« 夏、真っ盛り | トップページ | 40℃超の猛暑 »

2013年8月 9日 (金)

争乱の戦国史34 (室町Ⅱ24): 日朝、日明交易と海賊衆

 1420年(応永27)、朝鮮の対馬襲撃事件が落着したので、国交回復を求めて宗希瓊(ソウキケイ)一行が博多に来航した。それを受けて博多商人・宗金(ソウキン)が彼を京都に送り届け、九州探題と連携して幕府との外交仲介した。
 1429年(永享元)の朝鮮通信使・朴瑞生(ズイセイ)の日本訪問には、船行の便を提供したり、幕府使者として朝鮮渡航し、斯波氏の朝鮮貿易を請け負ったり1450年(宝徳2)の文宗即位を祝賀し、「大蔵経」3千8百巻を与えられた。
 北九州、瀬戸内海の海賊衆とは密接に結び付き、当時朝鮮渡航時の一行50名には海賊衆も含まれたいたが、当時彼らの手助けなしには遠洋航海は無理であった。海賊の掟も充分に承知し、宗金自身が立派な海賊大将であったという。当時の貿易商人は幅広い海外知識、仏教的素養を身に着け、幕府権力と密着し、海賊衆と連携しており、生半がな武家など足元にも及ばなかった。
F34 一方、1451年(報徳3)には明国との勘合貿易船出航した。前回(1432年)より大規模となって、9隻の船団を編成し、硫黄、銅、太刀、蒔絵など膨大な取引商品を積み込んだ。しかし気候悪く、実際には2年後の出航で3週間を要し寧波に入った。渡航者1200人の内300人が北京入京が許され大宗謁見した。唯、官収買は前回に比し10分の1にしかならなかった。これは明側が財政上対応できなかった為とされたが、実際は明側がは周辺の野蛮国が朝貢を持参したという認識しかなく、貿易船はやむなくそのまま帰国した。遣明船

 ここでの海賊衆は、以前の倭寇の流れを汲むものであるが、略奪を主とする海賊ではなく、水軍兵力を持つ海上豪族を指すもので、古代以来の名門・宗像氏松浦氏海賊大将であり、瀬戸内では忽那(クツナ)、河野、多賀谷、小早川などの有力豪族=国人海賊大将と呼ばれた。それは、水上航路を押さえ、関銭をとりたてたからこう呼ばれたものの、交通路に関所を設けた荘園領主と同じ行為をしていたのであり、遣明船の警護を幕府は伊予・周防・備後の海賊衆に命じている。

|

« 夏、真っ盛り | トップページ | 40℃超の猛暑 »

戦国時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/57955878

この記事へのトラックバック一覧です: 争乱の戦国史34 (室町Ⅱ24): 日朝、日明交易と海賊衆:

« 夏、真っ盛り | トップページ | 40℃超の猛暑 »