« 小春日和に蝶が舞う | トップページ | 菊の季節 »

2013年11月14日 (木)

争乱の戦国史68(室町Ⅳ8): 自治都市堺と商都博多

 1469年(文明元)以降、兵庫の港は応仁の乱で焼かれ、又大内氏が瀬戸内を勢力下に置いたため、東軍・細川氏は日明貿易(勘合貿易)の拠点を堺に移した。1523年(大永3)の寧波(ニンポー)の乱で、細川氏が日明貿易から撤退するまで、堺商人は細川氏や室町幕府に貿易船(遣明船)ごと出資し、莫大な富を得ていた。
 (寧波の乱1523年、大内・細川両氏の派遣した勘合船が、寧波で勘合の真偽を巡って、明の役人を巻き込んで紛争を起こした。そのため勘合貿易が一時中絶し、大内氏が日明貿易を独占した)。
 また、細川氏と対立する大内氏が支配する瀬戸内海を避けて、土佐沖を通過する南海航路を開発し、琉球貿易東南アジアとの貿易でも活躍した。

 堺はこれ以前から、一定の税を納めることで室町幕府から事実上の自治が認められ、豪商の中から選ばれた36人の会合衆による合議制で運営される自治都市であった。海と環濠に囲まれた町は、出入りに木戸口を設け、浪人を傭兵し、自衛していた。16世紀半ばに堺を訪れた外国人宣教師はイタリアのベニスのように執政官による自治が行われていると評したといわれ、「まるで堺は東洋のベニスだ」と言われたという。
 後に、織田信長は堺に矢銭(軍資金)を要求し、会合衆は一度は拒否したが、今井宗久、津田宗及などの講和派の働きで、堺は信長に屈服、支配下に置かれる。
F68_2  この頃、堺以外にも、大内氏の日明貿易の拠点となった博多のほか、明や琉球などの海外との貿易拠点として栄えた港町があった。
 遣明船派遣の権利を独占していた大内義隆が、家臣の陶晴賢の謀反に逢って自死し、遣明船貿易は終った。しかし、日明間の貿易は中国の海商(所謂倭寇勢力)に導かれ、むしろ日本の商船は増えたという。この後期倭寇とも呼ばれる海商たちは中国沿岸部で交易すると共に、ジャワ、シャム、琉球、九州、朝鮮との間を往復する交易ネットワークを広げた。
 これら海外貿易中心は博多であり、神谷、奥堂、川上らの豪商が活躍。寄港地も平戸・五島・長崎・坊津などが使われた。

|

« 小春日和に蝶が舞う | トップページ | 菊の季節 »

戦国時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/58573664

この記事へのトラックバック一覧です: 争乱の戦国史68(室町Ⅳ8): 自治都市堺と商都博多:

« 小春日和に蝶が舞う | トップページ | 菊の季節 »