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2013年9月27日 (金)

争乱の戦国史53 (室町Ⅲ13): 安東氏の東北支配と蝦夷

 鎌倉時代には、陸奥の十三湊を本拠地とする豪族・安東氏が幕府の東夷成敗権(蝦夷支配権)を執行する蝦夷管領に任命され、津軽海峡をはさむ奥羽と渡島(オシマ)(道南)のエゾを支配していた。このエゾはアイヌ人を意味している。
 室町時代になると安東貞季の嫡男・盛季を祖とする十三湊の下国家が安東氏の嫡流として蝦夷管領の系譜を引く日の本将軍と称した。又次男・鹿季14世紀末、出羽の秋田湊を討って湊家を興し、もう一つの蝦夷支配機構である秋田城介を世襲した。
F53_2 安東氏は代々日本海の交易を支配し富を築いた。室町初期の十三湊には越前・若狭と、蝦夷からの船が群集し、繁栄していた。1436年-1446年にかけ安東康季は若狭の羽賀寺を再興したが、八戸・南部氏に十三湊を攻められ、蝦夷・松前に脱出する状況下での事を見れば、安東氏が日本海交易の支配権と日の本将軍(奥羽地方全般の管領)の威信をかけた一大事業であった。但し、安東氏は松前から出羽・檜山に復帰するが、十三湊回復はならなかった
 南北朝時代(1336-1392年)、道南の昆布・蝦夷鮭が若狭に運ばれ、全盛期には年3回商船が道南に来航し、15世紀になると館主と呼ばれる在地土豪が成長した。松前に避難した安東氏は1456年上の国、松前、下の国に三守護を設置しこれら館主層の被官(家臣)化を図った。

 1456年、アイヌ人が倭人の鍛冶に注文した刀剣の価格を巡り口論となりアイヌが殺害された事件から、東部のアイヌ酋長・コシャマインが抗議に立ち上がり、倭人の交易圏内の全アイヌが蜂起する大規模な闘争に発展した(コシャマインの反乱)。従来、日本人とアイヌの民族闘争と言うのが通説だったが、今は日本人の交易を巡る蝦夷間の戦いとされている。
 コシャマインの戦い鎮定に活躍した武田信広上の国守護の娘婿に入り、蠣崎氏を相続1514年檜山氏から蝦夷の管理を委ねられ、夷役(エゾヤク)(日本商船から年俸を徴取し、蝦夷の長官たちに分配)を設けた。日本人との交易権を手中に収めた渡島の蠣崎氏は館主層を服属させ道南の戦国大名に成長した。

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