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2013年10月30日 (水)

争乱の戦国史64(室町Ⅳ4):東の三大名家の萌芽

 伊勢盛時(北条早雲)は1495年(明応4)小田原城を奪い、1500年代初めまで、今川家の家臣格として遠江、三河侵攻に参加。その後、1512年(永正9)81歳になった早雲は、相模1国平定のため先ず三浦氏居城岡崎に攻込み、鎌倉を手中にした。1516年(永正13)、三浦氏を滅ぼし、扇谷・山内両上杉氏を完全に伊豆、相模から駆逐1519年(永正16)、87歳で死没する1年前に家督を2代目氏康に譲った。その頃から、北条を名乗っているが、これは正統国主であることを主張せんがための氏姓の変更だと言われている。
 この時期の関東は未だに山内・扇谷両上杉と古河公方らによって争いが続いていた。

 一方、今川氏親は叔父に当たる伊勢盛時(早雲)の助けによって後継争いに勝って、今川の戦国大名化を進めた。1526年(大永6)氏親が制定した「今川仮名目録」は、戦国時代の代表的な分国法の一つとしての評価が高い。氏親は領地拡大にも意欲的で、遠江更には三河へと侵攻を繰り返し、1517年(永正14)には有力武家の斯波義達を倒して遠江を支配下に置いた。が、三河への侵攻は松平家の抵抗に遭いうまく行っていない。
F64_2  甲斐では、武田家が鎌倉時代より続く名門だったが、一族の多くの勢力争いのため、宗家は相対的に弱体化していた。しかし、武田家守護職を伝え、国府の地を本拠として、伝統ある国衙の支配機構も掌握し、一国を支配すべき構えを持っていた。宗家から分かれた一族は夫々の在所名を姓として、領主となっていたが、甲斐にはこの一族の相剋も激しくなっていたのである。
 その中で、宗家の武田信虎は、父の代から数十年に亘る主導権争いに勝利し、1507年(永正4)、父・信縄の死後、信虎は14歳で家督を継いだ。そして、国人小山田氏と縁戚関係を結ぶなどし、一族の家臣化を進め、1519年には本拠を府中に移し、1527年(大永7)頃には甲斐統一に成功する。(北条、今川、武田の勢力図
 関東では北条、今川、武田の隣接する3家は時には争い、時には同盟しながら、戦国時代を代表する大大名に変貌してゆく

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