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2013年10月20日 (日)

争乱の戦国史61(室町Ⅳ01): 早雲、相模国を制覇

 今回より室町Ⅳ期として、戦国大名が台頭群雄割拠する、本当の戦国時代を記述する。
 伊豆征服を果し、韮山に本拠を置いた早雲の次の敵山内上杉であった。山内上杉氏は越後上杉氏やかっての敵・古河公方と連携し、同族扇谷上杉氏との抗争を続けていたので、早雲はこの扇谷上杉朝良と手を結んだ。
 この時期、両上杉の間で、多くの領主が揺れ動く流動的状況の中、早雲は伊豆侵入以来、3年間は領国支配に専念した。そして扇谷上杉定正とその武将・小田原城主大森氏頼、新井城主・三浦時高の死亡では、迅速な行動を開始した。
 1495年2月(明応4)、早雲は鹿狩りを装い兵を小田原城に近寄せ、城主・大森藤頼(氏頼の子)の無警戒に乗じ、難なく小田原城を占領。関東の橋頭保となる城を獲得した早雲は、家臣を入れ、自分は韮山城で相模武士団の帰服を待った。
61_3  小田原周辺の国人衆、百姓・職人らの所領や所職を安堵し、重用もして人心掌握に務め、相模衆も早雲の下知に従うようになった。そして10年後の1504年(永正元)、山内上杉顕定討伐の頃には、合戦に動員する国人衆、百姓完全に掌握していたという。
 早雲は外交面でも機敏に動き、1494年(明応3)以来、今川氏親を助け三河にも出撃する律儀さも見せ、1508年(永正5)には、氏親が足利義尹から、遠江守護に任命されている。この時深謀遠慮から尾張織田氏とも連絡を取った。又、1509年(永正6)には、両上杉ら旧勢力を関東から一掃するために、越後の守護代・長尾為景(上杉謙信の実父)とも連携している。
 1516年(永正13)、早雲は相模の名族三浦氏を新井城(現三浦市三崎町)に滅ぼし相模制圧に成功した。古河公方内部の抗争も、早雲に支持された足利高基(政氏の子)が勝利するが、鶴岡八幡宮別当の空然(高基の弟)が、高基に対抗すべく、還俗して「小弓御所」足利義明となる。この状況下、早雲死去1年前、跡を継いだ氏綱は、古河公方・高基と結んで、扇谷上杉朝興・足利義明に対抗し、やがて古河公方の権力自体を我がものにして行く。
諸問題が一段落した1523年(大永3)、氏綱が名字をから「北条氏」に変えた。これは正統国主としての相模支配者を主張したものである。

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