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2013年11月21日 (木)

争乱の戦国史71(室町Ⅳ11): 三好長慶の京都制圧

 細川高国は12代将軍・足利義晴を担ぎ、10代将軍足利義稙(ヨシタネ)、管領細川澄元(高国の兄)らを京都から駆逐して、政権を握ったが安定しなかった
 やがて澄元の子・細川晴元が四国で力を蓄え、将軍義晴の弟で義稙の養子でもある足利義維(ヨシツナ)(堺公方)を擁して堺に渡り勢力を示した。この勢いに押されて、高国政権が衰退して行くなか、1532年(天文元)には義維、晴元を支えていた重臣の三好元長が同族の三好政長討たれている。その背後には晴元の意志があったとも言われ、結果的に義維と晴元の仲が悪化し、細川晴元義維を追放して、義晴、義輝(13代将軍)と結び、1536年(天文5)、入京し幕府実権を掌握した。
 更に1543年(天文12)、高国の養子である細川氏綱が挙兵すると、1546年(天文15)には晴元方の義晴、義輝が氏綱方につき晴元政権を脅かした。この様に諸勢力が離合集散を繰り返し、京都周辺の動乱は一向に収まらなかった
71jpg このような状況の中で、失脚していた三好元長の子・三好長慶が頭角を現す。父が殺されたとき、三好家の領国の四国に逃げ延びた長慶は、長じて晴元政権に参加1542年(天文11)には晴元と対立した木沢長政を討つなど数々の戦いで功績をあげ、重臣となっていた。
 1548年(天文17)、長慶は晴元方から、劣勢に立たされていた細川氏綱方へと寝返る。そして1549年(天文18)江口の戦いで、かって父(三好元長)を失脚させた三好政長を破り仇を討つと共に、晴元政権を崩壊させたのである。
 その後、細川晴元に勝利した細川氏綱管領の地位に就くが、実権はあくまでも家臣である三好長慶のもとに在った。こうして、明応の変以来続いてきた細川一族中心の政権に代り、長慶を中心とする三好政権が成立したのである。
 長慶は将軍義輝を傀儡として幕府の実権を掌握し、四国から近畿にかけての広大な地域を支配した。そして三好義賢(ヨシカタ)、安宅冬康、十河一存(カズマサ)ら優秀な弟達の支えが三好政権を強大なものにしたのである。

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