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2013年10月 8日 (火)

争乱の戦国史57(室町Ⅲ17): 山城の国一揆

 応仁・文明の乱後は、それまでの徳政を求めて武装蜂起する土一揆は下火となり、代わって各地に郡や国全体を巻き込むような一揆が起きている。
 1485年(文明17)の秋から冬にかけて、南山城では畠山政長軍と畠山義就(ヨシナリ)軍が長期の対陣を続けていた(二人の争いが応仁の乱の口火だった)。12月、これら長期滞陣に反発した山城国人たちは、土民の群集するなか集会をもち、結集して両軍に対し山城からの撤退要求した。国人とは在地領主で、諸荘園の荘官を勤め、政治的には畠山政長に与(クミ)する細川氏被官が多かった。
F57  しかし、この国一揆では、一味同心して両軍の撤退を求め、併せて荘園領主所領の回復、新関(軍費調達のための新しい関所)停止などを要求した。即ち本来の秩序回復を求めたもので、国衆たちは両軍から文書による保証を得て撤退を実現させた。
 翌年、国人たちは宇治の平等院に集会して「国中掟法」(秩序維持のための法)を定め、更に拡充させて、彼らは「惣国(自治国)」による山城支配を始めた。先ず惣国は、久世・綴喜(ツヅキ)・相楽の南山城三郡内の荘園について、年貢半分を自ら収納する内容の「半済令(ハンゼイレイ)」を出し両軍撤退に掛かった礼銭・諸費用に充てた
 又惣国は代表組織である「月行司」を置き、重要事項を国人たちの会合によって決定し、治安維持にも関わった

 このような体制は8年間も続いたが、本来「国中掟法」で禁止されていた年貢未進は増大し、惣国内部で利害の対立も生じて来た。後述する明応の政変で細川京兆家(惣領家)に協調した伊勢氏山城支配強化に乗り出し、国人たちも動揺・分裂が起り、守護伊勢氏の命令受け入れを決める。そして此れに反対した国衆排除のため、伊勢氏と結んだ大和領主・古市氏が南山城に入部するに及び、山城の国一揆は崩壊したという。

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