛門尉は長井氏本宗家当主・長弘と共に、守護土岐氏の弟・頼芸(ヨリナリ)に接近し、守護・土岐政頼を追放して、頼芸を擁立した。この功績で新佐衛門尉は頼芸の後ろ盾として重用され、守護の実権を奪うまでになっていた。
F74 しかし、1533年(天文2)には長弘、新佐衛門尉が相次いで死去し、父の後を継いだ長井規秀(ノリヒデ)(長井新九郎利政と称したとする本もある)、後の斎藤道三が、この時から歴史の舞台に登場したのである。
 その後1537年(天文6)頃までに、長井規秀(道三)は長井家本宗家を滅ぼし、乗っ取て、翌1538年(天文7)には守護代・斎藤家の名跡を継いで斎藤利政を名乗る等矢継ぎ早にその地位を上昇させた。(斎藤道三画像(常在寺蔵))

 1542年(天文11)には関係が悪化していた守護・土岐頼芸尾張に追放し、遂に美濃一国の支配者となり、稲葉山城に拠ったのである。追放された土岐頼芸は尾張の織田信秀(信長の父)や越前の朝倉氏らの協力を得て、美濃に進攻し、数年間にわたって道三と争った。しかし、1547年(天文16)には越前へ敗走し、道三は完全に美濃一国を掌握したのである。
 こうして、北条早雲と並び、戦国時代の初期における下剋上の典型のような戦国大名と称された斎藤道三の登場である。

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