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2013年10月 6日 (日)

争乱の戦国史56(室町Ⅲ16): 国人領主・小早川氏の台頭

 応仁の乱も開戦5年経過した1472年正月(文明4)、山名持豊(宗全)から細川勝元に和平申し入れがあり、事実上停戦となった。それは、京都で戦う守護大名等の領国で、守護代や国人大名などの在地領主が急激に台頭する現象が起きたからである。土地を直接支配する領主が事実上の支配者として登場するようになる。この国が領主権を強化して、戦国大名へと成長した代表例として、小早川氏の場合を見よう。
 小早川氏は、後に毛利の一族として織豊時代に大大名に成長するが。その祖先は源頼朝時代の相模武士の土井実平(トイノサネヒラ)で、その子・遠平が平氏追討後、中国地方軍司令官的地位につき、更にその子の影平が安芸国沼田荘の地頭職を賜り、小早川姓を称した。その後同族繁栄しこの時代に及んだ。
F56  系図中、沼田本荘の茂平-雅平から敬平の惣領家を中心に庶家同族も繁栄し、海の戦国大名(海賊大名)としてデビューする。
 この内、庶家竹原小早川弘景の武力構成は、①「別分」という所領を独自に支配する同族連合体であるが、惣領弘景に直属するものとしては②「内の者」(竹原家の庶流の庶子)と③「若党」(百姓)④「中間」(百姓)があり、さらに⑤一般の家臣があった。農村の地侍や名字をもたない身分の低い者達である。
 鎌倉以来の分割相続による同族集団とは異なり、まだ「別分」を持つ「一家一族」(弘景の従兄弟兄弟も含む)がいたが、もはや竹原家の惣領から「扶持」「給分」を与えられる家臣となっており、武力編成の中心は血縁関係のない地侍・百姓に移っていたのである。
 竹原小早川家は、国人領主として地侍を直接、組織することで広い領地と海上支配権を確実に掌握し始めたのだ。こうした国人領主の成長力こそ、守護大名の形式的支配崩壊させ応仁・文明の乱を終結させる力になっていったのである。

 尚、海賊大将水軍兵力を持つ豪族をいい、古来名族の宗像氏松浦氏をはじめ、瀬戸内でも河野、多賀谷、小早川の有力豪族は皆海賊大将だった。
 又、後に毛利元就の三男が小早川家に養子に入り、毛利の一族となる。
 

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