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2013年9月18日 (水)

争乱の戦国史50 (室町Ⅲ10): 応仁乱後Ⅲ 神威減衰と武威興隆

 応仁の乱後、幕府機能が崩壊し始めると共に、社会変化は商人や職人、農民、宗教者など、古い世界観の中で暮らしていた人々の経営戦略の転換を迫った。
 その典型例が京都近郊の油座・「大山崎神人である。この座は鎌倉時代より関銭(関所通行税)免除などの特権を与えられ商圏を拡大し、将軍も代々彼らを保護し、将軍代替りには安堵状を下賜し、神人(座)としては破格の待遇だった。その商圏は尾張以西、近畿、備前、阿波・伊予など10ヶ国の製油・販売独占権を持つ大規模なもので、石清水八幡宮を本所とした。勿論、手強いライバルもいて、幾度も商圏を脅かされたが、訴訟では必ず勝利判決を得た。それは石清水八幡宮の放生会に嗷訴(ゴウソ)を起し、無条件に勝訴判決を得たからである。
F50 しかし、将軍義政は1451年(宝徳3)に山門(比叡山)が起した嗷訴を棄却し、以降特別扱いされなくなった。以前ほど神を畏怖せず神威が失墜したからだ
 この変化は、1463年(寬正4)における南都七大寺が幕府の裁許遅延に抗議しての閉門嗷訴にも、義政が無反応であった事にも現れている。むしろ徳政一揆の方に脅威を感じていたのである。神よりも武を恐れたのである
 ここに彼らは経営戦略の転換を図り、これまでの戦闘能力を生かせる合戦の戦功による大名の保護を勝取る戦略に出た。大山崎が京の西玄関口の軍事的要衝であったことから、応仁の乱では東軍に属し、積極的に西軍と戦っている。
 だが結局彼らは、その広大な商圏は守り得ず、精々京都市場での他製品の排斥が精一杯となった。そして16世紀には京都市場の死守もかなわず、「油場銭」なる通行税の徴収権者に堕ちて行き、やがて姿を消した。当に室町幕府と軌を一にして滅びたのである。
 やはり、応仁・文明の乱はそれまでの社会構造を大きく変化させ、古代的国家構造の延長線上の社会構造から抜け出したという。日本の歴史を二つに分かつほどの大きなエポックだったと評される所以である。

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