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2013年10月 3日 (木)

争乱の戦国史55(室町Ⅲ15): 後世に大影響の東山文化

  1473年(文明5)、将軍・義政は、応仁の乱での政治的混乱や妻・日野富子との確執に嫌気して、息子の義尚に将軍職を譲り、東山の山荘に隠棲する。しかも、子の義尚ともうまく行かず「親子確執」も公然の事実だった。それでとうとう、義政の隠棲所として東山山荘の造営に着手し、1843年に移り住んだのが慈照寺(銀閣寺)である。これは、義満の金閣寺造営にならったが、将軍家の経済基盤たる御料所(直轄地)は殆ど守護大名や国人に浸食され、この莫大な造営費を献納する大名はわずかであった。

F551 将軍家御料国の山城だけは将軍の命令も効き、山城国内に多くの荘園を持つ東寺などが、義政の賦課を受けて、各荘園に割り振っている。人夫も同様山城の公家や社寺領の荘園に割り振られた。このような次第で工事もおくれ、1482年着工1483年常御所完成で移り住み、観音殿銀閣の立柱上棟1489年(延徳元)で、1490年、義政死亡時も未だ未完成であった。銀閣寺 しかし、10年近い歳月をかけ山城・大和の民衆の犠牲の上に出来たこの山荘は多数の建造物を擁し、東山文化の粋を表わし、禅的幽玄さを深く表わした。

 義政はこの東山を芸術家たちのサロンとして開放し、彼らを保護したので、禅の思想に基づく「侘び・寂び」に満ちた幽玄な「東山文化が花開いた
 後に茶の湯の元となった村田珠光(ジュコウ)による「侘び茶」の創出、「立花」(生け花)の誕生、禅の精神を作庭に持ち込んだ世阿弥による「枯山水」様式の確立、以後の日本家屋の基礎となった「書院造」の完成など、後世の日本文化に大きな影響を与えた芸術がこの時期に完成された。絵画の世界では雪舟による日本的な水墨画が誕生したほか、大和絵の狩野派、土佐派などが独自の独自の画風を完成させた。
 これらの芸術文化は宗教的要素を含みながら、明らかに生活文化的なものであり、狂言浄瑠璃など民衆に支持された芸術もこの時期に誕生し発展したものである。今日的な食文化を含め、生活体系の原型は、よく江戸・元禄と言われるが、その根源はこの室町まで遡るといわれる

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