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2013年9月23日 (月)

争乱の戦国史52 (室町Ⅲ12): 琉球王国(第2王朝)の隆盛

 1429年(永享元)尚巴志が統一王国樹立後、東アジヤでの代表的な貿易勢力を築きつつあった琉球だが、尚巴志後の3代から5代まで、夫々3~4年と短かった。6代目を巡って王子の志魯(シロ)と叔父の布里が争って(志魯・布里の乱)、首里城は全焼し、両者とも死亡した。弟の尚泰久が6代目王位に就いたが、2年後(1458年)に有力配下の反乱が発生。勝練城按司・阿麻和利が、中城城を攻略し按司・護佐丸を倒し、更に首里城を攻めたが、首里軍に滅ぼされた護佐丸・阿佐和利の乱)。更に7代尚徳が病死すると、予々不満を持つ勢力が、王子や王族・近親者を殺害し関係者は首里城から追放した。首里城の主となった金丸は即位して尚円となる。第一王朝とは何の血縁もない第2王朝の誕生である。

 1472年尚円は中国皇帝に「琉球国中山王」として冊封された。第2王朝は琉球3山の盟主たる地位を確古としたが、自立性を保持する按司勢力は温存された。その按司層の力を減殺し、王権基盤を確立・安定化し、王位を絶対的存在までたかめたのが第2王朝3代の尚真である。治世は在位50年に及び、王権の伸長、按司対策、対外関係の面で、王権基盤を刷新する決定的な転機となった。
 先ず、按司対策は、按司を首里に移住させ、現地には按司掟という役人を派遣し管理させたのである。そして先島等の離島支配を強化した。又官職・位階を整備し支配体制を整え、軍備強化も行い、王国経営の行政機関として、首里王府を拡充強化し、王の執行機関とした。
F52 尚、琉球王国が隆盛できた最大の要因は、その朝貢貿易による。中国が冊封関係でアジアを支配したが、中国は「海禁政策」(鎖国政策)をとり、貿易制限したため、アジア各国に中国製品が不足した。又朝貢回数を厳しく制限した中では琉球は群を抜き中国との交易が多かった(安南やシャムの2倍、日本の9倍)。
 そこで琉球は、アジア各地の物品を集め中国へ運び、中国の物品を各国へもたらす、という運搬するのみの「中継貿易」により、莫大な利益を得たのである。但し、16世紀に入り「後期倭寇」と称される海賊的行為も行う集団の跳梁跋扈する頃には衰えてくる

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