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2013年11月10日 (日)

争乱の戦国史66(室町Ⅳ6): 東北、伊達氏の台頭

 東北では伊達氏が元、陸奥国伊達郡の地頭識(ジトウシキ)を所持し、室町将軍方の京都扶持衆(関東公方管内で、幕府と通じ、関東公方を監視・牽制する役割を持った国人衆)の有力な一員として関東公方とは対立していた。鎌倉府崩壊後は、京都との結合のメリットは低下したが、この時期、伊達氏がさらに勢力を拡大させ、後に戦国大名化する上では大きな意味を持った。
F66  15世紀後半、伊達氏を取り巻く蘆名氏、最上氏、葛西氏、大崎氏らが勢力拡大を図っていたのである。
 伊達氏は代々当主が代わるたび上洛し、参勤する習わしであった。12代当主・成宗も、慣わし通り1483年10月(文明15)、京都入りし管領家・細川政国に挨拶、前将軍義政、将軍義尚、政所執事伊勢貞隆、将軍母・富子、実力者・細川政元等多数の要人宅を精力的に挨拶して回った。その他芸人観世大夫や将軍家の下働きめでにも贈り物を配り歩いたという。

 しかし、これが意外な形でその40年後、実を結んだ。1522年(大永2)、14代伊達稙宗(タネムネ)が10代将軍義稙(ヨシタネ)に接近し、12代将軍義晴の代始めの祝いの使者を送ったところ、突然陸奥国守護職に任命されたのである。室町幕府創業以来、奥州2州は探題に委ねられ、守護職は置かなかった。しかも、奥州探題・斯波氏奥州大崎氏羽州最上氏分かれたが、未だ続いていた。それを幕府は承知の上で伊達氏を陸奥国守護職に任じたのだ。
 守護の看板を獲得した稙宗は、上洛は取りやめ、領国支配の強化に奔走する。 
 稙宗は徴税や知行体制、軍役といった支配の体系化を進めると共に、分国法「塵芥集」を制定し、領国内の法秩序を整えた。「塵芥集」は他国の分国法に比べ、約170条に及ぶ最大級のものである。
 又、対外的には相馬氏、蘆名氏、大崎氏など周辺の有力諸家と婚姻を進め、東北地方での影響力を強めていった
 ところが、1542年(天文10)には、越後守護上杉氏へ三男・実元(サネモト)を養子に出そうとした稙宗を、嫡男の晴宗が幽閉するという事件が起こるのである。
 

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